むー   作:溶けた氷砂糖

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オンリーワンダー

 知らせを聞いたとき、私は泣きました。

 

 喉が枯れて、声が出なくなるまで泣きました。

 

 怖かったのです。

 

 恐ろしかったのです。

 

 だって、誰も居ませんでした。

 

 どうして自分なのか、と何度も言いました。

 

 私には何も出来ません。私は弱虫です。

 

 貴方にしか出来ないのだ、と誰かが言いました。

 

 諦めるしかありませんでした。孤独でした。

 

 涙が、出なくなりました。

 

 

 

 

 

 

「演習がしたいわ、Admiral」

 

 こたつの中で溶けている二人。いつものようにスナック菓子を齧りながら、ビスマルクが言った。コップに入った水を飲んでいた旭が顔をしかめる。

 

「ほう、このクソ忙しい時期に随分パッパラパーなこと言いやがるな」

「だって、日向をボコボコにするのも長門にボコボコにされるのも飽きたんだもの」

「今はまだ船が右往左往してっから無理だ」

「そうなのよねえ」

 

 ああ暇だ暇だ。他の三人が輸送船の護衛で出払っている中、呑気に繰り返す。彼女もつい先日まで出撃していた筈なのだが、休みが要らなかったりするのだろうか。冗談混じりに聞くとそれはそれ、と怒られる。

 

 ビスマルクの言うことも分からない訳では無かった。人数が少ないのも大きな理由ではあるが、この鎮守府は様々な面において偏っている。実力で言えば長門がずば抜けて高く、他三人もそれぞれ隔たりがある。艦種で言えば戦艦三隻に空母一隻と超ヘビー級だ。

 

「あれだ。余り物の阿賀野寄越すって言ってたからそれまでの辛抱だ」

「それまだ確定してないんでしょ」

 

 弥勒を信じろ。会ったことないのに信じられるわけないじゃない。もっともな意見である。

 

 大型建造ではぐれて建造された軽巡洋艦、阿賀野の処遇はまだ取り合いが続いているらしい。横須賀と舞鶴と佐世保の三竦み。横須賀は大本営お膝元という強み、舞鶴はたった二隻しか居ないという戦力の欠乏を武器にして弥勒と争っている。

 

「たまには別の相手ともやりたいわよ」

 

 日向は別として、長門は先の大海戦よりも昔から戦い続けているし、大鳳は第一泊地で鍛えられてきた。ビスマルクだけが他の鎮守府と戦ったことがない。

 

「んなこと言われても無理なもんは無理……」

 

 あ、とこぼした。

 

「なんか良い案あるの?」

「恭介んとこに比叡が着任すっから一区切り着いたら呼び寄せるのもアリだなっと」

「キョウスケ?」

 

 ビスマルクは首を傾げる。聞いたことのない名前だ。名前からすると男の名前だろう。つまり、何処か別の鎮守府の提督だろうか。そう聞き返すと旭は頷く。

 

「第二泊地の提督だ。長門と大鳳は会ったことあるが、お前はねえな」

「へえ、比叡ってのは戦艦なのかしら」

「ああ」

「それは楽しみね」

「っても、成立するかも分からねえぞ」

「来るかどうかも分からない軽巡洋艦待ってるより遥かにマシよ」

 

 それもそうだと納得する。

 

「その第二泊地ってどんなとこなの?」

「どんなとこ、ねえ。鳳翔は最初の空母だし、夕立は強さの分からん狂犬だし」

 

 旭がタバコをくわえた。勿体無いから火はつけない。買い溜めした三カートンのうち、まだ二箱しか空けてない。かつて吸っていた頃と比べれば、頻度はすっかり減っていた。くわえている時間はむしろ増えたのだが。

 

「まあ、一言で言うんなら」

 

 端を軽く噛んで、ビスマルクの疑問に答える。

 

「子供みたいなところだよ」

 

 

 

 

 

 

「ふぃー、終わったー」

 

 季節を過ぎて萎れた花のような、快活だが、何処か疲れているような声が響いた。判の押された紙の束を横にずらし、きれいになった机の上に倒れ伏す。「疲れたー」と気の抜けた声を吐き出した。目を閉じたらそのまま、深い眠りに落ちてしまいそうだ。

 

「お疲れ様です、提督」

 

 コトリとその隣に湯呑みが置かれた。体を起こすと、湯気を立てたお茶の匂いが鼻孔をくすぐる。

 

