ーーーー自由は我らにあり。
見えざる記憶はそう告げる。
ぼんやりと一切の輪郭が掴めない、影と言うよりはよっぽど煙とでも言う方がしっくりくる。
そんな記憶だ。
自由とは何なのか、と記憶を覗くものは問いかける。
おかしな質問ではある、それこそ煙のようであった。
だから、この返ってこない答えに何を感じる訳でもなくただ瞳を閉じるのだ。
煙は風に飲まれて消えていき。
夢は煙に巻かれて消えていく。
先日のムチャクチャな会議から既に10日が経過していた。
ここはラグーン、無理難題を押し付ける暴君の住まう国である。
始まった計画は「休戦」。
確かに戦況が全く動かない状況では、戦闘があまり発生しないから交渉の時期として合理的ではある。
が、それも環境を考えれば良いと言えなくもないというだけだ。
ベルキアは何も、侵略をするために戦っている訳ではないという事実、これが環境だ。
というのも、ベルキアは山に囲まれた日の届かない国で、作物は作れず、日向を好む太った動物は寄りつかず、かといって行商人を頼ろうにも、分厚く、硬く、高すぎる山々に阻まれているのだ。
早い話が、物資がない。
もっと言えば立地が悪すぎるのだ。
戦いが始まったのはそれが理由。
戦いが続いている理由はまた別の話であるが、ともかく物資を軸に交渉を進めるのもいいだろう、と。
「まぁ、こんなモンかね」
王は、まさしくそんなベルキアの山々の如く積み上がった計画案を処理していた。
この光景には、ムチャな発案からの嘘のような計画性と驚かざるを得ないだろう。
「陛下、追加の書類でございます」
ーーーー補足しておくと、この「書類」というのは音声を記録する魔法が込められたもので、紙でもなければ文字がかかれた物でもない。
魔法である以上、術者・・・・・・今回でいえばアイリスによる魔力の供給を常に必要とするから、当然これは長期の記録には向かない。
この世界の記録媒体は、どれもこれも一週間と保たない脆いものばかりなのだ。
「さて、こりゃ紙の量産計画でも立てたいねえ・・・・・・」
それをするには紙を作る技術がもう少し発達する必要があるだろう、気の長すぎる話だ。
だから王はそんな自分の発言に溜め息しか出てこなかった。
書類に耳を澄ませていた王には、声でなくやたら大きなガシャンという扉の音だけが聞こえていた。
それに気づいた王は顔を上げて音の方を見た。
「お茶を持ってきましたよ、陛下」
扉の近くで佇む彼女は楽しげに言葉を発しては横顔にお茶を掲げてにっこりと笑った。
昼頃、天井の芸術的なガラス細工が色鮮やかで喧しい。
「おお、魔女様か」
「魔女でも様でもなく、アイリスですよ陛下」
いたずら気に言うアイリスの姿は、光のせいか少し明るく見える。
こちらは必死に作業をしているというのにこの女は楽しそうな顔をしているな、などと王は思った。
「んなこといったら、俺ぁ王でも陛下でもなくて、アイオタだっての」
いくら何でも苦し紛れすぎる反論だった。
アイリスは口元に手を当ててクスクス笑いながらこういった。
「王でも陛下でもあるじゃないですか」
そう言った後に笑いが止められなくなってしまったのか、彼女は口元どころか口を覆い隠して笑い始めた。
アイリスとて魔女でも様でもあるのだが・・・・・・まあ、些細なことなのだろう。
そう思って王は、出された茶に口をつける。
「んー、うまい、こういう時の茶は良いもんだなあ」
「これ、淹れたのブロッサムなんですよ」
なんて自慢げに言っていたアイリスに
「ありえねえ」
と、王はただ一言。
忙しそうな王の言葉はどこかそっけない。
「そういえば、どうしてまた休戦なんて?」
だから、早々に馬鹿話は切ってアイリスは本題に入った。
別段、この緩い空気がヒリつくことはなかったが、それでも吹いていた風が止む感覚を二人は味わったことだろう。
「私とあの人を合わせる以外に、目的があったんですよね?」
休戦、それは大抵戦争を続けられない時に結ばれる。
しかし、こちらも、むこうも、まだまだ国力なんて有り余っている。
余っているというのは語弊があるのかもしれないが、少なくとも「まだ尽きていない」とは言えるはずだ。
でも、この積み上げられた書類、彼女は媒体を維持する役目を負っているためにその中身は全て知っている。
