その日は初めて、緑川楓がマーロウに依頼した日になった。
「私とヤバい事件に挑んでみる気はないか?」
「たっのしそうな顔してんな、オイ」
マーロウの手から包帯は取れたが、まだ痛々しい傷跡が残っており、医者が「喧嘩とかで激しく動かすなよぶっ殺すぞ」と忠告する程度の治り具合。
そんな状態の彼に、緑川は挑発的な顔で話しかける。
「お前も名前くらいは聞いたことがあるだろう?
史上最悪の愉快犯と呼ばれた犯罪者、『メカニック』。
知能犯でも、虐殺者でも、多重犯罪者でもなく。愉快犯として名を轟かせた男だ」
「あー……名前くらいは、前に聞いたな」
「メカニックは既に逮捕され獄中だ。
奴の関連組織もほぼ壊滅している。
……だが、数人規模で、残党として活動している奴らが居る」
「メカニックの残党、ね」
「潜在的な協力者はもっと多いかもしれないがな。
そいつらをまとめてブタ箱に放り込む手伝いを、お前に依頼したい」
普段から緑川は生真面目だ。
だが今日はそれに輪をかけて真面目に見える。
マーロウの方も思わず姿勢を正してしまうような真面目さが、この依頼にかける彼女の想いが、ピリピリと伝わってきた。
「マーニーには頼らないのか?」
「マーニーには頼らない方がいい。理由はすぐに分かる」
本気の依頼なら、断る理由もない。
「マーロウにおまかせを、ってな」
その依頼を受け、マーロウは彼女の味方となった。
緑川に連れられ、マーロウは警察の資料室に足を踏み入れる。
彼女は許可証を貰ってあると言っていたが、案の定警察はいい顔をしない。
しかし緑川が目的を告げれば、手の平を返して協力を申し出てくれた。
彼らのその反応からは、"どんな手を尽くしてでもメカニックの味方を根絶したい"という警察の本音が、ありありと見える。
資料室に足を踏み入れた後も、マーロウの脳裏には、メカニックの名前を聞いた瞬間の――途方もない嫌悪感に満ちた――警官の顔が焼き付いていた。
「そこからここまで全部がメカニックの資料だ、マーロウ。
紙媒体だが本庁の方のコピーだそうだから、汚さなければ自由に見ていいぞ」
「こんなにあるのか……」
「メカニックは資料を一纏めにされている。
世紀の犯罪者だからな、資料も一際多いんだ。
事件の整理番号だけでもゆうに千を超えているという話だ」
緑川は適当なパイプ椅子に座り、メカニックの資料を読み始める。
メカニックの残党を見つけるために、メカニックの資料を漁る。妥当な考え方だ。
マーロウもまた、メカニックという犯罪者のことを一から調査し始めた。
(劇場型犯罪者、メカニック。
依頼されれば完璧な犯罪のプランニングを行い、依頼者に一線を超えさせる犯罪者。
正確にはこの名前を使用していた犯罪者は二種類存在する。
善人の依頼や犯罪でない依頼も請け負う、オリジナルのメカニック。
オリジナルが影武者として育て、残忍で残虐な犯罪者となってしまった二代目メカニック)
メカニックは二人いる、らしい。
(前者のメカニックの名は鴻上有。
後者のメカニックの名は夜刀。
メカニックの悪名は、残虐な後者のメカニックが起こしたものがほとんどである……か)
資料を見ているだけでも分かる。
鴻上は『面白ければいい』で動く敵にも味方にもなるタイプであるが、夜刀は『得た力を振るい快感を得られればそれでいい』という邪悪そのもの。
鴻上は依頼達成の過程で他人の苦しみを無視できるが、夜刀は自分の権力で他人を苦しめること自体を楽しめる人間だ。
(プロファイリングによれば、この二人のメカニックは明確に違うという。
鴻上有は善意に善意で応える傾向があり、夜刀は善意に悪意で応える……最悪じゃねえか)
資料によれば、彼らは二人で一人のメカニックであったらしい。
だが方針の違いから、次第に対立するようになっていったのだそうだ。
(供述資料によると……マーニー!? マーニーの名前があった!?
