名探偵マーロウ   作:ルシエド

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基本的に緑川はマーニー世界線ではなく兄妹世界線の子(高校生、非マーニー部)


Lに花束を/得るものなし

 『緑川 楓』はマーニーと同い年の、高校二年生の女子高生探偵である。

 緑川一族は代々警察の家系であり、楓の祖父である緑川宗達は『元警察官の名探偵』として戦後に伝説を残したほどの男であった。

 緑川楓は一言で言えば、伝説の名探偵の孫、という肩書きを持つ少女なのだ。

 

 祖父の血を受け継ぎ、自身もそれなりの才覚を持って生まれたため、探偵としては無能ではない……のだが、一年前ほど前まではやる気が空回りしていた困ったちゃんだった。

 謎や隠し事があればすぐに首を突っ込み、人の秘密を暴き立て、嫌われる。

 ついたあだ名が『探偵狂緑川』。

 「嘘や隠し事をする方が悪いんじゃないか」という正論を真顔でぶっ放す不器用少女である。

 

 ここ一年で随分丸くなり、二ヶ月ほど前にネットでも有名になっていたマーニーと出会った頃には、随分とマシになっていたが……それでもマーニーが『ちょっと困ったちゃん』と評価するくらいには、まっすぐ過ぎる女子高生探偵だった。

 

「え? 何? 協力して欲しい? 足が折れた? おいマーニー、詳しく……電話切りやがった」

 

 そんな真面目な彼女だから、雑に呼ばれても応えてしまう。

 恥ずかしがり屋という自分の弱点を隠すために、他人の視線を遮る壁になってくれる黒い帽子をかぶる。

 この帽子は伝説の名探偵と呼ばれた祖父の帽子と同じもの。

 子供の頃の彼女はよく、"祖父のような人間になりたい"と思い、"祖父のようにこの帽子に似合う者になりたい"と思い、この帽子をかぶっていた。

 

(マーニーとは互いが女子高生探偵だってことくらいしか話したことはない。

 顔と名前は一致してるし、電話番号も知ってるけど、他人の域は出ない……何故?)

 

 面識はあるが、そこまで頼られることをしただろうか。緑川は首を傾げる。

 そんなことを考えていたら、ほどなくマーニーの事務所に着いてしまった。

 "入っていいか"とマーニーにメールすると、すぐに"裏口開いてるから勝手に入って"とメールが返って来る。

 

「お邪魔しまーす」

 

 ロイドの事務所に足を踏み入れた緑川が見たのは、電源が点きっぱなしのテレビと、菓子や炭酸飲料が散らかった汚いテーブルと、テーブル前のソファーでくかーくかーといびきを立てて爆睡している、謎の青年であった。

 

「……何こいつ?」

 

 生真面目できっちりとした性格で、ミッション系名門校に通っている緑川は、年頃の少女特有の潔癖さもあって、彼に対して最悪の第一印象を抱いてしまう。

 青年は突然目覚め、"こいつ高い所から落ちる夢見たな"と見ただけで確信できる顔で、電源が点きっぱなしのテレビを凝視する。

 

「……はっ、いけねえ、『炎の左近寺』を見てたらつい寝ちまってた……」

 

 どうやら夜更かしして時代劇を見ていて、その途中で寝てしまったらしい。

 視聴者を自然に夜更かしさせる時代劇が悪いのか、睡眠が足りていない状態で時代劇を夜遅くまで見ていたマーロウが悪いのか。……マーロウが悪い。

 マーロウはぼーっとした顔で、自分の背後に立っていた緑川に、今一番気になっていることを思わず聞いてしまう。

 

「……なあ俺、この時代劇何話まで見てた?」

 

「知るか! なんで私にそんなこと聞くんだ! だらしない大人日本代表!」

 

「んだとぉ!?」

 

 警察官の家系で生真面目でだらしない人間に寛容でないという意味では、緑川はその性情の一部分が、照井竜のような性格をしていると言えた。

 

 

 

 

 

 マーニーが二階からせっせと降りて行くと、そこではいかなる理由か早くも反発しているマーロウと緑川が居た。

 

「おいマーニー、なんでこんな奴呼んだんだよ!」

 

「それはこっちの台詞だ。こんな奴を助手にするだなんて正気とは思えないぞ、マーニー!」

 

「あん?」

「おい、待て、凄むのはいいが顔が近い、近寄るな、私の目を近くで見るな」

 

「はいはい喧嘩はほどほどにネー」

 

 マーニーといい、緑川といい、マーロウはとことん女子高校生から敬意を持たれない男であるようだ。

 

「二人にはね、協力して如月アリアから来た依頼の解決を手伝って欲しいんだ」

 

「如月アリア!?」

「如月アリア!?」

 

 最近のナウい女子高生と比べれば芸能界に疎い緑川や、記憶喪失なマーロウでさえその名前は知っている。

 日本でも指折りのタレントで、それどころか番組作成の主導からプロデュース、事業経営にマネジメント等も行っており、才色兼備を形にしたような美女である。

 色んな意味で頭が良くて容姿もいい。テレビやマスコミに隙も見せない。

 大成功した女性社会人の見本、と言う人まで居るほどだ。

 

「なんで楓ちゃんに協力を頼んだのか、理由が聞きたい? マーロウ」

 

「当たり前だ!」

 

「マーロウに女性の扱いを期待してないからだよ」

 

「そういう理由かよ!?」

 

 ちょっと酷い理由だった。緑川は頼られた理由を理解したが、自分が頼られた理由をイマイチ理解できない。

 

「私でいいのか? マーニーなら他の女性の知り合いくらいは居そうだが」

 

「でも探偵で女性で、っていうと楓ちゃんしか居なかったから」

 

「ふむ」

 

「楓ちゃんって昔探偵業で活躍して表彰されたこともあるんだよね?

