名探偵マーロウ   作:ルシエド

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Cに気を付けろ/チャイルド・ミステイク

 この事務所には、ロイドとマーニーが飼っているエリオットという猫が居る。

 名前の由来は、1973年に公開された名作映画『ロング・グッドバイ』でフィリップ・マーロウを演じた名俳優、エリオット・グールドに由来している。

 この名演は『当時日本で理想とされた探偵像』や『ハードボイルド』のイメージをがっちりと固め、『タフで優しく在ること』を人々の心に刻み込んだという。

 

 「さよならを言うのは、少しの間死ぬことだ」という言葉も、このロング・グッドバイが初出である。

 死は永遠の別れ。

 さよならは一時の別れ。

 だからこそ、さよならは少しの間だけ死ぬということなのだ。

 フィリップ・マーロウは、これを別れの言葉としていた。

 

 さて、ではそんなカッコいい男達の名前を貰った青年・マーロウと、猫・エリオットは探偵事務所ロイド・インベスティゲーションで今日は何をしているのか。

 

「バカお前ひっかくんじゃねえ! この餌で満足しろってんだよ!」

 

「ふしゃー!」

 

 ……本気で喧嘩していた。

 

「高い餌で舌肥えさせてんじゃねえ! ただの猫なんだからこの値段の餌でいいだろうが!」

 

「ふっー!」

 

 エリオットのみだれひっかき。マーロウにはこうかがばつぐんだ!

 

「いってぇっー! てめえこの野郎! あんま調子乗ってると飯抜きにすんぞ!」

 

「にゃー……」

 

 エリオットは渋々といった様子で、安い餌を食べ始める。

 ロイドはエリオットに無難な餌をやる。

 マーニーはエリオットに甘いので、エリオットがねだるとすぐに高い餌を買ってしまう。

 マーロウは毎度のようにエリオットと喧嘩しながら、最終的には安餌で妥協させる。

 どうにもこの猫、マーロウをライバル視しているフシがあった。

 

「ほらよ、猫用ミルクだ。残すんじゃねえぞ」

 

「にゃ」

 

 猫と本気で喧嘩する男もどうかと思われるが、喧嘩した後猫と戦友みたいな雰囲気を醸し出すこともあるので、差し引きゼロ……ゼロになるかもしれない。

 

「……何やってるんだお前は」

 

「げっ、緑川!」

 

「猫と本気で喧嘩してる大の大人を見た私のこの気持ちはこう……なんだ……?」

 

「その目をやめろ」

 

「ああそうか。

 お前が猫探しが得意な理由が分かった。

 マーロウは猫と対等に喧嘩してしまうくらい、猫の気持ちが分かるんだな……」

 

「その目をやめろ!」

 

 エリオットがマーロウを鼻で笑った……ように見える動きをした。

 マーロウは気を取り直し、夏場の暑さのせいでダラダラ汗をかき、無駄に長い髪が首や頬にひっついている緑川に要件を問う。

 

「で、何か用か? また友達と喧嘩したのか?」

 

「う、うるさい! 私の地元の友人は関係ない!」

 

 緑川がビシっと突きつけてきたのは、無地のケースに入ったブルーレイディスク。

 マーロウの直感が、やけに嫌な予感を流出させていた。

 

「知り合いが貸してくれたんだ。

 なんでも、今の季節にピッタリで、皆で一緒に見るものらしい。見るか?」

 

 それを地元の友達と一緒に見ないってことはまた喧嘩したってことじゃねーか、とストレートに言わないだけの優しさが、マーロウにはあった。

 

 

 

 

 

 今の季節は夏。

 夏に相応しい映画とは何か?

 

「ホラーものかよ!」

 

 タイトルは"呪怨VSリング 終末世界の最終決戦!"。

 呪怨からじとお、リングからングを抜き取って、巷では『ジオング』と呼ばれている名作だ。

 幽霊には足がないもんね! と業界からも好評を受けている今流行りのホラー映画である。

 前作『貞子vs伽椰子』も好評なため、二作品まとめてオススメされることが多いらしい。

 

「どうしたマーロウ、ビビってるのか!? 私はビビってないがな!」

 

「ビビってねーよ! 俺がビビってるって思ったってことはお前がビビってるってことだろ!?」

 

「二人共声がいつもの三割増しにうるさい」

 

 巻き込まれたマーニーはご愁傷様としか言う他無い。

 マーニーも緑川も、"探偵はオカルトを排除しロジックで考えるべし"という思考体系を持つ生粋の探偵だ。が、マーニーと違って緑川はこういうものに強くなかった。

 三人で夏の夜にホラーを楽しもうという話の流れになったのはいいが、この手の映画に眉一つ動かさない耐性を持つのは、マーニーくらいしかいない。

 

「このパッケージとか全然怖さ感じないからな!