マーニーがかつて、死にかけた鴻上の命を救った。
鴻上はそれに感謝し、マーニーに感化され活動方針を善良なものにやや変化……
夜刀はそんな鴻上に反発し、メカニックはもっと残忍なものである、と強弁に主張)
マーロウは別の資料に載っていた、夜刀の性格分析にも目を通す。
(夜刀は元々ただの浮浪者。顔が瓜二つだからと鴻上に拾われただけの者。
鴻上の影武者として育てられたため、能力的には鴻上とほぼ同一……
みじめだった自分の過去を忘れ、メカニックの名に執着している。
メカニックの名は彼にとって成功の証、誇りであり、『自分のもの』だった)
時たま聞く話だ。
社会の底辺から掬い上げられ、影武者として力と金を振るえる立場を手に入れた者が、それを自分の物であると勘違いし、オリジナルを殺して全てを奪おうとする。
何も持っていなかった夜刀という男にとって、メカニックという名前、メカニックが持つ力、自分が定義した『メカニックはこういうものだ』という定義は絶対のものであり、それを揺らがす者はオリジナルのメカニックであろうと排除対象になってしまっていた。
(面倒臭い抗争してんなこいつら)
マーニーと出会い、少しばかり善良な方向に変化したオリジナルの
(優しさなどという甘い感傷はメカニックが持っていいものではない、と夜刀は主張していた)
そして、鴻上と夜刀は決別する。
かくしてメカニックがその名を世に轟かせる大事件は発生した。
人を自分の手で殺したこともない鴻上というメカニックと、殺人を手段や舞台作り程度の気持ちで行える夜刀というメカニックの衝突は、最悪の結果を生み出してしまった。
(夜刀が鴻上を追い詰めるため大規模犯罪を実行した。
街中で犯罪者が機関銃使用、警官にも死傷者多数発生……
現代日本で警官が犯罪者をやむなく射殺するという事態……
子供21人の誘拐、その親へ『自宅へ火を着けろ』という要求……
ビルなどへの放火……結果、積み上がる死傷者に、燃える街か)
街という規模で起きた大事件。
燃える街、流れる涙、日本という国で真っ昼間の街中にて起きた銃撃戦。
銃殺される死者。
誘拐された子供に、子供にくくりつけられる爆弾。
当事者の一人は、この事件を『地獄だった』と表現したという。
そのくせ事件資料には「一般人の被害は最小限に抑えられた」と記入されていて、夜刀がどれだけ恐ろしい仕込みをしていたのかが伺える。
資料に添えられた燃える街の写真が、街に上がる凄惨な黒煙が、マーロウの頭蓋の裏側をガリガリと掻くような不快感をかき立てる。
何故自分が"燃え上がる街"にこれほどまでに不快感を覚えるのか、マーロウ自身にもよく分かっていなかった。
(メカニックは子供を爆薬で殺そうとしていた、と。
その誘拐された子供の一人がマーニー。こりゃ、キツかっただろうな……)
幼少期に燃える街の中で、狂気の犯罪者に殺されかけた恐怖はいかばかりか。
マーロウはマーニーに同情しつつも、その根底にある強さと優しさのルーツはここにあったのかもしれない、と推測する。
恐れを知りそれを超えてこその勇気。
痛みを知り共感してこその優しさ。
辛い過去をバネにして成長した人間の心は、強い。
(事件の後は……
子供達はそのほとんどが精神的なケアを必要とした。
事件の大きさから報道も容赦なく、生存した子供へのいじめも報告されている。
鴻上が全責任を取り自首し、夜刀は地下に潜って組織を拡大、犯罪行為を継続……)
頭の痛くなる結末だ。
結局オリジナルの方のメカニックは敗北し、悪い方のメカニックが残ってしまったらしい。