鳳翔(ほっしょ)さんに手伝ってもらわなきゃ終わらなかったよ。ありがとね」

「いえ、提督のお手伝いをするのが秘書艦の仕事ですから」

「それじゃあお仕事頑張ってくれてありがと」

 

 苦味抑えめの緑茶を啜りながら、恭介はふわあ、と大きなあくびをした。そろそろ日が落ち始めてきているが、布団に入るにはまだ早い時間だ。普段規則正しい生活をしているだけに、たった一晩の徹夜もなかなか厳しいものがある。

 

「そういえば、お手紙が来てましたよ」

「手紙?  弥勒(みろくん)から?」

「いえ、(こずえ)さん……(あけぼの)さんからです」

()()()から!」

 

 明野(あけの)(こずえ)は、三年前までこの第二泊地の艦娘だった。駆逐艦、曙として戦っていた彼女は、先の大海戦が原因で砲を持てなくなった。今は解体処分を受け、一般人として暮らしている。

 海戦後、唯一解体された艦娘として蔑視する者も多い。しかし、彼女を知る人は言う。彼女程強い艦娘は居ないと。

 

 ぽやっとしていた目を見開いて、恭介は手紙の封を切る。

 

 手紙の中身は、彼女の近況をまとめたものだった。働いている店の店主が発注を間違えて大変苦労したという話や、高校に通って友達ともよく話すようになったという話。自分達とは程遠い平和な日常。

 

「ぼののにも会いたいねえ」

 

 手紙を読み進めていくうちに、恭介は目を細める。

 解体処分以降、恭介は彼女に会ったことはない。鳳翔だけは何度か顔を合わせているようだが、彼は梢の成長した姿を知らない。

 

 コンコンコンコン、とドアをノックする音がした。

 

「お仕事終わったっぽいー?」

 

 ドアを開けて夕立が入ってくる。恭介の声を聞きつけてきたのだろう。犬のような髪をぱたぱたとはためかせて、目をキラキラ輝かせる。

 

「終わったよー」

「じゃあ遊びましょ!」

「いいよー」

 

 さっきまでまぶたを擦っていた姿は何処へやら、椅子から立ち上がって、意気揚々と腕を回す。

 

「何やる? キャッチボール? サッカー?」

「フリスビー!」

「よぉし、やるぞぉ!」

 

 まるで放課後の小学生のような会話が繰り広げられる。第二泊地ではよくある光景。とても軍とは思えない、心温まる光景だとも言えた。

 

「お外が暗くなったら帰ってきてくださいね」

「はーい」

 

 外へと駆け出していく二人を見送って、鳳翔は今晩の献立を考えつつ厨房へと向かった。

 

 そして外へと出てきた恭介と夕立。夕暮れ空がコンクリートの壁を照らす。鎮守府から海沿いに進むと辿り着ける、二人の遊び場。港と呼ぶには随分寂れた場所だ。陸側はコンテナの残骸が放置され、まだ瓦礫が片付けられていない。

 万が一瓦礫を踏みつけでもしたら危ないので、波止場で二人は向かい合う。当然ながら夕立が海側だ。

 

「いっくよー」

 

 フリスビーを投げる。夜の潮風に吹かれて最初の軌道からずれた円盤に、ゆうゆうと夕立は追い付いてキャッチする。今度は夕立が投げる番だ。体をひねって、バネのように撃ち出す。

 

「あ」

 

 つい手からすっぽ抜けた。フリスビーは斜めに傾いて、恭介から大きく外れてあさっての方向へと飛んでいく。

 

「よっとっと、ほっ」

 

 それでも恭介は驚異的な速さで追い付いた。急ブレーキで足がもつれ、取りこぼしそうになったのを、しゃがみながら全身で抱え込む。

 

「ぽいぬー、もっとちゃんと投げてよー」

「ごめんっぽいー」

 

 定位置に戻ってもう一度繰り返す。時々変な方向へ飛んでいくが、どちらも落としはしない。

 

「ねーねー、提督さん」

 

 ちょうど目の前に飛んできたフリスビーを受け止めながら、夕立が大きな声を上げる。

 

「なーにー?」

 

 返ってきた円盤をまた、軽々と取りながら恭介も声を張り上げた。

 

「新しい娘っていつ来るんだっけ」

 

 ひゅう、と風切り音。

 

「確かねー、明日だよ」

「明日!?」

 