 勝手に調べちゃって悪いかなーって思ったけど、それなら能力にも不安はないし……」

 

「うっ……あ、あれの話はあんまりしないで欲しい。恥ずかしい記憶なんだ」

 

 緑川が顔を赤くして、マーニーと目線を合わせないよう帽子で目元を隠す。

 一方その頃マーロウは、テーブル上に置いた小さな鏡の前で髪型のセットをしていた。

 

「依頼人のアリアさんは今日来るから……何やってんのマーロウ?」

 

「如月アリアさんとお近づきになれるチャンスだぜ? バッチリ決めねえとな」

 

「ミーハーっ! ハードボイルドはどうした!」

 

「事件の時はきっちり決めるからいいだろ!」

 

 ハードボイルドを徹底しようとする意識がまるで見られない。

 美人のアイドルがラジオ局でもやっていたら、がっつりファンになって毎回聞いてそうなミーハー具合だ。

 

「第一お前らはなんだ!

 お前らの年頃はこう……年上のクールなお兄さんに憧れたりするもんじゃないのか!」

 

「はっ」

 

「おい今鼻で笑ったなお前」

 

 記憶喪失のくせに雑誌由来のいい加減知識で語るから鼻で笑われるのである。

 

「マーロウ、彼女持ちの男がモテるって話は知ってる?」

 

「ああ、それなら知ってる。本で読んだぞ」

 

「あれって要するに、女性と付き合うとガッツかなくなって、余裕がデキるって話なのさ。

 余裕があって落ち着きがあって、ガッツかないイケメンならまあモテるというわけで」

 

「ふむふむ」

 

「マーロウ余裕も落ち着きもないじゃない」

 

「てめえ!」

 

 緑川が仲裁するかしないか迷っている内に、事務所の呼び鈴が鳴った。

 

 

 

 

 

 如月アリアの到着である。

 芸能人如月アリア、記憶喪失探偵マーロウ、足折れ探偵マーニー、シャイ探偵緑川と、非常に探偵密度の高い空間が出来上がっていた。

 アリアはマーニーに促され、依頼の内容を話し出す。

 

「最初に疑問に思ったのは、テレビ局の駐車場で車のタイヤがパンクしてたことだったの」

 

 どこかで釘を踏んだかしただけだと思い、多少不思議に思っただけで、彼女は最初の事件を誰かの仕業であるとも思わなかったらしい。

 

「でもそれからエスカレートして……

 私の自宅の周りや仕事場の近くで、不審な事件や怪しい人物が散見するようになった」

 

「ストーカーでは?」

 

「ただのストーカーとは思えないわ。

 私のスケジュールをある程度は把握していて、最低でも数人で動いてるフシがあるの」

 

「集団の動き? それはちょっと怖いですね……警察に連絡は?」

 

「したわ。でも24時間守ってもらうわけにもいかないでしょ? マーニー。

 ここで必要なのは、犯人を探し出す仕事の方……つまり、探偵の出番ということよ」

 

 仮にだが、集団で拉致されたらどうなってしまうのか。

 アリアは年若く才色兼備な有名人という、こういったトラブルで狙われる要素に満ちている。拉致でもされれば、その先でどうなるかは想像に難くない。ロクなことにはならないだろう。

 美人の依頼という要素、罪のない人が危機に陥っているという要素、その両方がマーロウのやる気をかきたてる。

 

「オーケィ、レディ。このハードボイルド探偵、マーロウにお任せを」

 

「ええ、よろしく。ハードボイルドな探偵さん?」

 

「お任せ下さいっ!」

 

 しかもその美人が、滅多にハードボイルドと呼ばれないマーロウをハードボイルドと呼んだものだから、やる気は更に倍増した。

 一言で他人の心を的確に掴むこの手腕は、成程一流であると伺える。

 

「要はストーカー(仮)が誰かの特定か。私はまず警察に話を聞きに行こうかな」

 

 緑川は警察から当たるつもりのようだ。

 警察官の一族である彼女の父は警視正。警察から情報を引き出すこともできる。

 

「三人それぞれに日給一万円、経費は別で。これでどう?」

 

 アリアの提示した金額も文句はない。

 

「では、マーニー達にお任せを」

 

 マーニーが請け負って、この依頼は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現地で情報をかき集めるマーロウ。

 彼が集めた情報はとても多かった。

 それはマーロウが有能だったから、というだけの理由ではなく。

 如月アリアを狙う動機がある人物が、あまりにも多いことにも起因していた。

 

「流石マーロウ。この短期間でよくこんなに情報集められたね」

 

『アリアさんのマネージャーのおかげさ。

 彼女の職場周辺に入る許可と、関係者と話す機会がありゃ、こんぐらいはな』

 

