むー   作:溶けた氷砂糖

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来週投稿したらしばらくお休みします。
充電期間というやつです


アイネクライネ

「だからさ、何度言われたって変わんないよ」

 

 恭介が珍しく苛立ちを募らせて言った。膝には泣き疲れた鳳翔が眠っている。起こさないように声を潜めながら、耳に当てた通信機に告げる。

 

「俺達はその作戦には参加しないよ」

『……礼がしたいとは思わねえのか』

 

 電話口に聞こえるのは旭の声。彼女もけして語気を強めたりはしないが、梃子でも動かなさそうな恭介の態度に辟易としているようだ。

 

「礼って。あんな怖い目にあった後に、それ目掛けてもう一回戦えって?」

『攻略の道は出来てる。アタシんとこからは長門が出てるし、弥勒だって赤城や摩耶を出してるんだ』

「それなら旭ちゃん達で倒せばいいでしょ。俺達が出る必要が無い」

『あのなあ』

 

 向こうで旭が呆れ返っているのが分かる。港湾棲姫を沈めるのに、第二泊地の力が必要だと何度言っても伝わらない。

 

「そりゃあさ、分かってるよ」

 

 恭介だって馬鹿ではない。どうして旭がこんなにも必死になって鳳翔達を引き出そうとしているのか、予想くらいは出来る。本当に、必要の無い筈なのにどうして求めるのか。

 

「俺達が倒した、ってことにしたいんでしょ」

 

 第二泊地には目立った手柄が無い。赤城や長門のような例外的な戦力の有無も原因としてはある。しかし、それは恭介自身が望んだことだった。目立たなくて良い、褒めそやされなくたって構わない。ただ、無事に帰って来てくれればいい。だから、彼はいつも戦果を求めることはせず、気を付けてくれ、と言うだけだ。どんなに言い繕ったって、軍人のすることではない。

 実際、恭介の提督としての資質を疑う声は今までも何度か上がっていた。その事については恭介は知らないし、旭も詳しい訳ではない。弥勒が上手いこと収めたのと、鹿屋や岩川のような別の畑の人間と関係を悪くしたいが為に現状維持が望まれていたからだ。

 

 しかし、これからはそうは行かない。西方海域への進出。そしてそれに伴う新たな泊地の設置。第一泊地、第六泊地という強大な戦力の存在。

 早い話が、第二泊地そのものの存在が疑問視され始めているのだ。最悪のケースに至れば、恭介は更迭され、鳳翔達は新たな提督、おそらくは社交家の息の掛かった主戦派の自衛隊上がりのもとで前線に送られることになるだろう。社交家の発言力の上昇、佐世保の弱体化、何より友人の危機に弥勒が反応しない訳が無かった。大本営を黙らせる、その為には誰にでも分かる結果が要る。

 

 そんな詳しい経緯は知らずとも、普段は他人に興味の無い旭にここまで露骨に迫られれば嫌でも理解するというものだ。

 旭の大きく息を吐いた音がこちらまで届いた。

 

『流石にお前でも分かるよなあ』

「……馬鹿にされてる?」

『いや、馬鹿にはしてねえ。だけどそれが分かってんなら』

「ワガママだよ」

 

 恭介は言い切った。

 

 単純な話だ。恭介は出撃させたくない。それだけの話。鳳翔のあの慟哭を聞いた後で、誰が彼女を死地に遅れるというのだろうか。

 

『結果、もっと悪い結果になったとしても、か?』

 

 旭の指摘は正しかった。今、鳳翔達がこのような状況に、あえて悪い言い方をするのならば、ぬるま湯に浸っていられるのは、恭介が提督としてそれを認可しているからだ。彼が居なくなれば、次にやってくるのは艦娘を兵器とばかり考える石頭である可能性が高い。長い目で見れば、ここで無理をするのが正解であることは、誰の目にも明らかだ。

 

「いざとなったら皆連れて逃げようかな」

 

 ふざけたように言ってみせるが、恭介の言葉は本気だ。軍を敵に回してでも、鳳翔達のことを考える。彼は頭がキレる人間じゃないから、その選択は大間違いかもしれない。だけど、だからといって彼が躊躇うことも有り得ないだろう。

 

『よくもまあそんなふざけたことが言えるもんだ』

「だからさあ」

 

