むー   作:溶けた氷砂糖

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奇跡

「誰かあの三人見なかったか?」

「それなら図書館に行きましたよ」

「え? ボクは畑に行くのを見たけど」

「私も見たわね」

「あれー?」

「ふっふふー」

「……何か知ってる」

「うおおおー!」

「うわあ、びっくりしましたー!」

「何やってるんだお前ら」

「これぞ新手のドッキリよ! うちの参謀を舐めるんじゃないわ!」

「まあ、何人かお菓子で買収しただけなんだけど」

「いい歳こいてドッキリって恥ずかしくないの?」

「言ったな? そういう面白みのない奴はこうだ!」

「ぎゃー!?」

「うわあ、完全に決まってますね」

「冷静に実況するなあ」

「そんなことより、皆集めてどうするつもりなんです?」

「よくぞ聞いてくれたわ。実は────」

 

 

 

 

 

 

「今日も良い天気だねえ」

 

 旭が呟いた。その目は窓から臨む海、のさらに上にある雲一つない蒼天を見ているようだったが、実際には遠くを眺めて韜晦しているだけだ。

 

 机の上がばんばんと叩かれる。衝撃で書類がふわりと浮いたが、現実逃避をしている旭の世界には入らない。ぎゃあぎゃあわあわあと喚く金毛の大型犬もどきを華麗にスルーしながら、天高く宇宙にまで届きそうな視線でもう一度。

 

「今日も良い天気だ」

「いい加減こっち向きなさいッ!」

 

 無視し続けていればどうせ諦めるだろうと思っていたのだが、案外と粘り強い。このままでは鼓膜が破れかねないと仕方が無く旭は机の向こうに目を向ける。

 

「で、大鳳(ツルペタ)が可哀想だから自分の胸を分けてあげたいって?」

「そんなこと言ってない!」

「さりげなくこっちに飛び火させるのやめてもらえます!?」

 

 何がいけなかったのか、喚き散らす声が二つに増えた。単なる小粋なジョークだというのに、心に余裕の無い女は可哀想なものだとまた思考が明後日の方向に飛びかけて、だからと一際大きく叫んだドイツ艦の声で引き戻される。

 

「武装もせずに出撃ってどういうことよ!」

 

 ちなみに既に出撃した後のことである。大鳳は一応の付き添い、長門は肉盾兼メイン火力。まだ新米だからと二人ともつけてやるという旭的最高クラスの待遇で迎えたというのに何が不満なのか。

 考えるまでもなく原因は分かりきっている、というかビスマルク本人が言っているので頭を動かす必要がない。

 

「言っとくけど、アタシ()()()武装しないで出撃しろなんて言ってないぞ」

 

 今回の旭の命令は()()()()()である。オセアニア方面の哨戒と深海棲艦の駆逐がとりあえずは一区切りついた。鎮守府に置いてあった長門の主要武装のスペアもロールアウトし、大鳳の為の飛行甲板と艦載機も取り寄せた。上との兼ね合いも含めて普段通りの営業に戻って初めての日だ。いつも通り、特別なことなど何もさせていない。

 ただ、装備させて行け、とも言わなかったので長門も大鳳もいつものノリで武装解除させたのだろう。困惑する哀れな新入りの姿が目に浮かぶようだった。

 

「そもアタシが艤装外して行けなんて命令したのは大鳳が来たときの一回だけだぞ」

「えっ、なんで私のときだけ」

「い、や、が、ら、せ」

「最低だ!?」

 

 今度叫ぶのは大鳳。自分が着任時から嫌がらせを受けたと知れば誰だって叫びたくもなるだろう。しかし思えば最初から歓迎はされていなかったので、むしろ当たり前だったとも言える。今と比べて、当時の旭がどれだけ死にそうな顔をしていたかを考えれば、絶対に許しはせずとも、まあ多少は大目に見てやろうという気にもなる。

 

「だから文句なら長門かそいつに言え」

「そうだったの……って、普段は無しで出撃させてるってことよね」

 

 一瞬納得しかけて、また目つきが鋭くなる新米の戦艦に、近年に稀に見る功績を上げた提督は悪びれることもなく。

 

「だって弾がもったいないし」

「そこに直りなさぁい!」

 

 至極真っ当な怒りの声が響いた。

 

 そんなわけで。

 

「執務室で暴れるんじゃねえ」

 