 俺は怖さ感じてないから部屋の中の電気とか消せるし!」

 

「私事前にCM見てたけど全然怖くなかったからな!

 廊下まで電気消してドアとか全部開けておけるからな!」

 

(これで映画が怖いだけでつまんなかったら私どうしよう)

 

 しかも平気じゃない二人が加速度的に自分を追い詰めていく始末。

 この映画はパッケージからして怖く、CMが怖すぎてクレームにより放送中止になったという伝説まで持つ映画だ。

 そんなものを、三人で視聴すればどうなるか。

 

「―――っ」

 

 まず緑川が目を瞑って耳を塞いだ。

 帽子で目元を隠し、目を瞑っていることを隠すという徹底っぷりである。

 マーニーはつまらなそうにポテチを食べていた。

 

「うおわぁ!?」

 

 幽霊が溜めに溜め、おどろおどろしいBGMでたっぷり緊張感を高め、ガバッと意識的死角から現れる。これにはマーロウも思わず大声を上げてしまった。

 マーニーはコーラを飲んでいる。

 

「ひっ」

 

 ホラー映画は"BGMのリズムだけで人の心を動かす"ことと、大一番で人をビックリさせることにかけては映画ジャンルの中でも最高峰だ。

 耳を塞いでいても、小さく聞こえるリズムと、指の隙間から入って来る怨霊の叫びまでは防げない。緑川も思わず声を漏らしてしまっていた。

 マーニーはチョコと飴玉どちらを食べようか迷っている。

 

「うおおっ!?」

 

 そしてクライマックス。

 太陽に落とされた貞子と伽椰子の復活を最高のホラーに仕上げた、この映画で最も評価された最も怖いシーンにて、マーロウはとても大きなリアクションを取る。

 マーニーはあくびをしていた。

 

「……あ、終わり? じゃあ電気つけてきて、マーロウ」

 

「あ、ああ……」

 

 映画が終わった頃には、マーロウ&緑川とマーニーの間に、電子レンジに入れたが中まで熱が通っていなかった食べ物のような温度差が生じていた。

 

「ま、マーロウ。お前めっちゃビビってたな! 悲鳴が聞こえたぞ!

 私は一度も悲鳴を上げなかったというのにな! あー情けない!」

 

「はっ、俺は幽霊が怖かったんじゃねえ。

 やけに雰囲気を作る音楽と、突然出てくる幽霊に、ちょっとビックリしただけだ!」

 

「ふん、どうだか! 幽霊なんていう居るわけもないものにビビってたんだろう!」

 

「おいおいおい、立ってるのに膝が笑ってんぞ緑川ぁ!」

 

「こ、これは武者震いだ!」

 

「武者震いはそんな便利に使えるワードじゃねえから!」

 

 ホラーは確かにそういうものだ。雰囲気作りの音楽、見せる範囲を限定するカメラワーク、霊が持つ一種の理不尽さ、緊張を高めてからの奇襲で人の心を揺らすのである。

 驚かせ怖がらせるための計算と積み重ねこそがホラーの要であり、勇気があろうがハートが強かろうが、ホラーに心揺らされてしまうことは多い。

 

「というか二人共、うるさい。

 今が夜だってこと分かってる?

 早めに寝たパパが起きたら私怒るからね」

 

「「 あ、はい、すみません 」」

 

 それにしたって、夜に叫んだり騒いだりするのはよろしくない。

 この家が街の中心から離れた山にポツンと建った一軒の事務所であるとしてもだ。

 

「しかしなんだ、私も帰るにしても外はもうすっかり暗いな……」

 

「……」

 

 マーニーの視線の先で、緑川がうろちょろしている。

 どうやらホラー映画のせいで夜道を帰るのが怖いらしい。

 

「カーテン開けっ放しじゃねえか、閉めねえとな」

 

 マーロウが格好付けてカーテンを閉める。

 真っ暗な外が見えるのが怖い、なんか木々の間に幽霊見えそうで怖い、という本音を隠せているつもりなのだろうか。

 