 左手で弾いて右手でなんとか掴み取る。そう簡単には終わらなさそうだ。

 

「じゃあ明日歓迎会するっぽいー?」

「鳳翔さんそんなこと言ってたよ」

 

 いつの間にか、如何に取れそうで取れない所へ飛ばすかの勝負に変わっていた。狙いが段々とシビアな所へと変わっていく。

 

「でも来るのは夕方くらいだって」

「じゃあちゃんと準備できるっぽい」

「気合入ってたもんねー。凄い久しぶりだし」

 

 とりとめのない話をしながらも、フリスビーはどんどん洒落にならないスピードと角度で飛び交っていく。それは隙を窺う獣同士の争い。赤の他人が見たらそう思える程に熱中しているが、単にお互い負けず嫌いなだけである。

 

「ぽ、ぽいー!?」

「よっしゃー!」

 

 最後には夕立が手を滑らせて、カタンと地面に落ちた。大人げない恭介の雄叫びが響く。

 

「もう一回! もう一回!」

「よぅしやるかぁ」

 

 夕立が投げたフリスビーを掴んで、恭介は辺りがだいぶ暗くなっていることに気付いた。これ以上遊んでいると鳳翔に怒られてしまう。

 

「ぽいぬごめん! そろそろ帰んないと鳳翔さん怒る」

「え? わ、ホントだ」

 

 夕立も太陽が沈んでいることを知って頬を膨らませながらも頷いた。

 

 行きは全力で走ってきたが、帰りにまで急ぐ必要はない。肩を並べてのんびりと鎮守府までの道を歩く。

 

「戦艦ってことは強いのよね」

「だって戦艦だよ。強いでしょ。比叡ってもう名前からして強そうじゃん」

「夕立はー?」

「夕立も強そうな名前!」

 

 純真無垢な子供のように会話が弾む。二人は部下や上司といったような関係ではない。旭や弥勒の艦隊は、フレンドリーではあるが、上下の関係性を崩すようなことはあまりしない。しかし恭介には自分が上であるという感覚は欠片もなかった。

 

 傍目に分かる特異性では横須賀の第二泊地や、大湊の第二泊地に一歩譲るが、ここも異常さでは負けていないのかもしれない。軍人の間でまことしやかに囁かれる()()()()()()()()()()のジンクスの一つであった。

 

 夕立の髪が跳ねる。煮物だろうか、それから少しして甘い匂いも漂ってくる。

 

「良い匂いっぽい」

「ほんとだ。夕立はよく分かるよねー」

「鳳翔さんのご飯美味しいもの!」

 

 一目散に駆けていく夕立の後を追いかける。日は完全に暮れていた。

 

 

 

 

 

 

「あれ、鳳翔さんお出掛けの準備してどうしたの?」

 

 恭介が不思議に思って声をかける。いつもの薄紅色の着物に袴ではなく、萌葱色の着物でトートバッグを抱えた鳳翔は、恭介に見つかってちょっとだけしまったというような顔をした。ごまかすように手をわたわたと振る。

 

「いえ、ちょっと歓迎会の準備を」

「それなら俺が買い物行ってくるよ」

 

 家事などを普段任せきりにしてしまっているから、こういう時には積極的に手伝いたい。そういう気持ちで恭介は申し出たのだが、鳳翔はそんなことをさせる訳にはいかないと顔を青くしてしまう。

 

「提督に雑事をさせるわけにはいきません」

 

 心配するというよりは、恐れ多いといった口調。恭介は微妙なニュアンスには気付かず首を傾げる。

 

「歓迎会の準備だったら、提督だって仕事しないと」

「ですが……」

 

 なおも言い淀む鳳翔。そこへ夕立が通りかかった。二人の会話が気になって、間に入り込む。

 

「なになに!?」

 

 きれいな緑色の目に、鳳翔の言葉が止まった。

 

「鳳翔さんが歓迎会の準備しなきゃいけないっていうから俺が買い物に行くよって言ったの」

 

 恭介が勝手に夕立に説明すると、「お外!? 私も行きたい!」と飛び跳ねる。恭介ははち切れんばかりの笑顔になった。

 

「じゃあぽいぬ一緒に行こっか!」

 

 ね? と鳳翔を見つめる。二人がこれほど楽しみにしているのではどうしようもない。鳳翔も諦めた顔で、トートバッグから一枚のメモを取り出した。

 

