いつまでもボコだと思うなよ   作:忍者小僧

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すいません。
前回、次回最終話と書きましたが、あと一話続きます。
昨日データが消えてしまい、書き直してたら長くなっちゃいました。


35 変容とヴァリエーション

おいおい、どういうことだ?

これは悪い冗談か何かなのか?

僕はこめかみを抑える。

頭が重い。

誰か僕の頭の中に鉛の板でも仕込んでいったか?

そんな馬鹿な。

苦笑いしながら床に転がったボコのぬいぐるみを手に取る。

それは非常に柔らかい。

ふかふかの毛布のようだ。

試しに指の腹で強く押してみる。

ぶちゅっと押した部分がひしゃげて中綿がさらに飛び出した。

痛々しい光景だ。

だがそのことに嗜虐心をそそられもする。

僕は夢中になってボコのぬいぐるみを握りしめる。

首をひねり、頭を押さえつける。

どこかでこういう行為を読んだことがある。

リョナだ。

リョナ系の同人誌だ。

大柄なオークが、妖精やエルフの少女を両手で握りつぶしたりするのだ。

若いころにネットサーフィンをしていてたまたま目にしたことがあった。

その内容を強烈に思い出す。

僕はそれを真似ることにする。

ボコのぬいぐるみの裂け目かにそって親指と人差し指をかき入れる。

中綿をかき分け、無理矢理に拳を突っ込む。

フィストファックだ。

泣け。

泣きわめけ。

ボコ!

だが、ぬいぐるみは一言もしゃべらない。

涙一つ流さない。

それはただ、同じ表情で潰されていくだけだ。

僕はかっとなり、中綿をつかめるだけつかんで引き抜く。

ボコの体が裂ける。

死んだ、死んだのだ、こいつは。

僕はニヤニヤが止まらなくなる。

だがそれもじきに止んでしまう。

だってボコの中には何も入っていないことが証明されたからだ。

手から力が抜けていく。

再びボコ(いや、ボコだったものの残骸)が、床に投げ出された。

ぶちゃっという格好の悪い音がした。

それがお前の断末魔なのか?

僕は、ふらふらとバーカウンターの椅子に腰かけた。

考えろ。

考えなくちゃいけない。

どうして僕のボコから、盗撮機が失われているんだ?

いいや、待てよ。

そもそも僕はどうして、このボコを、以前に僕が盗撮機を仕組んだボコだと思い込んでいた?

あれはもう20年も前のものだぞ。

それをどうやって手に入れた?

ほんの数日前の出来事が、頭に霧がかかったように不鮮明だ。

それでも僕は霧の中を果敢に飛ぶ飛行士の気分で、記憶に探りを入れる。

そうだ……そうじゃないか……あれは、この出張に出る少し前の晩だ。

僕はバーで島田愛里寿と出会い、箱を渡されたんだ。

箱にはボコが入っていた。

…………。

島田愛里寿!?

僕は思わず飛び上がりそうになる。

それぐらい狼狽しても仕方のないことだ。

島田愛里寿だと?

一体どういうことだ。

なぜ僕は忘れていた?

僕はほんの数日前に島田愛里寿と再会している。

しかし、いや、そんなはずがない。

彼女は20年前のままの姿だった。

そんなことがあり得るわけがない。

人間は必ず年を取る。

もう彼女は30代になっているはずだ。

僕は首を振った。

30代になった愛里寿なんて見たくもない。

想像するだけで吐き気がする。

あの美しく華奢な少女が脂肪をため込んだ中年になってしまうなんて。

あってはならないことだ。

しかしここで僕ははたと気が付く。

大人になっても幼い少女に見える疑似ロリータポルノ女優の冷泉麻子のことだ。

彼女もまた、僕の前に二度現れている。

一度目は、金田から渡された映像として。

そして二度目は、東京のジャズバーのピアニストとして。

おかしい。

何かがおかしい。

僕は、僕の前に二度姿を現した人物についてさらに考える。

みほ。

西住みほという少女。

あの女もまた、二度現れている。

一度目はカラオケ店の店員として。

そしてたった昨日、熊本のキャバ嬢として。

さらに言えば、僕の行為も繰り返しだ。

僕は20年前、西住みほをボコボコに殴った。

そして今日と昨日、今度は湯浅をボコボコに殴っている。

ただし、これは全くの繰り返しではない。

それぞれの人物の振る舞いや職業は変動している。

僕が殴る相手も異なっているし、今回は僕自身殴られ、そしてまだ警察に捕まってはいない。

警察……。

警察の行為もどこかおかしい。

特にあの、僕を尾行していたという中年刑事だ。

彼とは飛行機の中で隣り合わせた。

そんな尾行があるものか。

あれは何だったのか?

