「そういえばずっと気になってたんですけど」
砲弾を紙一重で躱し、返す蹴りでロ級の装甲の隙間をこじ開ける。そうして出来た取っ掛かりを掴んで敵群に放り投げた。ちょうど主砲を構えていた深海棲艦の眼前へと迫り、爆発が起こる。
大鳳は横目にそれを確認しながら、同じようにホ級を殴り殺していた長門に話しかけた。
「宿舎の奥の方に離れがあるじゃないですか」
長門や大鳳が普段寝泊まりしている宿舎は執務室などの本館から見て畑の反対側にある。そのため、起床すると先ずは本館に向かって歩くのだが、その反対方向、つまり本館から離れる側にも建物があるのだ。
「あー、あそこか」
「何の建物なんです?」
弾薬を切らしたらしい駆逐艦が特攻してきたので受け流して長門の方に吹き飛ばす。目もくれずに裏拳で粉砕。流れ作業で叩き潰された哀れな深海棲艦をサッカーボールのように蹴り飛ばして雷巡を撃破する。
「あそこはな、図書館だ」
「図書館?」
「旭と……まあ昔に居た艦娘が読書家でな、自分の蔵書をひとまとめにしたんだ」
今ではほとんど使われていないがな。十センチくらいの弾丸を片手で受け止め、投げ返しながら長門が言う。少しだけ悲しそうに見えた。
「提督って本まで読むんですか」
「最近はぱったりだがな。そもそも絶対量が少なくなったし」
気楽な調子で邪魔な深海棲艦を殴り倒しながら、そろそろ終わりが見えてきたという頃、遠目に今までとは違う艦種の姿が見えた。長門の口元が緩む。
「ル級か」
「えー? 戦艦相手とか嫌ですよ」
ちょっと前までだったなら半狂乱に陥っていただろう。しかし、大鳳もこの無茶苦茶な環境に慣れ始めてしまっていた。というよりも、赤城に散々しごかれ、長門に振り回された後では、この程度では大したことではないと思えてしまうのだ。それがいわゆる慢心であることは理解しているが、どうにも身が入らない。艦載機が使えればまた話も違うのだが。
「迂闊にお前にやらせて被弾されても困るしな。私が片付けてくるから露払いを頼む。艦載機の使用を許可してやるから」
「よしきた」
言うが早いか、大鳳はクロスボウを構える。赤城などの和弓型射出機に比べれば速度、艦載機の現界精度の点で劣るが、安定性という大きな武器を持った愛弩を空に向けて射出する。放たれた矢が空で散開し、姿を変えていく。
「さっ、この際徹底的に殲滅しましょう」
「私を巻き込んでくれるなよ?」
「当たる方が悪いんです」
「言ってくれる」
呵々大笑して長門が機関を回す。彼女が離れていく。追い縋ろうとする深海棲艦達の頭上から爆弾の雨が落ちる。素手ではどうにも太刀打ちし難く、長門に任せて自分はサポートに回っていた装甲空母が、今度は独壇場で実力を見せる。辺りに立ち上る水飛沫をかぶらないよう移動する。砲弾を避けることよりもそちらの方が難しい。近距離から当てに行こうとする重巡や雷巡は足元で炸裂する魚雷に足を取られて沈んでいく。
ものの数分とかからぬ間に動いているのは大鳳だけになった。
「あっちゃぁ、調子に乗り過ぎたかな。無駄遣いだって提督に怒られそう」
久々に艦載機を飛ばせたので少々興奮してしまったようだ。
「構わんだろう。爆薬と魚雷くらいならどうにでもなる」
「うわ、長門さん。もう終わったんですか」
殴り込みに行ってから数分程度しか経っていないと思うのだが。長門は当たり前だ、と親指を立てる。
「
「やっぱり恐ろしいですね。どうやったらそんな境地にたどり着けるのやら」
「嬉々として爆弾落としていた奴が言うことか?」
「赤城さんだったら艦戦一機で行けたと思うんですよね」
「そうかもな」
否定されないあたりが赤城の恐ろしい所である。
