むー   作:溶けた氷砂糖

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飴玉の唄

 光の無い蛍光灯が見えた。火照った体は自分のものではないようだった。足元が遠く離れていく錯覚がした。記憶に()()がかかって、ここが何処なのか、どうして自分がここに居るのか彼女には分からなかった。額にひんやりとした物が乗っていることに今更気づいて、かなり高い熱が出ているんだな、と汗が首筋を伝う。

 

「目覚めたか。見舞いに来た次の日に担ぎ込まれるなんて、馬鹿の極みだな。普段の行いが悪いからそうなるんだ」

 

 頭上から嫌味が聞こえた。頭痛に耐えながら視線だけを動かすと、カルテと睨み合いをしている壮年の男の姿が見えた。

 起き上がろうとすると片手で押さえられる。動きを止めるには軽すぎたが、今の旭にはそれに抗う力も無かった。

 

「まだ八度七分はある。無茶な真似はやめて大人しく寝ていろ。どうせもう少ししたら長門君が来るだろう。それまで少しでも安静にしたまえよ」

 

 それでも起き上がろうとする。何かを確認しなければいけない気がした。

 そういえば、と思い出したように内海が呟いた。

 

「大鳳君は、無事に着いたらしい」

 

 その言葉が聞きたかった。

 それを合図にして、旭は再び深い眠りに落ちていった。

 

 残された内海はかつかつとボールペンでカルテを叩いた。誰も診療所なんてものに信頼を寄せなくなった今、ある意味で、本当の久々の患者だった。全く嬉しくなかった。

 

 扉が開く。手ぬぐいと桶を抱えた長門が病室に入ってきた。内海の姿を認めると深々と頭を下げる。

 

「昨晩は突然済まなかった」

「ああ、全くだ。叩き起こされる僕の身にもなってみたまえ」

 

 ふわあ、と大きな欠伸をして、内海はカルテを机に置く。束の間を休息を邪魔されて、内海はひどく機嫌が悪かった。それでも即座に対応する辺りは医者の矜持というべきだろうか。

 

「これに懲りたなら、体調管理をちゃんとさせるんだな」

「本当に面目無い」

「分かっているのやら……僕は仮眠に戻らせてもらう。無茶だけはさせるなよ」

 

 内海は部屋を出ていき、長門はベッドの横に置かれた丸椅子に腰掛ける。不意に隣を見ると、昨日も眺めた古馴染みの顔が映った。言葉に表せない不安に駆られて、目を逸らす。四つあるベッドの内、埋まっているのは二つだ。三つでは無い。その事実がとても悲しく思えた。

 

「もう居ないと分かっているのにな。この二人を見ていると、どうしてか居るように見えてしまう。あいつは沈んだのに」

 

 自分に言い聞かせた。彼女もまた、抜け出せていないのだと自覚していた。

 

 

 

 

 

 

「空母っていうわりには細っこいなあ。ちゃんと食ってるか?」

「俺の方が強そうだな」

「新人さんでしょ? 夜戦しよ!」

「ちょっと川内黙ってなさいよ」

「……仲間の匂いがします」

「だいぶ失礼なこと言ってるわよ」

「心配無いのね! イクがしごいてあげるのね!」

 

「えぇ、とそのぉ……」

 

 返す暇もなく言い寄られて、大鳳はたじろぎながら一歩下がる。第一泊地は全ての鎮守府の中でも最も規模が大きいと聞いてはいたが、何人もの艦娘に寄ってこられるとどう対応すれば良いのか分からない。

 旭が倒れて何も分からないまま、何故かやってきていた赤城に連れてこられてここまでやってきた。自分の提督のことが気になって仕方が無かった。最後の言葉がどうにも引っかかったままだった。

 

「はいはい、皆さん持ち場に戻ってくださいねー。大鳳さんが困っちゃってるじゃないですか」

 

 大鳳に助け舟を出したのは、第一の提督である弥勒と一緒にやってきた赤城だ。比較的小柄な駆逐艦をつまみ上げて大鳳から引き剥がす。続けて軽巡。反論の声が上がる。

 