時期を考えれば、この事件のせいでマーニーの両親は違う道を進んでしまい、マーニーは小学生ながらグレて、学校で事件のことを引き合いにしたマーニーいじめが始まったのだろう。
(緑川がマーニーを頼らないわけだ。
あいつはマーニーを『被害者』だときっちり線引きしてたんだな)
この案件にマーニーを関わらせないのは、緑川なりの気遣いと優しさだったのだろう。
(それから五年後。
夜刀は組織を拡大、『本物』のメカニックとして悪行を重ねていた。
警察は自分達だけでは対処できず、超法規的措置として鴻上を牢から出す。
鴻上はかつて自分が作った組織の全てを味方につけた夜刀と対立……これが去年のことか)
マーロウがロイドとマーニーと出会った時点から見れば半年以上前、今現在この時点から見れば一年近く前だろうか。
(鴻上はかつて自分の命を助けてくれたマーニーと共闘。
マーニーは鴻上の力を借りて夜刀を逮捕までもっていく……やるじゃねえか、マーニー)
マーロウは途中から、警察の資料でしかないそれにどんどん没頭していった。
途中からそれは事件の目録ではなく、メカニックという巨悪に立ち向かう、マーニーという主人公の戦いの物語であったから。
憎いはずの仇さえも殺さず、法に裁きを委ねた彼女の選択も、マーロウが好む結末だった。
(夜刀はやりすぎたためほぼ死刑確定。
逮捕が今年の春前、つまりだいたい半年前だな。
罪状全部上げてから死刑執行……に持っていくため、今は裁判の途中なのか)
マーニーが巨悪を打ち倒す物語は既に終わっており、悪は刑の執行を待つのみだ。
(鴻上は夜刀をブタ箱に放り込んだ後失踪。
つまり俺が今回の依頼でどうにかすべきなのは、この夜刀の部下の方か?)
鴻上の方はマーニーに感化されたのもあって、今はほぼ放置されていると言っていい。
どこに居るのかも分からない。
この資料を見る限り、残党として犯罪行為を行っているのも、逮捕を免れた夜刀の部下の残党と見て間違いないだろう。
(……メカニックという名前を奪い取り、継承した巨悪か)
名を継ぐ、ということは大きな意味を持つ。
それは名を貰うという形であることも、無断でその名を名乗るという形であることも、その名を奪うという形であることもある。
家名を与える親が居て、家名という家族の証を貰った子が居て、親子の関係は成立する。
仮面ライダーと呼ばれた者、それに倣い仮面ライダーの名を名乗る者が居る。
ミュージアムと名付けられた組織、ミュージアムを継ぐと宣誓する組織が居る。
メカニックという名で呼ばれた者、メカニックの名に焦がれた者が居る。
「どうやらある程度理解はできたみたいだな、マーロウ」
「緑川」
「……話すのを迷ったが、やはり隠すのは不誠実だ。私の動機を話そう」
緑川は黒帽子を脱ぎ、手元に抱える。
マーロウもそれに合わせ、黒帽子を小脇に抱えて、彼女としっかり目を合わせた。
恥ずかしがり屋の彼女が帽子も無しに、冷静な状態で男性としっかり目を合わせていることからも、彼女が話そうとしていることの重さは伺える。
「前に祖父の話はしたな?」
「帽子が似合う、伝説の名探偵……だったよな。戦後に活躍したんだろ?」
「ああ、それで合ってる。
祖父は名探偵として、多くの犯罪の謎を暴いた。
……そして、それに満足せず、警察に隠れ社会の闇で悪人を私的に殺していたんだ」
「!?」
「私の祖父は組織を作った。
その組織は60年間、法で裁けない悪人も、これから犯罪を行う悪人も殺し続けていた。
私の憧れた名探偵は……私が目指した背中は……どこの誰よりも、汚れていたんだ」
