小鳥がちゅんちゅか鳴いている朝っぱらのこと。
八雲藍は目を大きく開き固まっていた。
まるで狐に化かされたよう。
狐の妖怪が化かされるなどあっては、後ろに付いている九つの尻尾も防寒具程度の意味にしかならない。
自慢の尻尾である。
手入れも毎日かかさない。
高級ブラシはもちろん、トリートメントもかかさない。
そのツヤのある柔らかそうな尻尾が、にょきっと天を指した。
話しかけられた。
「おはようございます、藍さん」
よく聞いた声。
よく見た顔。
しかし、聞きなれない口調。
その身体は自身の主である八雲紫。
前にもあった。
「……メリーか?」
「あ、そうです」
八雲紫、もといマエリベリー・ハーン、もといメリーはぺこりと頭を下げた。
状況を理解した藍。
自然とため息が出た。
「……入れ替わる時、紫様は何か言っておられたか?」
一応確認くらいは、と進まない気持ちで聞いたが、おずおずとして言いにくそうメリーの様子から、藍は自身の憂いが当たっていたことを予感してしまった。
「……えっと、『時代はやっぱりJDよねー』と」
藍の目の前が白くぼやけた。
――ほーらね、やっぱりね。もうやだー。
藍はおっきな油揚げに挟まれて幸せそうに寝ている自身の姿が思い浮かんだ。
美しく幻想的な世界。
「ら、藍さん?」
「――あ、いや、すまない」
現実に戻った。
悲しく残酷な世界。
藍は頭を抱えた。
頭痛が痛い。誰がなんと言おうと頭痛が痛い。
その頭痛は、ある特定条件を満たすと発動する。
ちなみに頻発している。
もちろん主人関係である。
が、今はそれはいい。
――とにかく。
藍はメリーに向き直った。
頭を下げた。
「何度もすまない」
そう、何度もあったことだった。
藍はすっかり慣れた事後処理に動いた。
「……何か、要望はあるだろうか。ある程度のことは叶えよう」
これもいつものパターン。
「じゃあ、幻想郷を見て回りたいです」
これもまたいつもの。
「わかった。……では」
藍はメリーに背を向けると、ちょっとだけ肩を落とした。
疲労感。
「……案内しよう」
藍の背は、どこか哀愁を感じさせるものだった。
そんな藍に感じるものがあったメリー。
助け舟を出そうとした。
「あの、私、なんとかします」
「え?」
言い終わると、メリーはスキマを作ってみせた。
「っな、どうやって……」
驚く藍。
それはまぎれもなく八雲紫の、いやそんなことよりもこれは一体――、藍の頭の中で思考が暴れ狂った。
――危険因子。
藍の尻尾の毛並みが逆立った。
「――なんか紫さんと入れ替わってるうちに出来るようになりました」
――あぁ……。
「……そうか。……そうなのか」
藍は頭を押さえると、力なく主の名前を呟いた。
ところで博麗神社。
「おーっす。霊夢、いるかー」
普通の魔法使いこと霧雨魔理沙はいつものように、ずかずかと中に入っていく。
「おーい、霊夢ー? って……」
魔理沙は見た。
もうすぐ昼になろうかという頃に、よだれ垂らしながら寝ている霊夢の姿を。
魔理沙は寝ている霊夢の肩を揺らす。
「霊夢、もう昼だぞ。いつまで寝てんだ」
霊夢の目がぼんやりと開く。
「……んー? まだ、お昼前ー?」
「まだ、じゃない。もう、だ」
「紫ならまだ寝てる時間だから、私も……」
「こら、寝るなっ」
魔理沙は霊夢の額を軽くはたいた。
「ぁいたっ。何すんのよぉ」
寝ぼけた声で抗議する霊夢。
布団の中からは出てこない。
「ほら、飯くうぞっ」
埒があかないと、魔理沙が霊夢の腕を引っ張った。
「出来たら起こしてぇ」
「――おい」
抵抗しながらも、飯だけは用意させようとする霊夢。
魔理沙は怠惰な巫女に呆れた。
「……このままじゃ本当に紫みたいになっちまうぞ」
どうしたもんかと肩をすくめる魔理沙だった。
実はそのほんの数秒前のことだった。
魔理沙の後ろに、スキマが出来ていた。
「え? ゆかっ、――私みたいになる?」
魔理沙が振り向くと、そこには紫と藍がいた。
「ゆ、紫っ……!?」
魔理沙は目を見開いた。
霊夢もまた同じく。
「紫が、昼前に起きてるっ……!?」
霊夢のムラッ気のある勘が作動した。
布団からガバっと起き上がり、
「ということはなにか異変ってことね!?」
元気よく立ち上がった。
白い寝間着の姿であるが、脇を晒した巫女服の方より防御力が高そうである。
霊夢は、はよ説明しろとばかりに、紫(メリー)に詰め寄った。
「え? いや、その……」
当然、メリーは困った。
口調も作れず、しどろもどろになった。
申し訳なさに、後ろの藍の存在に意識がいった。
察した藍が、フォローを入れる。