「そんなことより」と帰路についた大鳳が言う。
「提督って趣味多過ぎじゃないですか? 釣りに畑に読書なんて。それに組手もやけに強いですし」
「組手は昔合気道やってたとかどうとか言ってた気もするが、軍人だしあんなものだろう。他は、元々趣味人だったからな。前はもっと色々やってたぞ。メンツ集めてバンド組んだり」
「マジですかそれ」
「本当だ」
長門が大きな欠伸をした。珍しいな、と思った。まさか寝不足なんてこともないだろうに。大鳳の視線に気付いた長門が不思議そうに首を傾げる。
「どうした?」
「いや、なんでも」
「変な奴だな……まあいい、図書館に興味があるなら後で行ってみれば良いだろう」
「勝手に入っていいんですかね」
「いいんじゃないか?」
港が見えてきた。艤装を操作してスピードを緩める。きゅるきゅると絡繰の動く音がする。
「元々一部の大馬鹿以外には自由に開放していたからな」
「大馬鹿って、騒いだり、酒呑んだりですかね」
「そうそう、私はル級の件も含めて旭に報告しに行くから、そのときに旭にも伝えておくよ」
「ありがとうございます」
エンジンが止まり、しばらく慣性で滑った後、港へと辿り着く。艤装を地上用にカスタマイズし直して、長門は一足先に陸に上がった。
「それと、行くんだったらヌシによろしく言っといてくれ」
*
森の奥。もう冬にも入ろうかという時期、落ち葉を踏み敷いて歩く。寒いので薄手のジャケットを羽織ってきたのだが、それでも少し足りなかったかもしれない、とクシャミをして思う。
図書館は改めて見ると思ったより小ぢんまりとしていた。しかし、それは宿舎と比べての話で、個人単位の書庫としては破格の規模だ。旭以外の艦娘も寄贈していたというが、どこからかき集めてきていたのだろう。
「でも、今でも読めるとは限らないわね」
長門の話だと三年近く放置されていたという。潮風に当てられてほとんど駄目になっている可能性も考えなければいけない。
兎にも角にも、入ってみなければ分からない。意を決してドアノブを捻る。ギィ、と嫌な音を立てた。傷んではいたが、まだ死んではいなかったようで、少し重いがちゃんと開く。
当然のことながら中は暗い。持ち込んだカンテラに火を灯して、木製の階段を登る。松の木だろうか、思いの外しっかりしていて、大鳳の体重の軽さもあってビクともしない。最初は恐る恐る踏み出していた大鳳も、途中からは気にせず登るようになった。
十数段の階段を登りきると、広い空間に出た、壁に沿って配置された本棚いっぱいに本が詰まっている。種類によってきれいに分類され、中央には読書用の机が置かれていた。まるで本当に公共機関であるかのようだ。
目に見える範囲だけでも、数え切れないだけの本がある。流石に横須賀大本営の資料室には及ばないが、これほどの量を置いてある軍施設など他に無いのではないだろうか。大鳳は浅い知識でそう思ってしまう。
さて、何を読もうか。好奇心だけで来てしまったせいで、明確な目的など持ち合わせていない。とりあえず、目についたものを開いてみようと、本棚の方へと近づいて行く。
「何かお探しですか」
「うひゃう!?」
誰も居ないと思っていた矢先、背後から声をかけられて思わず変な声を上げる。慌てて振り返るも誰も見えない。まさか、幽霊。そんな頓珍漢なことを考えながら、大鳳はじりじりと後退る。敵か、味方か。
「そんなに驚かなくても、ほら、こちら。こちらですよ。分かりますか?」
目を凝らして探すと、おそらくは貸出用なのだろうカウンターの上でぴょんぴょんと跳ねている影を見つける。カンテラを向けると、二頭身くらいの人のような者が手を振っていた。