「……クソ真面目なお前には辛かっただろ」
「過ぎたことだ。……でも、気遣ってくれてありがとう」
戦後の時代に生まれ、数十年もの間警察の陰に隠れ、悪人を私的に処刑し続けていた組織。
動機こそ正義だが、その在り方は間違いなく悪の組織のそれだった。
「その祖父の仲間に、鴻上の……メカニックの支援者が居た。
メカニックを助ける代わりに、悪人を裁くための知恵と情報を貰っていたんだ」
「―――!」
「悪人を殺すために、犯罪者の力を借りてたってわけさ」
それは善ではない、独善だ。彼女の祖父は法に逆らって人を殺していただけの話。
それは悪でありながら、悪の敵だ。彼女の祖父は悪を許さなかった。
それは正義であると同時に、別の正義に討たれるものだ。
緑川楓は、その私刑を許してはならないと考えている。
「祖父は悪の敵になった。
ここまで大きな独善だと、祖父やその仲間の中には……
自分達が正義そのものになったという意識さえ、あったとしてもおかしくない」
孫娘は偉大な祖父に憧れ帽子をかぶった。祖父の罪を知り、孫娘は祖父への憧れを捨てた。それでも目指した場所、なりたい自分に変わりはなくて……彼女は今も、その帽子をかぶっている。
「子供の頃はこの帽子がただ誇らしかった。
いつからかこの帽子が重くなった。
帽子が似合わない自分が嫌になることもあった。
……まあ最近はお前を見てると、もっと肩の力抜いてもいいんじゃないかと思ったな」
「お前は真面目ちゃんだからなぁ」
「お前やマーニーほど不真面目じゃないだけだ。
……ああ、そうだ。私の祖父はマーニーとも無関係じゃない。
私の祖父が作った悪人を私刑にする組織が、メカニックに力を貸してたんだから」
少女は帽子を天井に向けて投げるも、帽子はまた手元に落ちてくる。
手放しても、放り投げても、かつて一度は見限ったはずの
「私は、祖父がかつて犯した罪を贖うために……メカニックの残党を捕まえようとしている」
「緑川……」
「黙っていてすまなかった。だけど、お前の力が必要だったんだ」
自分の中に流れる祖父の血に、自分なりにケジメをつけるには、少女一人の力では足りない。
力の足りなさを自覚しているのなら、強がる気持ちをぐっと抑えるだけでいい。
彼女がマーロウを頼ったのは、ひとえに彼に対する信頼ゆえのものだった。
「私は、私がどのくらい無力であるかを分かっている。
祖父がどれだけ人を救ってきたか、どれだけの罪を重ねてきたかを知っている」
祖父を真似た黒帽子を、少女は髪の上に乗せた。
「だから、今はこう考えてるんだ。
この帽子をかぶっている限り、私は悪の敵ではなく、正義の味方で居ようと」
マーロウもまた帽子を頭に乗せて、朗らかに笑って彼女の帽子を褒める。
「お前は似合わないと思ってるかもしれねえが、俺はその帽子似合ってると思うぜ」
緑川もまた、嬉しそうに笑って彼の帽子を褒める。
「お前も十分、帽子が似合う男だよ」
帽子が似合うと告げた二人の言葉に、嘘偽りは一つも無かった。
メカニックの残党は、部下の中でも逮捕されなかった一部の人間が集まって構成されている。
この人間は、大まかに二種類に分かれているようだ。
つまりメカニックに利用された被害者だと判断された人間と、あまりにも末端過ぎて警察の捜査の網に引っかからなかった小物である。
メカニックの残党はこの二種類の人間をかき集め、徐々に勢力を増している。
逆に言えばそれに該当する人間を確保できれば、そこからメカニックの残党へコンタクトを取ることができるかもしれない。