 それでも、絞り込みはできる。

 今アリアに何かあっては困る人、アリアに何かあった場合のデメリットがメリットを上回ってしまう人……アリアが害されそうになった時、むしろそれを邪魔しそうな人間は除外できる。

 芸能関係、事業関係の容疑者から勘の良いマーロウが探し出したのもあって、犯罪にまで走りそうな人間はかなり少ない数にまで絞り込むことができていた。

 

「この情報だと、怪しいのは……」

 

『動機になる怨恨がある大物俳優の加藤。

 アリアさんが辞めて一番得する若手アイドルの吉田。

 事業経営で衝突を繰り返してる専務の山田だな』

 

「加藤に、吉田に、山田」

 

 マーニーは鳥の巣のようなモジャモジャ頭をガシガシと掻く。

 

『加藤はゴシップでネタにされるくらい、アリアさんに仕事を取られてる。

 吉田はアリアさんが消えた場合、レギュラー番組がいくつも増えると推測される。

 山田は事業の方針でアリアさんと何度もぶつかってる。内ゲバみたいなもんだ』

 

 仕事を取られたアリアの先輩。

 アリアが消えれば仕事が増える、別事務所だがアリアと仲の良いアリアの後輩。

 若い女に仕事をあれこれ指示されるのが嫌なオッサン社会人。

 簡潔に言ってしまえば、こうなる。

 

『アリバイを確かめる意味はねえ。

 複数人が絡んでるって時点で、主犯は動かなくていいわけだしな』

 

「何か怪しいものはなかった? 勘でいいから」

 

『何かって言われてもな……んー……』

 

 マーロウは直感に優れている。

 車を見て"あの車は泣いていたんだ"とか言い出して、最終的に真実に辿り着くような、感性部分が飛び抜けているタイプだ。

 簡単に他人を信じる甘っちょろい部分さえ無ければ、さぞかし有能な探偵だったことだろう。

 その直感を、マーニーは頼りにしていた。

 

『加藤は若い青年アイドル食ってるとか噂があったな。

 吉田は控室に廃棄物処理場のチラシがあったのが気になったぜ。

 山田は最近株に手を出したらしいが、その結果は誰も知らないらしい』

 

「ふーん……」

 

 判断が下せそうで下せない。

 未だ論理を推理で組み立てる段階には至っていないようだ。

 

「ありがとうマーロウ。また後で電話するから」

 

 電話を切って、マーニーは独自のデーターベースと、インターネット上に残っている記事の過去ログに検索をかける。

 

(過去の新聞記事、週刊誌記事に検索をかけて……キーワードは、容疑者の名前)

 

 色々と目につく情報もあったが、マーニーはその中に一つの共通点を見つけた。

 

(加藤は地元の後援会と癒着したヤクザAと交流あり。

 吉田は事務所がヤクザBと繋がってると騒がれたことがある。

 山田は昔はヤンチャしてて、その時の友人が組長をやってるヤクザCと友好が……)

 

 三者三様に、ある団体さんと繋がりがあったのである。

 

「全部ヤクザじゃないか!」

 

 マーロウの勘は正しかったが、話は非常に面倒臭い方向に進んでいた。

 

 

 

 

 

 関係者の話を聞いて回ったマーロウ、警察で話を聞いてきた緑川が合流。

 二人で情報を交換してもイマイチ状況が進んでいる気がしない。

 緑川はマーロウを連れてテレビ局に突撃し、休憩時間のアリアにド直球に――やや失礼に――皆が秘密にしているようなことを、根掘り葉掘り聞こうとしていた。

 

「あの、もっと踏み込んだ話できませんか?」

 

 ストレートなその物言いに、アリアは困ったように微笑んで、マーロウはうろたえた。

 

「おい緑川、そいつは……」

 

「黙ってろマーロウ。

 今回ずっと思っていたが、芸能界は隠し事が多すぎる。

 後ろ暗いことがあるんだろうが、これじゃ話が先に進まん」

 

 芸能界の暴露本が売れるのは何故か?

 暴露されたら驚かれる真実があり、その真実を覆い隠す体制があり、隠されている闇がいくつもあるからだ。

 アリアはそれを隠している。必要だと思う情報だけをマーロウ達に渡している。

 昔から秘密を暴き立てる性根持ちの緑川からすれば、そこが気になって仕方ないのだろう。

 

「ごめんなさい、話してしまうだけで不義理になってしまうこともあるの」

 

「いや、話したくないことでも全部話してもらわないと……」

 

 話したいけど義理で秘密にしておかないといけないことがあり、アリアはそれを話せない。

 それを話せと詰め寄る緑川を、マーロウは肩を掴んで止めた。

 

「依頼人にだって隠したいことはあるさ。

 訳ありの依頼人の秘密まで気にしてたら、探偵なんてできやしねえ」

 

「……そう言い切れるのか? 依頼人に騙されても?」

 

「まずは依頼人の味方になることを考える。探偵の鉄則だぜ」

 

 彼の迷いのない言い草に、少女は目を丸くした。

 自分の流儀を押し通すか。この男の甘い流儀に合わせるか。緑川は一瞬だけ逡巡し、迷い……溜め息を吐いて、この男の流儀に合わせることにした。

 

「……すみませんでした。お仕事、頑張ってください」

 

「いいのよ。ごめんなさいね、楓ちゃん」

 

