名探偵マーロウ   作:ルシエド

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基本的にはタイトルで二話セット、話は一話完結、中編です


Jとの出会い/運命のジョーカー

 マーニーがかつて解決した事件に、黒屋明彦と黒屋雪彦という双子が関わったものがある。

 兄・明彦は表向き優等生だったが、その分だけストレスをためがちで、それが爆発して家族相手に暴れることも多く、最終的に通り魔事件の犯人となってしまった。

 弟・雪彦は夜な夜な軽犯罪を行い街を徘徊する兄を止めるべく、自分も武装して兄を止めに夜の街へと駆け出し、最終的に雪彦が兄を現行犯で倒すことで決着が付いた。

 

 明彦は弟の手で警察に突き出されたものの、受験や周囲の期待などのストレスが考慮され、本人が表向きは反省した様子を見せたこともあって、ほどなくシャバに出て来てしまった。

 これが最悪の結果に繋がる。

 明彦は弟に止められたことをなんとも思わず、すぐにまた夜の活動を開始してしまったのだ。

 

 また夜に犯罪の下準備を行っていた兄を止めようと、弟の雪彦は兄に立ち向かうが、待ち構えていた兄の手で返り討ちにあってしまう。

 それから二日後。

 マーニーとマーロウは、病院に入院した雪彦から依頼を託された。

 

「アニキを止めてやってくれ。何かしてしまう前に」

 

 まだ大規模に事件が起こっていないがために、警察の動きも本格的ではないこのタイミングで、何もさせずに兄を捕まえてほしいという依頼であった。

 

「日当五千円、経費は別で。マーニー&マーロウにお任せを」

 

 車椅子のマーニーが、その依頼を受ける。

 マーニーとマーロウは雪彦の病室を出て、マーロウが車椅子を押し、ゆっくり外へと続く廊下を進む。

 

「彼に雪絵とか、霧彦とか、そういう名前の家族居ないか? マーニー」

 

「え? 名前が雪彦だったからって、そんな名前の家族がいるわけでは……」

 

 マーロウはどこか遠くを見て、虚空を探るように視線を彷徨わせている。

 マーニーは何かを察し、ハッとした。

 

「……失った記憶の中の人? その、雪絵と霧彦って」

 

「分からねえ。分からねえが、勝手に口をついて出て来た」

 

 頭で覚えていないことでも、体と心は覚えている。

 

「分からねえけど……その名前を聞くと、情けねえ姿見せられないって、そう思うんだ」

 

 マーロウ本人でさえもその理由が分からぬままに、彼の中に強い衝動が生まれていた。

 

 

 

 

 

 依頼の達成には二通りのやり方が考えられる。

 日中にどこかに潜んでいる明彦を見つけて捕まえるか、夜間に通り魔を始めた明彦を外で捕まえるかだ。

 明彦は弟を病院送りにした時点で家族からも見放されており、自宅にも帰っていない。警察も屋外で隠れられそうな場所を探しているが見つかっていない。

 昼間に探して見つけるのは骨が折れそうだ。

 

『警察がいくつか防犯カメラ等をチェックしてるけど明彦さんの姿は見つかってないみたい』

 

「夜も昼もか?」

 

『夜も昼も』

 

 現場で聞き込み中のマーロウがマーニーに電話で聞いてみたところ、雪彦が大怪我を負わされた夜の時間にも、それから二日間の間昼間にも、明彦は大体の防犯カメラに映っていないらしい。

 

『防犯カメラの配置と業者の情報ならこっちで独自にデータベース化してあるけど』

 

「よし、検索だ。

 キーワードは昨晩の夜六時から七時、防犯カメラのカバー範囲。

 その時間に動いてた監視カメラから、奴が通ったルートを特定するぞ」

 

『マーニーにおまかせを』

 

 ピッ、とスタッグフォンの通話を切る。

 任せるところはマーニーに任せ、マーロウは近隣住民の聞き込みを再開した。

 

「よう、渡辺婆ちゃん。足は大丈夫か?」

 

「おお、マーちゃん。心配ありがとねぇ。今日は調子がいいんだよ」

 