「……紫様も、早起きする時くらいはある」
そして最後に「ごく稀にだが」と付け加えた。
ここでいう『ごく稀』とは、中身が入れ替わるようなことくらいのことがあったらという意味。
藍の様子に、引っかかりを覚えた霊夢は怪訝な顔をした。
「……本当に、何もないのね? 何だかいつもと雰囲気が違うけど」
霊夢の最後の言葉。
メリーはびくっとした。
「ぇ、え? いつもと、違うかしら?」
メリーは夢の中でたまに出会う紫のイメージを再現しているつもりではある。
「んー、何というかいつもの胡散臭さがない、気がする」
魔理沙も同調した。
「確かに、今日の紫は胡散臭くないな。――まるで中身が違うようだぜ」
軽口のつもりで、実は答えを言った魔理沙。
メリーと藍は焦った。
特に藍が焦った。
「な、何を言っている、紫様の体を乗っ取れるようなやつがいると思うのかっ?」
もっともだと、霊夢は口をとがらせた。
「まぁ、それもそうかぁ……」
藍は心の内でほっと息をついた。
実際は、乗っ取られてはいなくとも乗っ取りにいってるわけである。
さすがの霊夢といえど、ここまでのことをすぐには分からない。
そう、すぐには。
ここにこれ以上長居していると、霊夢の勘が上手い具合に働いてしまうかもしれない。
そう思った藍は、メリーの腕を取った。
耳元でささやく。
「……場所を変えよう」
藍の真剣な眼を見て、メリーは頷いた。
藍とメリーがスキマの中に消えていくと、残された霊夢と魔理沙は言葉を交わした。
「一体何だったんだろうな?」
そう言う魔理沙に、霊夢はしかめ面で口を開いた。
「藍が紫の腕を掴んだ時、無言だったわ」
「ん? どういうことだ?」
「引っ張る時もそうよ。――普通なら何か言わない? あれでも主従でしょう?」
「……ん? つまり霊夢は、いつものあいつらとは何か違うと思ったわけだな?」
「えぇ、そうよ。そういえばさっきの藍は、紫のことを一度も紫様とは呼んでいなかったわ」
「そうだったか? 言ってたような気もするが」
「『紫に向かって』は言ってないのよ」
「ぅむ? じゃあ、追っかけるか?」
「いや、いいわ。実際どうであれ、藍の様子からあいつは分かっててそうしてたみたいだし。いちいち面倒ごとに首を突っ込むこともないわ」
その後、心の中で、「時々そういうときがあったし」と付け加えた。
霊夢は区切りをつけると、昼ご飯について頭を働かせ始めた。
とりあえず二人は家へとたどり着いた。
「ふぅ。やっぱ、身体違うとちょっと違和感ありますね」
腕を上げたり下げたり、メリーはいつもと違う感じを確かめていた。
「しかし、危なかった。いや、もしかしたらもう気づかれてたかもしれないが」
「霊夢さんたちのことですか?」
「ああ。霊夢は感が鋭いからな」
「やっぱり、私の演技が拙かったのでしょうか」
「いや、そういうわけではない。……まぁ、雰囲気はいささか違うものはあるが、それは仕方がないことだ」
「雰囲気、ですか?」
「ああ。まぁ、何と言うか、こう、ミステリアスな感じかな」
「ミステリアス、ですか?」
メリーは首を傾げた。
よく分からないといった感じの様子。
藍は聞いてみた。
「どうかしたか?」
「いえ、何と言いますか、私の知ってる紫さんとはちょっと違ったので」
「……?」
「夢の中で時々会う紫さんは、楽しそうに目を輝かせた素直な感じでした。例えるなら、遠足前の子どもみたいな……」
藍は口元に手を当てた。
確かにそういう感じの紫はあった。
ただ、それを知っている者は極少数であるということ。
藍はメリーをじっと見た。
メリーといっても、紫でもあるが。
じっと見ていると、紫(メリー)が不安そうな顔をした。
――怖がらせてしまったか。
「――いや気にしないでくれ」
――思えば、妙な光景だな。
藍はそう思った。
「いっそ君が紫様だった方がよかったのかもな」
メリーの不安を和らげようとして、言った言葉。
軽く笑いながらの冗談。
ガタリ。
背中の方から音がした。
ある可能性に、藍の微笑が引きつる。
ぎこちなく振り向くとそこには、
「ゆ、紫様……?」
少し開いたふすまから、顔を半分だけ覗かせた八雲紫がいた。
聞いてはいけないものを聞いてしまったような、そんな顔をしている。
体がメリーのものであるのも相まって、藍の精神にダメージを与えた。
「いや、この、それは……」
手をわたわたと動かし、弁明を図ろうとするが、言葉が思いつかない。
そんな狼狽した藍に、紫は悲しみに染まる顔のまま笑みを浮かべた。
ふすまが開かれると、紫の悲壮な笑みが現れた。