(こ、この二人……)

 

 やけに気丈な人間が、巷でも有名なクソ怖いホラー映画を見て、部屋で一人で居る時頻繁に背後を振り返るようになる。やたら夜道を怖がるようになる。風呂場で髪を洗っている時に鏡でチラチラ背後を確認するようになる。よくあることだ。

 しかしながら帽子探偵が二人揃ってこんなになってる上、背後を時々気にしているのは、誰の目から見てもシュールである。

 

「……マーニー。そういえば今日、私の家には誰も居ないんだ。ここに泊まっていっていいか?」

 

「あーはいはいどうぞ」

 

「今日は朝まで起きていたい気分だな……マーニー、ババ抜きしようぜ」

 

「動画サイトで猫の動画でも見てなよ、朝まで二人で一緒に。私寝るから」

 

 何が悲しくてクソ怖いホラー映画を見て一人で寝れなくなった成人男性に付き合って徹夜せねばならないのか。

 マーニーは寝て、翌朝起きて、朝ご飯の支度でもしようかと台所に向かう。

 

「おいマーロウ、これさっきの黒猫の方が可愛かったんじゃないか」

「ばっかお前、この三毛猫の動きの機敏さを見ろ。こいつは間違いなく一流だぜ」

 

「……」

 

 そして結局徹夜で猫の動画を見ていたバカ二人を無視して、味噌汁を温め直すため火を入れた。

 あの二人はもう既に、自分達が何故動画を見てるのか、何故自分達が朝まで起きていようと思ったのか、それさえ忘れているに違いない。

 冷蔵庫の中のサラダを出して、鮭の切り身を焼いて、温め終わった味噌汁とタイマーで炊き上がったご飯と一緒に、おまけ程度に納豆を添えて食卓に並べる。

 起きて来たロイドと、朝になったことに気付いたおバカ二人が美味しい匂いに誘われて、自然と食卓に引き寄せられていく。さあ朝食の始まりだ。

 

 これにてホラー・ドーパントの恐怖の話はおしまい……に、なったかに見えた。

 だがなんと、この話は終わらない。

 これより二日後。

 「墓場に現れた幽霊を退治して欲しい」という依頼が来て、彼らはまたしても幽霊のお話に挑むことになるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 依頼はマーニーの同級生だが非クラスメイト、でもクラスメイトの大半より仲良くて、他クラスの人間の中では最も仲が良い同級生……というポジションの、舞城天という少女だった。

 マーニーは全く手を入れていないモジャモジャ頭が目につく少女であったが、この舞城天という少女は、癖の無い髪を三つ編みにして背中側に流している少女だった。

 

「舞城天です。どうぞよろしくお願いします」

 

「マーロウだ。よろしく」

 

 物腰は丁寧だが微笑みは無い。

 この少女からはどことなく不器用な印象を受ける。

 

「天ちゃんはこの辺の峠を自転車で攻める……まあ自転車ライダー(控え目表現)なんだ」

 

「ほー、ライダー。響きがスタイリッシュだな」

 

「そうでもないです」

 

 簡潔な言葉を言い切り、次の言葉を繋げない話し方。

 典型的な口下手、それも無口ではなく寡黙なタイプ。

 話すべき時には人並みに話すが、そうでない時は一気に口数が減る人種のようだ。

 無愛想なのも合わせて、考えていることが分かりづらく、誤解されやすそうな性格である。

 

「私の家の近所にあるお寺の墓地で、幽霊騒ぎがある。真実を突き止めて欲しい」

 

 彼女の依頼は、寺の墓地に現れるという幽霊の正体を突き止めるというものだった。

 

 始まりは――正確な時期は不明だが――おそらく一年ほど前らしい。

 その頃から墓参りに来る人達が、墓の周りで不思議な気配を感じるようになったらしいのだ。

 人によっては幽霊だと怯え、人によってはあの世から故人が帰って来たと喜んだ。

 だがそれも時々聞くだけの話であったので、風や小動物が小さな物音を立てて騒がれているだけだと、寺の関係者は判断したらしい。

 

 だが、ここ一ヶ月ほどで、事態は急変する。

 夜中に墓地で人魂を見た、という証言が相次いで現れたのだ。

 一人や二人なら見間違いで済むが、一ヶ月もの間ずっと報告が相次いでいるとなれば、流石に寺の側も看過できなくなってくる。

 

