そしてぐだと世界を救って人知れず消えたメルトリリスに合掌を。
――その召喚者は、メルトリリスにとって複雑極まる存在だった。
「――快楽のアルターエゴ・メルトリリス。心底イヤだけど、あなたと契約してあげる。光栄に思いなさい?」
目の前で目をぱちくりとさせているのは、名を藤丸立香という。どこにでもいるような普通の人間でいながら、どこか普通ではない存在。カルデアに所属する人類最後のマスターであり、人理修復を成し遂げた現代の英雄である。
月のAIであるメルトリリスとは、本来関わりなどあろうはずもなかった立香。二人の縁が繋がったのは、ある特異点でのことだった。
結論から言ってしまえば、変性した人類悪、ビーストの
ようである、という伝聞系なのは、今のメルトリリスが藤丸立香と顔を合わせるのは初めてだからだ。
藤丸立香という人間の事はわかる、知っている、理解している。しかし――それは過去のメルトリリスのそれを、自分が引き継いでいるからに過ぎない。
一種の記憶障害――エピソード記憶のみが失われているようなものだ、とメルトリリスは結論付けた。光速を無理やり超えて時間遡行をした時の霊基へのダメージ。そして、その時のダメージを負ったまま戦い続けたから、過去の自分は消えてしまったのだ、その想いと共に。
今カルデアに立っているのは、座に登録された時のメルトリリスを再構成したメルトリリスであって、イコールの存在ではない。結果として、メルトリリスは藤丸立香と初対面なのに識っているという奇妙な状況になっていた。
改めて、立香の事を考えてみる。もちろん嫌いでは、ない。そもそも記憶を失う前の自分が自身の破滅すら厭わずに救った存在だ、憎く思うはずもない。しかし好きかと言われると、首を縦に振るにはあまりにもちぐはぐ過ぎた。
岸波白野もそうだ。以前の自分はあの人を盲目的に慕っていたし、その気持ちもわからないでもないが、今の私には岸波白野は記録上の人でしかない、と述懐する。
全くもって、厄介な状況である。つい召喚に応じてしまったが、これからどういった態度を取ればいいのかと内心ため息をつく。
そんなメルトリリスに対する立香は、SE.RA.PH.での出来事をしっかりと記憶している。立香にしてみれば、メルトリリスは絶体絶命のピンチを何度も救ってくれた仲間であり、お礼を言う前に座に帰ってしまった大恩人だ。
これでようやくありがとうと言える、そう思うだけで心が弾む。そして満面の笑顔でその名を呼び、
「メルトリリス!」
「……初めまして、マスター。随分と馴れ馴れしいのね。端的に言って不快よ」
……あれー? と思わぬ塩対応に内心首を傾げる。だが、実はこういった事にも前例がある。すぐにその理由に思い当たった。
「……あ、そうか」
特異点での記憶は、残らないのだ。イシュタルの時もそうだったな、と立香は思い起こす。あの空飛ぶ弓の
いや、忘れたというよりは無かったことになった、という方が正しいのかもしれない。とにかくメルトリリスもその例なのだろうと判断したのである。厳密には違うのだが、まあ間違っているわけでもない。
「イシュタルと一緒? へぇ、それは見抜けるのね。驚いたわ。確かに私には女神の霊基が混じっているもの。でも、私はただの女神なんかじゃないわ。複数の女神の霊基を持ったハイ・サーヴァントよ。それを忘れないでちょうだい」
「アルターエゴ……聞き及んだことのないエクストラクラスですね。それになんという霊基だ……。ハイ・サーヴァントというのも、嘘ではなさそうだ。マスター、後ろへ。彼女はただの英霊ではありません」
「あら、どこの英霊かは知らないけれど、見る目があるじゃない。私、人間が嫌いなの。だからあまり近付かないで。貴方なんてたった一回、まぐれで私を呼んだだけの仮のマスターよ。立場が上どころか、対等ですらないと知りなさい」
過去は過去。消えた自分はもういないのだ、私と藤丸立香は初対面である。と割り切ったメルトリリスは、改めて告げる。騎士の方は面白いくらいに顔を強張らせて警戒を顕にしている。