残党の場所に見当がつかないなら、かつてのメカニックの仲間を張ればいい。
「……信じられねえな」
緑川楓が真っ先に挙げた、網を張るべき人間の名は―――如月アリアと言った。
「アリアさんがメカニックの元仲間? 悪い冗談だぜ」
「これは表沙汰になってない極秘情報だ。外に漏らすなよ、マーロウ」
「ああ」
如月アリアは以前、マーロウに命を助けられた依頼人だ。
雰囲気に滲み出るほどの高い知性と、それが嫌味にならない柔らかな物腰、それらを抜きにしても優れた美人であることで、マーロウもガッツリ彼女のファンをやっている。
彼の驚きはかなり大きなものだっただろう。
「如月アリアは昔からメカニックの協力者だった。
彼女の経営手腕やマネジメント能力などは、メカニックが仕込んだらしい」
「その言い方だと……知識を仕込んだのは鴻上の方か?」
「そうだな。
メカニックは文字通り『如月アリアを作った男』であるわけだ。
言い方を変えれば、国内でも指折りのタレントを意図して作れる男だったとも言える」
「あのアリアさんが、か」
以前アリアがロイドにではなく、マーニーへ依頼を持って来た理由も、マーロウは今頃になってようやく理解した。
アリアはマーニーの能力を、夜刀を打ち破った少女の能力をよく知っていたというわけだ。
「如月アリアは夜刀逮捕の前に、毒を飲んで入院した。
詳しい経緯は不明だが、夜刀がマーニーに飲ませるため用意した毒だったらしい」
「!」
「警察はそれを、メカニックと如月アリアの決別と判断。
更には司法取引と情状酌量も込み。
如月アリアが社会に与える影響も鑑みて、彼女を極秘裏に被害者と扱ったんだと」
資料を見ても、緑川の話を聞いても、如月アリアの立ち位置は見えてこない。
メカニックとはもう仲間ではないのか。
今でもメカニックを信奉しているのか。
メカニックの残党に誘われたなら、アリアはその仲間に入るのか。
その答えを確かめるべく、マーロウと緑川はアリアにアポを取り、会いに行った。
「さあ、虎穴に入るぞ。虎は居ないとは思うが、虎が居る可能性もゼロじゃない」
マーロウはかつての依頼人が敵に回るかもしれないという不安に、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
マーロウがそんな顔をしているものだから、アリアは思わず吹き出しそうになってしまった。
彼の勘はアリアがいい人だと言っている。
一度は依頼人だったアリアを信じたいと思っている。
信じられる根拠を挙げるというより、信じたい理由を探している感じだ。
そんな甘さが――芸能界で幾多の表情を見てきたアリアには――ひと目で分かるくらいに、彼の顔に出てしまっていた。
とはいえ、会うやいなや相手の顔を見て笑うのは大変失礼なことなので、アリアは微笑みのポーカーフェイスでそれを隠した。
「聞きたいことがあります、如月アリアさん」
複雑そうな顔をしているマーロウとは対照的に、緑川は微笑むアリアにぐいぐい行く。
緑川がいくらアリアに質問をぶつけても、まるで柳に風だ。
質問への動揺も、変な回答も返っては来ない。
「残念だけど、私がメカニックの残党に加わっている、なんて事実はないわ」
「本当ですか? 嘘をついても……」
「楓ちゃん、何か勘違いしてないかしら?」
「へ?」
「メカニックはね、『個人』なのよ。
とてつもなく強力な個人こそが、組織の心臓なの。
鴻上は叡智と愉快に全てを操るようなカリスマで……
夜刀は残虐な知略と恐怖で他人を支配する圧政で……