「こいつを飲んでもっと調子を良くしてくんな。体に良い茶葉なんだってよ」

 

「おやおや、マーちゃんはいい子だねえ。うちの孫もこのくらいだったらいいんだけど」

 

「渡辺婆ちゃんの孫と俺の歳が同じくらいなんだっけか? 妙な縁もあったもんだぜ」

 

 縁側で休んでいるお婆ちゃんとも親しげなマーロウ。

 この街に来てそこまで時間も経っていないだろうに、こうまで馴染んでいるのは人徳か、それともコミュ力の高さか。両方かもしれない。

 

「仕方ないのよ。私もボケが始まっちゃってねえ」

 

「そうかい? 受け答えもしっかりしてるし、話してて楽しいけどな」

 

「ありがとねぇ、そう言ってくれるのはマーちゃんだけよ。

 でもね、最近は冷蔵庫の中のものいつ食べたかも忘れちゃうのよ。

 気付いたら冷蔵庫の中のもの食べて、食べたことも忘れちゃってねえ」

 

「そいつはいけねえな。

 何か起こる前にヘルパーさんを頼んだ方がいいんじゃねえか?

 渡辺婆ちゃんがよければ、俺の方で優良なヘルパーさん探してやるぜ」

 

「その時はマーちゃんにお願いするわ。頼りにさせてねぇ、探偵さん?」

 

「任せな。探し物はこのハードボイルド探偵、マーロウにお任せを」

 

 マーロウはカッコつけているが、お婆ちゃんが彼を見る目はカッコいいものを見る目ではなく、微笑ましいものを見る目である。

 

「ところで最近、何か変わったことはないか?」

 

「変わったこと……

 お隣の山本さんの奥さんが浮気してたこと。

 少し前に家出してた中村さんちの息子さんが今日帰ってきたこと。

 近所の小林さんが誰かと酔っ払って喧嘩してたことかしらねぇ」

 

「浮気に、家出に、喧嘩ね」

 

「山本さんは昨日、旦那さんに浮気を疑われて大喧嘩になったらしいわ。

 中村さんちの息子さんは夜に公園で怖いものを見たみたい。

 小林さんは喧嘩した相手のことを覚えていないそうだけど、病院に行ったらしいわぁ」

 

「サンキュー、渡辺婆ちゃん。助かったぜ。じゃあ俺もう行くわ」

 

「捜査の用がない時にもうちに寄りなさい。自分の家だと思ってくつろいでもいいんだよ」

 

「その言葉だけでやる気が出るってもんさ。あばよ、婆ちゃん」

 

 マーロウは渡辺宅を離れ、ポケットの中で震えるスタッグフォンの通話を繋げた。

 

「こちらマーロウ。マーニー、どこかで明彦は見つかったか? 奴の夜間の移動経路は?」

 

『……無かった』

 

「は?」

 

『雪彦さんが明彦さんに殴られた場所は旗竿地だったのは知ってる?』

 

「旗竿地……建物に囲まれて、細い路地からしか入れない空き地のことか」

 

『そう。そしてそこに入る路地への入り口は、全部防犯カメラで見張られてた』

 

「なんだと?」

 

『電話で頼んで業者にチェックして貰ったけど……

 雪彦さんの姿は映ってる。でも明彦さんの姿は一度も映ってない』

 

「おいちょっと待て、じゃあ明彦はどうやってそこに入ったんだ?

 空き地だろうがそこに至る道が全部カメラで見張られてんなら、事実上の密室だぞ」

 

『いくつか考えられる可能性はあるけど……それは一旦脇に置いておいて』

 

 マーニーも色々と考えているようだが、彼女はマーロウの情報を頼りにしているようだ。

 

『そっちは何か情報あった?』

 

「こっちが聞いた話は……」

 

 マーロウが現場で集めた情報を元に、マーニーはいくつか立てていた推論の内一つを、確信をもって選び取った。

 

『明彦さんは雪彦さんを殴った時、通り魔の事前準備中だったのかもしれない。

 つまり犯行を行う前に身を隠す場所と、犯行を行った後に身を隠す場所を探してたのかも』

 

