「ふわあ」と息が漏れた。
大鳳が第一泊地にやってきて五日目の朝。空母だというのに夜中まで演習を続けていたせいで眠たげに目を擦る彼女に、からかうように声をかけたのは五十鈴だ。
「あら、随分眠そうね」
「夜まで動くのは慣れてなくて……それに普段のクセで早く目が覚めてしまうので」
「ああ、そういえば
いつもは四時に起きている大鳳だが、第一での起床時間は六時だ。夜が遅いならその分長く寝ていたって構わないのだが、ルーチンを欠かしてしまうとどうにも気分が優れないのは二日目に経験済みだ。いくら眠いとはいえ、二度寝する気には到底なれない。
「今日の料理当番は?」
「確か天龍ね」
言ってから五十鈴はげっそりとした顔になって「もう胃もたれしてきたわ」と嘆いた。
「朝からカレーは重いのよね」
「天龍さんカレーしか作らないんですか?」
「前は他にも作ってたけど全部胃に重たいのよ、カツ丼とか焼肉とか」
指折り数えては肩を落とす。よほど堪えているらしい。大鳳は想像しようとしたが、いまいちよく分からなかった。カレーもカツ丼も焼肉も食べたことが無い。
「大鳳は料理とか出来るんだっけ?」
「いや、あんまりですね」
畑仕事などはやるものの、調理をするのは基本的に旭の仕事だ。時折長門が代わるくらいで、大鳳は長門の手伝いしかしたことがない。言われた通りに野菜を切るのがせいぜいだ。ちなみに旭も長門も料理の手際は良い。
「おっ、いっすずー、たいほー!」
食堂に向かって廊下を歩いていると後ろから声がした。足音は聞こえなかった。いきなり二人の肩が掴まれ、ちょうど隙間に入るように川内の顔が出てくる。
「川内が起きている、ですって……!?」
「ひっど!?」
冬場には違和感の無いマフラーを巻いた川内が、五十鈴の心無い一言にオーバーによろめいてみせる。彼女はいつも起床時間を過ぎて起きてくるという特徴があった。別に低血圧なわけではない。単純に夜遅くまで起きていて寝不足なのだ。大鳳とは正反対である。
そんな川内が起床時間に間に合って起きているどころか、夜のようなテンションで振る舞っている。五十鈴が驚愕するのも当然であった。
「あ、そうそう」
そこで思い出したように川内が声を発した。
「提督に大鳳呼んでこいって言われてたんだった」
「私ですか?」
「え?」大鳳が首を傾げる。
「私何かしましたっけ」
「知らない。よく聞かなかったし」
「はあ。ご飯食べたら向かいますかね」
「ご飯は食べるのね」
「だって腹が減っては戦は出来ぬと言いますし」
「赤城に聞かせてやりたいわ」
香辛料の香りが鼻腔を擽った。食堂はもう目の前だ。既に不知火と陽炎が陶器の皿を持って並んでいる。その後ろには弥勒の姿も見えた。大鳳が慌てて敬礼する。
「おっと、大鳳ちゃんか。ちょうど良かった」
「私をお呼びになったとのことでしたが」
「そうそう、カレー貰うからちょっと待ってね」
エプロンをつけた天龍が白飯とルーを平たい皿に盛り付けていく。流れ作業で三人もカレーライスを貰い、大鳳は弥勒と向かい合うようにして座る。
「今日は、っていうか帰りは明日になると思うんだけど。ちょっと出向してもらいたいんだよね」
「出向ですか?」
「うん」
スプーンに乗せたカレーライスを冷ましながら弥勒は言う。
「第二泊地の話は聞いたことある?」
「えっと……」
聞いたことはあるような気がした。大鳳は必死に頭の中を探し回る。
「佐世保鎮守府の第二泊地のことですか?」