それは、休戦と称するにはあまりにも綿密な計画で、それは終戦を想定した講和条約のようなものばかりだったのだ。
「そりゃあ、休戦のどさくさに紛れて戦争を終わらせる条約の準備だよ」
そんなこと出来るんですか、そう言おうと思っていたアイリスだが、その後の王の言葉に遮られてしまった。
「ま、休戦できたらの話だけどなぁ」
そういって椅子に深く座り込む王。
そんな王をみて、うっすら目を細めて恥ずかしそうな笑顔でアイリスはこう言う。
「できたら・・・・・・いいですね」
そんなアイリスを王は真っ直ぐに見て。
「だな」
と、短い返事を返すのだった。
「ああ、そうだ」
「ん?」
彼女は少し考えているような素振りを見せた。
「・・・・・・」
考えている、というよりは口に出す言葉を選んでいるといった印象だった。
やがて何かを思い出した様子で、彼女は王の視線から外れた。
「見回りしてきますね」
なにを言うわけでもなく、その元気のいい言葉と共にアイリスは勢いよく扉を閉めるのだった。
アイリスの日課は、不健康な骨のような穴あきの予定で実施される。
つまりは、日によっては気分の問題でやったりやらなかったりするのだ。
もっとも、それは王から言われた内容であって、律儀で真面目なアイリスは当然毎日こなしてしまう以外の選択肢など無い。
その日課とは、ラグーンの城壁から周囲一キロの範囲の簡単な見回りである。
「・・・・・・」
周りにはさほど背の高いわけではない木々、右を見れば昼頃の昇りきった太陽が反射して湖がやたらと眩しく、季節特有の暖かな暴風が心地のいい植物の鳴き声を奏であげていた。
そんな森の中、黙々とあたりを確認してゆくアイリス。
この範囲での見回りも、彼女の魔法にかかれば朝飯前と言ったところか。
「おや、あれは・・・・・・?」
朝飯前が故に、他のものに目移りしてしまうのは必然的なものと言える。
彼女はどうやら地上に何かを見つけたようだった。
注意深くその、木々の隙間からひょこりと覗く瞳らしきものを見つめてみると、なるほど、これは気になるだろうという位の猫の集まりと、それを彩る赤や黄色の美しい暖色が輝く花々が目に入ってゆく。
「猫さんですか・・・・・・」
アイリスは頬に人差し指を当てて、しばらくそれを鑑賞していた。
やがて衝動を抑えられなくなったのか、彼女は猫の元へとそーっと近づくと、甘ったるい掠れた声で猫にコンタクトを試みた。
「みゃあー・・・・・・みゃあー・・・・・・」
みゃあ、というかけ声に合わせて一歩、また一歩と歩みを進めている。
しかし彼女は足元の木を踏んでパキッと音を上げてしまい、猫たちは驚いたのかすぐさま逃げ出してしまった。
「あぁ、猫さんたちが逃げちゃいました・・・・・・残念」
アイリスはその場にへたり込んで、はあーと息を吐いた。
さしもの魔女様も、野生の場においては立場など関係ないということだ。
「そんな動きじゃ、まるで肉食動物じゃないか?」
へたり込んだアイリスの前からそんな台詞が飛んできた。
こんなところで人に会うなんて珍しい、そんなことを思いつつその人を見てみる。
見れば、ブロッサムと同じぐらいの年齢に見える男が立っていた。
「えぇ、そーっとじゃダメなんですか・・・・・・」
適当に返しつつも、アイリスは警戒している様子だった
昼頃にラグーンに向かって歩く行商人とは思えぬ男、では旅人かと思えば持っている荷物はあまりに貧弱だ。
つまりこれは、いってどこかへ帰って行く装備だと想像がつくのだ。
彼女の警戒心が強くなる一方で、男はとても気さくにヤレヤレといった具合に首を横に振った。
「ああ、ダメダメだ」
「だが・・・・・・」とさらに続けて男はポケットから何かを取り出す。
「こういうのは餌付けが一番だろうよ」
「餌付けって・・・・・・」
アイリスが口を開く刹那。
彼の手に握られた小指一本分ほどの小魚がその手で空中へと投げ出され、美しい一回転を描いた後にアイリスの手に収まった。
「使えよ、猫と仲良くなれるぞ」
そう言われてアイリスは渡された小魚を見る。
今日がよく晴れた日であることもあるが、それは仄かな光沢を放ち、小腹のすいた人間を容赦なく誘惑しているような色気を感じるものだった。