「なんだって?」

 

 マーニーはマーロウに『どうやったのか?(ハウダニット)』を説明し、彼らは真実を掴み取った。

 

『明彦さんが雪彦さんを殴った後、警察にも見つからずどこに潜んでいるのか。

 防犯カメラにも映らずに、どうやって雪彦さんを殴った現場に辿り着いたのか』

 

「マーニーの推理で間違いないと思うぜ。これで決まりだ」

 

『よし、私も現場に……』

 

「お前は自宅待機だ。怪しいところは俺が現場で張る」

 

『むぅ』

 

 電話を切って、マーロウは溜め息を吐く。

 両足が折れているくせに、通り魔の暴行犯の確保に出張ろうとする女子高生とは如何なものか。

 マーロウは街を一望できる高台の公園に移動し、夕日に照らされる街を目で眺めて、街に吹く風を肌で感じる。

 

「悪くねえ風だ。俺達の出番の風向きだな」

 

 黒屋雪彦は。マーロウが雪絵と霧彦という名前を連想した少年は。この街を守るために戦ったのだ。

 

 

 

 

 

 時刻は夜。

 張り込みの定番・アンパンを食べて腹の足しにしていたマーロウに、晩飯を食べ終わったマーニーが状況確認の電話をかけてくる。

 

『異常なし?』

 

「異常なし」

 

『ドラマを見ようとしましたがそっちが気になって集中できません、どうぞ』

 

「ちょっとぐらい俺を信用して任せろよ、どうぞ」

 

 何故俺は女子高生にこんなに舐められてるんだ? と、マーロウは訝しんだ。

 

『マーロウ、今回は特に気合が入ってるよね』

 

「そうか?」

 

『やっぱり昔のことを思い出しかけてるか、心に何かの感情が残ってるんだろうね』

 

「かもしれねえな。街を守った男がやられたんだ。

 その役目を引き継いだんなら、情けない姿は見せられねえ」

 

 少々熱くなっているマーロウだが、対照的にマーニーはどこまでも冷静だった。

 

『黒屋雪彦はそういう動機で動くような正義の味方じゃないよ』

 

「どういう意味だ?」

 

『彼が兄の蛮行を止める理由の最たるものは、兄へのコンプレックスだ』

 

「……」

 

『弟の彼は優等生の兄とずっと比べられてた。

 兄弟で遊ぶ時は兄がヒーロー、弟が悪役をやらされていた。

 悪いことをするようになった兄を弟が止めるのは―――』

 

「その反動だ、って言いたいのか」

 

『純粋な良心ではないんじゃないかなあ。

 前に兄が通り魔やってて弟が止めた時も、警察には通報してなかった。

 雪彦さんは明彦さんを自分の手で止め、倒すことにだけこだわってた』

 

「……本当に、それだけだろうか」

 

 少女はクールで、食い下がる青年はクールに憧れているだけのノットクールだった。

 

「マーニー、街から人がごっそり消えたら、街に価値ってあると思うか?」

 

『は? いや、そりゃただの廃墟になるだろうけど……』

 

「人が居なけりゃ、街はただの空虚な箱だ。次に人が入るまで、何の価値も無いガラクタになる」

 

 斜に構えた人間が鼻で笑うような理屈を大真面目で語るのが、この青年の性格なのだと、マーニーも理解し始めていた。

 

「街を守るってのは、人を守るってことだ。雪彦は明彦から街の人を守ってたんだろ?」

 

『それは、そうだけど……』

 

「街ってのは宝箱だ。人が詰まってりゃ宝箱、詰まってなきゃ空虚な箱」

 

 夜の街を見下ろすマーロウの目には、街に満ちる営みの光が、街という宝箱に詰まった素晴らしいものの輝きが、しっかりと見えている。

 街から人が居なくなれば、この輝きは一つ残らず消えてしまうのだ。

 

「お前も小学生の時とか、自分だけの宝箱とか持ってなかったか?

