野を越え山を越え、そして自らが足でベルキアの会議の場へと赴く。
限りなく罠に近い、そう思わざるを得ないだろう。
ベルキアに連なる山々、ベルキア山脈。
今は日差しも暖かくなりつつある時期というのに一人時間を忘れて雪を降らし、その傾斜でもってあたかもここは禁じられた場所とでもいいたげに行く手を阻む。
これは、行商人もほとんどこないのも納得の険しさと言えるのではなかろうか。
その中腹の小屋、騎士たちの顔は明らかに疲労の色を見せていた。
「大丈夫ですか?今タオル持ってきますから」
「すみません魔女様・・・・・・、手間をかけさせます」
負傷した騎士たちの傷の手当てをしていたのはアイリスたちであった。
「ああもう!じっとしてなさいよ!!包帯巻けないじゃないの!!」
「うるせえ、俺はいいんだよ!ほかの連中看てろ!!」
王の負傷は軽度のものだ。
しかしながらブロッサムは、王が最優先であることが本能の段階で叩き込まれていることだけは忘れていないのか、王の手当てを頑固に続けていた。
「こ、のっ、じっとしなさいって!」
「こら、おい!!ったァ!!痛ぇ!!!」
ブロッサムの応急処置はお世辞にも上手いとはいえない、むしろ痛そうだ。
なるほどこれは他の兵士の手当てをさせるべきではない、とアイリスは勝手に納得してしまった。
突如、小屋の外からドガァン!という強烈な炸裂音が鳴り響く。
「ちっ、またかい」
壊れかけで留まっている扉の奥、穴を凝視すると見えるのは三匹の赤い狼であった。
雪が積もって真白い景色ばかりが広がるなか、その殺人的な紅さに王が舌を打った。
ブロッサムは救護で手一杯、周りの兵士たちも皆少なからず負傷を負っている。
「私が止めます!!」
行けるのは私しかいない。
そう判断したアイリスはいち早く裏口から飛び出していった。
扉を開けた瞬間、彼女の顔に冷たい風が吹き付ける。
そんなことはいざ知らず、彼女は次の瞬間には空高く跳躍し、腕を振り上げて一点に獣たちを睨みつける。
「はあッ!」
そのまま重力を生かして獣たちに打撃を加えんと腕を振り下ろした。
空を裂く鋭い音とともに、神速で迫る鉄球の如き拳が狼の一匹を捉えた。
数匹の狼がうろたえる、その機を逃さずアイリスは続く左手での掌底で狼の心臓部を打ち貫く。
「ガアアアアアア!!!」
激情したのか、さらに数匹の狼がけたたましい咆哮と共に彼女へ一直線に迫り来る。
当然ながらそんな甘い攻撃では魔女にかすり傷をつけることすら叶わない。
アイリスは後ろから迫る獣たちを振り向くことなく回し蹴りで迎撃し叩き落とした。
さらに続くのは、左右からの猛攻だ。
視界の外から迫る殺意、これもアイリスは左を蹴る、その後狼に突き刺さった左脚を右の狼へと遠心力を用いて吹き飛ばす。
それは狩る側が明らかに狩られる虐殺の様相であった。
この光景に、獣たちは明らかに恐怖を感じたように退いていった。
第一波が終わった、そう感じてアイリスは止めていた息を一気に吐き出す。
その顔には明らかに疲労困憊の様相であった。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」
だがアイリスは荒れた息を整えながら注意深く周りの様子を窺っていた。
油断をしない心がけがあった訳では決してない。
退いていったはずの狼たちが、殺気だけを残してこの場にとどまり続けているのを感じたのだ。
周囲に目をやると、獣たちはアイリスを取り囲むように陣形を整えてきたばかりでなく、今にもその口から火を吹かんと口を大きく開けていたのだ。
獣たちには知性というものがあった、それは獲物を陥れ、時には目的を達するべく仲間すら見捨てる残忍さを孕んだものである。
先程までの茶番は囮のつもりとでもいうのか。
彼女は、登山の疲労で反応が遅れていたために防御の間はなかった。
獣の口からこの山の温度に似つかわしくない高温の炎が吹き荒れ、雪を溶かしてゆくばかりか木々を瞬時に灰に変えてゆく。
「くっ・・・・・・」
しかしその炎がアイリスを包まんとしたその瞬間、それはなにかに遮られて消え失せた。
炎弾を弾いた時の甲高い金属音と共に騎士の姿が目に入る。
