むー   作:溶けた氷砂糖

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おしゃかしゃま

 ツーツーツー。飽きることなく鳴り続ける電子音を、ボタンをタッチして止めた。机に置いたままの湯呑みに口を付ける。

 

 ガチャリとドアが開いた。

 

「また暴言を吐かれたでしょうに、嬉しそうですね。正直引きます」

 

 開口一番、ノックもせずに入ってきた女性は全てお見通しとばかりに苦笑いを浮かべてみせた。

 

「誰も彼も、俺を奇人変人の類と勘違いしてるんじゃないか?」

「事実じゃないですか」

「うわ、ひっでぇ」

 

 言葉では傷付いて見せるものの、瞳孔の見えない細い目からは、何を考えているのが予想が付かない。実は狐の変化であると吹き込まれたら、半分は信じてしまいそうな、信用のならない姿。

 飯沼(いいぬま)弥勒(みろく)とは、つまりはそういう人間であった。

 

「ところで赤城」

「なんでしょう」

「横須賀に行く気はない?」

「ありませんね」

 

 弥勒の提案を即座に切って捨てる。

 

「じゃあ呉は」

「興味無いです。ついでに大湊にも」

「舞鶴にも、宿毛湾にも」

「ええ」

「じゃあ全部破り捨てちゃおう」

 

 弥勒は、重要と書かれた書類の束を全て引き裂いた。ぐしゃぐしゃに押し固めてゴミ箱へ放り投げる。紙のクズはきれいな放物線を描いて箱に収まった。

 

 その書類は全て、()()()()()()()であった。

 

「人気者は辛いね」

「これでも一航戦ですから」

「一航戦がどうのというより、君自身じゃないか」

「私はまだ未熟者ですが」

「最後の希望、なんて煽てられてる艦娘がそんなこと言ってるなんて知ったら、他の艦娘はどんな顔をするのやら」

 

 弥勒が意地悪く笑う。傍目には分からない、微かな表情の変化を読み取れるのは、この鎮守府では赤城だけだ。

 

 最後の希望。第一泊地に所属する赤城につけられた渾名はけして希望的観測などではない。

 

 先の大海戦。深海棲艦側の奇襲にいち早く反応し、結果として壊滅的被害を回避したのは彼女だ。その後に巻き起こった深海棲艦による大攻勢で多くの艦娘が()んでいくなか、獅子奮迅の活躍により、第一泊地の被害を最小限に抑え、結果として海軍内での発言権を上げたのも彼女の功績であるといえよう。

 

 余りにも悲惨な戦況で、暗闇に差し込む光が如く輝く彼女を、大本営、そして日本政府は最後の希望と囃し立てたのだ。

 

「風前の灯火に誰が期待しろ、というのですか。私一人でどうにかなるほど、戦争は甘いものではないでしょう」

「ま、そうだけどね」

 

 山のように積み上がったコピー用紙を全部まとめてシュレッダーにかける。細切れになっていく書類を眺めながら、先程ゴミ箱に捨ててしまった嘆願書の存在も思い出す。

 

 

「最初のも素直にかけときゃ良かった」

「自分で引っ張り出してくださいね」

「はいはい」

 

 ガラガラガラガラ。ぎゅるるるる。シュレッダーが紙を切り裂く音に混じって別の音が響く。顔を赤らめてそっぽを向く赤城と、物言いたげに視線を上げる弥勒。

 

「やっぱり腹いっぱい食べなって」

「皆が苦労している中、私だけ厚遇を受けるわけにはいきません」

「エースにはベストコンディションで居てもらいたいんだけど」

「それでは示しがつきません」

 

 腹の虫を盛大に鳴らしながら、毅然として言い放つ正規空母に何も言えなくなる。大食漢などという言葉を使ってしまうと彼女の沽券に関わるかもしれないが、それでも彼女本来の食べっぷりを形容するにはその言葉が相応しい。しかし、兵站もままならなくなり始めている今、彼女は自分を厳しく律して食事を限界まで切り詰めていた。とはいえ、並の艦娘の三倍は食しているのだが。

 

 ぐるる。今度は反対に弥勒の腹が鳴った。ここぞとばかりに赤城が攻勢に転じる。

 