「分かりました。このメモに必要なものは書いてあります。お店は、梢さんが働いているお店なので、住所は分かりますか?」

「分かった! 行こ、ぽいぬ」

「ぽいー!」

 

 まるでまた遊びにでも行くかのようにばたばたと出ていく二人。

 

 残された鳳翔は泣きそうな顔をしていた。二人が心配なのか、自己嫌悪か。彼女はけして涙を落とさない。ただ、ひどく苦しそうな顔をして、自分のやるべき仕事へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

「曙の働いてるお店なの?」

「そうらしいよ」

 

 電飾の消えたアーチをくぐり抜け、寒空の下、シャッター街を歩く。二人の声は跳ね返ることもなく遠くへと消えていく。ざっ、ざっ、と粉々になった破片を踏みつける足音だけが反響しているようだった。

 彼ら以外に人が歩いている気配はない。倒壊した建物に団子虫が集っている光景はさながらゴーストタウンか。

 

 まさしく死んだ街になっている通りを歩く、白いジャケットにベージュ色のズボンを履いた恭介と、オレンジのケープ、青いスカートの夕立。仲睦まじく話す姿は、歳の離れた兄弟に見える。軍隊としての規律はそこには無い。

 仮に道行く人が居たとしても、まさか、二人が提督と艦娘であるとは気が付かないだろう。シャッター街に不釣り合いな姿は、それゆえに不思議と風景にマッチしていた。

 

「ぽいぬ、危ないよ」

 

 瓦礫を踏みつけそうになった夕立の袖を引く。パラ、とコンクリが崩れた。夕立がぶつかった所で、艤装のおかけでたいした怪我もしないが、心配するのは彼の性分なのだろう。

 それは夕立を大事に思っているということ。だから夕立も素直にお礼を言う。

 

「ありがとっぽい」

「ほんとは早くきれいになれば良いんだけどねー」

 

 港にあった瓦礫も、夕立が踏みそうになったコンクリも、先の大海戦で被害を受けた残骸だ。最前線の軍ですら十分な予算を得られなかったのだ。このような場末の商店街など、一度壊れればそのまま直ることはない。いや、壊れなかったところですぐに消滅する定めだっただろう。深海棲艦との戦争による被害は、それだけ甚大だった。

 

 その事実を悲しいとは思うけれど、恭介は気に病むことはしない。自分にどうにかなることではないと分かっているからだ。彼が尽力したところで、空回りして悪化するだけだ。そんなものは弥勒にでも任せてしまえば良い。

 恭介は優秀な人間ではない。少なくとも弥勒や旭と比べれば一段も二段も劣る。しかし、もっとも大切な()()()()()()()()()という見極めは人一倍得意だった。

 

「もう三年になるのよね」と急に夕立が言った。

 

「曙も大人になってるっぽい?」

「ん? そうだなあ」

 

 恭介は考え込んで、どうだろうと頭を捻った。三年という月日はあの年頃の少女が成長するには十分だ。自分の記憶の中にある曙とは変わってしまっていると思う。

 でも、三年で人柄が変わるのかな。そんな事を考えると、それもなんだか違う気がした。

 

「たぶん、ぼののはぼののだよ」

「それもそうっぽい!」

 

 ごちゃごちゃと考えても分からない。だったら会ってみれば良い。そんな意味も込めて恭介が返すと、夕立も元気に飛び跳ねて頷いた。

 

「あ、ここで曲がるよ」

 

 地図とにらめっこをしながら恭介が指示を出す。商店画の大通りから途中で裏に回り、通り抜けて開けた場所、目的の店まであと少しだ。そんな所で彼らの耳がおかしな音を拾い上げた。

 

 それは怒声と罵声だ。何やら言い争う声。片方はおばあさんだろうか、しゃがれた気の強そうな声。怒鳴りつけているのは若い男達の声。三人くらいは居るのではないだろうか。

 

 恭介が走り出す。夕立も慌てて後を追った。

 

「だからよお、弁償しろって言ってんの!」

「うるさいねえ、うちの商品にそんな虫が入ってるわけ無いだろ、いい加減にしな!」

 

 よくある当たり屋の類だろうか。二十歳になるかならないかくらいの若者三人が老婆の胸ぐらを掴み上げている。老婆も負けじと言い返すので、どちらが悪いのか判別はつかない。

 

「自分の立場分かってんのかクソババア!」

 

