鈴の鳴るような声。
やはり若い女の声だ。
だが、さっきとは違う。
警戒心がむき出しではない。
僕は、素早く自分の名前を告げた。
「あの、唐突のお電話申し訳ありません。僕は、牧野総一郎といいます」
「え?」
女の子が素っ頓狂な声を上げた。
それから、嬉しそうに答える。
「あぁ~! うわっ。うれしい! 電話してくれたんだ~」
あまりにもフランクな口調に面食らう。
どういうことだ?
これはいったいどこに繋がっている?
僕がしばし沈黙すると、少女の声に心配そうなトーンが加えられた。
「あ、あれ? 違ったかな? あの……違いました? 牧野さんって、昨日の社長さんですよね?」
「なぜそのことを知ってる?」
「やだも~。湯浅のおじさまがバラしちゃってましたよ。社長さんだって」
湯浅?
昨日の夜だと?
混乱する頭が、一つ重要なことに気が付いた。
やはり、この少女の声には聞き覚えがある。
「君は……もしかして。昨日のキャバクラの少女か?」
「はい。そうですけど」
脳裏に、ウェーヴのかかった茶色い髪とにこやかな笑顔が蘇る。
確か、沙織ちゃん。
湯浅のお気に入りで、口移しでハイボールを飲まされていた少女。
電話口に、くすくすという笑い声が聞こえた。
「昨日も思っていたんですけど、おじ様って渋いですよね。『昨日のキャバクラの少女か?』って、なんだかハードボイルド映画の探偵さんみたい」
何が可笑しいのか、くすくすと笑い続ける。
その声はまるで不気味なエコーのようだ。
しかし、僕の中に一つの確信ができた。
これで、プレイヤーが揃ったという確信だ。
先ほどバーのカウンターで考えたときは、足りないプレイヤーが誰なのかわからなかった。
それは伊丹老人か金田だろうと勝手に想像していた。
だが、違ったのだ。
足りなかったプレイヤーは武部沙織だ。
僕はこの少女のことを失念していた。
なるほどな。
以前は伊丹老人だった役割を、今度の変奏曲では武部沙織が奏でるというわけだ。
このチャンスを逃がしてはならない。
僕は、できるだけ真剣なトーンで告げた。
「いろいろと、知りたいことがある。君と会って、直接話がしたい。会えないだろうか?」
「きゃっ。やだも~、大胆」
「真剣なんだ」
「えへへ。うれしいな。いつがいいですか?」
思案するまでもない。
早ければ早い方がいい。
「できれば、今日。今日の夜、空いてないかな?」
「うわっ。攻めますね。さすが社長さんなのかな。ちょっと待ってくださいね」
電話口の向こうで何かをめくる音が聞こえる。
スケジュール帖でもチェックしているのだろうか。
「うん。いいですよ。今夜会いましょうか」
「何時がいい? 場所は?」
「おじ様のご予定は?」
「今日なら何時でもいい」
「ん~。それじゃ、19時に駅裏のオブジェの前でどうですか? 細長い棒みたいなのから水が湧き出している大きなオブジェがあるんです。晩御飯食べさせてくれたらうれしいな」
「金ならある。なんでも奢ってやる」
「やった。それじゃ、そのあとどこかに行きましょう」
「あぁ。任せるよ。僕は、任せることしかできない身だ」
「その言い方もなんかカッコいいですね。それじゃ」
電話が切れた。
少女のよどみない声が触っていた鼓膜が、唐突な沈黙にしゃっくりでも起こしそうだった。
気が付くと勃起していた。
ズボンの中が熱い。
携帯電話をしまうと、スーツの上から股間に触れた。
いじらしいほどに固くなっていた。
武部沙織の声に興奮したらしい。
僕はまた、ひとりでに笑い出した。
公園の幼女には反応しなかったというのに。
どうやら僕は、この物語のプレイヤーにだけ、性的興奮を覚えるみたいだ。
公園には、ナショナル製の大きな時計が設置してあった。
その針が、17時を指している。
待ち合わせまではまだ時間がある。
ふと、先ほど目についた図書館のことが気になった。
立ち上がり、来た道を引き返す。
図書館につくと、17時20分になっていた。
入口の自動ドアが開く。
カウンターにいた中年の女性が、にこやかに微笑みんだ。
僕は会釈をした。
「いらっしゃいませ。当館のご利用時間は18時までとなっておりますがよろしいでしょうか」
「わかりました」
そうか。
公共施設系は、閉まるのが早い。
多少時間が余るが仕方がないだろう。
こじんまりとした図書館には、ガラスケースが多かった。
図書館というよりも展示室だ。
ケースの中には、様々な地図や古文書のようなものが陳列されている。
「ここは、郷土史の資料室でもあるんです」
女性が柔らかい声音で言った。
「へぇ」
僕はあいまいに答える。
あまり興味のないことだった。
古い地図よりも、人生の地図がほしいものだ。
何か、読み物はないかと見渡すと、新聞のバックナンバーを集めたコーナーが目についた。
何気なく、その中の一つを手に取る。
20年前の新聞だった。
20年前……。
怖いもの見たさが、ふと心を襲った。
僕は、自分が事件を起こした数日後の新聞を探し出す。
周辺数日をチェックすると、思ったよりも大きな扱いで自分の記事が載っていた。
【工場で働く男、少女に暴行。盗撮など余罪ありか】
周辺がぐにゃりとゆがむような気がする。
だが僕は持ちこたえる。
ここで耐えなければ、前に進まないような気がした。
今まで僕は、現実から逃げてきた。
僕は、バックナンバーコーナーを振り返る。
そこには新聞だけではなく、雑誌も大量に置いてあった。
新聞での扱いは思ったよりも大きかった。
もしかしたら、雑誌の記事にもなっているのではないか?