 諦めてくれないか。恭介の言葉は喉元で止まる。膝の上で眠っていた鳳翔が、いつの間にか彼のことをじっと見つめていた。

 

「提督?」

 

 咄嗟の通信機のマイクを手で塞ぐ。

 

「ごめん、起こしちゃった?」

「はい」

 

 彼女は起き上がって、恭介の前に姿勢を正して座る。

 

「水部釣中将とお話していらしたのですか」

「……どこまで聞いてた?」

「提督が聞かれたくないと思われる部分まで」

 

 行かせてください、と彼女は言った。さっきまで、怖い怖いと泣いていた彼女とは別人に思えた。恭介は気圧されつつ、冷静に通信機を押さえていた手を離す。

 

「旭ちゃん、後で掛け直すね」

『……三十分後にこっちから掛ける。しっかり話しとけ』

「ありがとう」

 

 通信が切れる。マイクを塞がれていたから、僅かな間にあった二人のやり取りを旭は知らない。恭介の言葉を信じただけだ。

 

 通信機に机に置いて、執務室に残るは二人。

 

「鳳翔さんもう一度、ちゃんと言ってもらっていいかな」 「私は、港湾棲姫を倒しに行きたいんです。どうか出撃の許可を」

 

 芯の通った言葉だった。言わされているのではなく、自分の意志で主張しているのだと分かるような、はっきりとした宣言だった。

 

「それは、鳳翔さんの言葉? それとも」

()()()の言葉です」

 

 鳳翔は、恭介の質問を遮って、()()()がしたいのだと、もう一度強く言った。軽空母鳳翔であり、理不尽に巻き込まれた少女であり、この六年間、篠塚恭介という青年と共に過ごしてきた彼女が、おそらくは初めて、()()()()()()()を押し通そうとしているのだ。

 

「海に出るのは、怖いです。出来る事ならずっと平和に過ごしていたいです」

 

 だけど、それじゃ駄目なんです。

 

「本当なら、私は曙さんが、梢さんが解体処分を受けた時、一緒に解体されるべきでした。私がこの役目から逃げられるのはきっとその時だけですから」

「今からだって」

「私は、その時拒否したんですよ」

 

 ()が解体を願い出た時、鳳翔は何も言わなかった。恨み言も、励ます言葉や別れを惜しむ言葉さえ、言わなかった。

 

「どうして不意にしてしまったのか、今なら分かるんです」

 

 彼女は一度口を閉じた。勢いで声に出してしまいそうになった。自分の中で考えて、曇り一つない自信を持って言わなくてはならないと分かっていた。

 

「提督が、ここに居たからです」

 

 恭介は彼女の覇気に呑まれていた。意味も、十全に理解できていない。ただ、彼女のワガママには敵わないと、何となく分かってしまった。

 

「提督の役に立ちたいんです。もう逃げたくないんです」

「……比叡と夕立にも聞いてからだよ」

「……はい!」

 

 彼女の声がこんなにも跳ねているのを聞いたのはきっと初めてだ。

 

「でも、寝ている二人を起こすのは」

「それはまあ、わざわざ起こす必要もないから」

 

 こそこそ隠れてなくてもいいよ、と恭介が言うと執務室の扉が開く。恭介が立ち上がって椅子に腰掛けると、寝間着のままの二人が入ってきているのが見えた。

 

「夕立さん、比叡さん。いつから……?」

「鳳翔が目覚める前からっぽい」

「そんな前から」

 

 きっと、旭と言い争っていた恭介の声を、耳聡く聞きつけてきたのだろう。そして、恭介と鳳翔の会話も全て聞いていたのだろう。

 

「逆に提督はどのタイミングで気付いてたんですか」

 

 ずっと息を潜めていたのにと比叡が肩を落とす。確かに鳳翔は全く気が付いていなかった。恭介はいつ察知したのだろう。

 

「鳳翔さんと話してた時にね、たぶん比叡かな? ドアをちょっと叩いてた」

「えー、あー、よく分かりますね」

 

 ドアに耳を当て、よく聞こうとして、一度体勢を整えた。その時にぶつけたようだ。話しながら僅かな物音を聞き逃さないあたり、恭介の聴覚も尋常なものではない。

 