 完膚なきまでに叩きのめされたビスマルクであった。床に転ばされ、起き上がる間もなく旭に椅子にされてしまった。さりげなく右手が後頭部に添えられており、ひっくり返そうにも力が入らない。一緒になって騒いでいた大鳳も若干顔を引きつらせている。

 

「提督なのになんで強いのよぉ」

「訓練受けた軍人だ。陸ならそうそう負けやしねえよ」

 

 陸戦での旭の序列は鎮守府内二位である。一位は長門。三位は大鳳と、ある意味当たり前の順番であった。

 

「というかそもそも長門も大鳳も強すぎじゃない。ぼろぼろだったから私が救世主になってやるってつもりだったのにぃ」

 

 曰く、傷だらけの二人を颯爽と救うヒーローになりたかったのだとか。子供じみた野望は、邂逅の時点では完璧に果たされた。しかし、その後も続くかといえばそんな事はないわけで、快復した二人に今度は振り回される形で深海棲艦の群れへと突っ込まされたのが今日のハイライトだった。長門が居なければ本当に死んでいた。

 

「大鳳はともかく、ぽっと出の戦艦が長門に勝とうなんざ烏滸がましいな」

「そうですね。ビスは世の中舐めすぎよ」

「辛辣ッ!?」

 

 息ぴったりの双璧である。

 

「大鳳はともかくで済まされていいの!?」

「だって、他の人外共を見ていると……」

「長門以上をアタシは三人知ってる」

「第一はだいたい私より強いし」

「日本がアメリカに喧嘩売れた理由が分かったわ……」

 

 維新から一世紀足らずで大国まで上り詰めた島国の狂気であった。

 

「ていうか、ビスって何よ」

「えっ、ビスマルクでビス。良いと思わない?」

「そうだなー、ありがたく受け取れよビス子」

「なんか余計なのついてるんだけど!」

 

 美味しくて強くなりそうなあだ名をつけられたドイツ艦娘の悲痛な叫びがこだまする。我が道を行く提督と、ついでに完全に毒された装甲空母を相手にして堂々たるツッコミ様である。

 

「七面倒臭いなあ」

 

 段々相手しているのも面倒になってきた旭がビスマルクから立ち上がり執務室の椅子に座り直す。

 

「大鳳、武道場までそれ連れてけ。ぶっ倒れるまでやりゃあ喚く気力もなくなる」

「はーい」

「武道場?」

 

 妖精のイタズラか、上手いこと翻訳されなかったようだ。武道場、聞いたことはないが、不穏な旭の台詞から営倉のようなものかと顔を青褪める。ブドージョー、なんと恐ろしい響きだろうか。

 

「待って勘弁し」

「じゃあ行くわよビス」

 

 ああああ、と情けない悲鳴を上げながら引きずられていくビスマルクであった。

 

 うるさい二人が嵐のように去っていき、静かになった部屋で旭は文書代わりのメモ書きをめくる。だいたいはこの鎮守府の経営に関わるものだ。といっても当然公式なものではなく、何何が足りないだとか、主婦の買い物メモのようなものである。

 それを眺めてため息を吐く。

 

「まあ、今まで持ったのが奇跡的な方だよな」

 

 なんてことはない。食糧が切れかけている。それだけの話である。

 

 軍隊において補給線は生命線と呼ばれるように、兵站は生死を左右する重要なファクターである。しかし、兵站が途絶えるというのは、つまり補給が不可能になるということ。その点で言えばまだまだ限界と呼ぶには程遠い。

 

「しゃあねえ。市場の方に出るか」

 

 この島には旭達以外にも住民が居る。人が住んでいるということは、つまり生活必需品があるということであり、それを売り買いする場が存在するということである。ようするに、足りないなら買い出しに行けば良いというだけの話である。

 

 銀行が無いゆえに、軍からの給金は今は引き出せない状況ではあるが、当座は持つだけの現金は常に備えてある。そもそも、今までは非常料の食糧を切り崩していたために使う必要もなかった。

 

 何の変哲もない、当然の帰結だ。

 

「なんだ。大鳳とビスマルクは居ないのか」

 

 長門の声で憂鬱な思考が打ち切られる。顔を上げると、真冬になろうというのに相変わらずシャツ一枚の長門が手紙を持って立っていた。反対の手にはずっしりとしたトートバッグ。図書館に寄って戻ってきたところだろう。

 