「いいのよ、藍。私なんて……」
「ゆ、紫様!?」
「いいえ、私はもうただの紫。様はいらないわ。だって、私なんていらないんだもの」
「っいや、そんなことは――」
紫はゆっくりと首を左右に振る。
「分かっていたわ。私は私が思っているような存在じゃないってことくらい」
「な、何を……」
紫が言わんとする言葉に、藍は気が気でない。
いっそ耳を塞いでしまいたい。
しかし、聞かなければならない。
紫が次なる言葉を発する。
「そう、私は流行の最先端をいく女ではなかった」
「え」
深刻な顔して言う紫。
――今までそんな勘違いをしていたのですか。
藍は喉まで上がってきた言葉をなんとか飲み込んだ。
「ギャグを言えば、思い出したような顔で反応され。話しのネタを振れば、懐かしいと言われ。挙句の果ては、『今日のメリーちょっと昔な感じよね。前にも何回かあったけど』ですって。前にも何回かって、……つまりそういうことでしょう?」
「いや、その、ゆかりさま……」
耳を塞いでしまいたい。
聞く必要がない。
しかし負い目がある藍はフォローの言葉を発しようと口を開いた。
「あの――」
さえぎられた。
「いいの、分かってるの。何も言わなくていいわ」
思い知ったように言う紫。
手を前に出し、藍に意思を示す。
「ゲームをやってもそう――」
うつむく紫。
「私に合わせてプレイしてるはずのフランちゃんが見せる、ちょっとした時の神技プレイに心が折れそうになったり。てるよなんか理解不能なプレイしてるし、仲間だと思ってたさとりんも……」
紫は首を振り、「あぁーあ、私なんて……」と呟いた。
完全にひたり出した。
悲劇のゆかりんである。
藍は素直に思った。
思ってしまった。
――うっわ、めんどくさ。
しかし長年の付き合いである。
表に出さなくても伝わるものがあった。
もっとひたりたい紫は矛先を変えた。
「ね、あなたもそう思うでしょう?」
いきなり話を振られたメリーはたじろいだ。
「いえ、私は、その……」
いいよどむメリー。
藍は嫌な予感しかしない。
「いいのよ言っても。あ、それともそこまで言いづらいことだったかしら?」
「紫様」
「そうよね。私なんてね、そう思われててもね、仕方ないかもね」
「紫様」
「妖怪の賢者なんて言われてはいるけど、みんな内ではかっこわらいとかつけてるんでしょうね」
「ゆかりさまっ」
「あ、ごめんなさい。これも古かったかしら? 私なんて積もったホコリで構成されているようなものだから、つい」
「――紫様っ!」
藍が物音を大きく立てた。
紫、そしてメリーの体がびくりとはねた。
「いい加減にしてください。途中から完全に機嫌治ってたじゃないですか」
紫は目を逸らした。
「だって、私ばかり不運な目にあうの嫌だもん」
「もんって……。そして紫様のは不運ではありません。ただの必然です」
「……それってやっぱり、私が流行りのJDっぽくないってこと?」
「そ、――」
藍は言葉を飲み込んだ。
――それはそうなのだけども。そうじゃない。
藍は飲み込んだ言葉で窒息しそうになってきた。
しかし救いがあった。
メリーはいい子だった。
「そんなことないですよ。今の流行りというのは流れがとっても早いので、むしろ遅れてるのも一種の流行りみたいなものです」
「そ、そうなの?」
「えぇ。わざと遅れてるとかなんとか言ったりして」
「へ、へえ……」
紫が何かを考え始めた。
基本はポジティブシンキングな紫ちゃんである。
もう解決したようなものだった。
「はぁ……、なんだかお腹すいちゃったわ。――藍?」
「準備してきます」
藍はぺこりと頭を下げた。
やっと解放された。そんな気持である。
「では、私はここで――」
「え? もちろん、食べていくでしょう?」
「いやでも悪いので……」
「何を言ってるのよ。だって私たち、――マブダチでしょ?」
「マブ……?」
メリーははっと覚った。
「――そうですね。マブダチですね」
「でしょう?」
「はい。どことなくマブダチですね」
しばらくすると台所からカレーの香辛料の香りが漂ってきた。
「そうそう、ここテレビ映るのよ」
居間には大きなテレビがある。
「あ、そうなんですか。すごいですね」
そら映るからそこにあるんだろうなとか内心思いながら、そんな感じで答えるメリー。
紫は身体を倒しぐでーっと寝そべり始めた。
「あ、悪いけど、チャンネル回してちょうだい」
「チャンネルを、まわす……?」
時代や世代には、スキマ妖怪でも決して埋まらないスキマがあるのかもしれないのであった。
8,9,10話は書くだけ書いてお蔵入りしましたごめんなさい。