メカニックの組織と、その関係者を支配していたのよ?」
返って来るのは、推理とはまた別の論理で組み立てられる理詰めの言葉であった。
「『メカニック』が居ない残党なんて、俗物しかついて行かないわよ」
「そ、それは……確かに、そうかもしれませんが」
「検察、弁護士、警察、官僚、政治家、富豪、社長……
かつての『メカニック』はあらゆる分野に繋がりを持っていたわ。
繋がりを持っていたのは人たらしの鴻上の方だったけど……残党ならその繋がりもない」
アリアが見るに、メカニックの残党に大した力はない。
警察の手に負えないほどの脅威になりかけていた二人のメカニックと比べれば、ゾウとアリほどに格の差がある。
せいぜい数人規模の組織にしかならず、数人程度の人を殺すのが関の山である、というのがアリアの推測であった。
「二人で一人の犯罪計画者、メカニック。
最高の相棒だった二人が憎み合うようになった時点で、終わりは決まっていたんでしょうね」
アリアはそれを惜しむ様子も、悲しむ様子も見せない。
ただ追憶に浸り、川辺の清流のような雰囲気で、静かに佇んでいた。
「悪いが、聞かせてくれ。アリアさん」
素の自分を全く見せないアリアに、緑川を脇に押しのけたマーロウが詰め寄る。
「あんたはもう本当に、悪党の仲間じゃないんだな?」
「ええ」
相手が悪であることを探る言葉でもなく、相手を疑う言葉でもなく、価値のある情報を引き出すための言葉でもなく。その人を信じるための確認作業でしかない言葉。
この期に及んで彼は甘くて、アリアは自覚無しに少しだけ素の自分を出してしまう。
「私はね、あなたが思ってるほどいい人じゃないわ。
あなたやマーニーのような、いい人にはなれないの」
緑川は口を出そうとし、何も言わずに口を噤む。
アリアはマーロウを、マーロウはアリアを見ていて、アリアの表情は先程まで見ていた一面とは違うものに見えたから。
「でもね、夜刀はともかく……
鴻上も、あなたが思ってるほど悪い人じゃないのよ。
あの人は誰かに理不尽に涙を流させるようなことは、私にはやらせなかったから」
「……そうか」
「鴻上は誰かの依頼を受けて初めて動く、誰かの正義の味方だったから。犯罪者だけどね」
人それぞれに正義があるのなら、復讐を手伝う犯罪幇助もまた正義の味方……と、言えるのかもしれない。それは紛れもなく、悪であるというのに。
「でも、あの人は他人の手助けしかしなかった。
他人が犯罪者になる時手助けしても、犯罪者になるのを止めはしなかった。
その人が間違った道を進もうとした時、背中を押すのか止めるのか、どっちが……」
アリアの脳裏に記憶の風景が蘇る。
復讐の助力を頼む依頼人と、その依頼を受けるメカニックの姿の記憶が蘇る。
そしてアリアは目の前の青年を見る。
……この青年なら何が何でも復讐を止め、言葉と心を尽くすのだろうかと、アリアは思った。
「その人が間違った道に進もうとしていたら、体を張ってでも止める。
俺にはそのくらいしかできねえ。だが、それだけは死ぬ気でやり遂げてみせるさ」
その甘さを悪くないと思う心が、彼女の胸の奥にあった。
「マーニーと鴻上は、どこかがよく似ていたわ。
違うのは、あの人は
そしてマーニーは、決して犯罪なんてことはしなかったという点」
マーニーと鴻上が似ているのだと彼女は言う。
「逆にあなたは鴻上とも夜刀とも似ていないわね。
あなたは探偵のスペシャリストで、鴻上は計画立案のプロフェッショナル。
ただ、そんな言葉を使わなくても……もっと根本的な違いを挙げることはできる」