「その手紙は?」

「大本営からの呼び出しだ。赤城が送ってきた」

「かー、ファックスでも送ればすぐなのに御苦労なことで」

「うちにファックスなんてあったか?」

「無いけど」

 

 正確に言えば以前破壊してそのままだ。

 

「まあ、名目上の送り主は弥勒だからな。手書きで赤城の艦載機。セキュリティとしては万全だろう」

「第一からだったらな」

 

 言外に、大本営の情報は抜かれていると吐き捨てる。先の大海戦のことはまだ記憶に新しい。いつまでも古ぼけることは無い。

 

「で、どこまで? やっぱ本陣?」

「中身くらい自分で確かめろ」

「はいはい」

 

 手紙を受け取って中を確かめる。予想通りの場所。意外と時間には余裕がある。本島への連絡船は数日に一本しか出ていないから、その辺りを考慮した結果だろう。

 次の船の日取りを指折り数えて、それから大本営への滞在日数、帰り道の日数も計算する。

 

「ぎりぎり足りねえな」

「何がだ?」

「飯」

 

 長門がなるほどと嘆息する。

 

「ここもまた人が増えたからな」

「単純に考えて倍だ倍。お前らの金降ろさなきゃやってらんないっての」

 

 軍人である旭はともかく、艦娘の賃金体系は少々特殊だ。どれだけ戦力になるか、という事を基準にして計算される。

 一つは艦種。戦艦や空母程高く、駆逐艦などは子供の小遣い程度になる。だいたい金剛型などが、四大を出た新卒と同じくらいだ。現在、唯一の装甲空母である大鳳はそれと同じくらい。長門はやや高いぐらいか。

 もう一つ大事なのは練度だ。大本営が認定する(計るのは妖精だが)戦力の指標。高ければ高い程給与も上昇する。この辺りはスポーツ選手の年俸を分かりやすく数値化したものとでも思ってもらえば良いだろう。

 

 これらは基本的に鎮守府で開いた口座に振り込まれる。とはいえ、申請すれば艦娘用の口座も作れるので、提督が勝手に使い込むということもない。長門も大鳳も申請してはいないので、今回は全て旭の使っている口座に入っていることになるが。

 

本土(あっち)で金降ろして、日持ちしそうなもん買い込んで、それから土産で菓子でも買って。それから本屋もちょいと覗くか」

「……楽しそうだな」

 

 長門の言葉に旭は肩をすくめる。手紙が机の上に滑り落ちた。

 

「久々だからな」

「そうか」

 

 長門も微笑んだ。

 

「ところで、二人はどこに」

「武道場」

 

 

 

 

 

 

 ぶうん、と風を切る音がした。サイズの微妙に合わない道着を着たビスマルクが背中から畳に叩きつけられる。潰れた蛙のような声がして、投げ飛ばした本人である大鳳が心配そうに覗き込んだ。

 

「大丈夫?」

「大丈夫じゃないわよ……」

 

 通算十三回目の一本であった。段々とあちら側への階段を登っているような気さえする。戦艦と空母とは言え、艤装の力を借りなければその力の差は微々たるもの、どころか普段鍛えている分大鳳の方が強いかもしれない。その上慣れない陸戦、それも日本式ともなれば手も足も出ないのであった。

 

「うーん、ちょっと休憩しましょう」

「やっと、休めるのね」

 

 起き上がる気力も無くなって、倒れたまま荒くなった息を整える。三十分近くもやれば疲れ果てるのは当たり前であろう。むしろ息を吐く間もなく動き続けて平然としている大鳳がおかしいのだ。たとえ一方的であったとしても。

 

「なんで艦娘がこんなことしてるのよ」

「考えたのは長門さんみたいよ。元々はただ体を動かすためだけみたいだけど」

 

 正確に言えば陸戦を想定した訓練などというものは存在しない。長門が旭と二人だけだった頃に暇潰しの一環として思い付き、大鳳が着任した時も親交を深めるつもりで誘っただけに過ぎない。旭も「武道場へ連れて行け」とは言ったが、「訓練しろ」とは一言も言っていない。

 

「でも、イ級に突撃されたのを受け流す時とか役に立つわ」

「そんな状況になる時点でおかしいわよ」

「そうでも無いわよ」

 