「妖精……?」
「はい、そうです。せんえつながらこちらで司書をやらせて頂いてます」
ぺこりと丁寧にお辞儀をする日の丸鉢巻の小人。大鳳は長門の言っていた言葉を思い出す。
「もしかして、ヌシさん?」
「ああ、はい。私の事をそう言うのは長門さんですね。お久しぶりです。でも、なんだか色々な部分が小さくなったような……」
近付くと肩に乗る妖精。色々と気に障ることを言われた気がしたので、小さな体を片手で握りしめるときゃー、と冗談めいた悲鳴が上がる。
「私は長門さんじゃないわ」
「ご存知ですとも。初めてお見かけする顔ですが、なんとなく空母の方ですかな。そんな気がします」
「よく分かるのね」
「これでも元々飛行機乗りですから」
大鳳の手をすり抜けて、ヌシは大鳳から飛び降りる。一回転して華麗に着地すると、木目の床を軽やかに飛び跳ねて進む。簡単に抜け出せるものだろうか、と自分の手をしげしげと眺める大鳳を他所に、主はハシゴを登ってロフトのような場所から彼女を呼ぶ。
言われるままにハシゴを登ると、ロフトには休憩用のハンモック。それと、アクリルケースに入った戦闘機が飾られていた。大鳳が息を呑む。
「これって」
「私が乗っていた
「でも、乗らなかったの?」
「てーとくさんがー、私にここの管理を命じられましてー」
流星乗りの妖精を趣味の整理に使わせるとは、旭らしいと言えば旭らしいが、なんと馬鹿らしいことか。
「私もこれに乗るよりも本を読んでいる方が気が楽だったのでお受けしまして」
「ああ、そうなのね」
「はい、最近めっきり誰も来なくなりましたが。好き勝手に本を読めたのでモーマンタイです」
「そう……」
やっぱり誰も来なくなっていた。本は幾つか駄目になっているかもしれないな、と思った。いやいや、妖精の謎技術ならば本を最善の状態に保つことくらい簡単かもしれない。だからこそ旭はヌシに整備を頼んだのだろうし。
「で、で、胸ぺったんの空母さんはどういったご用件で?」
「廃棄処分をご所望みたいね」
「冗談です。まあまあ落ち着いてくださいよ。ここに来るとは本読みに来たのでしょ? 肝試しには時間的にまだ早いですよ」
聞いているのかいないのか、暖簾に腕押しだ。
「そうね、この戦争についての資料が欲しいわ」
「なるほど、なるほど。もしかしなくても新参さんですな。良いでしょう。『真昼の悪夢』から『現代のミッドウェー』まで、なんでもござれですよ」
ヌシがぴょんとロフトから飛び降りると、そのまま姿が見えなくなる。出来れば案内もしてほしかったのだが、と愚痴りながら大鳳もハシゴを使って降りる。飛び降りようかとも思ったがそれ怪我したら笑い話にもならない。
ヌシは何処に行ったのか、当てもなく探し始める。ついでに本の背表紙を見ていくと、世界的にも有名な児童小説から、哲学書、歴史書など学問書が並び、料理や裁縫に関する本が続く。はては漫画本がずらりと敷き詰められていて、本の持ち主が実に多方面に手を伸ばしていた事を示している。旭以外にも収集家は居たらしいが、それでも多い。
そうやって歩いていると、ふと足が止まる。ある本が気になったのだ。いや、もしかしたら本ではないのかもしれない。手に持って読むには大き過ぎる。まるで大判の辞書のようだ。しかし、辞書というには薄い。
背表紙には何も書かれていない。他の本から離れてぽつりと倒れていた。大鳳はそっと手を伸ばす。よく分からないけれど、何故だか良心がズキッとした。