「提督こそしっかり食べなきゃ駄目ですよ。頭が潰れたらどうしようもないんですから」

「俺はいいの! 少食だし!」

「ぐうぐうお腹空かして言う台詞じゃありません!」

「その言葉そのままそっくり返すよ!」

 

「なんだなんだ、まぁたやってるのか」

 

 いがみ合う二人を他所に、新たに入ってきた少女が呆れた声を上げた。それに並んでぞろぞろと執務室に入ってくる。

 弥勒はごほんと咳払いをして、浮いた腰を椅子に座り直した。

 

「摩耶、お前もせめてノックくらいしてから入ってきてくれよ」

「したぜ? ぎゃんぎゃん喚くから聞こえなかったんだろ」

 

 悪びれることなく肩をすくめて見せる。摩耶は脇に置いてある応接用のソファに勝手に腰掛けて、大きな欠伸をした。それから思い出したように

 

「艦隊、帰投したぜ」と言った。

 

 高雄型重巡洋艦摩耶。それに並んで軽巡洋艦の川内、五十鈴が、駆逐艦の秋月、不知火、陽炎が思い思いの敬礼をする。弥勒は、ん、と頷いて、手元に新しく引っ張り出したコピー用紙に万年筆を走らせる。

 

「じゃ、摩耶は赤城と、五十鈴は天龍と交代して待機。状況によっては伊19(イク)にも出てもらうかもしれないから一応伝えといて」

「了解。摩耶様はしばらく休ませてもらうぜ」

 

 今の会話で、この鎮守府全ての艦娘の名前が出た。計九人、少ないように思われるが、他の鎮守府の優に三倍の数を抱えた、帝国海軍最大の鎮守府である。第二艦隊が開放されている唯一の艦隊。

 

 摩耶はそのままソファに横になって眠り始め、他の娘達は執務室から退出しようとする。

 

「あ、そうだ」と弥勒が声を上げた。赤城と、それから秋月が反応する。

 

「ここ数ヶ月以内にどうにか予定って作れないかな」

「えっ、そうですね」

 

 秋月が考え込む素振りを見せる。「三週間後の木曜なら大丈夫かと」

 

「ありがとう」

「どうかされたんですか?」

「いやね」

 

 書き終えた報告書を横に寄せた。

 

「ちょっとは部下を労いに行かなきゃって思ってさ」

 

 

「提督、今日は提督が料理当番でしょう。すっぽかすと長門さんが怒りますよ」

「んー、あれそうだっけ。完全に忘れてたわ」

 

 釣り竿を引き上げると、針に引っ掛かった魚が地面に打ち上げられてバタバタと跳ねる。芋ジャージに身を包んだ旭が慣れた手つきで魚から釣り針を外すと、クーラーボックスの中に投げ入れた。ざわざわと木が揺れて、二人のいる場所を断続的にちかちかと照らした。

 

 森の中にある湖には、食用になる魚がまだ住んでいる。旭達の貴重なタンパク源として、それから旭個人の趣味として釣り糸を垂らしていた。大鳳の言葉で慌てて後片付けを始める。

 大鳳が着任してから三週間が経とうとしていた。

 

「今日はどうでした?」

「ボチボチって所かな。見る?」

 

 いつもの服装のままの大鳳が、促されるままにクーラーボックスを覗くと、だいたい五、六匹程度の小さな魚が跳ねているのが見えた。今日の食料には充分か。

 

「前から思ってましたけど、提督ってダウナー系のくせにアウトドア派ですよね」

「誰がダウナーだクソガキ。釣りと畑はこうなる前からの趣味だっての」

「昔から自活してたんですか」

 

 言ってからしまった、と思う。旭と大鳳の仲は今でもけして良いものではない。それでもお互いにどうにか歩み寄ろうと努力している中で、なんと軽率な発言をしてしまったことだろう。

 

「昔は自活って程じゃなかった。食うに困ってるわけでも無かったし。畑だって皆でやってたしね」

「そう、なんですね」

「まあ、昔の話だよ。今は杵柄だってんでやってるだけさ」

 

 ぶっきらぼうに言い放って、黙り込む。また風が吹いた。木の葉の擦れ合う音が耳障りだった。日光が望まないスポットライトを当てていた。

 