弥勒は首を縦に振った。
佐世保鎮守府はかつて旭達の第六泊地まで存在していた。しかし、先の大海戦で半分がお取り潰しになり、第一、第六、そして第二泊地が残ったのだ。
「第二泊地の提督から救援要請が来てね。といっても、嫌な予感がする程度のもので、緊急性があるわけじゃないんだが」
「緊急性が無いのに救援要請が出たんですか?」
「なんていうかね、あそこの提督は鼻が効くんだよ」
第六感とでも言うべきか。弥勒は言葉を濁した。何の根拠もないのだろう。ただ、今までの経験から合っていることが多い。一手のミスで総崩れになりかねない現状、現場の勘を戯言だと迂闊に撥ね付けられないのか。
「ま、後は同期のよしみって奴だけど。大鳳ちゃんにとっても、ちょうどいいと思うし」
「ちょうどいい?」
「ちょうどいい」
さっきから疑問符ばかりを浮かべている大鳳に苦笑しながら、ちょうどいい、と繰り返す。
「第二にも優秀な空母が居るからね。鳳翔っていうんだけど」
大鳳の顔色が変わった。今までがふざけていたというわけではないが、より真剣になる。
歴史上、初めての空母がどれであるかというのは様々意見が分かれるところであるが、その内の一つとして名前が上がるのが鳳翔だ。云わば日本海軍における空母の母。その名を関する艦娘というのには興味があった。
「川内に行ってもらおうと思ってたんだけど、せっかくだから大鳳ちゃんも連れて行ってもらおうと思って」
「ああ、だから川内が珍しく早起きしてたのね」
自分の分のカレーを平らげた五十鈴が口を挟む。口いっぱいにご飯を詰め込んだ川内が頬を膨らませたままこくこくと頷いた。
「そんなわけで、行ってもらえるかな」
「分かりました」
断る理由は特に無かった。
*
「でもさー、大鳳もどんどん強くなっていくよねえ」
「そうですか?」
「まだまだだけど、成長が早い」
もう少しで夜戦もできるかな。いやいやそれは無いですよ。腹の足しにもならない話で時間を潰す。
水上を滑るように移動しながら、川内がマフラーを深く被った。大鳳も、妖精に頼んで普段より一枚多く羽織っている。戦闘用に切り替えれば寒さなどたいした影響も無いのだが、こういうのは気分だ。いつもいつも同じような格好では気が滅入ってしまう。
日差しが海面に照らされて白く光る。昼の海は軍艦の世界だ。少なくとも今はそうなっている。深海棲艦が跋扈するこの状況では、よほどの命知らず以外は漁業などしないのだから、必然的に艦娘くらいしか海に出るものは居ないのだ。
とりあえずは、第二泊地へと移動し、所属の艦娘と合流。大鳳と川内、それから先方を合わせた四人で出撃する運びとなっている。第二への道のりは、第六のある島よりも長い。鹿屋、岩川の近くに設立されたためだ。かつては軍事基地として利用された両者は現在も軍の施設として利用されている。しかし、第二泊地とは以前に縁を切り、どちらかといえば大本営の威光に近しい人物を中心とした工廠になっていた。ただし、艦娘を作り出す程の設備は存在しないため、それほど重要と認識されていないようだ。
それゆえに、鹿屋、岩川と佐世保は酷く仲が悪い。
「ま、そんなことはどうでもいいんだけど」
「自分から説明しておいて……」
そんなことを言いながらも大鳳は心の中で川内を見直していた。
動きは強いけれど考えるのは苦手な夜戦好き。それが川内に対して抱いていた評価だった。軍事基地についての詳しい情報が彼女からすらすらと出て来るとは思っていなかった。もしかしたら、実際は勉学に励むタイプなのかもしれない。