 緑川もまた、自分の身の危険と、他人に通すべき義理を天秤にかけ、アリアが義理を選んでいたことに気が付いたからだ。

 アリアが去って、緑川は自分の肩を掴むマーロウの手を払い除け、気恥ずかしそうに一歩分マーロウから離れる。

 何か言いたげなマーロウの視線に、帽子の位置を直しながら、少女はぶっきらぼうに答えた。

 

「分かったよ。依頼人の味方なら、依頼人の聞かれたくないことは聞かない。これでいいか?」

 

「お、意外とノリいいじゃねえか。堅物かと思ってたぜ」

 

「堅物言うな! 友人によく言われるから、そこは少し気を付けてるんだ!」

 

 帽子の位置を直す少女は、位置を直すまでもなく帽子が似合っている彼を見て、帽子が似合う探偵と評された祖父のことを思い出す。

 

「マーロウを見てると、パパから聞いたおじいちゃんの話を思い出すよ」

 

(女子高生は父親をパパって言うのが一般的なのか。

 マーニーも緑川もそう呼んでるしな。やっぱ常識はこうやって学び直すのが一番か)

 

「おじいちゃんは帽子が似合う人だったんだとさ。

 そのおじいちゃんの口癖が『帽子が似合う奴は一流だ』って言葉。

 おじいちゃんは帽子が似合ってるかだけでも、その人のことが分かるって言ってた」

 

「おっ、そんなに似合ってるか? この帽子」

 

 得意げな顔になるマーロウ。

 帽子が似合っていても、これでは台無しだ。

 素直に褒める気が失せてしまう。

 

「満点が100点で50点くらい。まあ半分くらいかな」

 

「半分かよ!」

 

 100点満点が完璧なハードボイルドであるのなら、マーロウはどこまでも50点の探偵だった。

 良い意味でも、悪い意味でも。

 

「ああそうだ、警察はどうだった?」

 

「護衛は付けてるけど、警察の護衛が付けばそうそう事は起こされないと思ってるみたいだ」

 

 マーロウの奢りで、二人はテレビ局廊下の自販機が吐き出した飲み物を手に取った。

 

「警察と知名度はそれだけで威嚇になるのさ、マーロウ。

 有名人を害されれば警察は威信にかけて犯人を追い詰めようとする。

 警察が護衛してる人を害されてもそうだ。犯人を逃したらメンツに関わる」

 

「まあそうだな。大統領に殺意を抱いた奴の何%が、暗殺計画実行に移すんだって話だ」

 

 緑川がオレンジジュースを口元に運ぶ。

 

「アリアさんに犯罪行為をしたと発覚したなら、犯人は警察にもマスコミにも追われるだろうな」

 

「となると、アリアさんの口封じは最低でも必須であると、私は考える」

 

「殺人か」

 

「でもそうなると死体という証拠も残る。簡単な話じゃないと思うね」

 

 マーロウがカッコつけで選んだブラックコーヒーを口に運ぶ。

 

「あと、警察は犯人の目星がまだついてないそうなんだ。容疑者が多すぎて」

 

「そりゃそうか」

 

 集団で事を成すならアリバイの偽造も容易。アリアに何かがあって得する人間も膨大。何もかもがぼんやりとしていて証拠もない。霧中の如き状況だ。

 

護衛(ディフェンス)が警察、捜査(オフェンス)が俺達だ。

 俺達の仕事はアリアさんを守ることじゃなく、アリアさんの敵を見つけることだが……」

 

 コーヒーを飲み終わった後の紙コップを握り潰すマーロウだが、息を切らして廊下を走ってきた男を見るやいなや、ただ事でないことが起きたことを察した。

 

「マーロウさん、緑川さん!」

 

「おっ、アリアさんのマネージャーじゃねえか。仕事お疲れ――」

 

「如月さんが攫われました!」

 

「「――は!?」」

 

 握り潰した紙コップを、ゴミ箱の中に放り投げる。

 

「……風向き悪くなって来たな、クソッ!」

 

 マネージャーから話を聞き、マーロウはスタッグフォンを耳にあて駆け出した。

 

 

 

 

 

 マーロウがマーニーに電話で語った内容は、要約すればシンプルだった。

 なんと屋外での撮影中に、アリアの姿が消えてしまったらしい。

 トイレか買い物だと言う者も居たが、アリアが仕事に真摯であることを知っているマネージャーは、アリアが皆に黙ってどこかに行くなどありえないと断言していた。

 つまり、誘拐である。

 

 テレビの撮影中は多くの人がアリアを見ている。

 警察も"撮影の邪魔にならないように"という意識と、この油断が相まって、アリアが攫われる隙を作ってしまったようだった。

 これは警察の怠慢を責めるより、犯人側の手際の良さを褒めるべきだろう。

 撮影中の有名芸能人を、衆人環視の中目撃情報ゼロで誘拐するなど、芸能人の協力者・犯罪知識・綿密に立てた計画の三つが過不足無く必要だ。

 

 依頼人がさらわれ、危険に晒されていることに、マーロウは途方もない焦燥を感じる。

 

『時間がねえぞマーニー! 今はもう夜六時だ!