「それで夕立と比叡はどうしたい?」

 

 答えなんて分かりきっていた。

 

「リベンジするっぽい!」

「やりますよ!」

「そっか。それじゃあ準備を始めなくちゃ、ね」

 

 急いで着替えておいで、と言って三人を促す。夕立が鳳翔を引っ張って仲睦まじく部屋から出て行った。

 

「あれだけ言っといて、はい行きます、って。恥ずいなあ」

 

 誰も居なくなった部屋で通信機を握りながら、恭介は自嘲気味に呟いた。

 

 

 

 

 

 

「お腹が空きました」

「言いたくなる気持ちは分かるがな」

 

 赤城がついボソリと漏らした一言に長門も苦笑いを浮かべる。普段から吝嗇家を気取って空腹には慣れっこの赤城も、そう言わずにはいられなかったのだろう。長門だって微かな空腹を覚え始めている。

 月が沈み、暁の水平線が赤く染まり始めた頃。出撃してからそろそろ半日を迎えようといったところだ。緊急出撃(スクランブル)の為に戦闘糧食もあまり持ち込めなかった。この中でも特に燃費の悪い赤城が限界に達するのは至極当たり前のことだと言える。

 

「三式弾を夜明けに間に合わせる。旭達がそう言ったんだから私達は待つしかないさ」

「よくもまあ朝まで保ったもんだよ」

 

 弾切れを起こした摩耶が愚痴る。重巡洋艦は戦艦よりも多くの砲撃を与えなければならなかった為に、他よりも消耗が激しかった。叶うのならば一回撤退したかったくらいだ。

 

「流石にあたしらに気付いてんだろ」

「まあ、そうなるな」

 

 日向も頷く。一晩中眠りを妨げられれば、自分と敵対する奴が潜んでいると港湾棲姫だって理解する。それでも動かなかったのは、攻撃がたいしたこと無かったから。そして、艦載機を飛ばせる夜明けを待っていたから。

 

「……動き出すか」

「動きますね」

 

 トップ二人の言葉と、港湾棲姫が背を岩壁から離すのは同時だった。艦載機を飛ばし、なけなしの燃料を推進力にして、ゆっくりと歩き始める。

 

「私と赤城が行く。日向は摩耶の護衛をしつつ、三式弾の到着を待て」

「了解した」

 

 腕をぶんぶんと回し、腰の巾着袋に入れておいた最後の戦闘糧食(おにぎり)を赤城に放り投げる。

 

「米粒には神がいるというからな、そのくらいは働いてもらおうか」

「餌付けされているみたいでアレですねえ」

 

 文句を言いながらもしっかりと最後の一つをたいらげ、赤城も背に抱えていた弓を構える。節約してきたから燃料はまだまだ残っている。

 

 二人が波しぶきを上げた。長門は全速で港湾棲姫の前に立ちはだかり、赤城は港湾棲姫の横に位置付ける。戦艦と空母が同じ場所にいた所で、たった二隻ではたいした利点もない。それならば、二人で意識を散らしてしまった方が何倍も良い。これは長門の得意とする一種の陣形であり、相方が大鳳から赤城に変わった今、単純な戦力で言えば南方棲鬼と対峙したあの時よりも心強い。

 

「さぁて、もう少しお付き合い願おうか」

 

 長門と港湾棲姫、二体の砲門が火を噴いた。長門は砲撃の反動を耐えようとせず、むしろ荒れ弾の軌道が港湾棲姫に当たるよう修正しながら、後ろに吹き飛ばされる体を巧みに滑らせて攻防一体の動きを見せる。かつての著名なボクサーを表現する言葉に、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という言葉があるが、彼女の動きはまさにそう呼ぶに相応しく、しなやかなものだ。

 

 対して徹底的に剛の動きを崩さない港湾棲姫。長門のことを、目的に辿り着くための障害と認めながらも、その歩の進む先は一ミリたりとも変わらない。燃料が無いせいでもあるのだろうが、緩慢にすら思える歩みは止まらない。大振りな爪で砲弾を砕き、見た目にそぐわぬ高い精度の砲撃でもって長門の艤装をじりじりと歪ませていく。

 

 かたや紙一重で躱し続け、かたや頑強な体躯でもって弾き飛ばす。ゆらゆらと揺れ動く天秤は動きを止める気配がない。

 