ページを開く。そうして気付く。ああ、これはアルバムだと。集合写真と思われる一枚が見開きいっぱいに印刷されていた。見覚えのある建物と塀の前、十人くらいの少女達が集まっている。中心にいるのは、今よりも若く見える旭。相変わらずのジャージ姿だった。その表情は、驚くほど柔らかく、明るい。
長門の姿も見て取れる。意外なことに、旭からは少し離れていた。背が高いのもあるだろうが、だいぶ後ろの方だ。写真慣れしていないのか、顔が引きつっている。
「これ、誰だろう」
旭と肩を組んでいる二人に目が留まった。一人は亜麻色のショートヘアーの女性。もう一人はブラウンのウェーブがかった髪を白いカチューシャで押さえている。三人とも満面の笑みだ。
「おやおや懐かしい。これ撮ったの私なんですよ」
また肩が跳ねる。肩に乗っていたヌシも跳ねる。ふわりと空中に浮いて、華麗に棚の上に着地した。
「びっくりしたぁ。もう本が見つかったの?」
「見つかりましたよ。よくよく考えたら何冊も持てないので戻ってきたわけですが」
ヌシはアルバムの方へと近づいて、写真の端を撫でた。普通の紙とは違う、写真用のつるつるとした肌触りにため息を吐く。
「もう、皆さん居なくなってしまいました」
「そう……」
長門以外生き残っていないという話は既に聞いていた。写真の中にいる少女達は、ほとんど皆死んだのだ。
「この、提督の両隣に居るのは誰?」
「どれどれ、あー。陸奥さんと足柄さんですね」
「陸奥、足柄……」
戦艦と重巡洋艦。それに、陸奥といえば長門の姉妹艦。
「仲良しさんだったんですよ。陸奥さんもここにたくさん本を持ってきてましたし」
「足柄さんは?」
「酒持ち込んで酔って吐いて出禁です」
「あー……」
「まあ、もう皆来ませんけど」
さあそんなことはさて置いて、とまた大鳳の肩に乗るヌシ。よほど気に入ったようだ。短い指で大鳳の頬をつつく。
「場所は確認しましたので、持ってってどうぞー。ただし貸出カードは書かなきゃ駄目ですよぅ」
「貸出カードなんてあるのね」
「昔は結構人が来てたんですよ。だから管理しなきゃー、って話になって」
「へえ」
「あ、そこ右の上から三段目です」
ヌシは楽しそうに話しながら、大鳳に指示を出していく。腕に重ねられた本は四冊程。一冊は分厚いハードカバーだが、残り三つは持ち運びしやすい文庫本だ。同名のハードカバー本が置いてあったが、ヌシが気を遣ってくれたのだろう。
言われるままにカウンターで貸出カードを作って、ヌシに手渡す。大鳳には片手で持てる薄っぺらい紙切れでも、ヌシには大荷物だ。抱えるだけで全身が隠れてしまう。
「ちゃんと返してくださいね?」
「別に持ってったりしないわよ」
「いえ、そうではなくてですね」
カードを片付けて、ヌシは笑った。
「次も、借りに来てくださいね?」
「……ええ、分かったわ」
大鳳も笑った。
*
やっぱり、殺風景な部屋だな。と、自分でも思ってしまう。大鳳の部屋には薄い布団と鉄格子付きの窓があるくらいで、家具と呼べるものは何もない。椅子すらも置いていないのだ。寝るくらいにしか使わないとはいえ、生活感の欠片もない。アスファルトの壁はひび割れ、事故物件と言ったら誰もが信じるだろう。
ある意味で仕方がないのかもしれない。宿舎には使われていない部屋がたくさんある。そのほとんどには生活していたような跡がある。そう、かつてこの鎮守府で暮らし、海に沈んでいった先達のものだ。何一つとして当時のまま動かされていない。
長門に言って余分な椅子を持ってきてもらおうかとも考えたが、今から外に出るのも面倒に思われた。布団に転がって借りてきた本の一つを開く。真昼の悪夢と題された文庫本。噂話程度には聞いたことがあるが、詳しくは知らない、