「赤城はもう会ったことあるんだろー?」

「そうよ。新入りなんて何年ぶりじゃない。もっと話させなさいよ」

「これから二週間は一緒になるんですから、わざわざ今じゃなくても良いでしょう? 秋月さん、ガードしてガード」

 

 再び接近しようとする天龍や川内を秋月と呼ばれた少女が体を間に滑らせて防ぐ。肩越しに飛んでくる罵声を聞き流しに、弥勒が大鳳の前に近づく。

 

「赤城のことだからちゃんと説明してないだろう。旭から、そっちの提督から要望があってね。しばらく君のことをこちらで預かってほしいと」

「……頭を冷やせってことですかね」

「違う違う」

 

 手で大鳳の弱音を払いのける。

 

「君の思いが彼女を動かしたんだよ。打って出るってさ」

「そうそう、私超えしてもらわないと困るって言ってたらしいですよ? 期待されてますねえ」

「提督がそんな」

「そんなことを言うはずはないって?」

 

 大鳳はためらいがちに頷いた。自分の知る提督は、他人の言葉でそんな簡単に動かされる人間だっただろうか。彼女は、同意を得られないであろうことを分かった上で噛み付いたのだ。それが、昨日の今日で変わるなど。

 

「彼女の本音が一緒だった。ってことだよ。気にするのも疑うのも分かるけど、それはそれ、これはこれ。いま確かなのは、君はここにやってきて、強くなる必要があるということだ」

「そうだよ! だから夜戦しよ!」

 

 いつの間にかすり抜けて大鳳の手を握る川内。赤城が振り返ると秋月が沈痛な面持ちで手を合わせていた。気にしてない、とジェスチャーを返す。そもそもテンションが上がっているときの川内を止めろという方が無理な要求なのだ。仲間内で囁かれる敵艦スレイヤーの名は伊達ではない。

 

「川内。彼女は空母だから、夜戦できないよ」

「え、そうなの!?」

 

 弥勒の言葉に川内はがっくりと肩を落とす。最初からこう言っておけば良かったと、秋月が項垂れるのが見えた。代わりに声を上げたのは摩耶だ。

 

「でもよ、背中任せるんだったら実力くらい確かめといた方が良いんじゃねえの?」

「それは一理ある。とはいえ、誰彼構わずというわけにもいかないから、そうだな」

 

 口元に手を当てて弥勒が考える。大鳳はとても話の流れについていけてなかった。彼女の頭は未だ旭のことに固執していた。そのせいで、次の言葉を危うく聞き逃す所だった。

 

「赤城と組んで、摩耶、秋月と演習してもらおうか」

「え、え?」

「よっしゃ来た」

「えー、俺にやらせろよ」

 

 困惑する大鳳。ガッツポーズをする摩耶。不満げに声を上げる天龍。赤城が大鳳の肩を叩いた。

 

「難しいことは忘れて、今は演習でもしちゃいましょうってことですよ」

「はあ……」

 

 いまいち納得はいかないが、既に盛り上がる他の艦娘の姿を見ると、そして顔色一つ変えない弥勒を見ると、頷くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 燃料の補給をして、クロスボウの調子を整える。旭の目を盗んでは練習していたから、以前に比べれば成長しているはずだ。味方に赤城をつけるということは、大鳳二人では勝てないだろうと思われているということ。

 摩耶、秋月。どちらも航空母艦では無かったはずだが、そもそも長門という規格外がすぐ近くに居るせいで、艦種による先入観はあてにならないと知っている。

 

 お互いの準備が出来た。赤城が弓を構え、大鳳もクロスボウを持ち上げる。航空戦前の砲撃は無い、当たり前の事実に安堵してしまう。

 

「最新鋭の装甲空母の本当の戦い、見せてあげる!」

 

 発艦。百を超える艦載機が空を駆ける。対する二人は高角砲を構えた。お手並み拝見と思ったのはどちらの方だろうか。

 高角砲の制度は石礫とは比べ物にならない。大鳳が飛ばした戦闘機は、高度な旋回技術にも関わらず、先読みされ、面白いように撃ち落とされていく。驚くべきは、大鳳だけではなく赤城の艦載機も次々と撃墜していたことだ。自分一人ではとうとう全力を引き出すことの出来なかった赤城が、艦載機を十分に出しながらも苦戦している。ターキーショットなんて不穏な単語が脳裏をよぎる。