 幽霊が現れると聞いて、寺にも墓地にも近づかなくなった人が居た。

 幽霊の噂を聞きつけ、それを見るためだけに墓地に来るような迷惑な人が現れた。

 お坊さんなのに幽霊に対処もできないのか、と言う人も居て。

 幽霊騒ぎを自演してまで人呼びたいのかな、と邪推する人も居た。

 

 ともかくこれ以上続けば色々な仕事に支障が出かねない。

 趣味のサイクリングの最中にここをよく通る舞城天は、その縁もあって学校でマーニーに頼み、放課後にマーロウも巻き込んでその依頼は受諾された。

 

「日当五千円、経費は別で。マーニー&マーロウにおまかせを」

 

 クローズ系のSNSで話題にしたところ、緑川は「かーっ、今日は用事があるからなー! 幽霊なんて居るわけないし怖くないけど仕方ないなー! 行けなくて悔しいなー!」みたいなコメントを残して拒否。いや拒絶した。

 マーロウもホラー映画のダメージを引きずっているように見えたが、それ以上に『依頼人の頼みを突っぱねたくない』という意識が勝ったようだ。

 依頼人のため、という思いでホラーの想い出を一蹴していた。

 

「幽霊、か。オカルトはあんまり、ハードボイルドっぽくはねえからな……」

 

「ハードボイルド」

 

「そう、ハードボイルド。いかなる事態にもうろたえずクールに解決する、鉄の男だ」

 

 マーロウ、舞城天にハードボイルドを語る。

 本来探偵は理論と証拠を積み上げるもの。「幽霊は壁をすり抜けられる、幽霊が犯人だ!」と現代社会で叫ぶ探偵が居たなら、アホを通り越して精神病院案件だろう。

 探偵とは幽霊のような『説明できない事象』を推理に組み込まないものなのだ。

 

 当然ながら、ハードボイルドと幽霊も食い合わせが悪い。

 人の怖さをタフな探偵が打ち砕くのがハードボイルドなら、基本的に打ち砕かれない恐怖そのものである幽霊とは、とことん相性が悪いのだ。

 ハードボイルド、というワードを聞いた天は、最近贈答品として貰ったが使う機会のなかった小道具……煙管(キセル)を取り出し、マーロウに手渡した。

 

「キセル咥えてみますか」

 

「キセル……?」

 

「キセル咥えてる男性は、それだけで和製ハードボイルドですよ」

 

「わ、和製ハードボイルド……!」

 

「天ちゃん、記憶喪失の人にあまり変なこと吹き込まないで」

 

 マーニーが天の鞄の中にキセルを押しやり、元の場所に戻す。

 

 キセルは戦国時代に外国から入って来た喫煙具であるが、江戸時代に「これ吸ってる姿カッコよくね?」と言われ始め、その時代には既にファッション道具になっていた。

 更に明治維新後の廃刀令により「刀が無いよう……不安だよう……そうだ、金属製のキセルを普段から使って、いざという時はこれで戦えばいいんだ!」というアイデアが普及。

 後に時代劇などでキセルを格好付けに使ったり、キセルを武器にしたりするシーンが生まれ、日本におけるかっこいい男の風味付けに使われるようになったというわけだ。

 

 だがハードボイルド、と聞いてキセルを手渡す天は少々ズレている。

 タバコも吸わないくせにキセルを使おうかと考えるマーロウも大分ズレている。

 非喫煙家でカッコつけのためだけにキセルを咥える若い男が居たとしたら、その男は間違いなくハードボイルドではなくコメディアンだ。

 

「小道具でハードボイルド感出してどうすんの。

 ハードボイルドって在り方とか心の問題じゃないの?」

 

「ぐっ」

 

 マーニー、マーロウ、天は夜になる直前の夕方頃に現場に到着した。

 学校が終わってから現場に移動したのでこの時間帯になったようだ。

 幽霊探しのことを考えれば、ちょうどいい時間帯であったと言える。

 

「住職さん、幽霊はどの辺で見られてるんだ?」

 

「あの辺りです」

 

 マーロウの前で、住職は幽霊がよく見られる方向を指差す。

 そこには背の高い木がズラッと並べられた林があり、墓の周囲を覆うように立つその木々は、墓という霊の安息の場所を人の視線から隠す役目を担っている。

 

「この木々……所々刃物で切った真新しい跡が見えるな」

 