ページのめくる音だけが響く。体が空腹を訴えているような気がしたが、彼女は無視した。そんなことよりも、全てを知ることが大事だと思えた。
『真昼の悪夢』
今より十年前の事件。深海棲艦による──当時はそんな名称など存在しなかったが──初めての襲撃。
あのときはまさかこんなことになることなど予想すら出来なかった。そんな文章から本は始まっていた。
突然現れて、ユーラシア大陸の沿岸から上陸し、人間に襲いかかった。その時に艦娘などという概念があるはずも無く、戦車や爆撃によって、当時の中国、ロシアなどの大国は対抗したと言われている。大きな被害を受けはしたが、時期に終息するものだと思われていた。
しかし、当時の深海棲艦には現在のソレとは違う特徴を持ち合わせていた。いや、正確に言うならば、攻勢をかけた深海棲艦が異質な特性を持ち合わせていたというべきか。
今では姫か鬼クラスの存在だろうと推測されている深海棲艦の親玉は、リアルタイムで
結果として、中露両軍は敗退。アメリカが安保理決議を無視して発射した核兵器によって一旦の終戦を得た。ヨーロッパ以東のユーラシア大陸は焼け野原と化し、人口のおよそ八割が消滅したと言われる。
それから各地で深海棲艦の活動が活発化。どうやったのか、衛星すらも無効化し、制海権を奪い去っていった。日本はヨーロッパからもアメリカからも断絶され、孤立した。軍事力で劣る日本は滅びを覚悟した。
艦娘という存在が発見されるまでは。
大鳳は一字一句食い入るように読んでいたが、やがて、流し読みになり、最後にはほとんど見ずに本を閉じた。途中から、吐き気がするほどの楽観的な、艦娘を持ち上げる内容ばかりになったからだ。
次の本を手に取る。開こうとした時に、メモ用紙が顔に落ちた。誰かが栞代わりに挟んで、そのまま忘れてしまったのだろうか。大鳳は払い除け、捨ててしまおうと持ち上げる。握り潰す直前で、何かが書いてあることに気付き、思いとどまった。窓から差し込む光がメモ用紙を貫いて、なんと書いてあるのかよく分からない。大鳳は起き上がって自分の体で日光を隠した。そしてようやく文章を読むことができた。
「艦娘は兵器だ。沈まないことに越したことはないが、見捨てる選択もしなければならない」
如何にも女性らしい、丸っこい文字だった。しかし、血の滲むような、決意の篭った字であった。誰が書いたのであろうか。大鳳は考える。自分の知らない相手であることはすぐに分かった。旭も長門も、こんな字は書かない。旭は雑で豪快な男らしい字であるし、長門は習字のお手本のようなしっかりとした字である。二人がこんな丸文字を書いている姿などとてもではないが想像がつかない。
「考えるだけ、無駄よね。分かるはずないもの」
早々に諦めて、本来読もうとしていた本を開く。艦娘とは何か、軍人でも無い赤の他人が好き勝手に書いている本だった。内容はまるで出鱈目だ。よくもまあ、発禁にならなかったものである。
さながら江戸時代の黄表紙でも眺めるかのように読み進めていく。事柄の三割も頭に入っていないが、三割全てが、無駄な知識だと分かる。そんな定価で買ったら詐欺にあったのではと疑うレベルの箇条書きよりも、さっきのメモに書いてあった言葉がどうも頭に住み着いてしまっている。
艦娘は兵器、当然だ。沈まないことに越したことがないのも事実。見捨てなければならないこともあるだろう。全てが何をいまさらと罵りたくなる程の常識。それなのに、心の何処かで引っ掛かっている。反論したくなる。論理ではなく、感情が否定している。
ああ、本当にアレは誰の残したものなのだろう。