 ちなみに俺はある。何故か形のいい石ころとか枯れた草とか入ってたな」

 

『……そりゃまあ、あるけど』

 

「その中には何が入ってた?

 綺麗な物か? 価値のある物か? 違うだろ、お前にとって大切だったものだろ」

 

「―――」

 

 宝石箱は宝石箱を詰めるもの。宝箱はその人にとって大切なものを詰めるもの。

 

「この街だってそうだ。

 自分にとって大切だけど、他人にとってはそうじゃないもの。

 自分にとっては大切な人で、他の人にとってはそうじゃない人。

 そういうもんがたくさん詰まってる宝箱を、『街』って言うんだろ」

 

 マーロウはまだこの街に来て日が浅い。

 けれどもマーニーや雪彦がこの街を宝箱に見立てたなら、その宝箱に詰まっている『自分にとっての大切なもの』を、いくつも思い浮かべることができるだろう。

 

「雪彦は、その宝箱を守ったんだ。

 雪彦は兄がそれを壊そうとしたから、それを止めた」

 

『……まあ、そうかもね。

 行動の結果、守られた雪彦さんの友人が居たかもしれない。

 大きな犯罪を侵される前に明彦さんを止めたことで、両親の名誉が少し守られたかもしれない』

 

「だろ?」

 

 マーロウは理論的なことは何も言ってないというのに、つい人情的に流され説得されてしまい、マーニーは自分と彼に対して同時に呆れる。

 

(なんだかにゃあ)

 

 他人のいいところを少しでも多く見つけようとする人は、いい人だ。

 いい人ほど他人を好意的に解釈する。

 マーロウはいい人なんだなあと、マーニーは思った。

 

『マーロウは渋い男になりたいんだろうけど、それには性格が甘すぎる気がする』

 

「んだとぉ!?」

 

『ハードボイルドがブラックコーヒーなら、マーロウはマックスコーヒーだから』

 

「くぉら女子高生! あんま大人をからかうと痛い目見せんぞ!」

 

『はいはい、ごめんねごめんね』

 

 マーロウはお婆ちゃんからは可愛い孫のように見られ、温かい目で見られる。

 女子高生からは舐められ、親しみと信頼をもって接される。

 そういう性格(キャラクター)をしていた。

 

「俺の性格が気に入らなくてもほっとけよ、ったく」

 

『嫌いとは言ってないでしょ、もう』

 

 マーニーは相も変わらずマーロウの甘いやり方にツッコんでいるが、マーロウは何故か、彼女が自分に向ける声が少しだけ、優しくなった気がした。

 

『主人公が自分をハードボイルドって自称するハードボイルド小説なんて無いけど。

 それを自称するコメディならまあ、主人公を好きになる読者も居るんじゃないかな、って』

 

「コメディ!?」

 

『頑張って、ハードボイルド、ぷふっ、探偵さん』

 

「おいてめえ、今笑ったろ! なんだ! そのフレーズはそんなに言ってて恥ずかしいか!」

 

『待って、待って! バカにするつもりはなかったんだ! これ本当!』

 

 思わず吹き出してしまったマーニーが言い訳を並べようとするが、マーロウの目がその時街で動く人影を見咎める。

 

「マーニー、奴が動き出した。通話は切るが、帰ったら覚えてろよ!」

 

『ちょっ、待っ』

 

 黒屋明彦が、動き出したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が落ち、夜が来て、月が我が物顔で空に君臨する。

 黒屋明彦はこっそりと隠れ家から這い出して、夜空の下でニヤリと笑った。

 以前は弟のせいで捕まってしまった。今度は捕まらないよう下調べをちゃんとしていたが、その途中で以前と同じく弟に見つかり、鬱憤と口論からつい弟を痛めつけすぎてしまった。

 だがもう邪魔者は居ないはず、と思考し、明彦は夜の街を歩き出す。

 

「そこまでだ、黒屋明彦」

 

「!」

 

「俺はお前の弟に雇われた探偵だ。お前を止めに来た」

 

 その前に、黒帽子の男が立ちはだかった。

 何故この場所が、と明彦はうろたえる。

 