 本格的に暗くなったら法に反したこともやりやすくなっちまう!』

 

「待って」

 

 対しマーニーは、自宅で考えに考えていたことで、一つの結論に達しようとしていた。

 

「私考えてたんだけどさ、動機のある人の中から犯人探すんじゃ見つからないと思うんだ」

 

『どういうことだ? 犯行を企めた人間ってなると、もっと容疑者は多くなるぞ』

 

「そうじゃなくて。問題は犯行の後のこと」

 

『アリアさんの死体が見つかりでもしたら、警察が本腰入れるって話か?』

 

「そういうこと」

 

 そう、それだ。

 突発的・衝動的な犯行でなければ、あるいは犯人がヤケになった人間でなければ、普通は犯行を起こした後のことを考える。

 彼ら探偵が目をつけるべきだったのは、まさにそこだったのだ。

 

「こっちでいくらか検索してみた。そうしたら変なものが見つかったんだ」

 

『変なもの?』

 

「如月アリアについて変な噂を流してる人達。一部はデマ記事にまでなってる」

 

『!』

 

「如月アリアには高校時代の恋人が居て最近ヨリを戻した、だの。

 事業に一度だけ失敗して最近それで思い詰めてる、だの。

 親に結婚を反対された恋人が居て、その恋人との駆け落ちを考えてる、だの。そんな感じ」

 

『おい待て、それは……』

 

「ネットの人は皆邪推が大好きだから。

 適当に情報を流して、失踪理由を邪推させていけば、それが世論になる」

 

 事前に時間をかけて噂を浸透させ、証拠を残さず攫い、証拠を残さず殺し、死体を残さない。

 難しいことだろう。

 だが、不可能ではない。

 

「死体を発見させないこと。

 殺人事件であると断定させないこと。

 如月アリアが自分の意志で失踪しただけという可能性を残すこと。

 この三つを完璧にやり遂げれば、この案件は殺人事件として大規模に捜査されることはない」

 

『計画殺人か!』

 

 まるでマジシャンの大魔術だ。

 殺人事件を行方不明事件へと変える、事前準備がやたらと長い奇術の類。

 

「だとしたら次の問題は死体の処理になる」

 

『海にでも沈める、とかか……?』

 

「ううん、それだとすぐに見つかっちゃう。

 昔アスファルトに死体を溶かすってデマもあったけど、それも実際は不可能。

 死体の処理は炎で焼くか、薬で溶かすかの二択さ。

 地面に埋めても見つかるし、動物に食わせるにも限界があり、焼くなら1700℃は要る」

 

『人体サイズのものを燃やせる1700℃……それだと専門の機械が要るよな?』

 

「一時期から警察が規制してるから、それが出来る場所はそれなりに限られる」

 

 マーニーは手元にプリントアウトした地図を広げる。

 その地図をスマホで撮影して、その画像をマーロウのスタッグフォンへと送信した。

 

「例えば、廃棄物処理場とか」

 

『!』

 

 マーロウはアリアの後輩吉田の控室で見た、廃棄物処理場のチラシのことを思い出す。

 

「廃棄物の処理は、昔からヤクザと繋がりのあるところも多い。

 例えばコンクリートの不法投棄で億単位の利潤が出たとされることもある。

 そういった違法な処理を通じて、ヤクザと癒着してた業者も居るはずだ」

 

『そいつらも今回共犯になってるってわけか……』

 

「外国だとギャングと組んで十年以上、数百人分の死体を処理してた業者も居たりするね」

 

『こうしちゃいられねえ! すぐにでもアリアさんを助け出さねえと!』

 

「待って、今送った画像を見てよマーロウ。

 死体処理には特殊な設備や薬品が必要だって言ったでしょ?

 ならそれができる工場や処理場はそれだけ限られるんだ」

 

 チラシ、ヤクザ、処理場の場所。状況証拠は揃った。

 

「アリアさんの先輩・加藤と繋がりのあるヤクザはここが地元じゃない。

 アリアさんの仕事仲間・山田と繋がりのあるヤクザもそう。

 この近辺にある処理場と繋がりのあるヤクザに、殺人と事後処理を依頼できるのは……」

 

『アリアさんの後輩の吉田。こいつが真犯人だ』

 

 後輩の立場を利用しアリアの撮影スケジュールを盗み見て、今日の撮影でも現場でアリア誘拐の手引きをし、ヤクザを利用してアリアを芸能界とこの世から消そうとしている。

 吉田こそが、裏で全ての糸を引く黒幕だ。

 それが分かったのはいいが、問題なのはアリアの居場所は結局分からないということ。

 そして状況証拠しかないために、警察に全てを明かして吉田をしょっぴき、全てを吐かせるという手段も取れないということだ。

 

「でもアリアさんの居場所までは掴めない。

 工場か処理場に運び込まれた時にはアリアさんは既に死体だ。

 一刻も早く、アリアさんが何かされる前に何か手を打たないと……」

 

 マーニーがガシガシと頭を掻く。

 動かない足を恨めしく思い、無力感を思考で追い出そうとするマーニーの耳に、スマホ越しにマーロウの芯の通った声が届く。

 

『ありがとよマーニー。この情報はハッタリに使える』

 

「え?」

 

『任せろ。で、信じて待ってろ』

 

 通話が切られる。

 マーロウにかけ直すこともできただろうが、少女が彼にかけ直すことはなかった。

 付き合いが長いわけではないが、マーニーにもマーロウが頼りになる時と頼りにならない時の区別はつく。

 

「……これはスイッチ入ったかな?」

 