 駆逐艦の特攻というものは意外に多い。小径口の砲しか持たないものの、体躯自体は人に近い他の深海棲艦よりも大きい駆逐艦にとって、体当たりは馬鹿にならない威力を生む攻撃として見られている。個としての生存本能を持たないことも理由の一つか。

 

「用心しておくに越したことはないわ。武装が使えなくても戦えるようにしておかないと」

「それは絶対毒されているわよ……」

 

 そうかしら。

 そうよ。

 

 二人の会話が続く。

 

「ところで、もう一つ聞いていいかしら」

「なに?」

「Admiralと長門には礼儀正しいのに、どうして私にはくだけた話し方なの?」

「嫌だった?」

「そういう訳じゃないけど」

 

 ビスマルクも全員にタメ口をきいている。むしろ敬語で接せられる方が距離を感じてしまうくらいだ。しかし、大鳳が何故自分だけにこうも友達のように話しかけてくるのだろうと疑問に思う。

 

「提督はまあ、提督だから上官だし。長門さんも凄い先輩なのよ」

 

 数ヶ月とかその程度の違いならばもう少し気楽に付き合えたかもしれない。しかし、大鳳がまだ着任してから三、四ヶ月を過ぎた程度であるのに対し、長門はそろそろ六年を迎えるベテランだ。敬意を払わない訳にはいかない。長門は気にしないだろうが、大鳳の生真面目な性質がそうさせないのだ。

 

「だから、ビスと居るのが一番気が楽なのよね」

 

 もちろん嫌だったらやめるけど。と大鳳は笑う。彼女より少しだけ年上、なんて都合の良い艦娘はどこにも居ない。先の大海戦を境界線とするならば、彼女はいわば第二世代の先駆けと言える存在だ。それは人が思うよりもずっと孤独だろう。

 ビスマルクはそんな事情など露ほども知らない。しかし、大鳳が自分に対して心を許しているという事実が心地良かった。

 

「そういうことなら存分に私に甘えなさい!」

「いや、そういうのはちょっと」

「即答!?」

 

 ついでに言えば、ビスマルクは、大鳳がからかうことのできる唯一の相手である。

 

「ひどいわ……へくちゅ」

 

 可愛らしいくしゃみが響いた。

 さむ、とビスマルクが体を震わせる。幾ら九州でも今は真冬。幾らドイツ生まれでも汗をかいた後では体は冷えるものだ。

 

「ちょっと休憩し過ぎたわね。もう一度組手に戻る? それとも今日はもう上がって入渠する?」

「肌がひりひりするわ……今日はもう」

 

 お風呂に入ろう、と言いかけたビスマルクの目の前で、武道場の扉が勢い良く開いた。

 

「ビスマルクもここに来ることになるとはな! どれ、大鳳もビスマルクも、私が胸を貸してやろう!」

 

 艤装によるまやかしではない、本物の道着を着た長門が満面の笑みで立っていた。

 

 

「何やってんだお前ら」

 

 大鳳とビスマルクは目を回して倒れている。その中央で、汗を拭った長門が振り返った。

 

「ああ、旭か。お前もやるか?」

「わりーけど気分乗らないからパスで」

 

 長門の誘いを無視して旭は倒れた二人のもとへ。額をぺしぺしと叩くと、大鳳が疲れ切った顔で呻いた。

 

「あのエネルギーは何処から出てるんですか」

「戦艦のパワーを舐めてはならないな」

「そこでぶっ倒れてるドイツ製を完全に煽ってんな」

「練度が足らん」

「さいですか」

 

 まあひと所に集まってんのは都合が良かった。旭が抱えていたトレイを床に下ろす。木の心地良い音と、ほのかに甘い匂いがする。長門がほう、と唸った。

 

「メロンか」

「メロン!?」

 

 高速修復剤の如き復活を遂げてカットされて盛り付けられたメロンに這い寄っていく潜水艦、ではなく戦艦。

 

「たまたま安く売ってたからな。少しくらい贅沢したって罰は当たらねえだろ」

「私、メロンって初めてです」

「果物は万物の源よー!」

 

 勢い良くかぶりつくビスマルク。大鳳は起き上がってトレイの隣に座り込んだ。一口入れたら、止まることなくむしゃぶりついていく。大食い選手権に出れそうな良い食いっぷりだ。

 

「さて、私も頂こう」

「うかうかしてっと全部食われそうだ」

 

 余裕のある二人も透き通った緑色の果実を齧る。瑞々しい果肉が甘さと共に喉を通り抜けていく。

 