 しかし、どちらかと言えば押され気味な長門と違い、赤城が担う航空戦は圧倒的だった。港湾棲姫の意識が長門ばかりに向いていたこともある。事実として、彼女は()()()()()()()()()()()ことにすら気が付いていない。

 

「うーん、本当に効きませんねえ、爆撃」

 

 弓を構えてこそいるものの、艦載機はまだ残っているし、墜とされる気配も無い。牽制代わりに積んでいた爆薬を港湾棲姫の頭上に落としては肩にある飛行甲板へと戻っていく。ようやく出番が来たと思ったのにこれではまた手持ち無沙汰だ。

 

「雷撃ならちょっとは効くんですかねえ」

 

 しかし、真下で落とせば良い爆撃はともかく、魚雷だと避けられてしまいそうだ。長門の邪魔はあまりしたくない。戻ってきた艦載機を再び射出した後、困ったように摩耶達の方を返り見た。

 

「いや、こっちを見ても何にもならねえだろ」

 

 岩場に残ったまま赤城の様子を眺めていた摩耶が呆れて首を振った。赤城でどうにもならない事態が、ガス欠を起こした摩耶に解決できるはずも無い。というか、視線で隠れ潜んでいるのがバレかねないので正直やめてほしい。

 

 基本的にこちらの二人は仕事を終えているのだ。これ以上は何も出来ないで、ただ待っているだけ。

 

「しかし、歴戦の勇士とは本当に凄いものだな」

 

 赤城と視線とジェスチャーで会話する摩耶とは異なり、日向は眼前の戦いに見惚れていた。

 

「ビスマルク、大鳳、鳳翔。誰も彼も強者だった。もちろん摩耶、君もね。しかし、あの二人は頭一つ抜け出ている」

「あのバケモノどもと一緒にされても困るわ」

 

 騒がしい空母を追い払った摩耶が返す。

 

 あんなのと張り合えるのは同じような怪物だけだ。努力だけでは辿り着けないような高みに居る。凡人と天才、なんて話ではなく、むしろ常人と狂人の違い。戦うことよりも死ぬことの方が好きなのではないかと思える命知らずな戦闘狂ども。

 

「でも、大湊には武蔵坊が居るだろ」

「あいにく、間が悪くて伊勢とは手合わせしたことが無いんだ。その強さは目の前で見せつけられたけれど」

 

 日向がドロップした時、戦艦三隻に囲まれて死を覚悟していた。足手まといを引き連れて戦艦レ級三体とやり合った伊勢の実力を疑おう筈もない。

 

「そりゃ残念なことだな」

 

 摩耶と日向は気楽に話しながらも周りの警戒を怠らない。砲煙の臭いに釣られて全く関係の無い深海棲艦が横槍を入れてこないとも限らないからだ。長門、赤城の動きは素晴らしくとも、戦局自体は少し押しただけで倒れるドミノのように不安定だ。

 

 索敵を行っていた赤城の口元にも笑みが浮かんだ。遠く目を凝らしていた摩耶も、遠くから現れる三つの人影に気が付くと口角を吊り上げた。日向も遅れてそれに気付く。

 

主役達(メインキャスト)のお通りだ」

 

 現場の状況は旭から伝えられていることだろう。弓を構え、砲を構える姿に迷いは無い。声をかける必要も無い。

 

「ファイヤー!」

 

 比叡が叫ぶ。戦艦らしいアウトレンジからの砲撃は見事に港湾棲姫を横から打ち据え、三式弾によって文字通り炎上させる。

 

「ナ、ニ……!?」

 

 まさか自分にダメージを与える存在が居るとは思わなかったのだろう。港湾棲姫の顔が苦痛に歪むのを長門ははっきりと見た。この深海棲艦に三式弾は有効だ、と確信する。

 

 長門は砲撃の手を緩めない。目標は特に危険なその大爪。鋼鉄を切り裂く鋭さがあるとしても、装備としては末端だ。外側から思い切り叩けばヒビの一つくらい入るかもしれない。何より、比叡の側に視線を向けさせてはならない。持てる弾薬全てを使う覚悟で長門は撃ち続ける。

 

「クルナ!」

 