「さてと、そろそろ第二泊地に着くよー」
「えぇ、と。あの建物ですね」
指差した建物は、港を改装して簡易的な軍港にしたものだった。そのすぐ近くに見える倉庫らしき建物の方がおそらくは鎮守府そのものだろう。第六泊地が海軍によって一から開発されたのに対し、些か急ごしらえな印象を受ける。
大鳳が川内が港に向かうと、二人の艦娘が待ち構えていた。赤城のような弓道着とは違う、如何にも良妻といった風に着物を着る女性と、それよりも幾分か若く見えるセーラー服の少女。紅いような、緑色のような、不思議な目が印象的だ。
「お待ちしておりました」
和服の女性の方が丁寧に頭を下げる。大鳳もつられて頭を下げると、その横で川内とセーラー服の少女がハイタッチをしていた。
「ちょっと、川内さん!」
「相変わらず仲が良いみたいで良かったです」
礼儀も何も無い川内を窘めるが、どちらも気にした様子もない。和服の女性も困ったように笑うだけだ。
「そういや、そっちの提督さんは?」
「提督はちょっと……雑務がまだ残っていまして」
「あー、それじゃあ仕方ないか」
「自業自得っぽい!」
三人で何やら盛り上がる。一人置いていかれた大鳳は戸惑いながら、おずおずと声を上げた。黙っていてはこのまま忘れ去られてしまう。
「あの、そちらが鳳翔さんで、そちらが夕立さん、で良いんですよね」
「あ、はい。申し遅れました。航空母艦、鳳翔です」
「夕立で合ってるっぽい!」
「こちらは応援で参りました、航空母艦大鳳と、軽巡洋艦の川内です。このまま補給後に出撃ということでよろしいでしょうか」
「ええ、それでお願いします」
傍らで聞いていた川内が笑う。
「大鳳はかったいねー。いちいち確認しなくても良くない?」
「川内さんは慣れてるかもしれないけど、私にとっては初めてなんですぅ」
大鳳にとってはまだ初めてのことばかりだ。気を抜くことはできない。
「それが固いって言ってるんだけどなあ。まあいいや」
川内は夜戦夜戦と口ずさみながら、施設の奥へと入っていく。弾薬庫か、燃料タンクへと向かっているのだろう。鳳翔も大鳳に向かって「あちらで補給してきてください」と優しい声で言う。その言葉に甘えて川内の後を追った。
その途中で考える。
どこか抜けた雰囲気は少し似ている。使用する兵器も同じ和弓だ。しかし、その戦い方は赤城とは全く異なっているだろう。具体的にどう違うのかと言われても言葉にするのは難しい。実際にこの目で見れば形容する言葉も浮かぼうというものだが、今はイメージの話でしかない。ただ、学ぶべきものは多いだろうと思えば、口元が緩んだ。
*
「くっ……夕立さん!」
「分かったっぽい!」
彗星の爆撃から命からがら逃げ延びた軽巡洋艦を夕立がすかさず撃ち抜いた。敵艦隊六隻全ての撃沈を確認して大鳳は胸をなで下ろした。鳳翔が警戒を怠らないまま損害を確認する。
「こちらに損害無し、完全勝利ですね」
「進撃しますか?」
「そうしましょう。これだといつも通りですから」
鳳翔が偵察機を飛ばす。大鳳もそれに続いてクロスボウの引き金を引いた。赤く染まり始めた空に鳥の群れのように飛んでいく。
「……なんだか、初めて艦隊戦をやったって気がします」
長門と二人で出撃していた頃は到底、艦隊戦と言えるような代物ではなかった。どちらかといえば白兵戦だ。多勢に無勢な状況を打開するための方策であり、事実として効果は上がっているのだが、艦娘として戦っている実感はなかなか得られない。