僕は目を閉じた。

目を閉じると、真空の中に浮くようだった。

僕は一台の孤独な飛行機になり、ずんずんと飛んでいく。

エアポケットがやってきた。

僕はがくんと揺れる。

揺れを感じて目を開ける。

足元に転がった湯浅だった。

彼はうめき声をあげ、僕の靴に手を触れていた。

僕は唾を吐き、彼の手の甲を蹴り上げた。

もう少し眠っておいてもらおうと思う。

脇腹に3発ほど蹴りを入れると、再びおとなしくなる。

その時、ポケットから何かがはらりと落ちたことに気が付く。

拾い上げると、それは折りたたまれた紙切れだった。

小さな白い紙きれだ。

僕はそれを開く。

するとそこには11桁の数字が記されている。

11桁。

電話番号だ。

それは、20年前の記憶をくすぐる。

伊丹老人だ。

あの老人の電話番号も、こんな紙切れに書かれ、金田から手渡された。

だが。

この紙切れは違う。

それは数日前に手に入れたものだ。

東京のジャズバーのあの狭い部屋で、島田愛里寿から渡されたものだ。

頭がうずく。

感覚がマヒしてきている。

ほんの数日しか経っていないだというのに、東京にいたのが恐ろしいほど遠い昔に感じられる。

もうずっと、この迷宮にいるような気がする。

あの、狭いおかしな部屋で、島田愛里寿は僕に言った。

 

「困ったときにその番号を使って」

 

その言葉は鮮明に記憶に残っている。

彼女はそう言って、僕にこの紙切れを握らせた。

あの時に触れた小さな手の感触が脳を焼いた。

僕は勃起しそうになった。

子供の手の高い体温が僕を興奮される。

畜生、僕はまだ、愛里寿を愛している。

僕は紙切れを丁寧に伸ばし、バーカウンターの上に置いた。

それはまるで秘密の刻印のようだった。

勇者に与えられた秘密の呪文だ。

あるいは、奴隷の肌に刻まれた焼き鏝か。

僕はどちらだろう?

5分ほど考えたが、答えは出なかった。

通りで大きなクラクションが鳴った。

ビルの向こうの道路で渋滞が起こっているらしい。

だがブラインドを閉め切ったこの部屋からは何も見えない。

ここは海の底だ。

深海だ。

アンビエントでインヴィジブルな世界だ。

モーダルなものからかけ離れた、ここだけの世界だ。

僕は息をついた。

落ち着け。

落ち着け、総一郎。

これは誰の番号だ?

よく考えろ。

僕はバーカウンターにピンと伸ばして置いたその11桁を見つめる。

まるでカウンターの木目が浮かび上がってくるぐらいに。

僕は考える。

この数日間、20年前と似た主題が繰り返し僕の周辺に起こっている。

しかし、それらは少しづつ違っている。

まるでヴァリエーション、アレンジメントだ。

変奏曲だ。

変奏曲?

そう、まるでモダン・ジャズだ。

巧みなジャズ奏者が、同じコード進行を使用して新しい曲を作るときのようだ。

即興演奏。

素晴らしいインタープロバイゼーション。

出来事はそうだが、登場人物はどうだ?

島田愛里寿、冷泉麻子、西住みほ。

それぞれ、立場や職業は変化しているが、容姿は同じだ。

僕は頭をかいた。

20年前僕の前に登場して、今度登場していない重要人物は誰だ?

金田か?

伊丹老人か?

ほかに思いつかない。

20年前にも、紙切れに書かれた番号の主は伊丹老人だった。

とすれば、この番号の主は、今回も伊丹老人か?

そうなのかもしれない。

そして彼なら、何かしら僕にアドヴァイスをくれるのにふさわしいような気がする。

 

「困ったときにその番号を使って」

 

島田愛里寿のあの言葉が、再び僕の脳裏で響いた。

窮地。

そうだ、確かに僕は今、どん詰まりにいる。

どうしたらよいかわからず、この場所から動けない。

僕は店内を見渡した。

キャッシャーのそばに、年代物のダイアル式の電話があった。

アンティークな置物かと思ったが、コードが引かれている。

どうやら実用されているらしい。

僕は、紙切れを手に取り、電話機に近づいた。

指が震える。

ダイアル式を回すのは子供のころ以来だった。

うまく回すことがむつかしい。

悪戦苦闘して、ようやく番号を正確に回し切る。

コールはまるで、闇夜に投げかけられているようだった。

深夜の海に投げ込まれる釣り糸のようだった。

海の底が違う世界につながっているのだ。

そんな想像をしていると、ようやく相手が電話に出た。

不信感をあらわにした、若い女の声だった。

 

女?

 

僕は絶句した。

頭の中が真っ白になった。

女だと?

どういうことだ。

伊丹老人でも金田でもないのか?

もうプレイヤーは他にいないだろう?

僕が茫洋とし、逡巡していると、女の声が問い詰めるように言った。

 

「一体何なんですか。黙りこくって。いい加減にしてください」

 

そしてぷつりと、糸が切られた。

僕の投げかけたコールは、闇夜の向こう側に置き去りにされた。

それは息だえ、駆逐された。

僕はそろそろと受話器を置いた。

頭痛がした。

女の声は若かった。

だが、西住みほとも島田愛里寿とも異なっていた。

聞き覚えがある声かと言われればそうであるような気もするし、違うといわれれば違うような気もした。

女の声音は状況と相手によって全く変化するのだ。

 

続く

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