 業を煮やした男が老婆を突き放した。鈍い音を立てて老婆が地面に転がる。

 

「ぽいぬ、ちょっと待ってて」

 

 状況はわからないが割って入った方が良い。恭介はそう判断して飛び出す。

 

「まあまあまあよく分かんないけど落ち着きなぐへぇ」

 

 老婆を殴りつけようとしていたその間にちょうど挟まる形になり、頬を殴られて尻もちをつく。男の一人が若干の驚愕と、それ以上の苛立ちを込めて言った。

 

「ああ、なんだてめえ?」

「いやね、暴力は良くないよ。うん、落ち着こう?」

 

 男の詰問には答えず、ただ落ち着こうと繰り返す。

 

「だから誰なんだって聞いてんだよ! 関係ないならすっこんでろ!」

「だってすっこんだらお婆さんいじめるでしょ。それは良くない」

 

 名前を語らずに宥めようとする恭介だが、突然現れた見ず知らずの男の言う事など聞ける筈もなく、むしろ相手を激高させてしまう。

 

「よし決めた。ぶっ殺す」

「殺したら警察に捕まるよ?」

「警察なんざこんなとこまで来やしねえよ」

 

 男はにやりと笑った。

 

 男の言うことには事実ではあった。警察も都市部以外ではその機能を大幅に減衰させている。殺人事件という大きな案件であれば流石に動くとは思うが、日本の治安は悪化していて、対応が遅れる可能性は十分にある。

 ただし、男は目の前のなよなよした青年が、警察よりも恐ろしい、軍人であることには気付いていない。それも仕方のないことだろう。ここまで覇気の無い軍人が居るだろうか。下手をすれば女性よりも女々しいと言われかねない。

 

「でもまあ、話し合えば分かるかもしれないし」

「あんま、ふざけたこと言ってんじゃねえぞ」

 

 恭介と話していたのとは別の男が、要領を得ない話し方にカッとなったのかポケットからバタフライナイフを取り出した。

 

「えーと、刃物は危ない」

 

 それを見るや否や、ずっと立っていただけの恭介が動く。目の前の男をすり抜けてナイフを取り出した男の手首掴んで捻る。金属音、そしてそのまま遠くへと蹴り飛ばす。目にも止まらぬ早業に、誰も反応できなかった。

 

「人を刺したら怪我するから駄目だよ」

「てめえ!」

 

 今度は静観していた最後の一人が恭介に殴り掛かる。それもふわりと避けた時、頭上から金切り声がした。

 

「アンタ達何やってんのよ!」

 

 全員が声の主を見上げた。

 

 すみれ色のポニーテール。青を基調としたセーラー服の気の強そうな少女が二階のベランダから身を乗り出してキッと睨みつけていた。

 

「アンタも! ポッケに入れてるそれさっさと出しなさいよ!」

 

 明らかに特定の誰かに向けて発された言葉に反応したのは恭介だった。

 

「あ、これ?」

 

 間の抜けた顔で彼が取り出したのは、少しよれた手帳だ。褪せた黄色の表紙には()()()()と書かれている。旧日本軍の軍隊手帳とは異なる、今の軍人が持ち歩く身分証明書。

 

「げっ……軍人かよ!?」

 

 それを見た男達は顔面蒼白になり、悲鳴を上げて慌てて逃げ始める。警察よりも恐ろしい、しかもこの近辺は悪名高き鹿屋基地、岩倉基地の近くだ。軍人に手を出したということになれば何をされるか分かったものではない。今更手遅れな気もするが、慌てふためいている男達には()()()という感情しかない。

 

 一目散に逃げていく男達を見送って、身を隠していた夕立も姿を見せる。

 階段をたたた、と駆け下りる音もした。老婆も汚れた着物を叩いて起き上がっている。

 

「なんだったんだろうなあ、あの人達」

「提督さん無理しちゃ駄目っぽい!」

「ごめんて」

 

 夕立が叱りつけるも、ケロリとしている恭介は反省したようには見えない。殴られたにも関わらず、彼は徹頭徹尾、本当に話し合おうとしただけなのだ。

 

 二階に居た少女が息を切らして降りてきた。よほど急いだのか、しばらく喋れずに肩を揺らす。すう、はあと深呼吸をすると遠くまでよく響く声で怒鳴った。

 

「何やってんのよこのクソ提督!」

「ぼのの? やっぱぼののだ!」

「うるさい! そんな呼び方するな!」

 