「はよ帰らんと長門にドヤされちまう。さっさと帰ろうぜ」

 

 クーラーボックスの蓋を閉じると肩がけに抱えて、釣り道具を背負って湖を後にする。大鳳も慌ててその後を追った。鎮守府への道は()()()()が浮かぶ程に熱されていた。そろそろ暦の上では夏終わりだというのに、厳しい残暑が二人を襲う。

 

「あちぃ。こんな日はアイスクリームでも食べたくなるね」

「間宮さんでも居れば良かったんですけど」

「間宮なんて生まれてこの方出会ったことすらないよ」

 

 貴重だなんだと横須賀で独占し、資源の無駄だとごたごたのうちに解体されてしまった給糧艦に思いを馳せながら歩く。サンダルがじゅっと音を立てた。

 

 汗だくになりながら鎮守府へ戻ると、長門が入り口で仁王立ちをして立っていた。彼女は畑仕事を終えたばかりなのか、作業着に土汚れが付いている。

 

「すまんね長門。完全に忘れてたわ」

「それはまあ、まだ良いのだが。こちらの方が問題でな」

「なにこれ? まあ先ず中入れてよ、それと着替えろ」

 

 長門が手渡してきた手紙を受け取ると、歩きながら便箋を開く。封はとっくに切られていた。長門が先に読んでしまったのだろう。長ったらしい文面は要件を掴みづらく、旭の眉間にしわが寄っていく。

 

「……はあ!?」

「うわ、どうしたんですか。変な声出して」

「どうしたもこうしたもねえよ!」

 

 突然奇声を上げて手紙を放り投げる。空気抵抗でふらふらと揺れながら落ちていくそれを大鳳が拾い上げると、怪訝な顔で読み上げる。

 

「なになに……? 拝啓、時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます」

 

 至極丁寧な始まり方の手紙だ。島の有力者か誰かだろうか、と当たりをつけながら読み進めていく。

 

「つきましては、九月十六日に貴施設を訪問させて頂きたくご依頼申し上げる次第でございます……海軍元帥、飯沼弥勒、ってえぇ!? げ、元帥!?」

「ついでに言うと第一泊地の提督で、佐世保の最高責任者。つまりは直属の上司に当たるな」

 

 普段のへそ出しに戻った長門の付け足しに、大鳳はさらに目を見開く。佐世保鎮守府の最高責任者ということは、海軍で最も功績を持った人間だということだ。組織の事情に疎い大鳳でもそれくらい知っている。

 

「ファッキン狐ヤロウ。逃げられないように直前に送ってきやがったな」

 

 親指を噛んで怨みたっぷりに呟く旭。手紙に記載された日付は翌日だった。当然、迎える準備など間に合いはしない。

 

 それよりも逃げるという単語に反応したのが大鳳だった。

 

「逃げるって、そんなに嫌な人なんですか」

「信用ならん。胡散臭い。のくせにこっちに飴ばっか放ってくる。何考えてるのか分からなくて怖い奴」

「ああ、お前をここに配属させたのも飯沼元帥だよ」

「そんな人がなんで突然視察なんか……?」

「しかも腹の立つことにお忍びだ」

 

 命令書ではなくあくまでも私信。怪しいことこの上ない。

 

「ど、どうするんです?」

「どうするって言われてもなあ」

 

 旭は頭をぼさぼさとかいた。汗が落ちてきて目に入ったのか、うお、と小さく呻いて首を振る。長門と大鳳は飛んでくる水滴を避けながら、旭の言葉を待つ。

 

「腹括って待つしかねえよ」

 

 革新的な一声など出なかった。

 

 

 タラップを降りてくる人影を、長門と大鳳の二人は理想的な敬礼姿で出迎えた。不機嫌そうに下を向いている旭も、今日は珍しく白い軍服を着ている。

 

 三人の前に歩み寄ってきたのは、思考の読めない糸目の青年と、弓道着に弓を携えた女性。飯沼弥勒元帥と、海軍最後の希望と呼ばれる正規空母の赤城だ。自然、大鳳の背筋が伸びる。空母として、一人の艦娘として目の前の相手には尊敬の念を抱かざるを得ない。