「微妙に熟し切ってねえか。もう二、三日ほっといても良かったかもな」

「そうか? 私はこのくらいでちょうど良いと思うが」

「好みは人それぞれだからなー」

「美味しければ何の問題もないわ」

 

 自分の分を早々に食べ終えたビスマルクが顔をしかめた。

 

「喉がなんかイガイガするわ」

「あー、時々なるよな。なんか飲みもん持ってくるか」

「それなら私が持ってこよう」

「私の分もお願いします」

 

 言うが早いか長門が飲み物(といっても水くらいしか無いのだが)を取りに行く。残された三人は彼女が帰ってくるのを待つ。

 

「なんか汗臭え」

「だってさっきまで組手してましたもん」

「汗一つかいてねえ長門見習えよ」

「無茶言わないでください」

 

 あの人を基準にすると色々壊れます。とは大鳳の言葉。

 

 ああそうだ、と旭が何かを思い出して。

 

「アタシちょっと大本営まで出頭しなきゃならなくなったから、明日から居ないぜ」

「Admiralは何をやらかしたのよ」

 

 顎の裏を触りながらビスマルクが問う。

 

「なんでやらかし前提なんだよ」

「だって褒められるか怒られるかなら後の方でしょ」

「ビス子相手にストレス解消でもしようか」

「ごめんなさい今日はもう本当にやめて」

 

 平謝りである。

 

「こないだのオーストラリア開通。上にろくな話も通さないで大成功してくれやがったからぜひぜひ表彰していちゃもんつけたいんだとさ」

「すごい悪意のある言い方ですね」

「功績アタシらで独り占めしたようなもんだからな。ま、悪いことは何もしてないし、全部上司の責任にしてアタシは逃げるし」

「上司って、飯沼元帥ですか」

「そうそう」

 

 部下の盾になるのが上司の責任だ。と旭はおどけてみせる。

 

「長門が居るから問題は無いと思うが、アタシが居ない間に変なことするなよ」

「長門さんは連れてかないんですか?」

「お前らに書類仕事ができるか?」

 

 黙って首を振る二人。

 

「そういうわけだから、水飲んだらさっさと風呂入れよ汗だく娘」

「そうだな。冬は日が落ちるのが早い」

 

 戻ってきた長門も会話に加わる。水の揺れるコップを受け取ってビスマルクはちびちびと飲み始め、大鳳はそんなに臭いのかと自分で臭いを嗅いでいる。 

 

「あれ、アタシの分は」

「忘れた」

 

 

 

 

 

 

「眠れないのか?」

 

 草木も眠る丑三つ時。武道場から海に向かって開かれた縁側に座って、旭はぼうっと夜空を眺めていた。背後から掛かる声、昼間から夕方まで動き続けていたというのに元気なものだと旭は苦笑する。

 背中に毛布が掛けられた。風邪を引くぞ、と優しい声。ありがとう、と短く返す。

 

「どうしてアタシがここに居るって分かった?」

「夢見が悪かったのさ」

 

 夜は流石に冷えるのか、Tシャツに薄手のカーディガンを羽織った長門が、旭の隣に座る。

 

 しばらくの間、言葉は無かった。星空は、世界中が排気ガスで覆っていた頃と比べては、眩いと感じる程に明るい。それはまるで、自分達がいつか、今よりも昔に紛れ込んでしまったようだった。

 先に話し始めたのは長門だった。

 

「お前の気持ちは、一人で抱え込むものじゃない」

「困ったねえ。自分の気持ちも他人に教えなきゃならないのか」

「二人目になってもらっては困るからな」

「二人目、ねえ」

 

 やかましい声が聞こえた気がした。まやかしであることは分かっていたが、それを過去のものだとは認めなかった。

 

足柄(アイツ)は必ず戻ってくる」

「ああ、そうだ」

「そん時に、アタシがぶっ倒れていちゃ示しがつかんわな」

「よく分かってるじゃないか」

 

 長門は満足そうだ。

 

「私で不足ならば大鳳にでも明かしてみるか」

「そんな急に言われてもどう反応すればいいのかわかりません、って突っ撥ねられるのがオチだな」

「あいつは他人のことをもっと理解するようにした方がいいな」

 

 笑う。幻ではない、確かに二人の笑い声が、夜の海に吸い込まれていく。

 長門の脇腹を小突く。急なイタズラにピクリと反応した。何をする、と言いたげな視線を向ける。

 