 長門の猛攻撃をものともせず、港湾棲姫は三式弾の飛んできた方向へ砲撃した。目の前でブンブンと五月蝿いハエよりも、自身に損傷を与えた未知の敵の方が何倍も厄介だと理解したのだろう。

 

 惰性で虫を追い払うのではなく、明確な殺意をもって放たれた砲弾。その半分は彼女達に届くことなく海面に跳ねた。空中で赤城の艦載機と衝突し、威力を失って波紋を起こす。

 

「重さとしてはこっちの方が本来上ですからね」

 

 矢を放ち終えた赤城がにやりと笑う。確かに燃料を積んだ艦載機のスペックは、砲弾よりも重い。しかし、狙いすましたような発艦で砲弾を()()()()()。常識とはかけ離れた、馬鹿げた運用方法だ。パイロットが妖精ではなく人間であったなら、とても出来る作戦ではない。そもそも高速で空を突き破っていく砲弾を真横から撃ち抜くなど、センスの一言で片付けられるものには思えない。

 

「まあ、余計なお世話だったかもしれませんが」

 

 撃ち漏らした砲弾も彼女達には当たらなかった。比叡と夕立はそのまま港湾棲姫の方へと向かい、鳳翔だけが赤城のもとまでやってくる。

 

「いやあ、鳳翔さん達が生きていて本当に良かったです」

「本当にご迷惑をおかけしました」

 

 一度だけ深々とお辞儀をしてから、鳳翔はきっと顔を上げて港湾棲姫を睨みつける。闘志に燃える鳳翔の姿は赤城から見ても予想外だ。今回の件がよほど気に入らなかったのだろうな、と他人事ながら思う。元々弥勒から出されていた指令と見比べても、彼女達に戦ってもらうことに異論は無い。

 

「私と長門さんで注意を引きつけるので、トドメをお願いしますね」

「分かりました」

 

 交わした会話はそれで終わり。鳳翔が港湾棲姫に向かってタービンを回す。

 

「貴様ラガ……!? ナゼダ!」

 

 港湾棲姫が意識を完全に鳳翔達に向ける。長門は一度離脱した。鳳翔達の邪魔にならない場所へ移動する。いざというときすぐサポートに回れるよう、今この場だけは撤退する。

 

「ナゼ生キテイル! 沈ンデナケレバ、駄目ダロウ!」

 

 鳳翔達の姿は記憶に残っていたのか、港湾棲姫が牙を向いた。艦載機を飛ばし、砲撃し、死人を海の底へ送り返そうと吠えたてる。一つ一つが彼女達を黄泉の国へ連れて行くのに十分過ぎる。昨日までの鳳翔ならば足が竦んで、立ち止まってしまったかもしれない。

 

 しかし鳳翔はもう迷わない。判断を間違えることはない。港湾棲姫との戦いで死を覚悟したこと。恭介の優しい言葉でずっと抱え続けていた膿を取り除いたこと。今までの全てが彼女に力を貸す。港湾棲姫の怨みを跳ね返すだけの自信をもたらす。

 

「それは、貴女の方です」

 

 彼女が弓を引いた。ほんの刹那、時間が止まったような錯覚の後に、彼女が艦載機を現界させる。

 

 航空戦、ただそれだけに限れば、鳳翔は全ての空母の中でも断トツの練度を誇る。赤城に殲滅されるような練度で、鳳翔相手に持つ筈が無い。異質な形をした港湾棲姫の艦載機は瞬く間に穴だらけにされ、煙を上げて墜ちていく。初めて顔を見せた時とは全く違う手応えに港湾棲姫が歯を軋ませた。こんなにも面倒な相手では無かった筈だ。

 

「私も忘れないでえ!」

 

 そこへ比叡の三式弾が襲いかかった。他の敵に比べれば数段狙いの粗い攻撃だ。万全の状態ならば避けられたかもしれない。だが、燃料は底をついていた。意識は航空戦に向いていた。作り出された状況の最後のピースを、この目で確認してしまった。

 逃げ場は無く、せめて爪で被害を軽減しようと試みる。遠くから憎々しげに二人を睨みつける。

 

────二人?