 

「うわぁ……予想以上ね」

「そりゃ、うちの対空番長と風紀委員ですから。私一人では均衡取られたりすることもありますよ」

 

 摩耶も秋月も対空戦に重きを置いた艤装の持ち主だ。それがかの正規空母と切磋琢磨しているとなれば、その練度というのは尋常なものではない。

 なんとか制空権は優勢。しかし、爆撃は何もない海で炸裂し、魚雷はただ白い線を引くだけの結果に終わった。航空戦が終わって両艦隊ともに無傷。次の砲撃戦で決めなければ、夜戦に持ち込まれて敗北するだろう。

 

 お返しとばかりに口火を切ったのは摩耶だった。腰だめに主砲を構える。20.3cm連装砲が火を吹いて、大鳳の軌道上に飛んでいく。このままでは着弾必至。かといって足を止めれば、今度は秋月による集中砲火が待っていることは目に見えていた。二人がかりによる攻撃は、大鳳が赤城よりも倒し易しと見て叩き潰しに来たということだ。

 

 避けることは不可能だろうと舐められている。事実、無傷でやり過ごす自信は大鳳には無かった。十把一絡げの深海棲艦とは違う、練度の高い艦娘の砲撃にはまだ慣れていない。

 

 それでも大鳳は足を止めた。予想通り、秋月が砲撃を開始していた。迫りくる砲弾を観察して、大鳳はその場で跳ねる。全弾避けるのは不可能だ。しかし、大鳳はただの空母ではない。耐久力を強化した()()()()である。当たり方を気を付ければ、駆逐艦の砲撃でたいした被害は受けない。それこそガスでも発生しない限りは。

 

 さあ、砲撃はやり過ごした。今度はこちらが攻める番だ。逆に言えば、こちら側から相手に打撃を与えられる最後のチャンスだった。雷撃、夜戦。どちらをとっても空母に攻撃手段はなく、一方的に攻められ続けるだけになる。赤城に全て任せてしまっては立つ瀬がない。

 

 大鳳は頭をフル回転される。馬鹿正直に飛ばしたところで全て撃ち落とされるのは分かりきっていた。しかし、裏をかくにも良い作戦が思いつかない。自分がどんな飛ばし方をした所で殴り勝つことはできないだろう。それならば。

 

 ちらりと横目で赤城を見た。赤城は視線に気付いてウインクする。恐ろしいことに彼女の考えをしっかり読み取ってみせたのだろう。作戦は決まった。後はタイミングを測るだけだ。

 

 今だ。

 

 大鳳はクロスボウを連射する。出来るだけ多く艦載機を飛ばす、次回装填への手間が少ないのがクロスボウ型射出機の利点だ。広範囲に広がった航空隊が、摩耶と秋月の頭上で太陽を隠す。

 

「この摩耶様に数で勝負しようなんて、甘えよ!」

「艦載機を確認。対空射撃いきます!」

 

 大鳳の彗星は呆気なく煙を上げて落ちていく。たかが数を増やしたくらいでは歴戦の防空巡洋艦と駆逐艦は怯まない。

 もう一度引き金を引く。苦し紛れの当てずっぽうだと言わんばかりに英霊が消えていく。

 

 それでいいのだ。長門と赤城の戦いを見ていて学んだのは、先制攻撃を旨とする空母の運用からはかけ離れた動き。

 

 耳をつんざく爆音が響いた。秋月の体が揺れる。文句無しの大破だ。悔しそうな顔をして下がっていく。摩耶の意識が空から水上へと引き戻される。砲の類を装備しているようには見えなかった。空に見えたのは大鳳の艦載機だけで、一つ残らず仕留めた。辺りを見渡す摩耶の目に映ったのは、水面スレスレを滑空する97式。

 

「……しくった」

 