第一泊地に送られてからは演習ばかりだった。基本的には赤城とマンツーマンで艦載機の修練をし、摩耶や秋月との一騎討ちで実践経験を積む。それ以外の艦娘とも何度か放火を交えたが、肩を並べて出撃をすることはなかった。
「感想はどう?」
川内が意地の悪い笑顔で聞いてくる。
「自分が外しても誰かがフォローしてくれるって良いですね」
「でもそれに慣れちゃいけないんじゃない?」
「それはそうですけれども、ね」
本番は長門と二人での出撃だ。自分はむしろ長門が逃した敵を残らず沈める役割だろう。他に任せるという戦い方は出来ない。大鳳もそれくらいは自覚している。
「それに、鳳翔さんから学ぶこともたくさんありますし」
「私ですか?」
「鳳翔さんの動きって凄くきれいなんですよ。お手本を見ているみたいです」
基本から寸分違わぬ、空母かくあるべしと言わんばかりの動きは、大鳳にとっては新鮮だった。
赤城の戦法は、視界の外からの爆撃や、自身を囮にした接近戦など、奇をてらう物が多い。しかし、本来の空母といえばアウトレンジからの艦載機による先制攻撃だ。
その点で、鳳翔は慌てず、見逃さず、確実に敵を射貫く。ただの高い練度だけでは、届かない。基礎中の基礎を欠かさず鍛錬し続けた賜物だろう。
大鳳が即座に吸収できる類の技術ではない。むしろその対極、途方も無い道の先に辿り着ける旗だ。しかし、赤城のような別の次元にいる訳ではない。諦めたくなるような遥か遠くにあるものだが、確かに歩む道の先にあるものだ。
「そこまで褒められると照れますね」
手放しの評価に鳳翔は、照れくさそうに微笑んだ。
柔らかな顔つきがすぐに引き締まったものに変わる。大鳳もその理由はすぐに分かった。同じタイミングで先遣隊からの報告が届いたのだ。生命維持艤装に備えついたインカムに耳を傾ける。そこから聞こえるのは信じがたいものだった。
「空母ヲ級の……
「さらに空母ヌ級が一体、戦艦ル級が二体、重巡リ級が一体ですか」
空母ヲ級自体が、第二泊地の担当地域では滅多に確認されない。その上、確認されている中で最も練度が高いと推定される金眼の個体が同時に二隻。随伴感もけしてやわな相手ではない。こんなところまで敵の主力が近づいてきていたなんて、大鳳は唇を噛む。鳳翔も真剣な表情だ。
川内と夕立はむしろ目を輝かせて、生き生きとし始めていた。大物とやり合えるのが嬉しくてたまらないのだろう。
「三分後に接敵します。でも、この時間帯だと日中に仕留めるのは……」
「おそらく無理でしょうね。輪形陣には足りませんし、複縦陣で、被弾しないようにいきましょう。夜戦で殲滅します」
鳳翔は小躍りしている二人に振り返る。
「お二方とも、それで良いですね?」
「おっけー!」
「素敵なパーティー始めましょ!」
「ならよろしい」
戻ってきた艦載機を甲板に下ろし、戦闘用に換装させる。時間はあまり残されていない。赤城の口癖が思い出された。大鳳にとっては初めての、命懸けの戦闘だ。新米の時には長門が抱えて助けてくれた。赤城との訓練では命の危険などは無かった。今回は、長門も赤城も助けてはくれない。
艦載機を飛ばす。敵の艦載機も目視できた。こちらは装甲空母と軽空母。単純な物量では敵わない。
数で勝てなければ技術で勝つしかない。大鳳の62型戦闘機が一機撃ち落とした。鳳翔の52型もそれに続いた。爆撃でリ級を中破に追い込み、制空権もどうにか均衡を保つ。