マーロウは鴻上とも夜刀とも似ていないと、彼女は言う。
「メカニックは強いから頼られる。
マーニーは誠実だから愛される。
あなたは真っ直ぐだから信じられ、託されるのよ」
何かが起こるという予感が、アリアの中にはあった。
それがよくないことであるという確信があった。
マーニーを選んで託そうとしていた彼女は、心変わりし選択を変える。
「タフでなければ生きていけない。優しくなれなければ生きている資格がない」
アリアはマーロウの手の中に、こっそりと折り畳んだ紙を握らせる。
「頑張って。私も信じてるから」
アリアは彼を
去っていくアリアを見送り、マーロウは渡された紙を広げる。
「緑川」
「それは?」
「……メカニックの残党への合流を呼びかける、招集の手紙だ」
メカニックの残党に加わっていない、というのは本当のこと。
けれども手紙を貰ってないとは言っていない。
とことん、食えない女性であった。
かつてメカニックは、血を大量に用意して塗料とし、建物の壁面に自分の紋章を大きく描いていたという。
ルミノール反応を視覚化できる特殊なサングラスを使い、身内にしか見えない目印にしていたそうだ。
その手口はどうやら、部下の一部に継承されていたらしい。
「見えたぞ緑川。メカニックの紋章だ」
特殊塗料を使って身内にしか見えないようにした、メカニックの残党のアジトへと身内を誘導するメッセージ。そんなもの、デンデンセンサーで見抜けないわけがないのだ。
「これを辿っていけばアジトに辿り着けるわけだな、マーロウ」
「ああ。頼むぜ、デンデン」
一説には、隠されたメッセージには、オーソドックスなものが二種類あるという。
特殊な手段を使わないとメッセージに変換できない暗号。
そして、特殊な手段を使わないと目に見えないメッセージだ。
後者であれば、デンデンセンサーに見抜けないものはない。
「この門と入り口の先にアジト……っと、止まれ緑川。
赤外線センサーと監視カメラがある。
デンデンセンサーで安全なルートがどこか確かめながら行くぞ」
「やっぱそれ一つくらい欲しいんだけどなー……私の誕生日に一つくらいは」
「ダメだっつーに」
監視カメラが拾う光の波長の位置を把握し、赤外線をデンデンで可視化し、さあ先に進もうとしたところで――
「Freeze」
――前ばかり見ていた二人は、後ろから銃を突きつけられてしまった。
「げっ」
「しまった!」
「おっと、ガジェットとやらを動かすなよ?
お前らが動かないように厳命させるんだ。
ちょっとでも動いてるガジェットが見えたら、その前にお前らの脳天に穴が空くぜ」
(ガジェットのことまで……)
二人は手を上げ、銃口という拘束具に動きを止められてしまう。
敵は八人。全員が銃を持っていた。
事前情報によれば、この八人でメカニックの残党は打ち止めである。
ならば全滅させればそれで終わりであるのだが……流石に銃弾より速く動くメモリガジェットはないために、銃を突きつけられてしまえばどうしようもない。
ましてやマーロウは、か弱い女の子一人を守らなければならないのだから。
「お前のことはずっと警戒してたんだよ……
あのマーニーとかいう忌まわしいガキの仲間の、
「……ガイアメモリ?」
「お前を捕まえて、ついでに吐かせてやるよ!
ガイアメモリとかいうものがなんなのかって情報もな!」
ガイアメモリ、という単語がマーロウの頭に理解しがたい痛みを走らせるが、今はその痛みの正体を探っている場合ではない。
「メカニック抜きで組織が再建できると思ってんのか?