 不意を撃つ魚雷発射。赤城とアイコンタクトで示し合わせたいわゆる()()の攻撃だ。完全に常識の埒外から放たれた攻撃にも即座に対応するのは流石と言うべきか。摩耶はギリギリでそれを躱し、対空砲撃のための高角砲を下げて攻撃機を叩き落とす。

 

「勝負あり、です」

 

 ()()と言うからには当然、赤城の攻撃機すらも本命ではない。与し易い秋月を落とし、摩耶の視線を逸らすためのデコイ。

 

 影が差し、見上げたときにはもう遅い。赤城のお株を奪う急降下爆撃が摩耶を襲った。生命維持艤装がダメージにダウンして衣服もボロボロになる。これ以上の戦闘は不可能だった。

 

 無傷の二人対大破二人。終わってみれば圧勝だった。演習モードを解除して服装も元に戻った摩耶と秋月が近付いてくる。

 

「新入りの様子が見たかったのに赤城が出張ってくるとかズルくねえ?」

「私達はルールに則って戦っただけですよ? あの作戦も大鳳さんの立案でしたし」

「いや、会話してませんでしたよね」

「目線で」

「目線!?」

 

 大鳳さん真っ直ぐだから何考えてるのか分かりやすいんですよね。褒められているのか貶されているのか分からない赤城の評に大鳳は苦笑いを浮かべることしかできない。

 

「でも、大鳳さんの艦載機はぜーんぜん役に立ちませんでしたね」

「うっ」

「そうそう、赤城が居なけりゃ制空も取れてないしあんなのにも引っかからなかったし」

 

「言い訳はそこまでに。講評なら俺がしてやるから早く戻ってきなさい」

 

 トランシーバーから聞こえる弥勒の声に、摩耶も顔を引きつらせて押し黙る。

 

 港まで戻ると、初めにあれだけ居た艦娘もほとんど帰ってしまっていた。残っているのは天龍くらいだ。赤城がつくということで勝敗を決めつけてしまったようである。

 弥勒がノートを見ながら、今回の演習における問題点を洗い出す。

 

「摩耶と秋月には油断が見えたね。新参と言っても長門に鍛えられてるんだよ。もっと警戒しなくちゃ」

「う……、面目無いです」

 

 秋月が肩を落とす。ここまで一方的な結果は想像していなかったのだろう。他の我の強いメンバーと比べれば自己主張は弱いものの、長年戦ってきた戦士としての自尊心がそこにあった。

 摩耶も然り。分かっていればそれ以上言う事はない。

 

「赤城は大人げないが、まあノーコメントで。こっちからは大鳳ちゃんからの合図とか全然見えなかったし」

「えーしてましたよ。ねえ?」

 

 赤城の同意を求める声に曖昧に頷く。本当は自分が上に注意を向けている間に下からかき回してほしい、それくらいの考えだったのだが、予想以上にきれいにハマってしまった。

 

「で、大鳳ちゃんだね。隙を見逃さない動きは評価できるけれど、根本的な実力が足らないって感じかな。本当は二人を相手にするにはまだまだ早い」

 

 オブラートに包むつもりもない一言に、大鳳も反論できない。例えばの話、相方が赤城ではなく長門であったならば、よしんば勝てたとしてもこんな大差はつかなかっただろう。そして、大鳳が戦果を上げることもなかっただろう。

 

 ま、それをどうにかするためにこっちまで来てもらったんだけど。ノートを閉じた弥勒が手を差し出した。

 

「それでは改めまして、第一泊地へようこそ大鳳ちゃん。できれば何か掴んで帰っていってくれよ」

 

 戸惑いながら、大鳳もその手を握り返した。

 

 

 

 

 

 

「調子はどうだ?」

「だいぶ、楽になった。クソッ、アタシとしたことが末代までの恥だ」

「そんな減らず口が叩けるなら十分だな」

 

 長門が丸椅子に座って本を読んでいる。ふと思い立って、ひさびさにヌシに会いに行ったのだ。鎮守府に誰もいない状況がどうにも落ち着かなかったのかもしれない。長門自身はそれほど本を好むわけでもないが、たまには良いだろうと小説を何冊か借りてきている。