「おお、分かりますか探偵さん。

 実はあまりにも鬱蒼としていた上に虫が湧くので、業者に切って貰ったのですよ」

 

「それはいつ頃の話で?」

 

「一ヶ月ほど前ですな」

 

「……」

 

 木々は墓に近い木々も、墓から遠い木々も、木々の合間の木々も、そつなく全体的に剪定されていた。

 おかげで身長170半ばほどのマーロウでも、頑張れば木々の合間を抜けることは可能な様子。

 木々の隙間を縫うように、かつ這うように前へ前へと進んでいくと、木々の向こうにはやがて道路のカーブとガードレールが見えた。

 そこを、高そうなロードバイク……つまり自転車が通り過ぎていく。

 

(そういや、あの子は自転車乗りだって言ってたな。

 この道の辺りをよく通るから、寺の住職とも話す機会があったわけか)

 

 道路の一般人から墓を隠すのがこの林の役目。

 道路とお墓を、林が仕切りとなって区切っている、とも言える。

 

「だが大人が何かここに仕込んで悪戯しようにもな……」

 

 マーロウはまた頑張って、林の中を抜けて墓の方に戻る。

 墓に戻った頃には、マーロウは服も帽子も枝や葉っぱまみれになっていた。

 

「マーロウ、どうだった?」

 

「ダメだマーニー。こりゃ林の中に何か仕込むのも難しいぞ」

 

 マーロウとマーニーは、これが誰かの悪意ある悪戯ではないかと疑っていた。

 誰かが林に巧妙な仕掛けをしていたのではないか、と疑っていたのだ。

 

 だがこの林は、剪定されてなおマーロウでもかがまなければ進めないような林であった。

 身長150程度でも厳しいかもしれない。大の大人がここに何かを仕込むのは難しく、仕込むとしても枝を大量に切らなければならないため、痕跡は必ず残るはずだ、とマーロウは推測している。

 

「林の中を人が行き来してたって線は薄いかもな」

 

 マーロウが帽子のゴミを取り、天が無言で彼に見えない背中側のゴミを取り、マーニーは思案する。どうやら思考世界(シンキングワールド)に入ってしまったようだ。

 こうして集中すると周囲が見えなくなるのがマーニーの欠点だが、その分早く事件が解決することを考えると、ある意味長所ではある。

 

「サンキュー天」

 

「いえ」

 

 会話が続かないが、マーロウはそれに嫌な顔一つせず笑っており、彼のそういう雰囲気が無言の天にも嫌な気持ちを感じさせない。

 

「マーニーは考え込むと、俺がいくら声かけても返事すらしないんだよな……」

 

「休憩しましょうか」

 

 自動販売機の前に行きマーロウが「奢ってやるよ、何がいい」と言えば、天が「アクエリアス」と言い、深々と頭を下げて礼を言う。

 礼を受け取って、自分は何を飲もうか考えていたマーロウは、懐の中で震えるスタッグフォンを手に取った。画面には先日会った少年探偵、久儀良太郎の番号が表示されていた。

 

「ちょっと失礼」

 

 天から少し離れて、通話を繋ぐ。

 

『もしもし、マーロウさんですか? 今ちょっと時間貰ってもいいでしょうか?』

 

「どうした、陽が沈みかけのこんな時間に」

 

『そちらにある小学校の、昔の友達が相談してきたんです。

 最近そこの小学校で親に反抗して家出するのがブームになってるらしくて……』

 

「は? 家出ブーム?」

 

『親の間で問題になってるらしいです。

 マーロウさんは何か知らないかなあ、と思った次第で』

 

 良太郎からあれこれと話を聞き、ちょっとの世間話を終え通話を切った頃には、マーロウは一つの推論に辿り着いていた。

 

「どうしました?」

 

 表情が変わったマーロウを見て、不思議そうに天は問う。

 

「人間ってのは、見慣れない光を見て人魂だと思っちまうことがままあるらしい」

 

「?」

 

「昔の幽霊の正体は、大体枯れ尾花だったらしいぜ?」

 

 マーロウは真実に辿り着いたが、マーニーはまだ思考の海に全身浸かったまま帰って来ていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼が長く、夜が短くなる季節。

 もう半ばほど夜になったその時間に、マーロウは依頼者である住職と天を林の前に連れて来ていた。

 

「幽霊騒ぎの真実が分かったとは本当ですか、探偵さん」

 