当然、敵の艦爆からも爆撃が投下される。直撃こそ避けたものの、衝撃に大鳳の艤装が嫌な音を立てた。鳳翔は狙われず、川内と夕立は完璧に避けてみせる。
(まだ、私が一番弱いのね)
そんなことは分かりきっている。幸いにして主要武装は被害を受けていない。今度は戦艦による砲撃だ。こちらは掠ることすら許されない。
「砲雷撃戦、てぇー!」
川内の主砲による一撃で重巡リ級が沈む。夜戦で仕留めるという作戦を立てた以上、砲雷撃戦では夜戦の主力となる重巡から落とすと最初から決めていた。その目的を達成し、夕立の攻撃も戦艦ル級の片方を小破させる。
返すは戦艦二体の砲撃。狙いは駆逐艦の夕立と、先程僅かに避けそこねた大鳳。
「まだ摩耶さんの方が狙いが正確よ!」
散々に撃たれ続けた大鳳にとっては、あくびが出るほどぞんざいな砲弾を軽くターンして躱してみせる。次は空母組の急降下爆撃だ。自らも艦載機を発進させていた先程ならともかく、回避に専念している今、当たるはずがない。
それでも被弾しているのは大鳳だけ。なんとも練度の高い艦隊だろう。少しは成長していたかと思っていたが、引き締め直さなければならないと思い直す。
こちら側の爆撃でル級一体を沈める。さらに魚雷でもう一隻のル級とヌ級を撃沈。ほぼ無傷の
そして、夜が訪れる。
「さあ、私と夜戦しよ?」
暗闇に紛れ、川内が一気に踏み込んだ。空母ヲ級はただ首を刈り取られるのを待つ────だけではない。
「嘘っ!?」
大鳳が叫ぶ。夜戦での艦載機の発艦。そんなものは彼女の知識には無い。おそらく川内も同じだろう。空母が夜戦に参加するなんて思いもしなかったのではないか。援護しようにも、夜戦の仕方など分からない。大鳳の頭の中は焦りと絶望で一瞬にして塗り潰されそうになる。
心にも立ち込めた闇は、しかし川内の表情を見た時に逃げ出すように消えた。
彼女にとっても予想外だったはずの反撃。空からの迎撃に彼女は
川内が第一でなんと呼ばれていたか、大鳳は唐突に思い出した。夜戦バカ、敵艦スレイヤー、そして忍者。例のあだ名はまさにこのことかと納得せざるを得なかった。
猛攻を軽々と凌ぎ切り、懐に潜り込んだ川内が魚雷を逆手に構えた。ゼロ距離で艦載機を発艦するなどという馬鹿げた行為はさしもの深海棲艦であろうと出来なかった。魚雷の直撃を受け、一撃で沈んでいく。
味方が落とされて、もう片方が川内に向かってさらに艦載機を飛ばした。攻撃した後の隙ならば当たるかもしれないと考えたのだろうか。その判断は間違いではなかったかもしれない。しかし、最も大事なもう一人の存在を完全に失念していた。
「こっち見るっぽい」
声に反応してヲ級が振り向いたときには、既に魚雷は発射されていた。
「ソロモンの悪夢、見せてあげる」
反応することも出来ず、沈んでいく二隻の
「敵艦反応、無し。戦闘終了です。大鳳さんが被弾しましたし帰投しましょう」
「提督の嫌な予感ってこの艦隊だったっぽい?」
「おそらくは。私達二人では厳しかったでしょうし」
はたして本当に厳しかったのだろうか、と訝しみたくなる。確かに大鳳達、というより川内が居なければ全艦撃沈することは難しかったかもしれないが、彼女達二人だけでもどうにかなったように思える。
念のために索敵を続けながらも、進路は後退に向かい、第二泊地へと向かう。
灯りの付いた港にはまた違う誰の影が見えた。筋骨隆々というわけではないが、女性とは間違えようのないシルエットだ。
「おっかえりー!