どこぞの暴君王と顔が似ているけれど、あれと違って弄り甲斐がありそうね、とメルトリリスは早速アルトリアに目をつける。
対して立香はと言えば、おかしそうに笑うだけ。メルトリリスの眦が少しだけつり上がった。気安い関係だった前の自分ならいざ知らず、今の私を軽く見るのはいただけない。
私はアルターエゴ、人間の天敵である。無闇矢鱈に暴力を払おうとは思わないが、お灸を据えるぐらいは許されるのではないかと嗜虐的に思考する。
そんなメルトリリスが一歩、立香に近づこうと意志を見せた時、既にその聖剣はメルトリリスの首元に突きつけられていた。緩慢な動作でゆっくりと
凛々しい顔をさらに険しくしたアルトリアが、いつでもメルトリリスの胴と頭を分断できるように構えていた。
「随分と物騒な英霊を連れているのね? それともそこのマスターはそういう趣味なのかしら」
「アルターエゴ、そしてメルトリリスという名。どちらにも覚えはない。加えて先ほどの発言、警戒するには充分すぎる理由になると思いますが?」
「至極真っ当な感性よ。真っ当すぎて面白みがないともいうけれど。その無駄のない潔癖さすら感じる立ち振る舞い、まるで騎士のようね」
「いかにも。私がマスターの剣である限り、貴女の凶刃が届くことはない」
すわ戦いが勃発するか、という一触即発の場面である。それをなんでもない事のように破ったのは、やはり藤丸立香だった。
「凶刃なんて、大げさだよアルトリア」
言って、「マスター!?」叫ぶアルトリアを尻目に何でもない事のように歩を詰めてから、メルトリリスへと手を差し出す。
メルトリリスは突拍子も無い立香に困惑し、何度か顔と手へ視線を向ける。しかし立香もさる者、笑顔を向けられるだけで、その手は一向に引っ込まない。メルトリリスは一つ大きく嘆息してから、能天気なマスターに聞いてみることにした。
「……この手は、何よ?」
「挨拶として、握手を、と」
「握手……? 馬鹿なの? 人間が嫌いと言ったのに、聞いていなかった?」
「ちゃんと聞いてたよ」
「アナタね……」
危機感の無さに呆れるレベルである。そして、変わらない立香にほんの少しだけ、安堵のようなものを感じている私がいるのだ。もう自分自身がよく分からない。
メルトリリスは考えることをやめて、軽く首を横に振る。そのまま「付き合ってられないわ」と立香を無視して部屋を出ようと――
「――でも、そんな嫌いな人間の声を聴いて、聞き届けて、君は来てくれた。だから信頼できる」
出ようとしてから、満面の笑みを浮かべる己のマスターに、自分を肯定してくれるその言葉に、不覚にも足を止めてしまったのだった。
彼女の中にある女神の霊基が、サーヴァントという頂上の存在ゆえの直感が、本当だと告げる。藤丸立香は、本気で自身を信頼して、手を差し出しているのだと理解できてしまったのだ。
――ちょうどいいわ。とてもいい。私も、私に都合のいい
――私は快楽のアルターエゴ、メルトリリス。気まぐれでアナタの剣になってあげる。だから――
――奴隷のように頷きなさい? アナタが、私のマスターだって――
不意に。心を何かが引っ掻いたような、そんな錯覚を覚える。記憶の中に自分が見た景色、聞いた声。そして、言った言葉。それが、まるで私のものであるかのように、胸裏を掠めた。
こんなもの、ただの感傷が見せた幻に過ぎない。そう切って捨てようとして、なぜか出来ない自身に苛立ちを抱える。
「……アルターエゴと握手したがるなんて、奇特な人間もいたものね」
「……ダメ、かな」
「不快ね、不愉快よ。私、手が自由に動かないもの。握手だなんて、これ見よがしな嫌がらせにしか聞こえないわ」
「それでも。お願いだ、メルトリリス。多分、そこから……」
急に口を閉ざす立香。そこからなんなのだ、と問いただしたい衝動に駆られたメルトリリスは、初めて立香の目を真っ直ぐに見つめた。そして、その瞳の輝きに目を奪われた。立香のそれには、嘘がない。やましいことがない。ただただ強い意志だけが宿っていた。