 大人び始めた顔付きは、だいたい高校生くらいだろうか。記憶の中よりも成長しているが、これでもかというくらいに面影が残っている。

 

「私にはもう明野梢って名前があるの!」

「じゃあ、こじゅ?」

「すぐに変なあだ名つけるのやめなさいよ……」

「えー?」

 

 怒られているのに気付いてもいなさそうな様子に呆れ果てて声も出なくなる。

 馬鹿にかまってばかりもいられない。梢は先程突き飛ばされていた老婆に声をかける。

 

「お婆ちゃん、大丈夫?」

「ええ、大丈夫だけど……梢のお知り合いかい?」

「えーと……鳳翔さん居るじゃない。あの人の職場の人」

「篠塚恭介です!」

「夕立よ!」

「あらまあ、じゃあ梢ちゃんのお兄さんみたいなものかしら」

「違う!」

 

 突拍子も無い事を言い始める老婆に、顔を真っ赤にする少女。変わってないなあ、と他人事のように思う。

 

「もう、お婆ちゃんは黙ってて!」

 

 怒鳴りつけて梢は恭介に向き直る。

 

「それで、何の用なのクソ提督。いつもなら鳳翔さんに任せきりのくせに」

「鳳翔さん忙しそうだったし、おつかいに来た!」

 

 恭介が取り出したメモ書きを受け取ると、梢は隅から隅まで確かめる。そして眉をひそめた。

 

「多くない? 三人の量じゃないわよ」

「新しい人が来るの! 戦艦だからたくさん食べるっぽい!」

「なるほど、戦艦がね……へ!?」

 

 夕立の髪の毛がピンと跳ねる。

 

「戦艦が来るってどういうことよ!? どうしてこんな場末に……」

「弥勒んがなんかしてくれたらしいよ」

「でも、戦力なら第六の方が」

「だって第六はー、あれ、これって軍事機密かな」

「ぽいー」

 

 うっかりと秘密をバラしそうになるも、ぎりぎりで気付く。梢もしまったという顔をして、話を逸した。

 

「と、とにかく準備してくるから待ってなさい!」

「はーい」

 

 トートバッグを恭介から奪い取り店の中に入っていく梢を見送って、二人は店の外で待つ。彼女の姿が見えなくなると、老婆の表情が変わった。

 

「アンタ、軍人さんなのかい」

「そうだよ」

「それにしては覇気が無いねえ」

 

 初対面の、しかも恩人相手に散々な言い方だ。じろりと睨みつけるその目は暗い。老婆は軍人に対して快く思っていない。

 

「アンタが、あの子を戦場に追いやっていたのかい」

 

 年端もいかない少女を兵士として使っている。特に、老婆は梢を引き取って、実の子のように可愛がっているのだろう。それを捨て駒のように海へと差し向けている海軍は、親の敵と変わらない大罪人だ。

 

「違うよ」

 

 しかし、恭介は否定した。老婆の表情が険しくなる。

 

「……違うよね?」

「私に聞くんじゃないよ」

 

 急に自信を無くす姿に呆れ果てる。確かに人に何か強制出来るような人柄ではない。他人に対して威張り散らすことよりも、子供のように駄々をこねている姿の方が似合いそうだ。梢も、この男に対して怯えている様子は無かった。

 

「じゃああの子はなんで戦争なんかに」

「なんでって言われても、ぼのの、じゃなかった。こじゅの考えてることなんて分からないよ」

「そうやって逃げる気かい」

「えー、なんで俺怒られてるの……」

「怒られてるっぽい?」

 

 いっぱいになったトートバッグを抱えて梢が店の奥から出て来た。老婆は憎々しげに三人から顔を逸らす。

 

「ほら、メモに書いてあるの全部入れたわよ。お代出しなさい」

「はーい。これでぴったりだよね」

「ひー、ふー、みー、うん。合ってるわね」

 

 梢が重たそうにしていたバッグを、恭介はひょいと持ち上げた。

 

「傷みやすいのもあるからすぐに帰りなさいよ」

「ん、分かってる」

 

 遅くなったら鳳翔さんが心配するしね。快活に笑う姿を見ていると、罵る気力も失せるというもの。

 

 踵を返し、帰り際に恭介は思い出したように声を上げた。

 

「手紙読んだよー、ありがとねー!」

「さっさと帰れ!」

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