ブロッサムたちだった。
「援護いたします!」
「任せてください!この程度我々だけで十分です!」
頼もしい雄叫びが山に木霊する。
その様子を見て、アイリスはまずブロッサムの方を見つめた。
その視線に気づいたのか彼女もまたアイリスの方を見る。
すると何やら気恥ずかしそうな表情で目を逸らして口を開いた。
「・・・・・・一応止めたのよ?いやホントに」
ブロッサムは、目を見ただけで何が言いたいか分かったかのような表情でアイリスの質問の前にそう答えたのだった。
「別にいいですよ、ありがとうございます、助かりました」
そういってアイリスは体制を整えた。
狼の数は先程から増え続け、数十頭は下回らないだろう。
こちらの騎士たちはその数16、しかも負傷者多数とくれば状況が厳しいのは間違いない。
そう考えたアイリスとブロッサムはほぼ同時に目配せすることとなった。
「私が引きつけるわ、デカいのお願い」
「はい」
そんな短いやり取りをした後、二人は左右へ別れて獣たちへと突撃した。
左からのブロッサムは、その手に持った両手剣をぐるぐると振り回して獣たちを挑発、自分に襲いかかってくるのを確認してから武器を捨てて逃げ回った。
それを受けて右のアイリスは、まず岩陰に隠れて戦況の把握を試みる。
狼の位置、騎士たちの位置、そしてその動きと誰に注意を向けているかを確認し、構える。
見れば、騎士たちはやはり狼たちに圧されつつあった。
時間はない、そう思うと彼女の握り拳にかかる力は自然と大きくなっていった。
「・・・・・・マジックシュート」
ただ待った、最善のタイミングが訪れる瞬間を、獣たちだけがこの魔法の射線上に現れる好機を。
輝きがアイリスの腕に収束してゆく、それを見てブロッサムは動きをアイリスの射線上に狼たちを誘導するようなものに変えた。
捨てた剣もいつの間にか回収して斜線上ギリギリの所で狼たちの動きを殺す。
アイリスの腕の輝きはさらにその先、拳へと収縮しいっそう白く光を放っている。
その時になって初めて、狼たちは自分らの置かれている状況を知ることとなる。
アイリスの魔法に気づいた途端、皆がバラバラに射線上から逃れようと動く。
「はあああああああ!!!!!」
が、もう遅い。
アイリスの渾身の一撃が、あれほど騎士たちを苦しめた獣たちを文字通り無に還してゆく。
叫び声をあげる者、なにもせず立ち尽くした者、最期まで恨みを込めてアイリスたちを睨みつけていた者。
それら全ては、等しく白き輝きの前に飲み込まれていった。
勝利、騎士たちはなんとか生き延びることができたのだった。
「状況確認!生存者報告急げ!!」
戦闘を終えて尚も王の怒号が山に響き渡る。
だがそれは兵士たちにとってはひとまずは勝利を告げる鐘のようなものだった。
先程まで必死に戦っていた彼らは、安堵の溜め息とともに地面にへたり込む。
皆、既に限界など越えているのだ、力の最後の絞り滓をひねり出し、その干からびた実を噛む思いで戦っている。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」
アイリスはその時警戒を怠っていたのではない。
彼女もまた、彼ら騎士たちの疲労の例外ではなかった。
ただそれだけのことだった。
「・・・・・・!! アイリス!!」
「ソレ」に一番はじめに気付いたのはブロッサムだった。
アイリスの背後から迫り来るソレは、人の姿をしていた。
狼たちよりも狡猾で、非道で、残虐で、賢い。
「消えろ、魔女」
「え・・・・・・」
次の瞬間、アイリスはその場に突如として現れた、「人間」によって崖下へと叩き落とされた。
その直後、皆が聞いたのは風の音だった。
風を切って落ちていく人の音だった。
鳴り止まない雨のように虚しく、ただ虚しく響くその音は思わず耳を塞いでしまいたくなるようなドサリとした衝突音によって終止符が打たれた。
「アイリスッ!!!!!」
アイリスは、背後からの不意打ちにて奈落の底へと落とされた。
その様子をみて、いち早くその謎の兵士の首を取らんと動いたのは他ならぬ王であった。
雪に勢いを殺されることなく、耳をつんざく強烈な音とともに、持てる速さの全てで王は一直線に突進した。