とある大衆雑誌に、僕が起こした犯罪のその日の翌々月の号に、まさにその記事はあった。
【日本の珍品⑰ 変態男の、とめどない性欲】
そんなふざけたタイトルが躍る。
僕は少女に性欲を覚える変態暴力男として面白おかしく描かれている。
思わず歯ぎしりをする。
強くなじられてバカにされているように感じる。
だが、何とか持ちこたえ、記事を読み進める。
と、その時。
おかしなものが目に入ってきた。
それは、ちっとも美しくない、さえない少女の顔写真だった。
なんだ、これは?
写真の下の説明を読む。
そこには、『暴行を加えられた少女N。少女自体の素行にも問題が』と書かれている。
どういうことだ?
これが、僕が暴行をした少女?
全然顔が違う!
こんなものは、あの西住みほではない!
僕は慌てて、ほかの大衆雑誌を探す。
数分後、もっと露骨に実名公表されているものを見つける。
そこには、実名で、似ても似つかない西住みほの写真が掲載されていた。
さらには、盗撮の被害者だという少女Sも。
西住みほよりは幼げではあるが、これっぽっちも美しくない。
あの工芸品のような、触れば折れてしまうような、島田愛里寿ではない!!
どういうことだ!
僕は叫びそうになる。
だが、そこが図書館であるので、何とか思いとどまる。
少女Sに関しては、盗撮の被害者に過ぎないためか、実名報道さえない。
僕はふらふらと立ち上がる。
そして、トイレへ行き、そこで携帯を使って、冷泉麻子の検索をする。
すると、彼女は確かに、疑似ロリータポルノの女優として、日本AVタレント名鑑に名前が残っていた。
そこに写真もある。
あの冷泉麻子だった。
僕は息をついた。
だがそれもつかの間だ。
彼女は、27年前に死亡していた。
原因はストレスによる拒食症。
ネット上ではそのように、まことしやかにささやかれている。
何分古い記事なので、ろくな情報はないが……。
27年前?
僕が金田から映像を渡された時点で、すでに彼女は死んでいた?
そんなバカな!
あれは過去の映像だったのか?
僕は、あの女優のことを何度も考えてきた。
今でも目を閉じれば脳裏に思い浮かべることができる。
だが、すでにいない?
僕は、すでに死んでしまった女のポルノ画像で、性的に興奮し、自慰行為を行っていたのか?
妙な感覚だ。
時間というものの不可逆性の中で、貼り付けられ、とどめられた映像記号が、僕を性的に興奮させていた。
妙な感覚だ!
僕は図書館を飛び出した。
そして、街中を彷徨った。
体が激しい熱を帯び、そしてすぐに蒸発し、また冷却されていく。
そんな不確かな感覚の中、自分が消えてなくなりそうになりながら、街中を歩いた。
どうすればいいか、皆目見当がつかなかった。
気が付くと、駅の横手に付属した建築物の、その裏に来ていた。
駅舎は洒脱なデザインで、接続された建築物との境界も壁面の一部がガラス張りになっていて、向こう側が見渡せた。
つまり、駅舎の奥の広場が見えているという状態だ。
図書館を出てから、かなり歩いた。
汗が額に張り付いている。
鞄の中で振動がした。
携帯電話だ。
それを取り出すと、武部沙織からの着信があった。
携帯の画面に表示された時刻は、すでに19時を10分近く過ぎていた。
僕は首を振る。
なんて一日なんだ!
武部沙織との待ち合わせ場所は、偶然にもすぐ近くだった。
そのことに戦慄を覚えた。
僕はつい先ほどまで、早く彼女に会いたいと思っていた。
そして、このおかしな状況についての助け舟を出してほしかった。
だが、今は感覚が変わっている。
どうして、西住みほの顔が違う?
島田愛里寿が別人だと?