 

 盛大に鳴り響く腹の音さえ無ければ。

 

 隣では長門が口元を抑えて笑いをこらえているし、旭はそんなこと知らんとばかりに弥勒を睨みつけている。赤城が恥ずかしそうに顔を赤らめながら、素知らぬふりをして立っているのを見て大鳳も察した。

 

 あ、これ。スルーしなきゃいけないやつだ。

 

「お出迎えご苦労、なんてね。お題目はどうでもいいんだ。正式じゃないしね」

「だろうよ。話があるんなら手短に済ませてくれうちだって忙しいんだ」

「君のそのブレないところ、凄いと思う」

 

 上司にも変わらず暴言を吐き続ける旭の身の程知らずぶりも相当なものだが、面と向かって毒を吐かれているにも関わらず、菩薩のような笑顔を絶やさない弥勒の得体のしれ無さも恐ろしい所がある。まるでそこの部分だけ空気が淀んでいるかのようだ。

 

「こいつらは?」

「積もる話もあるだろうし、こっちも色々あるからね」

「なるほど」

 

 具体性の無い会話が成立している。長門に目配せすると、長門もその意図をすぐに察したようだ。

 

「さて、提督達には提督達で真面目な話をしてもらうことにして艦娘(わたし)達は技術交流でもすることにしよう」

「赤城、終わったら連絡するよ」

「分かりました」

 

 そうして二人は鎮守府へと去っていく。提督達の姿が見えなくなってから。長門はこらえきれずに笑い出した。

 

「まさか、あの、あのタイミングで鳴らすか普通」

「笑わないでくださいよー。凄い恥ずかしかったんですから」

「だから、普段からしっかり食べておけと言ってるんだ。どうせ、また、抜いたんだろ」

「抜いてませんー! 量減らしただけですー!」

「あれからさらに!? そりゃ腹だってグーグー鳴るに決まってる!」

「だから笑わないで!」

 

 赤城の必死の抗議もビックセブンの前では豆鉄砲みたいなもののようで、ガンガンとえげつない音の割に笑顔を絶やさない戦艦。むしろ、叩かれるごとに笑いが大きくなっている気さえする。

 一人取り残されたのは大鳳で、目の前のと仲睦まじいやり取りについていけず、おろおろと手を空に漂わせている。噂から、強く優しい大和撫子の姿を想像していたのに、目の前に居るのはどこにでも居そうな一人の女性。別に悪いわけではない、おかしいことはない、と自分に言い聞かせながらも夢を壊されたような気分がするのは否めない。

 

「ほら、長門さん! 大鳳さん困ってます! 紹介してください、早く!」

「分かった、分かった。うぷぷ」

 

 やっとのことで息を整えた長門が、急にキリッとした顔付きで赤城を指差した。

 

「第一泊地所属の正規空母、赤城だ。噂くらいは聞いていると思うが、艦載機の扱いに関して右に出る者はいない。お前にとっても勉強になる相手だろう」

「よろしくお願いしますね、大鳳さん」

「は、はい。よろしくお願いします……」

 

 差し出された手を握り返す。戦いの感じられない柔らかな手だった。こんな手でいつも弓を引いているのだろうか、と疑問に思う。疑う必要など無いはずなのに。

 

「せっかくですから、後で少し演習しましょう」

「それは良い。最近は体も鈍っていたところだ」

「大鳳さんもまだ艦載機には慣れていないでしょう? もしかしたらまだ一度も飛ばしていないとか」

「と、飛ばしましたよ、一回は」

「…………」

「資源不足を私に当たるな。それより、艤装を出すなら鎮守府に行かなければならないな」

 

 それに、港にいつまでもたむろっているのは如何なものかという長門の提案で、三人は提督達から遅れて鎮守府への道を歩き始める。

 

「しかしなあ、こんな時期にやって来るとはどういう了見だ? 大鳳の様子でも見に来たのか」

「さあ? 提督の考えなんて私にも分かりませんし。けどまあ、会いに来たかったんじゃないですか?」

「そんな理由でか。やりかねないのが恐ろしい所だな」

「会いたかった……?」

 