「防犯カメラの位置をお前が調べ上げていたとしても、疑問はあった。

 普通の道を通る限り固定カメラの録画からは逃れられねえ。

 てめえのやり口は、真面目な人間なら思いつくことも実行することもできないもんだった」

 

 明彦がこれ以上事件を起こす前に止めるためには、彼が昼間どこに潜んでいるか、そしてどこを通って狙った場所に移動しているかを特定する必要があった。

 その答えは、気付けば簡単。

 

「独居老人の家の『中』を、てめえは通り道に使ってたんだろ?」

 

「……ちっ、バレてたか」

 

「そして独居老人の家の押し入れなどを、勝手に寝床に使ってやがったんだ」

 

 『家』の中を強引に突っ切って行けばいい。

 押し入れやホコリまみれで使われていない部屋を、勝手に寝床に使えばいい。

 家の鍵を開けっ放しにしたり、使わない部屋は放置したり、多少の違和感はボケのせいにするアバウトな独居老人の家は、彼のその企みのターゲットに選ばれてしまったのだ。

 

「最近の独居老人は監視カメラとかのハイテクセキュリティをあんま家に付けねえらしいな」

 

「……」

 

「そういうセキュリティを一番徹底してるのは小さい子供が居る若い夫婦の家庭。

 だから空き巣のターゲットにも狙われやすいんだってな。マーニーから聞いて驚いたぜ」

 

 仮に老人に見つかっても、『処分』するのは容易だ。相手は老人なのだから。

 通り魔を躊躇わない人間は見つかった時老人を始末することも躊躇うまい。

 倫理的問題を考えなければ、良心を考慮しなければ、独居老人の家屋は犯罪に利用するのに便利な好条件がいくつも揃っている。

 昔は三世帯住宅で今は老人一人しか住んでいない、というタイプの家も多いために、なおさら利用しやすい家は多かった。

 

「独居老人の渡辺さんの家の食べ物がなくなってたのは、お前が勝手に食ってたから。

 お前は独居老人の家を通り道にするだけじゃなく、寝床にし、飯まで奪ってやがった」

 

 文字通り食い物にしてやがったわけだ、と、マーロウは吐き捨てるように言った。

 

「山本さんの奥さんが浮気を疑われたのは、家にお前が入った跡が残ってたからだ。

 そこもお前が勝手に入った家だったんだろ?

 中村さんは弟を血まみれにした後のお前を見ていた。だから家に帰った。

 お前は夜間に小林さんに見つかり、自分を見た人間を口封じするべく襲った」

 

 マーロウは十数人の人に聞き込みを行ったが、それで得られた情報からノイズを引き抜き、『整合性』という接着剤で組み立てたところ、得られた結論は一つであった。

 

「だったらどうする? 止めるのか? 防具も武器も持ってなさそうに見えるぜ、探偵」

 

「お前ごときにそんなものいるかよ」

 

「おいおい、雪彦から何も聞いてないのか?

 あいつは俺を止める時に防具も何も付けてなかったからああなったんだよ!

 昔オレを捕まえた時はきっちり防具着込んでたからオレに勝てたってのにな!」

 

 明彦は服の下に隠していた模造銃を取り出し、マーロウに向ける。

 マーロウは病院で見た雪彦の顔の痛々しい傷を思い出し、その傷を付けた凶器が何であるかをここで知った。

 

「撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけだぜ?」

 

「知るかよ! こいつは改造ガスガンだ、俺の邪魔する奴は全員こいつで……撃つ!」

 

 明彦は明らかに良心のタガが外れている。

 この状態で他人を撃つことを躊躇うはずもない。

 良心のタガが嵌め直されない限り、彼が清浄な社会に馴染むことはないだろう。

 

「顔は同じだが、てめえは街を守ろうとした双子の弟に似ても似つかない悪ガキだ」

 

 左手を銃の形にしたマーロウが、それを最終宣告として彼に突きつける。

 

「俺達が……俺が、ここで止める。さあ、お前の罪を数えろ」

 

 明彦は、それを挑発と受け取った。

 