「……はぁ。わかったわよ」
そんな邪念の類も一切なく、僅々
そういえばコイツは
「……。待ちなさい。ちょっと待って。少しだけでいいから。
っ……く、こ、の……っ!」
感覚がないに等しい右手に力を込めて、無理やり持ち上げる。ロクに神経も通わない機器を動かすのは、中々応えた。これなら舞台で一曲踊った方がまだ疲れないわ、と心の中で毒づくが、それはおくびにも出さない。
手を上げる程度、なんでもないのだ。自身にそう言い聞かせて、メルトリリスは長く長く息を吐くと、腕を肩よりやや低い程度の場所まで持ち上げた。
「はい、手を上げたわよ! これでいいんでしょう!?」
「もちろん。ありがとう、そしてようこそ、メルトリリス。自分は藤丸立香。君のマスターだ」
藤丸、立香。強く、強く手を握られる中で、改めてメルトリリスはその名を刻みつける。これがいまの私のマスターなのだ、と。
立香の握手は、とても心地が良かった。鈍い感覚でも、握手をしていると感じられる。繋がっていると、実感できるのだ。そしてそれは、昔では決して出来なかった行為だった。メルトリリスは愕然としてから拍子抜けして、そして深く自嘲する。
消えた自分も言っていたが、こんな……こんなに、簡単なことだったのか。何度も差しのべられた手を振り払って、愛しい人の前から永遠に消え去って、それでようやく他者の手を取ることの容易さを知るなんて。
たった一度でも、言う事を聞いていれば。たった一度でも、差し延ばされた手を取っていれば。あるいは、自分は――
なんて。そんな風に考えること自体が嘆かわしい。美しくないものに、観客は振り向かない。そう、自分は選ばれなかった。薔薇の皇帝が、九尾の妖狐が、赤い弓兵が、そして最古の英雄王が選ばれることはあっても、ついぞ自分にその役目は回ってこなかった。
完膚なきまでに振られてしまった。自分は、ただエゴを押し付けていただけの幼稚な恋は、もう終わったのだ。
藤丸立香にしてもそうだ。奇跡のような出会いを経て、もう一度やり直せる機会をもらえたというのに、素直さを持てたのは記憶を失っていた本当の最初と立香が寝ている時だけ。
愛しいと思っていたのだろう。BBに与えられた恋ではなく、本当に、自分自身の意思で。それこそ全てを投げ打ってでも救おうとするほどに。でも、結局それを伝えることもなく昔の自分は消えた。
対価を求めてのことではなかった。ただただ自分がしたいようにしただけだった。それでも……何も言わずに消え去ったのは、ナンセンスだと思う。言葉にしなければ、伝わらないものもあるのだから。
私は、昔の自分みたいにはなるまい、と強く誓う。また誰かを愛しいと思うことができれば、それをちゃんと表現しようと強く思う。メルトリリスは複雑な、でも何かが吹っ切れた、晴れやかな気持ちで改めて立香を見下ろす。
昔の自分が好きだったマスターは、今にこやかに自分に笑いかけている。それだけは、立香を守れたという事実だけは、消え去った自分が誇らしい。そして、そんな立香がマスターというのも悪くない、とメルトリリスは薄く微笑む。いま、2人は改めて出会ったのだ。
「契約をした以上、アナタの命令は聞いてあげる。でも思い上がらないで。こんなもの、いつだって切り裂いてしまえるんだから」
「ああ。君のマスターとして相応しくいられるよう、努力するよ」
「そう。殊勝な心がけね。それでいいわ」
やり取りを交わす二人の間には少なからず信頼が芽生えたようだ、と半ば諦めの境地で事の成り行きを見守っていたアルトリアは思った。もう警戒の必要はあるまい。エクスカリバーを収めると、立香を見やってから苦笑する。
まためんどくさいのを手懐けましたね、と自分の側面達とかを全力で棚に上げたアルトリアは思う。
また一人英霊を加えて、今日もカルデアは平和だった。
シナリオ終盤でのメルト達の反応見る限り、後日召喚されたメルトは多分こういう感じなんじゃないかなあと。