 首を傾げる大鳳。少なくとも旭の方からは嫌っていたように見えたが。それに気付いた赤城が噂話をするかのように小さな声で囁く。

 

「うちの提督、旭さんにずっとお熱ですから」

「えっ、えっ?」

「私にも赤城にもバレているのに、当の本人は気付いてないのが笑えるな」

「え、ちょっと、え?」

 

 唐突な爆弾発言に頭の中がシェイクされる。一体全体どういうことなのか。だって────

 

「男同士で、ってことですか……!?」

「はい!?」

 

 今度は赤城がびっくりした声を上げた。長門も目を丸くして、それから察しがついたのかまた腹を抱えて笑い始める。こうなると納得がいかないのが大鳳の方だ。

 

「だって、提督と元帥が」

「大鳳、旭はあれでも女だぞ」

「え……えっ?」

 

 そこでようやく大鳳の言葉の意味を理解した赤城が吹き出した。

 

「大鳳さん、旭さんのこと男だと思ってたの!?」

「ふふ、あーもう、大鳳は本当に面白いこと言う」

「提督って女の人だったんですか!? 全然気付かなかったんですけど!」

「ガサツだし胸無いしそこらの男より男前だが女だよ! あー、初対面で勘違いする奴はよく居たけど、三週間気付かないというのも」

「だってどこからどう見ても男じゃないですかー! むしろ女要素どこにあるんだって話ー!」

「待って、旭さん流石にかわいそう」

 

 女三人寄れば姦しいとは言うものの、旭と赤城、名前がどことなく似ている二人が入れ替わるだけで雰囲気も土臭いものから華やかなものへと変化している。

 先程から笑いっぱなしの長門は過呼吸気味になって必死に呼吸を整えているし、赤城は笑い声に触発されて再び腹の虫が鳴っている。大鳳に至っては何故か怒りの矛先が長門や赤城から旭にすり替わっていて、本人が居ないのを良いことに言いたい放題だ。

 

 そこだけは、全く平和な世界に見えた。

 

 

「伊勢が倒れたらしいよ」

 

 押し入れから取り出してきた安っぽいパイプ椅子に座って、弥勒は何気ない所作で言い放った。事の重大さを認識しているのか、まさか分からないはずもないのだが。

 旭は唇を噛んだ。

 

「沈んだ、の間違いじゃねえの?」

「まだ生きてるさ。生命維持艤装にガタが来ているから、目覚めるかどうかは五分五分らしいけど」

「大湊のドンもそろそろ限界かねえ。どんだけ西で頑張ったって北が潰れちゃお終いだ」

 

 伊勢は大湊唯一の戦艦だった。先の大海戦の生き残りでもあり、重要な戦力であったことは間違いない。それが、沈んだとは言わないまでも、戦闘不能な状態にまで陥った。

 

「鬼か、姫か」

「レ級三体と相討ったらしいよ。ある意味じゃ鬼や姫よりも手強い相手だ」

「そりゃキッツいわ」

 

 旭が顔をしかめる。戦艦とは名ばかりの、雷撃も航空戦もこなすモンスター。それが三体。主要武装を付けた長門でも勝てるかどうか怪しい。それを倒したというのだから大手柄なのだが、せめて相手が鬼や姫だったらと思わざるを得ない。

 海域を占領する深海棲艦には、どうやら緩やかながら指揮系統が存在している。その頭に居るのが深海棲鬼、それから深海棲姫と呼ばれる存在だ。特徴としては僅かながら人語を解すこと、イロハを付けられた深海棲艦と違い戦略を立てる知能があるということ。そして、高い戦闘力を有しているということ。

 

 先の大海戦で奇襲をかけたのも、鬼級の仕業だった。泊地棲鬼。多くの戦艦や空母を従えて待ち受けていた怪物。海戦直後に各地の深海棲艦が攻勢に打って出たのも、おそらくはソレの指示だったと考えられている。

 

 しかし、頭であるということは、潰してしまえば相手の指揮系統が失われるということ。実際、赤城が泊地棲鬼を討ち取ったことで地獄と思えた襲撃は一旦の休息を得た。現在唯一鬼級を討ち取った大戦果、これが無ければ日本はとっくに滅んでいたと言っても過言ではない。

 