やがて兵士の持つ得物と、王の持つ巨大な斧とがぶつかり合い甲高い金属音が響き渡る。
「てめえッ!! 何者だッ!!!」
力任せに何度も斧を叩きつけ王は叫ぶ。
これが、もしベルキアの兵士だと言うのなら・・・・・・。
「クソッタレが!! なんとか言いやがれッ!!!」
怒りに任せて斧を振り回す王の姿を見て、その男はクスリと笑い始める。
「クックック、馬鹿だよな? お前らはまんまと罠に嵌まったんだ」
罠、この状況が罠だというのなら、彼はベルキアの兵士である可能性は限りなく高いことになる。
その事実に王の顔はさらに怒りに塗りつぶされた。
「この・・・・・・!!!」
「止めなさい! アイツの思うツボよ!」
さらに男に食ってかかろうとした王をブロッサムが割って入って止める。
しかし王はそんなことはいざ知らず、強引に前へ前へとブロッサムを引きずる。
「アイオテッ!!!」
ブロッサムは叫ぶが尚も王は止められない。
その様子に目の前の男は、まるで実験動物でも観察するかのように、楽しそうな笑みと共に二人を見下ろしている。
男は、ラグーンの先鋭たちを前にして不気味なほどに余裕を見せていた。
それも当然のことだとブロッサムは気づいている。
こちらは満身創痍で魔女も欠けている、対して向こうは自分たちの領土で地の利がある上に増援だって何人いるかは判らない。
だからこそ彼女は王を止めようとしているのだ。
「クソッ!離せ!!このォッ!!!」
ブロッサムが王を、アイオテを取り押さえるもその勢いが殺しきれない。
王の前にいるこの男の目には、それはあまりに滑稽な姿に映ったのだろう。
ケタケタと笑いを堪えながら王に近づく。
「テメェらはな、ここで雪崩にあって死ぬんだ、不幸な事故だったなァ?王様よォ!?」
王に息でも吹きかけようという距離で男は挑発する。
王の怒りが爆発するのを、冷静な判断を欠いて自滅するのを待っているのだ。
現に彼ら騎士たちは撤退の選択を取れずにいた。
「まァいい」
やがて男は飽きたように溜め息をついて手に持った得物を再度握り直し、それを力いっぱい振り抜いた。
音もたたぬ勢いで空を裂き、鮮血とともに王の首が飛ぶ。
ーーーーハズだった。
「・・・・・・ほぉ」
命を刈り取るまではいかずとも、狂気の幕開けたる鮮血を撒き散らすはずだったその得物は、なんということだろうか、虚しく空を切っていたのだ。
男は思わず感心の声を上げ、ただ王がいたはずの空間を見つめていた。
少し離れた雪山の山道にて、負傷者を抱えて下山する一隊の姿があった。
「バカ!!本っ当バカよあんた!!!あんたのことよバカ王様!!!」
そんな中バカだのアホだのといった姦しい声が山に響いていた。
アイリスを除くラグーンの騎士たちは、なんと撤退に成功していたのだ。
「うるせえ、マジうるせえよブロッサム」
そうだそうだ、と便乗する隊長たちの姿も付け加えておこう。
実際うるさいのだから、指摘されてもブロッサムは口を閉じるか、それともさらに口を開き続けるかしかないだろう。
なんとも面倒臭そうに口を開く王はさらにこう続ける。
「俺があんな単純な挑発に乗るかよ、演技だよ、エ・ン・ギ」
あれは追跡を逃れるための演技だったのだと、王はそう言った。
王は激情したふりをしつつも、裏では幻覚を見せる魔道具の発動を完了させていたのだった。
もっとも、アイリスが不意打ちにあったことに対する怒りは演技では有り得ないために、王の言葉は半分が嘘であるが。
「・・・・・・そう、そうよね」
心配をかけないようにおちゃらけて振る舞うそんな王に対して、口を閉じる方を選んだブロッサムの表情は暗かった。
崖から落とされたアイリスの身を案じているのだ。
その表情を察してか、王は気休めを言う代わりに彼女の肩にポンと手を静かに乗せた。
「生きてるさ」
その言葉はブロッサムに向けたものではないのだろう。
呟いた後にそう彼は思うのだった。
ーーーーラグーンの王とその使者たち、ベルキア山頂付近にて謎の男の襲撃に遭い撤退。
後に記録に刻まれたその文章は、その時狂い始めた運命を示唆しているようで不気味なものだった。