 

 旭はまだベッドに寝かされているままだったが、野暮ったい目つきも少し柔らかくなり顔色も良さそうだ。熱ももう無い。内海から明日には退院だろうと言われていた。

 

「さっき連絡したが大鳳の奴はもうすっかりあっちに慣れたみたいだな」

 

 開口一番叱られた、と旭は唇を尖らせた。二人の間のわだかまりも少しは解消されたのだろうか、不機嫌そうな表情にも、嫌悪の色は見られない。

 

「しかし、アタシがぶっ倒れてたってのによく話が通ったもんだ」

「ああ、ちょうど赤城の奴が来ていてな。その日のうちに連れていったよ。運が良かったな」

「あの大飯喰らいに燃料かっぱらわれたのは納得いかねえけど。まあ、それなら良かったわ」

「安心しろ、利息は十一で請求しておいた。しばらくすれば弥勒から送られてくるだろう」

「そりゃあ良い」

 

 水くれ、と旭が言う。長門は本を閉じて、プラスチック製のコップに水を注ぐとストローをさして手渡してやる。ゴク、ゴク、ゴクと喉を鳴らした。旭のいつもの調子が戻っていた。コップを受け取って傍らのテーブルに置く。本は開き直さないまま、長門は旭に尋ねた。

 

「それで、どうするつもりなんだ?」

「どうするつもりって?」

「攻勢に出ると言ったところで、無策では犬死するだけだ。考えがないわけじゃないんだろう」

「あー、その話ね。本当はもうちょいちゃんと練って大鳳が帰ってきてから話そうと思ってたんだけど」

 

 まあ、いいか。旭は大きく伸びをした。固まっていた背骨が音を鳴らす。妄想の域を出ない作戦だが、話して損になることはないだろう。

 

「とりあえず、南下してオーストラリアを目指そうかと思ってる。ちょっと遠いけれど上手くラインが繋げれば資源の量は桁違いに増えるでしょ」

 

 艦隊を運営する上で必要な資源は大きく四つに分けられる。弾薬、燃料、鋼材、ボーキサイト。オーストラリアはそのうち、鋼材の材料に鳴る鉄鉱石とボーキサイトの一大産地である。資源不足を嘆いている現状を打破するには確かに有力な選択だろう。

 しかし、その作戦には大きな問題が三つある。

 

 一つは、燃料の問題だ。流石にアメリカに向かうほどではないにしろ、オーストラリアまでの距離はけして短くはない。オセアニア解放と言っても、継戦能力が足りなくなることは懸念材料になるだろう。とはいえ、これは他に選択肢が無いという点を考慮すればさほど重要ではない。島にさえたどり着けば妖精に頼んで燃料を作ってもらうことも不可能ではないからだ。或いは解放の後は主要武装の代わりに燃料を持ち込んで行っても良い。

 

 しかし、それはオーストラリア政府がまだ機能していると考えた上での話だ。日本以外の情報はほとんど入ってこない。せいぜいが、大陸の東の端、ほそぼそと生きている人々の事情くらいのものだ。オーストラリアが実は深海棲艦に占拠されていたとしたら、火葬場に自分から頭を突っ込んだ形になる。

 

「そんな心配する前にもっとすることがあるだろ」

 

 旭の言うことはもっともであった。上の二つはオーストラリアまで辿り着けた時の仮定でしかない。それ以前の話として、()()()()()()()()()()()()()()()()という最大の問題があった。

 

「南方を突破しようってんなら鬼とも、姫とも戦わなくちゃならねえ」

「装甲空母鬼と、南方棲鬼だったか」

 

 まだこちら側から戦いに出られていたときのデータ。南方海域を支配していたのは南方棲戦鬼と呼ばれる深海棲艦だった。そして、傍らには右腕のように佇む装甲空母鬼が居た。ソロモン諸島を根城にしていたソレらを討ち取るために、長門達も何度か攻撃を仕掛けたが、さしたる戦果を上げることもできず撤退を余儀なくされた。