 帰って来たらすぐ食べられるよう、晩御飯でも作っておいてやるか、とマーニーは車椅子を動かし台所に向かって行った。

 

 

 

 

 

 マーニーとの通話を切ったマーロウが「ちょっとここで待っててくれ」と言って、どこかへ駆け出していくのを、アリアのマネージャーと緑川は目をパチクリさせて見送っていた。

 

「あの、マーロウさんは何を……?」

 

「さあ。私も会ったばかりの男だから」

 

 しかもすぐに戻って来る。何をしに行ったというのか。

 

「マーロウ、何を……」

 

「すぐ分かる。

 マネージャーさん、アリアさんと仲良いっていう吉田さんの電話番号分かります?」

 

「分かりますが、何に使うんですか?」

 

「こう使うんすよ」

 

 マーロウはまずフロッグポッドに声を吹き込む。

 吹き込まれた声は録音され、メモリガジェットの力で『怪しさ』を最大限に感じる、聞いているだけで不安になる声に変換される。

 彼はマネージャーから聞き出した番号にかけた携帯電話(スタッグフォン)に、録音機器(フロッグポッド)で変換した声を直接吹き込んだ。

 

『如月アリアにお前がしたことを知っているぞ。

 ヤクザと手を組んでいることも知っている。

 死体処理は向かいにローソンがあるあの場所でするつもりか?

 それとも川に面しているあの工場か?

 まあどうでもいい。それらの場所は全て我々が抑えている。

 お前がしていることは全て我々に筒抜けだった、ということだ。諦めろ』

 

 作った口調、演技の口調。マーロウの台詞は、真犯人を追い詰める一手となった。

 

 

 

 

 

 吉田の事務所と繋がりのあるヤクザは、この案件に若頭の一人とその部下約50人をあてた。

 アリアと親交のある吉田が内側から手引きしたとはいえ、顔も見せず、証拠も残さず、有名人を一人拉致した手際は優れたものだ。犯罪であるため、本当は賞賛するべきではないが。

 

 アリアは今、数十階という高さのビルの最上階に囚われている。

 目隠しと猿ぐつわを付けられていて、周囲を見ることも声を出すこともできない。

 犯人はアリアに顔も見せず、状況を説明してやることもしなかったが、アリアはその明晰な頭脳でこの状況を大体理解していた。

 

 若頭はアリアを一室に転がし、部屋を出て舌打ちする。

 

「ちっ」

 

 若頭が舌打ちした直後、彼が舌打ちした苛立ちの原因がやって来た。

 

「吉田の姐さん、如月アリアに手を出すなってどういうことっすか?」

 

「そのままの意味よ、若頭。今あいつを殺るのはマズいわ」

 

 今回の事件の黒幕、アリアの後輩・吉田である。

 如月アリアを殺って欲しいと頼んできたり、殺るなと急に指示を出して来たり、若頭から見れば吉田の指示には一貫性がない。

 アリアが消え、仕事が増えた吉田が事務所に膨大な金をもたらし、その一部がヤクザに還元される……そういう取引があったとはいえ、苛立つものは苛立つのだ。

 

「私の……私達の企みが、バレてるわ。脅迫電話が来たの」

 

「!」

 

「私達しか知らないはずの死体処理の流れのことまでバレてたわ。

 このまま殺せば、最悪私達は如月アリアの死体を抱えて警察に見つかるハメになる」

 

「マズいじゃねーかオイ、姐さんよ!」

 

「だから今はまだ殺すなってさっき電話して、私直々にここまで来たのよ!」

 

 マーロウの言葉は、"迂闊な行動はできない"という意識を楔のように打ち込み、彼女らがアリアを短絡的に殺してしまうことを防止していた。

 

「待った、姐さんはなんで捕まってないんだ?

 証拠があるなら、脅迫電話の前に姐さんが捕まっててもおかしくないだろ。

 それに脅迫電話をした意図がイマイチ読めねえ。

 なあもしかしてこれ、金を払えば黙っててやるっていう脅迫なんじゃねえか?」

 

「だとしたら今日中にもう一度電話がくるかしら……

 証拠がない警察のブラフという可能性もあるわ。

 ともかく迂闊には動けない。このホテルは安全なの?」

 

「このホテルの支配人には既に金を握らせてらぁ。

 50人を超える武器持ちの部下をホテルの中に配置してある。

 バカな奴が侵入してきたら、50を超える俺達全員で一気に袋叩きさ」

 

「そ。安心したわ」

 

 若頭も吉田も、揃ってホッとした様子を見せる。

 そこでホッとして欲が出たのか、若頭は獣欲にまみれた目をドアに向けた。そのドアの向こうには、如月アリアが居る。

 男が女に向ける、シンプルで下卑た欲が姿を見せていた。

 

「殺すのはダメでも……ま、ちょーっとイタズラするくらいはいいだろ?」

 

「好きになさい。

 先輩気取りで私に構ってきてたけど、さっさと消えてほしいってずっと思ってたのよ。

 私が得るはずだった仕事を、いつまでも上に居座って横取りし続けて……」

 

 そして吉田もそれを止めない。

 むしろ推奨している。

 証拠など犯人特定になるものを残さなければ何をしてもいい、と言わんばかりだ。

 

 男はドアを開け、吉田と一緒に部屋に入り、閉じ込めていた目隠しと猿ぐつわ付きのアリアににじり寄り、そして――

 