 

「隙有りっぽい!」

 

 正面からの圧力に立ち向かおうとする港湾棲姫、その背後に夕立が回り込んでいた。

 

「ソロモンの悪夢、見せてあげる!」

 

 いつも使っている12.7cm連装砲ではない。砲塔ともまた異なる装備を艤装に装着して、夕立も吠える。

 続けて発射された()()()()()が港湾棲姫の装甲を打ち砕く。WG42。悪名高きUボートに使われた隊長対艦用ロケットランチャー。弥勒がこの時の為に用意した秘密兵器だ。

 ドイツ艦がドロップするのならばドイツの兵器だって戦力になると大湊に打診していた開発において、北方棲姫の情報と合わせて完成したワンオフの兵器。ニューヨークを攻撃するという作戦も立てられたこの兵装は、三式弾と同様に特殊な深海棲艦に対して十分な効力を持っていたようだ。

 

「グアアアアア!?」

 

 背後からの奇襲に意識を取られ、結果として両方への警戒が疎かになる。全身を焼かれ、打ち砕かれ、美麗ささえ兼ね備えた姿は見る影もなく崩れ落ちる。

 有効打を前後から挟み撃たれた港湾棲姫は悲鳴を上げた。さっきまであれだけ大人しかったとは信じられないような悪鬼の形相でもって比叡を睨みつける。絶対に許さない、と視線だけで殺しに掛かっているかのようだ。

 

 そこに降り注ぐ爆薬と鋼鉄。赤城と長門がこのチャンスを埋める用意をしていない訳が無かった。

 本来ならば気にすることもない。蚊に刺されたとも思わない攻撃でさえ、傷付いた体は痛みに変える。全身が軋みを上げた。鳳翔と比叡に向いていた意識を強制的に全ての方向へと逸らされていく。優先順位が分からなくなる。どれから手を付ければ良い。手始めに何を選んだところで、失敗の予感しかしない。比叡をサポートする為の、大海戦前からの四人による連携は付け焼き刃などではなかった。

 

「沈メ……沈メェ!」

 

 自暴自棄になりながら放った砲撃は、鳳翔と赤城によって撃ち落とされた。一人で半分ならば、二人で全てだ。怪物じみた練度の航空隊による特攻に遮られ、たった一発すら彼女達のもとへは届かない。

 

「比叡さん、頼みますよ」

 

 そこで港湾棲姫は一瞬の間ながら、最も警戒すべき相手が視界から消えていたことに気が付いた。皮が剥がれることも気にせずに体を振り回して、最大の敵の居場所を探す。

 

 彼女は一度距離を取っていた。港湾棲姫は本能で理解する。その距離は、戦艦にとって、最もパワーを発揮できる場所であった。

 

 鳳翔の言葉に、三式弾の次発装填を終えた比叡が、右手を前に突き出した。

 

「比叡、撃ちます!」

「クルナァァァァ!!」

 

 二人の叫びが共鳴した。咆哮と共にありったけの三式弾が撃ち込まれる。残弾など考えない。正真正銘、全身全霊の一撃。港湾棲姫は対抗する術を持たない。

 

 彼女の姿は、とても見ていられるものではなかった。

 

 強者の証として振りかざしていた鋼鉄の爪は無惨にひしゃげていた。

 彼女の異様さを象徴していた、黒白にそそり立つ角は根本から折れていた。

 見る者の目を奪う美しかった肢体は腐りきったチーズのように醜く穴だらけになっていた。

 そこに残るのはイキモノとすら呼べない怨念の残滓。

 

 誰の目から見ても勝負はついていた。

 

「許サナイ、許サナイ……」

 

 自分の死を理解していないのか、港湾棲姫は恨み言を呟き続ける。既に海の底に片足を掴まれていた。沈みながら、藁をも掴む思いなのか、必死に腕だけを振り回し続ける。その視線の先にあるのは、未だ見ぬ自分の居場所への期待と羨望か。

 

 もう一度、鳳翔が最後の構えを取った。放たれた彗星が空高くへと飛んでいく。

 

「さようなら」

 

 それは、港湾棲姫に向けての言葉だったのか。それとも。

 

 爆発が港湾棲姫の体を包み込む。最後のひと押しになったのかもしれないし、無意味な自己満足だったのかもしれない。ただ一つ言えるのは、爆炎が晴れた先には、彼女を苦しめた白い影はもう無かったということだった。

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