鴻上は組織を捨てどこぞへと逃げて行方不明。
夜刀は死刑執行間近だ。
お前らは頭が無いのに歩き回ってるゾンビみたいなもんだろ」
マーロウがついた悪態に、残党の男達は爆笑で応える。
「あのお方は必ずこの社会に蘇る……再起動の日は近い!」
どこか宗教めいた、狂気じみた信頼に、マーロウの背筋に怖気が走る。
そして男達は、一斉に銃口を緑川に向けた。
「用があるのは男の方だけだ。女の方はやっちまえ」
「っ!」
マーロウが少女を庇う。
間に合わない。全身を庇えない。
同時にガジェットを使おうとする。
間に合わない。引き金を引くだけの一瞬では何もできない。
その一瞬、緑川は死を覚悟して――
「ここが、今日の私達のゴールだ」
――頭上から聞こえてきた声に、耳を疑った。
引き金を引く指が止まる。それも当然だ。
何せ、近場の下り坂で思いっきり加速して来た自転車がジャンプして、高いところにある道路から低いところにあるこの場所まで、一直線に飛び込んで来たのだから。
残党達は慌てて命からがら自転車を回避して、マーロウはその自転車に乗っていた見覚えのある顔に驚愕する。
「天! ……と、マーニー!?」
マーニーの車椅子はもうお役御免で返還された。
だから今日はリハビリも兼ねて天と一緒にサイクリングしていたはずだ……と、マーロウが思ったところで、天と違って空中でバランスを取れなかったマーニーが、自転車から放り出されて落ちてくる。
「わああああああっ!」
「危ねえ!」
そんな彼女をマーロウがなんとかキャッチ。
マーニーの自転車は単独で派手にかっ飛んで、メカニック残党の内二人を「ぐえっ」と押し潰していた。
「マーニー! お前どうしてここに!」
「リハビリの途中で二人を偶然見かけて、天ちゃんが行こうって言って……
で、拳銃突きつけられてたのが見えたから、その後は私も天ちゃんも流れで」
「流れかよ!」
マーロウにキャッチしてもらったマーニーと違い、天は自転車で華麗に着地、その後も颯爽と駆け残党の行動の邪魔をする。
緑川が残党の落とした拳銃をドブに蹴り落としている内に、マーロウは一番速く動けるメモリガジェットを起動した。
「バットショット!」
《 BAT 》
バットショットが男達の手に体当りして、拳銃を次々と叩き落としていく。
そして拳銃を失いただのチンピラまがいと化した彼らに、マーニーを抱えたままのマーロウの蹴りが次々と突き刺さって行った。
「寝てろ悪党!」
「ぐえあっ!?」
銃さえ無ければ、マーニーという重荷を抱えてなお圧倒できる。
チンピラとハーフボイルド探偵の間には、そのくらいに戦闘力の差があった。
敵を軒並み片付けたマーロウは、マーニーが何やら恥ずかしそうにしていることに気付く。
「……あー、ほら、重いようなら降ろしていいよ?」
「……お前、背が低くて胸もないくせに地味に重いな」
マーニーパンチが、マーロウの顎にクリーンヒットした。
一方その頃ロイドは、事務所に一番近い警察署に足を運んでいた。
「噂は聞いていましたよ、名刑事のロイドさん。
もう警察を辞めてしまったと聞いて寂しかったものです。
ですが今回の拾得物の確認がしたいとは、どういうことですか?」
「大した理由はないさ。
オレは最近拾った記憶喪失の男を一人面倒見てやっていてな。
そいつが見つかった場所の近くで変な物が見つかったと聞いたから、もしやと思ったんだ」
「その記憶喪失の方の持ち物かもしれない、と」
「そいつはメモリガジェットっていう不思議な道具を使うんだ。
不思議としか言えない道具なら、奴の持ち物……記憶のキーである可能性も高い」
箱の中に入れられた物を、警察官がロイドの前でずらりと並べる。
「こちらが当日発見された物の中でも、特に理解が及ばなかった物です」
「これはまた……よく分からないな」
並べられた物は、一見ただのUSBメモリに見えるものですら、彼らの理解の範囲外だった。
「それはどうやら、人体に有機的なコネクタを作る装置のようです」
「コネクタ……?」
「人体を直接機械に接続できるコネクタ、ということです」
「人体に直接!?」
「人体に機械と接続可能なコネクタを作る技術。
人体に接続し使用できる機械を作る技術。
どちらもありえない技術です。ハッキリ言って、現代科学のものとは思えない……」
軽く分析しただけでも、『何かがおかしい』としか思えないオーバーテクノロジーの数々。
「この世界の外から来た、と言われた方がまだしっくり来る技術ですよ」
警官が異世界のものなんじゃないか、と思ってしまうほどに、それらの道具は異常だった。
ロイドが並べられた物の内一つを手に取り、操作してみる。
《 JOKER! 》
「……玩具かなにかか?」
操作された小さな『それ』は、どこかの誰かと呼び合っていた。
あと二話で完結