「ほざけクソ探偵っ!」

 

 一瞬。

 一度のまたたきにも満たない時間の衝突だった。

 明彦が銃の引き金を引く。

 放たれた弾が、帽子の内側を盾としたマーロウにより受け止められる。

 受け止められた弾が路面に落ちる前に、マーロウは踏み込み、左手で帽子をかぶり、右の拳を突き出した。

 

 怒りの拳が明彦の顔面に突き刺さり、吹っ飛ばし、少年の体をゴミ捨て場に突っ込ませる。

 ゴミまみれになった明彦の体は汚れ、落ちるところまで落ちた彼の心を目に見える形にしたかのようだった。

 

「ぐあああっ!」

 

「お前は、実の弟の顔を撃った。

 顔だけを撃った。

 診断書を見てその辺は分かってたんだ。お前が真っ先に、相手の顔を撃とうとすることは」

 

 弾の軌道さえ分かっているのなら、本物の銃弾ならともかく、多少改造したガスガンの弾程度を防ぐ手段はいくらでもある。

 

「くそっ、くそっ……雪彦の奴、また邪魔しやがって……さぞかし俺を憎んでるんだろうな!」

 

「……」

 

 マーロウは叫んで明彦を責めようとして、ぐっと堪える。

 目元に浮かぶ怒りは、帽子を深くかぶって誤魔化した。

 そして懐から取り出した、サウンドレコーダー型のガジェットを起動させた。

 

「弟さんの伝言を預かってる。ちゃんと聞け」

 

《 FROG 》

 

「……?」

 

 このメモリガジェットはフロッグポッド。

 音声を録音し、それを操るサウンドレコーダーの探偵ツールだ。

 ここには病院でマーロウが預かった、雪彦が明彦に向けたメッセージが録音されている。

 

『罪をちゃんと償ってから帰って来いよ、アニキ。オレは待ってるから』

 

「―――あ」

 

 とても短い、その言葉が。

 一の法の裁きより、十の責め苦より、百の親の涙より、強く彼の胸を打った。

 

「顔をそんな銃で撃たれても。兄貴に病院送りにされるまで殴られても。

 雪彦はあんたに死んで欲しいとも、あんたに破滅して欲しいとも思ってなかった。

 ……あんたの犯罪を止めたいと思っていた。悪事から足を洗って欲しいと思ってたんだ」

 

「……雪彦っ……!」

 

 明彦は元々、周囲の期待がストレスになっておかしくなってしまった少年だ。

 おかしくなったまま戻れなくなってしまった少年だ。

 そんな彼に、雪彦は『待ってる』と言った。

 兄に酷い目に合わされてなおそう言った。

 弟は兄の暴走の原因が"兄の悪性"ではなく、"周囲が与えたストレス"であると思い、そのスタンスを最後まで崩さなかったのだ。

 警察に掴まれば罪は重くなる。兄が何かを起こす前に探偵に「止めてやってくれ」と依頼したことこそが、弟が兄を見放していなかったという証明である。

 

 良心のタガは嵌め直された。

 涙を流す明彦にとって、これからは良心が生む罪悪感こそが、最大の裁きとなるだろう。

 

「お前はお前の罪を数えた。罪を数えるのは、数えた罪をちゃんと償うためだ」

 

 マーロウはゴミまみれの少年に、迷うことなく手を差し伸べる。

 罪を裁く権利があるのは法であり、彼を許す権利も探偵には無い。

 彼に残された探偵の仕事は、これから明彦を雪彦の前まで連れて行き、謝らせることだけだ。

 

「罪を数えたお前がどう生きていくかは……これからのお前次第だ」

 

 差し伸べられた手を掴み、明彦は涙を拭って立ち上がる。

 

 全てが終わった後にマーニーに連絡したマーロウは、マーニーに「ハードボイルドじゃない男だからこそ、ってのもあるんだよ」と言われる。

 首を傾げるマーロウは、事務所に帰った頃にはマーニーに対して怒っていたことなど綺麗サッパリ忘れていて、マーニーにまた苦笑されるのであった。

 

 

 


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