「それじゃスリーアウトで試合終了か?」

「まだ覚えてたんだ、珍しい」

 

 三週間前の会話で皮肉を言う。旭は汗を手で拭った。

 

「ツーアウトツーストライクで追い込まれたって所かな。誰かが塁に出ればまたノーストライクだ」

「おいおいおい、大湊の要が消えたってのに随分甘い予想だな。大本営発表か?」

「悪いことばかりじゃないってことだよ」

 

 汗一つかかない弥勒はパイプ椅子に座り直した。足を組んで、如何にも黒幕といった格好になる。本人にはそんなつもりなど毛頭ない、単なるクセだった。しかし、そんなことを知らない旭は気を張り直す。

 

「一つは、ドロップ艦が確認された」

「へえ、信濃か日向辺りならジャックポットだな」

 

 ドロップ艦。海軍の建造ではなく、自然発生的に現れる艦娘。どうやって生まれるのかは分からないが、ただ一つ言えるのは、海軍のデータベースに乗っている艦娘は確認されないということだ。つまり、長門や赤城はもはやドロップすることはなく、建造でしか作り出すことができない。

 

 その関係上、有力な軍艦で未だ確認されていないのが、旭の挙げた二つになる。

 

「日向だよ。伊勢に惹かれたのかもしれないね」

「……なんつーか、ひと思いに殺さず嬲られてる感じがするな」

「同感だよ」

 

 大型建造による大鳳の着任。ドロップ艦自体が希少になっていたこの状況での、狙いすましたかのような戦艦ドロップ。誰かが戦争を終わらせたくないのだと言われても疑えない。

 

「伊勢が復帰できれば大湊の戦力はむしろ増えたと言っても良い」

「そんな都合良く行くのかね。死人に鞭打ったって喋りだすわけじゃなかろうし」

「さあね。でも、君はそれを望んでいるだろう?」

 

 旭は答えない。弥勒は気にしない。

 

「それを差し引いてもレ級三体の撃沈は偉大な成果だ。しかも相手は手負いながら沈んだという確証はない。俺があっち側だったら迂闊に戦力を投入は出来ないな。手負いの獅子ほど恐ろしいものはない」

「奴らがそんなこと考えるとでも」

「考えるさ。泊地棲鬼の断末魔、聞いてないわけではないだろう。奴らは死を恐れる。本体が滅多に出てこないのはそういうことだろう」

「希望的観測だな」

 

 旭はタバコをくわえた。今回も火はつけない。ライターくらいはまだ持っているのだが、吸うつもりはない。

 

「代打が欲しいな。一発を打てるパワーヒッターが」

「そんなに野球がしたいなら自分で勝手にやってろ。デッドボールくらいはくれるかもしれないぜ」

「はは、デッドボールでもなんでも、塁に出れるならなんでもするさ」

 

 足を元に戻す。目元を少し擦った。寝不足なのかもしれない。

 レシプロ機の回る音がする。勝手に資源使いやがったな、旭は舌打ちした。

 

「大鳳はどうだい?」

「そんなもん、アタシよりも長門に聞いた方が早いんじゃねえの? それに、どうせあの演習馬鹿が稽古つけてんだろ」

「君から見た彼女の感想が聞きたいんだ」

「感想ねえ」

 

 頭を掻いた。口にするだけで苦虫を噛み潰したような顔になる。旭からして、大鳳は最も嫌いなタイプだった。少なくとも今のままでは。

 

「理想追い求めて実力の追いついてない馬鹿。口だけは一丁前、近いうちになんかやらかすか、現実に気付くか。賭けが成立しそうにねえ」

「なるほどねえ」

「……てめえ、本当に何のつもりなんだ」

「佐世保の戦力増強。それ以外の理由は本当に無いよ。信頼してくれていい」

「誰が信用できるかってんだ」

 

 ズドン、と轟音が響く。長門が主砲を撃ったか、それとも爆撃機が落としたか。どっちにしろ、雑音がこうも増えては話をするのも億劫だ。弥勒も同じ考えに至ったのか、立ち上がってパイプ椅子を畳んだ。

 

「さあ、ちょっとだけ覗きに行こうか」

 

 旭はしかめっ面で頷いた。

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