僕は、怖い。
ひたすらに、怖い。
だが、このままでいるわけにもいかない。
そっと、ガラスの向こうを覗く。
この位置から、ちょうど駅舎の奥の広場が見える。
そこが待ち合わせ場所だ。
吹き抜けになった広場に、武部沙織の指定した巨大なオブジェが見える。
それは確かに、まるでゲロか何かのようにとめどなく、水を噴出している。
ゲロ。
ゲロ。
僕だって、吐き出したい。
何を?
それはわからない。
たぶん、溜まりに溜まったものを。
オブジェの後ろ側に、ふわりとした茶髪が見えた。
手には、デコレーションされたスマートフォン。
間違いない。
そこにいるのだ。
武部沙織が。
僕は息をのむ。
足が震える。
もしも、直接、武部沙織の顔を見て、それが違っていたらどうなる?
僕のすべての足元が、感覚が、ここに立っている前提が崩れてしまうような気がする。
僕は……僕は、心臓のある部分の胸の位置を、背広越しに押さえた。
息が詰まりそうだ。
その時、僕を脅迫するかのような震えが伝わった。
また、振動だ。
僕の手の中で、携帯電話が震えている。
着信番号はもちろん、武部沙織だった。
どうする?
僕は意を決し、通話ボタンをタップした。
携帯電話の小さなスピーカーから、聞きなれた少女の、少しなじるような、すねたような声音が届く。
僕は、肯首する。
そして、緩やかに、ガラスの向こうへと向かった。
【完】
お疲れ様でした。
まずは、皆様に、お礼を言わせてください。
ありがとうございました。
このわけのわからない物語を、最後まで読み進めていただき、本当に感謝の念に絶えません。
本当にありがとうございます。
本作では、『ボコ』に焦点を定めてみました。
もともとガルパンは、テレビシリーズから入ったのですが、自作としてキャラクターを掘り下げたいと思ったのは、辻さんと、意外にも劇場版に出てきたボコでした。
辻さんは前作で書いたので、次はボコを書きたいと思いました。
しかし、ボコは所詮、ただの無機物。
どうするか?
ということで、ボコに意味を持たせることにしました。
僕は昔から、前科者というものに興味がありました。
というのも、僕自身、10代の若いころはやんちゃをして、3度ほど警察に捕まったことがあるからです。
暴力や器物破損などの罪です。
たまたま相手側の落ち度などもあって、すべて不起訴に終わり、その後の人生を真面目に歩んでいました。
ところが、自営業を始め、自分で会社を動かしていた矢先、仕事で知り合ったとある県議会議員から恐喝を受けたことがありました。
彼は、僕の過去の逮捕歴をどこかで知り、金銭を要求してきました。
「社長さん。体裁悪いだろ。今後の契約とか発注とかに響くだろ。ばらされたくなけりゃ金払えや」
ってことです。
結局無視したら脅しで終わりましたが、このことは僕の中で、忘れがたい記憶として残りました。
そこで、傷ものの人生というものを描いてみたくなったのです。
しかし、ただ単にそういうものを描いても面白くはない。
そこで、サイケデリックというか、パラノイア的なものをテイストの中に投げ入れることにしました。
具体的には、昔から大好きな、『ローズマリーの赤ちゃん』のテイストです。
病的な思い込みと周辺の状況。
その中で何が真実かわからない。
そういうものを目指しました。
それゆえに、種明かしが遅くなり、読み手には不透明さを感じさせることになりました。
読み進めればわかることですが、この物語の主人公は完全にパラノイアです。
例えば、後半の武部沙織(or伊丹老人)の電話番号ですが、あんなものは、たんにキャバ嬢の沙織が、前日の夜に主人公に自分の連絡先を渡していただけです。
そういった、些細なことが、主人公にとって世界の秘密を読み解くかのような思い込みに見えるように描きました。
一方で、ただそれだけでは面白くないので、やや『はみ出した衒学性』も大切にしました。
無意味にいろんな考察のかけらみたいなものを詰め込んでみました。
このあたりは、昔から大好きなトマス・ピンチョンの小説への拙いオマージュです。
今作全体を読んでいただければ、「特に意味のない法則性」や「物事の連続と変化」というようなものが見えてくると思います。
それは、詩の連作に近いものです。
それゆえに、最後は、宙吊りで終わらせました。
やはりこの物語は、主人公が武部沙織に会いに行く直前で終わらなければならないと思うのです。
※
さて。
作者にとっては、これまでで一番の難産であった『ボコ』が終わりました。
次は、もう一つのボコか、別の話を書きたいと思います。
そのためにも、お手数なのですが、どうか、本作の感想や問題点・改善の余地のある点などをコメントいただけましたら幸いです。
切磋琢磨いたしますので、どうか、簡単なもので結構ですので、よろしくお願いいたします。
厳しい意見もお待ちいたしております!
どうか、一言でも!
あと、活動報告にて次回作のアンケートを行ってみます。