僕がボコという名前を捨てたのは、もうずいぶんと前の話だ。
うだるような暑さの中、とめどなく汗をかき、このまま消え去ってしまいたいと思っていた。
それは、僕が暮らす4畳半のアパートの一室での出来事であり、机の上には、食べかけのソーメンが置かれていた。
隣の部屋の若者は、下手なギターのリフをひっきりなしに練習していた。
シンコペーション。
僕はいつの間にか眠りに落ちた。
夢の中でいくつもの嫌な体験をした。
その頃の僕は、とあることが原因で不眠症を患っていた。
ボコでいることが嫌でたまらなかった。
何とかして、ボコでなく、別の存在になりたいと思っていた。
そして目覚めた時、僕はボコではなくなっていた。
こういうのって、感覚の問題に過ぎないのかもしれないが。
僕がボコである必要はないのだ、いつまでもボコと呼ばれる必要はないのだと、そう思った。
そう思った瞬間、僕はボコであることをやめたのだ。
ボコをやめてしまうと、非常に気持ちが良かった。
やっと一人の、まっとうな人間になれたような気がした。
ボコでなくなった以上、ボコらしく立ち振る舞う必要性はない。
これまではボコだから、いくつもの制限をされてきた。
ボコにとって、この人間社会は厳しい。
まともな仕事も見つからない。
僕は、自営業で何とか食いつないでいた。
でもこれからはボコではないのだ。
僕は、自分の会社を発展させることにした。
僕の会社は、地方の工場で作った部品を大手白物家電会社に紹介し、納めることを生業にしている。
言いようによっては、中継ぎ業。
考え方を変えれば情報提供業だ。
どれだけ、地方の腕の良い工場とネットワークを持ち、それらを的確に紹介できるかにすべてがかかっている。
これまでは所詮ボコなので、細々とうつむいて仕事をしていたが、もう何も卑下することはない。
僕は必死に働いた。
暇さえあれば、地方をめぐり、さまざまな埋もれた工場や職人を探し、繋がりを作ろうとした。
大手白物家電会社とのネットワークも途切れないよう、必死に営業をかけ続けた。
僕の会社の名前は、「アーバン・ネットワーク」と言う。
悪くない名前だ。
※
ところで、僕には、趣味らしい趣味はほとんどない。
唯一の趣味と呼べるものは、ジャズクラブやバーでジャズを聴くことぐらいだ。
物心ついた時から、ジャズが好きだった。
ふつう、ボコがジャズを好きだという一般論はないと思う。
となれば、僕はどうしてジャズを好きになったのだろうか。
ボコであることを捨ててから、記憶は曖昧としている。
だが、誰かがジャズを好きだったから、僕も好きになったのだというおぼろげな記憶がある。
僕はもともとは、ボコ。
ボコられグマのボコだ。
たぶん、きっと。
僕の以前の持ち主が、ジャズを好きだったのじゃないだろうか。
僕は眼を閉じ、想像する。
僕を大事にしてくれた、美しい少女。
少女は、クールで知的。
ナイトドレスがよく似合い、細い指先で、華麗にピアノを弾く。
幼いころから、母親にジャズピアノを教えられて育ったのだ……。
そんな空想をすることは、楽しい。
ボコも悪くないじゃないかと思えてくる。
あれ? だけど。
なぜ僕はボコをやめたのだろう。
続く