「おぅらぁっ!!」

 

 ――窓の外から突っ込んで来た黒帽子の男に、その欲望を邪魔された。

 

「!?」

 

 ここが何十階だと思ってるんだ、と突っ込む隙も与えず、飛び込んで来た男……マーロウは、アリアを抱えて後ろに下がる。

 若頭は銃を抜いて構えて下がり、吉田はその背後に隠れたので、両者の間に分かりやすく距離が空いた。

 

「何者だ!?」

 

「探偵さ」

 

 美人の前でデレデレしているマーロウに帽子は似合わないが、理不尽な暴力から女性を守っている今の彼には、とても帽子がよく似合う。

 

「どうやってここに……いやそもそも、なんで如月アリアの場所が分かったの!?」

 

「上着の下、スカートの背中側のベルト辺りを見てみな、吉田」

 

 ハッとした吉田がその辺りを探ると、上着でちょうど隠れていたその位置に、丸い発信機が取り付けられていた。

 

「まさか……発信機!?」

 

「スパイダーショックだ。

 あんたが黒幕だと知った直後に付けた。

 で、付けた直後にあんたにあの電話をかけた。

 不安にかられたあんたは、ヤクザどもに確認を取りに行くはずだと読んでな」

 

「あの電話まで! よくも……ここまでコケにしてくれたわね!」

 

 腕時計型ガジェット、スパイダーショック。

 このメモリガジェットは発信機を射出することが可能で、射出された発信機が服にくっついてもほぼ気付かれない。

 吸着力が高いため外れにくく、射出した発信機の電波は腕時計型ガジェットの方で拾うことができるため、高度な追跡が可能となる探偵ツールだ。

 

 マーロウはこれを使い、吉田にアリアの場所まで案内させるという作戦を立てていた。

 

「アリの巣の場所が知りたいなら、アリの一匹に目印付けてそれを追いかければいい」

 

「私が、アリですって……!?」

 

「落ち着け姐さん! ……いや待て探偵、お前が外から来た理由の説明になってねえぞ!」

 

 ここは数十階のビルの最上階。

 ヘリでも使わなければ外から来ることなどできないはずだ。

 なのにどうやって来れたのか。

 ビルの中のヤクザ警備を無視して、どうやって外から飛び込んで来たのか。

 

「決まってんだろ、ビルの外の壁をよじ登ってきたんだ」

 

「お前本当に探偵?」

 

 出て来た答えは、予想以上にぶっ飛んでいた。

 

 

 

 

 

 ビルの外で、緑川はマーロウの無茶に戦慄していた。

 

「あれはバカだ、とんでもないバカだ……」

 

 スパイダーショックにはもう一つの機能がある。

 それが、腕時計状態で射出する蜘蛛の糸……特製の強化ワイヤーだ。

 このワイヤーはとにかく頑丈で、おそらく車を吊っても切れることはない。

 しかも人間を引き上げられる巻き上げ力がある。

 

 マーロウはこれを壁のどこかに引っ掛け、巻き上げ、ビルの壁を上っていく。

 糸を全部巻き上げたら窓枠などを掴んで壁に張り付き、もう一度射出。そして巻き取り。

 これで最上階まで上がって行ったのだ。

 落ちれば死ぬことを考えれば、生半可な度胸で出来ることではない。

 

 ビルの内部でヤクザに足止めされる可能性、袋叩きにされる可能性を考えた末に、出来る限り早くかつ邪魔されずにアリアを助けるために彼が考えた策であった。

 

―――緑川、警察に連絡頼む。リアルタイムで警察に状況を話す奴も必要だろ

 

 彼女の役割は警察を呼ぶこと、警察に随時連絡すること、状況に合わせてビルの外側で動くことだ。

 アリアを助けた後は、このヤクザどもをまとめて警察に突き出すことも考えるべきである。

 そのために動いている彼女は、ビルの最上階に突っ込んだマーロウの姿を遠目に見ていた。

 

―――信じろ。"俺達"の依頼人は、俺が必ず守ってみせる

 

 今は彼を信じるしかない。

 アリアを守れるか守れないかは、一刻を争う事態なのだから。

 

「急げよマーロウ。警察は呼んだ。後はお前とアリアさんがそこから上手く逃げ出すだけだ」

 

 

 

 

 

 ビルの外側を登ってきた方法をマーロウ自身の口から聞き、若頭と吉田までもが戦慄していた。目隠しと猿ぐつわを外されたアリアもちょっと引いていた。

 

「……もっと他にいい方法あったんじゃないのか?」

 

 思わず若頭はそう言ってしまう。

 

「いいや、こいつが最善だ。間違いねえ」

 

「最短の道ではあっても最善の道ではないだろ絶対! バカかお前は!」

 

「はぁ? おい、いいことを教えてやる」

 

 マーロウは大真面目な顔をして。

 

「他人にバカって言ったやつが―――バカなんだぜ?」

 

 大真面目に、そう言った。

 

「小学生みたいなことを格好つけて言うんじゃねえ!」

 

 若頭は抜いた銃をマーロウに向けるが、遅い。

 

「おおっと危ねえ」

 

 マーロウはスパイダーショックの糸を発射し、銃に巻きつけそれを瞬時に取り上げた。

 

「く、くそっ……!」

「ちょ、ちょっと!