ノックの音がする。宿舎までやってきて大鳳を呼ぶのは一人だけだ。本を置いて大鳳は起き上がり、何度かメモを眺めたあと、拾い上げて、ドアの方に向かった。
「どうしました?」
「お前、まだ入渠してないだろう。忘れない内にしておけ」
ドアの向こうでは長門が呆れ顔で立っていた。大鳳自身、入渠のことなどすっかり忘れていた。長門が来てくれなければ入らないまま一日を終えてしまったかもしれない。恥ずかしさで頬をかく。
「ああ、そうだ」
目の前の長門ならメモの主が分かるかもしれない。過去の話をするのに少しだけ躊躇いもあったが、好奇心が勝る。不審そうな顔をする長門に手に持っていたメモを見せる。
「お前、これ何処で」
「借りてきた本の隙間に挟まってたんです。誰の字なのか分からなくて……長門さんなら分かります?」
メモを乱暴に受け取り、睨みつけるとそのまま黙り込んでしまう。話してはくれないだろうか、と大鳳が不安になり始めた頃、彼女はぼそりと呟いた。
「これは、陸奥の字だ」
「む……つ、さんって」
「私の妹だよ」
血が繋がっているとは言えないが。長門は補足する。彼女は大鳳が、アルバムを見つけたことを知らない。しかし、大鳳が陸奥のことを知っていることはすぐに分かった。気まずそうに目を逸らしたからだ。全く無知の者がする動きでは無い。
「あー、陸奥について何処まで知っている?」
「えっと、提督と仲が良かったってことと、本を読むのが好きだったってことくらいです」
「そのくらいなら、ヌシが口を滑らしたんだろうな。あー待てよ。もしかして、アルバムとか、見たか」
「少しだけ……」
「なるほどな……お前に黙っているのも失礼な気がする。おおかた、どうして陸奥がそんな事を書いたのか気になるんだろう」
答えることができなかった。はい、と言っても、いいえ、と言っても嘘になる気がした。
長門は構わず話し続ける。
「あいつは私と違って戦いというのが苦手だった。死ぬのが怖いとも言っていた。自分が兵器だと思わなければやっていけなかったんだろう」
命を大事にしろって、旭とはよく喧嘩していたよ。長門の言葉は意外だった。旭こそ、艦娘を兵器として扱いそうな人間に見えたからだ。少なくとも、大鳳個人が心配されたことはない。
長門は笑って大鳳の頭に手を置いた。子供扱いされているようで今度は気分が悪かった。
「治す資源も無いんだから怪我するな、って言われただろう」
「ケチくさい提督だな、と思いました」
「くく、まあそれもそうだがな。あいつは言葉が足りないし口も悪い」
だけど。
「命を粗末にするのが、嫌なんだよ」
「じゃあ主要武装くらい着けさせてくれたって良いのに」
「確かにな。まさか最初の出撃で艦載機を飛ばさせないとは思わなかった」
「それでも命を粗末にさせていないと?」
「ああ」
長門は頷いた。
「お前は昔のあいつを知らないからな。まあ、前にも言ったと思うが、余り悪く思わないでやってくれ」
「そんなこと、言われても」
「そうか……そうかもな」
今の旭は心を閉ざしている。大鳳だけではない、長門を相手にしても、古い知り合いであるはずの弥勒を相手にしても。悪く思うな、という方が無理な話だ。
「明日、少し出掛けるぞ。準備しておけ」
「出掛けるってどこへ」
「明日になれば分かるさ」
日が落ちる前に入れよ。長門はそう言って部屋から出ていく。メモを強く握りしめたまま。
残された大鳳は、なんだか頭の中に靄がかかったような気分がして、胃の中から色んなものが込み上げてくるような不快感を覚えた。
廊下に出て、ドアを閉めると、冬の到来を告げる乾いた風が吹いた。木枯らしが大鳳にへばりついた黒黒とした感情を落としてくれることは、ついに無かった。