 その頃は鬼だった。しかし、いつの間にか艦種が姫に変わっていてもおかしくはない。強大化しているだろう相手に前よりも少ない戦力で挑むと書けば、どれだけ絶望的な作戦か分かるだろう。

 

「東南アジア方面はどうする?」

「今んとこはスルーじゃね?」

 

 南方に漕ぎ出すとなれば南西諸島方面に接する海域を抜けていくことになる。そちらにはまた別の深海棲艦が縄張りを作っているために、横腹をつつかれる事態になりかねない。しかし、旭はあっさりと切り捨てた。

 

「あっち方面は何考えてるのか分からねえし、戦力も不明。刺激しないように隣を通り過ぎていくしかないと思う」

 

 今までだってそうしてきただろうと言われれば長門も黙るしかない。南西諸島に鎮座する深海棲艦の親玉を、誰も見たことが無い。日本を攻めていたのは主に太平洋を縄張りにしていた泊地棲鬼だ。佐世保も基本的には南方を目処に攻めていたため、南西諸島方面の敵と対峙したことは基本的に無かった。

 

 いつかは対峙しなければならない相手かもしれないが、今は気にするべきではないことも事実だ。

 

「あっち側を積極的に攻める理由も無いしな。もしかしたらヨーロッパ側で戦ってくれてるのかもしれねえし」

「どちらにせよ。私達の出る幕じゃないということか」

「そゆこと。細かいことは弥勒とも話しながら後で詰めていくとして、大枠はこれで問題ないと思う」

 

 一気に話して疲れたのか。旭は掛け布団に再び潜り込む。全身を包んで、顔を見せないまま呟く。

 

「しっかし、お前にはいつも迷惑かけてる気がするな」

「そんなこと、昔からだろう」

 

 それもそうか、と旭が照れくさそうに言った。もぞもぞと布団の中で動いているのは頭を掻いているのかもしれない。こんなところは女らしいのにな、と長門は思ったが言わぬが花だ。

 

「お前と足柄と、陸奥の三人で面倒ばかり起こしていたからな。尻拭いするのはいつも私の役目だった」

「蒼龍辺りが泣きついてたっけなあ。後は名取とか」

「駆逐艦達が束になって私を呼びに来たときもあったな」

 

 工廠とグルになって巨大な花火を作っていたら、兵器と勘違いした好戦的な艦娘達が好き勝手言いふらしたこともあった。冗談にミステリーサークルを作ったら純粋無垢な駆逐艦達がこぞって噂をし始めたこともあった。それのどんなときも、最終的には全部長門のげんこつで三人が沈んで終わった。まだ平和だった頃の思い出だ。

 もう、全てがセピアに染まってしまった記憶だ。

 

「あの日々はもう終わった。だけど、私達はまだ終わってない」

「本当に、あの馬鹿には陸奥よりも振り回されてる気がするよ」

「振り回すのはお前の方だったろうが」

 

 さも自分が被害者であるかのような旭の様子に長門も思わずツッコミを入れる。顔は見えないが、笑いをこらえているのがよく分かった。ああ、()()()()()()()()()()とはつまりこういうことかと分かった。大鳳には未だ見せていない、水部釣旭のありのままの姿。

 

「大鳳の奴は、上手くやってるかな」

「強くなってもらわなきゃ困るさ。一番実害受けるのはお前だぜ?」

「それもそうだ」

 

 長門が本を抱えて立ち上がる。日が傾き始めていた。

 

「私はそろそろ帰るよ。お前の代わりに書類仕事もどうにかせねばならないからな」

「そんなにわざとらしく言うことか」

「いやー、資源の融通だの大鳳の件だの、弥勒さんからどっさりと書類が送られてきてなあ。猫の手も借りたい勢いだ」

「嘘付け」

 

 実際、普段より増えてはいるのだが、長門が嘆くほど大袈裟な量ではない。それを分かっているから旭も容赦無く毒を吐く。

 

「明日にはお前にも働いてもらうからな。病み上がりだとて容赦せん」

「へーへー、分かりましたよ」

 

 こんなやり取りが実は一番自分の望んでいたものなのかもしれない、と思いながら長門は病室を後にした。

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