 あんたら暴力と反社会行動で金を稼いでる奴らでしょ!

 しっかりしなさいよ! こんな探偵一人にやられてんじゃないわよ!」

 

「探偵一人? 違えよ、探偵三人だ」

 

 マーロウに投げ捨てられた銃が、部屋のゴミ箱に放り込まれる。

 

「吉田。アリアさんは最後まで、アンタとヤクザに付き合いがあることは話さなかったぜ」

 

「そ、それが何よ……」

 

「不義理になる、って言ってな。

 最後まであんたの不利になることは言わなかった

 だがあんたは、その信頼を裏切った。……さあ、お前の罪を数えろ」

 

 アリアを庇うように立つその男が、指を突きつけ、罪を突きつける。

 憤慨したヤクザの若頭は、猛然とマーロウに殴りかかった。

 

「こんな女のワガママのために、捕まってたまるかよっ!」

 

 その鼻っ面に、マーロウのカウンターパンチが突き刺さる。

 

「共犯やっといて何言ってんだこの野郎っ!」

 

 殴られた時点で若頭は気絶し、吹っ飛んだ若頭はヤクザの後ろに隠れることしかしていなかった吉田に激突。ただのアイドルでしかない吉田を、その衝撃で気絶させた。

 

「あがっ……きゅぅ……」

 

「俺の依頼人に手を出そうとする奴は、許さねえ」

 

 依頼とは頼ること。依って頼るからこそ依頼。

 探偵への依頼とは、依頼人が探偵を頼るということだ。

 頼られたならば応える。それがマーロウという男の在り方だった。

 

「大丈夫ですか、アリアさん」

 

「ええ、ありがとう。探偵さん」

 

「すみません、依頼人を危険な目に合わせちまって。合わせる顔がねえ」

 

「なら、それを-1として、今助けてくれたことを+1として、帳消しにしましょう」

 

 地面にへたり込んだままのアリアは、マーロウに手を差し出す。

 

「ここで助け起こしてくれるなら、もう一つ+1してあげる」

 

「……そいつはいい。素敵な提案だ」

 

 その手を掴んで、マーロウは彼女を助け起こした。

 が。

 

「若頭! 今の音はなんですか!」

「姐さん! こっち来てるんでしょう姐さん!」

「おい見ろ! なんか知らない奴が居るぞ! 二人も倒れてる!」

 

 そこで部屋の外からヤクザがなだれ込んでくる。

 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきたが、おそらく間に合わない。

 こんな狭い空間でアリアを守りながら数十人の武装した人間を倒すのは、流石のマーロウでも無理だ。

 

「すみませんアリアさん、行きますよ!」

 

「え、嘘、ちょっと、待っ」

 

 マーロウは彼女を抱え、窓に向かって一直線に突っ走り―――そのまま、外に飛び出した。

 

「いやああああああああああああっ!!」

 

 なんだあのバカ!? といった表情を、部屋に集ったヤクザの全員が顔に浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外に飛び出した二人は、そのままビル近辺の底が深いプールに落ちる。

 普通なら死ぬ。

 マーロウが下になって衝撃を和らげたため、アリアは死なないだろうが、彼は確実に死ぬ。

 ……はずだった。

 

 なのに、マーロウは平然とアリアを担いで水の中から這い出てくる。

 

「はぁ……はぁ……しょ、正気なの!?」

 

「いや、なんか行ける気がしたんだよアリアさん。

 もしかしたら記憶を無くす前の俺は、ビルの高さから水に落ちたことがあるのかも……」

 

「どういう人生送ってたらそうなるの」

 

 プールに落ちて水浸しになったというのに、アリアの表情からは呆れや感謝の感情は見えても、水濡れにされたことへの不満は見て取れない。

 顔に出さないようにしているのかもしれないが、彼女が基本的に寛容で優しい人間であるからだろう。

 

「まあなんだ、水に落ちたらなんだかんだ死なない気がしたんですよ、俺は」

 

「水に落ちて死ぬ人は年間何人も居るでしょうに……」

 

 パトカーの音が随分近くなった。

 もう警察がホテルを包囲し、吉田とヤクザの全員を逮捕し始めている頃だろう。

 これにて事件は決着だ。

 マーロウは遠目に緑川を探し、アリアは服をギュッと絞ってとりあえず水を抜いている。

 

「これで依頼は完了ね。私は警察に証言をしに行ってくるわ」

 

「また何かありましたら、俺達に連絡を」

 

 水に落ちてもなくならなかった帽子の鍔を指で押し上げ、マーロウは人好きのする笑顔を浮かべた。

 アリアは美しく微笑み、そんな彼の右手を優しく取って、両手でしっかりと握る。

 

「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」

 

 特に調べるまでもなく、さらりと『マーロウ』という名前に合わせた引用が出来るのは、彼女の内の知性の証。

 

「ありがとう、優しくて頑張りやなハードボイルド探偵さん」

 

 そう言って、手を離して、彼女は去っていった。

 握られた手をグッ、パッ、と閉じたり開いたりして、マーロウはすぐさまスタッグフォンで電話をかける。

 

「マーニー! やべえ! 如月アリアに手ぇ握られた!」

 

『まずは仕事の報告するべきじゃないだろうかそこは!』

 

 クールで何事にも動じない鉄の男、ハードボイルドはまだ遠い。

 

 

 

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