「私達は大丈夫ですよ、提督。ただ、大鳳さんがかすり傷を」
「えぇ!? やばいよ、入渠の準備出来てるから早く入っておいで、なんならバケツ使っていいから!」
「い、いえそこまでしていただかなくても」
「提督、大鳳困ってるっぽい! あとぽいぬじゃないっぽいー!」
犬の尻尾でも見えそうな、無邪気な顔の青年は夕立に諭されてどうにか落ち着きを取り戻す。そのタイミングで鳳翔も助け舟を出した。
「今日はこちらで一晩休んでいただくので、心配することもありません。帰ってきたばかりでお腹も空いているでしょうし、先にご飯にしてしまいましょう」
「そう? 鳳翔さんが言うんならそうした方が良いかな」
「相変わらず慌ただしい提督だね」
「おお川内ちゃんか。いやー申し訳無い」
「ふふ、じゃあ私は夕餉の準備をしてきますね」
手早く艤装の調整を終えた鳳翔が一足先に鎮守府へと向かい、残りの四人も各々向かう準備を始める。さあ歩き始めようというときに、第二泊地の提督があっ、と声を出した。
「そういえば自己紹介がまだだった。俺は
「よ、よろしくお願いします」
「今回は救援来てもらってありがとね。インカムで報告は聞いてたけど、凄い強いヲ級だったんでしょ?」
「は、はい」
相手のことを考えているのか分からないくらい人懐こい、悪い言い方をすれば馴れ馴れしい態度に大鳳は困惑してうまく言葉を返せない。
いったいどこに自分の階級、それも佐官を思い出そうとする軍人が居るだろうか。この提督は大丈夫なのか、疑いそうになり、自分の上官を思い出して諦めた。自分の階級を忘れる軍人より、元帥に軽口を叩く軍人の方が問題だ。
「やっぱ
前言撤回。こっちも十分やばい。まさかとは思うが今の海軍には序列というものが存在しないのではないだろうかと、不安に駆られてしまう。それでも、もしかしたら何か理由があるのかもしれない。
「げ、元帥とはお知り合いで?」
「ん?」
意を決して聞いてみると、何を言っているのか分からないと首を傾げられる。
恭介はしばらく考え込んだ後、ぽんと手を叩いた。
「あー、
「あ、あさちゃんって……提督のことですか」
「提督……うんうん、そっちの提督の旭ちゃんのこと」
「何か御関係が」
「関係っていうか同期よ同期。士官学校で一緒だったの」
「え、そうだったんですか?」
「そうそう、二年間ダチやってたのに階級変わったら敬語って気持ち悪いじゃん? だから皆前と同じ感じで話してるのさ」
「あー……」
言われてみれば、旭も弥勒も恭介も同い年くらいに見えないこともない。階級に差があるのに、やけに平然と会話してるのか、気が付けば当たり前のことである。
「まあ、旭ちゃんにはしょっちゅう蹴られたけど」
「それはそうでしょうね」
あの聞かん坊の旭のことである。ちゃん付けで呼ばれることを虫唾が走るほど嫌悪するのは容易に想像できた。
「二人とも頭良くってさ。ぐんぐん偉くなるだろうなー、とは思ってたけど、まさか弥勒んが元帥にまでなるとはねー。元帥って、あれだよ。一番偉い人。俺じゃ何十年かけてもなれなさそうだよ。すごいよね」
ね、川内ちゃんもそう思うでしょ。と恭介が話を川内に振るが、返事は無い。うつらうつらと夢心地のまま歩いている。ふとした拍子に転んでしまいそうで危なっかしいのだが、何故か蹴つまずく様子は無い。その隣では夕立も鼻ちょうちんを膨らませながら同じようにこっくりこっくり歩いている。
「二人とも疲れてんだねえ」
「それで済ませていいんですかこの状況。夢遊病みたいになってますよ」
「よくあることっしょ。大丈夫、鳳翔さんのご飯の匂いがしたら、ぽいぬはぴーんってなるし」
恭介がそんなことを言った途端に夕立の髪の毛が跳ねた。目を見開いて「おゆはんっぽいー!」と叫びながら走り始める。犬の耳のようにぱたぱた動く髪の毛をどうやって動かしているのか、少し気になって観察すると妖精が必死に持ち上げているのが見えた。何の意味があるのか大鳳には分からない。
夕立に気を取られて気付くのが遅れたが、確かに食欲をそそる良い匂いが鎮守府の方から風に吹かれてやってきていた。川内もまだ寝ぼけ眼だが、香りにはなんとなく気付いたようだった。
「さ、食べてって」
屈託無く笑う恭介に、大鳳は鳳翔の料理への期待を込めながら頷いた。