「いつの間にか、"みんなのお姉さん"が板に付きやがって」

「そうでもないさ。私はまだ未熟だ。戦艦としても、人としても」

「そりゃそうだ。人間死ぬまで半人前よ」

「違いない」

 

 流れ星が落ちたように見えた。一瞬で、見間違いかもしれなかった。ただ、その流れ星が二人の会話を切り取った。静かになり、緩んでいていた唇がきつく結ばれる。

 

 やがて、旭がぽつり、ぽつりと話し始めた。

 

「今朝な、夢を見たんだ。悪夢なのか、分からない」

「忘れてしまったか」

「いや」

 

 旭は首を振った。「そうじゃない」

 

「昔はさ。血だらけになって、深海棲艦みたいに青白くなったアイツらに怨まれてたんだ」

「やっぱり悪夢じゃないか」

「それは前までの話だよ。ここ数日は見てねえ。代わりに、本当に変な夢を見るんだ」

「要領を得ないな」

「人の弱音は待って聞くもんだぜ」

「弱音か」

「弱音だよ」

 

 旭は俯いた。こんなにも悲しい気持ちになったのは、皆が沈んで、自分と長門の二人だけになった時以来だ。しかし、あの時と違い、胸の奥で燻っているのは、苦しみではなく寂しさに近かった。

 

「夢でさ、アイツらと、昔みたいにふざけているんだ」

「昔の夢か」

「ちょっと違う。確かに陸奥が居て足柄が居て、蒼龍も名取も皐月も弥生も朝潮も満潮も。皆で笑ってるんだ。だけど、それだけじゃなくて」

 

 旭は一度言葉を区切った。夢と現実の区別を付けるのが怖かった。

 長門が背中を撫でる。震えていた。旭は一際大きな深呼吸をして、どうにか続きを絞り出した。

 

「大鳳と、ビスマルクも居たんだ。もちろんお前も」

 

 かつて失った仲間達が自分を呪ってくれるのなら。苦しみは喉を締め付けても、眼を開かせはしない。

 だけど、彼女達と、今の新たな仲間と、家族と呼ぶべき存在と共に居る。そんな光景は、有り得ないのだと旭の耳元で囁く。

 

 幻だった。それは逃げ水のように旭の手からすり抜けて、届きそうな場所を漂っている。あと一歩踏み出せば掴み取ることができるような場所で彼女を待っている。しかし、そこは既に過去だ。通り過ぎてしまった世界だ。あと一歩は永遠にやってこない。離れはすれども近づきはしない。

 

「大鳳は陸奥に会ったことはないよ」

「知ってる」

 

 誰かに言ってほしかった。お前の見ているものは手に入らないのだと。それだけ言ってもらえれば満足だった。

 嘘だ。きっと誰に言われても反発した。認めたくなかった。諦めたくなかった。素直に言葉が出たのは、きっとの長門のおかげだったのだろう。

 

「さて、これから人も増えるかもしれんし、宿舎も整理しなければならないな」

「当てつけか?」

 

 昔の仲間達の部屋はまだそのままだ。それを整理するとは、過去と完全に訣別するということだ。

 

「足柄の部屋だけは残しとけよ」

「ああ、分かっているとも」

 

 長門が前を向いた。仲間も増えた。自分だけが後ろ髪を引かれるなんて、なんと無様なことだろう。散々に情けない姿を晒してはきたが、これ以上重ねると笑われてしまう。だから、彼女は頷いた。或いは納得していないかもしれないが、重荷を捨てる覚悟を決めた。

 

 夜の空はまだ暗く、()()が昇るまではまだ長い。

 

「今夜は眠れそうか?」

「さてね、どうにも目が冴えて仕方が無い」

 

 伸びをして。月の光に比例するようにその眼差しは明るく。

 

「じゃあ少し汗でも流してから眠ろう」

「……お前、昼間もあんだけ暴れておきながらまだ足りないか」

「正直、大鳳が成長し過ぎてな。出撃だけでは消化不良なんだ」

「こーの筋肉ゴリラめ」

「言ったな?」

 

 手加減はしないぞと互いに呟いて、武道場の中へ入る。境の襖を閉めて。着替えと軽いストレッチ。

 

 誰かが畳に叩きつけられる音は、東から太陽が僅かに顔を覗かせる頃まで続いた。

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