肉付きがいいというわけではない。
が、引き締まって凝縮された海の味わいが、それ特有の塩味が濃い油のまろやかさと混ざり合うその濃密な体験が、干され、乾いた今となっても油と共に浮き出ている、ということか。
はっきり言って小腹の空いてくるこの昼下がり、その最も太陽が輝くこの時間はこの光沢のためにあるのだと、そう本気で考えてしまうぐらいにアイリスはお腹が空いていたのだ。
「いやいや、食べるなんてとんでもない」
なんて自らを律するように呟くと、彼女は視線をオトコに戻した。
その控えめな笑みの奥で一体何を考えているのか・・・・・・、一切分からない。
だがその様子に彼女は男の姿が記憶の誰かと被って見えていた。
誰だったか・・・・・・記憶を辿ってゆこうとしたものの、それは男の言葉に遮られることとなる。
「それじゃあな、猫が捕まえられたら教えてくれよ」
男はそう言った。
そして、えっ、とアイリスが男に注意を戻した時にはその姿は既に消えていた。
「・・・・・・いったい何者だったんでしょう?」
忽然と、と言うのがふさわしいだろう。
このほんの一瞬で男は消えた、その事実にただ不思議がるアイリスは、そう呟いたのだった。
一週間後、両国は衝突することなく無事に会議を行う運びとなった。
そのため騎士たちは王の護衛をするべく念入りに道具の手入れをしているようだ。
箱は乱雑に机上に積まれ、いっそう強くなる日差しが騎士たちに大きな影を落としていた。
その箱の整理をしていたのは見慣れた二人組である、もちろんアイリスとブロッサムのことだ。
ベルキアの領土にこちらから踏み込む、向こうが提示した条件はそれだけだった。
それだけといっても容易ではない、前にも言ったとおりベルキアに踏み込むのは、険しい山々に挑むのと同義なのだ。
「やっぱり重いっすね、これ」
積み終わった登山具を試しに背負ってみた兵士たちの一部が愚痴をこぼす。
愚痴をこぼすだけではない、彼らは魔女を横目にどこか羨ましそうに溜め息をついていた。
そんな兵士たちが目に入ったのだろう、アイリスは彼らに優しくこう言った。
「つらかったら私が持ちますから、頑張りましょう!」
至って笑顔のアイリスとガンを飛ばしてくるブロッサム。
なるほど、弱音を吐けるものなら吐いてみせろと、そういうことかと兵士たちは理解し目を逸らした。
「あの笑顔、絶対わざとだよなぁ・・・・・・・卑怯だよ全く」
「そうっすねえ、隊長も怖いしまさしく鬼二人って感じですよあれは」
当然この小声での会話も、耳のいいアイリスには筒抜けである。
が、鬼とかどうとか言われたところで、あの笑顔は天然のものが故に彼女はただ頭に疑問符を浮かべるのみに留まっている。
これを聞いたのがブロッサムなら・・・・・・、まあ特に説明もいらないだろう。
「お、作業進んでんな?」
そんな中、扉の音はやたら大きく響いていた。
いつになくラフな・・・・・・勿論言動ではなく格好の事であるが、半袖の黄色い動きやすそうな服に、会議には到底不釣り合いな所々に穴のあいた半ズボン、その上には暖かさを調節しやすい赤のコートを羽織って準備は万全と言った様子か。
はっきり言って何やってるんだコイツと皆が思ったに違いない、少なくとも王の格好ではない気がするはずだ。
「んだよその目は」
そんな視線に気付いて王は文句を垂れる。
しかし彼がいかにガンを飛ばそうが、こんな格好の王に対して皆が垂れるのは、どうあがいても頭などではなく文句である。
もっとも、王に粗相があってはならないと叩き込まれているから精神的にそんなことが出来る人物は限られているが。
別にそれが誰だという必要もなかろう。
程なくしてブロッサムとの激しい口論が始まりかけたが、今は時間を大切にせねばならないと王が自らそれを止めることとなる。
ブロッサムもこれには流石に自重、いつの間にやら整列していた騎士たちの列に加わった。
「うし、準備はいいな?」
その言葉に皆思い思いに返事をした。
その目には使命や希望といったある種の光が宿っているように見える。
その目に向かって、続けざまに王はこう言った。
「んじゃ、戦争を終わらせにいくぞ!」
かくして、ベルキアへの旅が始まったのである。