「ああ。つっても、すぐにこの騒ぎは終わると思うぜ」

 

 話を真剣に聞いている住職や天と違って、マーニーはまだ色々と考え込んでいる。良太郎の情報がない分マーロウより推理に時間がかかっているのだろう。

 そんな彼女に格好のターゲットだと目をつけ、蚊がたかってくる。

 その蚊を一匹一匹、マーロウが空中でつまみ潰していく。

 女の子を守っている探偵、と表現すれば聞こえはいいが、絵面がかなりシュールだ。

 

 とはいえ蚊を片っ端からつまみ潰すモーションは尋常ではなく、"この人ただ者じゃない"感を住職に与え、ちょっとばかり彼の推理に説得力を持たせることに成功していた。

 

「住職さん、片目でものを見ると遠近感が掴めないって話を知ってるかい?」

 

「え? ええ、そのくらいなら」

 

「あれって普段は実感しにくいんだ。

 偶然片目の視界が塞がった時に、一瞬だけ片目で見たものを見間違えたりするのさ」

 

 マーロウが林の一部を指差す。

 そこでは沈みかけの夕陽の光が、葉と葉の合間をくぐり抜けてくる過程で少しだけ不思議な形と色合いに変化していて、いつもの夕陽とは違う形に見えていた。

 

「葉の向こうの光は近いのか遠いのか分からない。

 夜中に林の向こうの光の一部が葉の合間に見えても、だ。

 葉と幹が光の大きさを絞って、薄い葉が光に色を付けて……車のライトを人魂に見せた」

 

「そうか、向こうのカーブ!」

 

「そういうことだ。人魂の正体は、この林が形を変えさせた車の光だったのさ」

 

 木漏れ日、という現象がある。

 木々が太陽の光を普段と違う形に見せる現象だ。

 夜という状況、墓場という環境、林という色付きの偏光膜が、普段あまり見ない光の形を人魂に見せたのだと、マーロウは主張する。

 

「ひと月前の剪定が偶然こんな状況を整えちまったんだろう。

 つまりこの幽霊は、枝と葉が伸びれば自然と消える程度のものだったんだ」

 

「よかった……自然となくなるものだったんですな」

 

 住職がほっと息を吐く。

 彼もこの墓地のことを心底案じていたのだから、当然か。

 天も無愛想ながら、住職に祝いの言葉を届ける。

 

「よかったですね、住職さん」

 

「ええ、あなたもありがとうございます、舞城さん。

 墓は死者に思いを馳せる場所。

 死者に怯える場所ではありません。

 これでようやく、この墓地もあるべき姿を取り戻すことでしょう」

 

 死者は蘇らない。

 ゆえにこそ墓地は、人にとって特別な場所で在り続けるのだ。

 そこを守り続けるこの住職は、天にもマーロウにも、心底感謝していた。

 

「舞城さんが払うはずだった依頼料もこちらで支払わせていただきます。

 本当にありがとうございました、探偵さん。あなたのおかげで助かりました」

 

「探偵として当然のことをしたまでさ。

 依頼料は天を通して後日渡してくれりゃ、それでいい」

 

 事件に一区切りがついた頃、マーニーが思考世界(シンキングワールド)から帰還する。

 

「……あれ? もしかしてもう終わってる?」

 

「終わった終わった。悪いが天、マーニーを途中まででいいから送ってってくれ」

 

 天が頷き、マーロウは何故か自分の手でマーニーを送っていこうとせず、ここで一旦マーニーと別れようとしていた。

 

「マーニー、俺は用事があるから先に帰っててくれ。多分途中で追いつく」

 

「んー……分かった」

 

 マーニーは一瞬何かを考え、髪をガシガシかき混ぜて、その頼みを了承した。

 天とマーニーは帰路につき、住職は寺へと戻る。

 そしてマーロウは全員がその場を去ってから、林の中に突っ込んでいった。

 

(依頼料はまだ貰えねえ。本当の依頼達成はここからだ)

 

 葉っぱまみれになり、枝に肌を切られ、靴と服に泥をつけながら、進んだ先で。

 

 マーロウは、懐中電灯片手にうろうろしている小学生を発見した。

 

「そこまでだ、ガキンチョども」

 

「!?」

「げえっ、大人!?」

 

 幽霊の、正体見たり枯れ尾花。

 

 懐中電灯に照らされた小学生の『秘密基地』が、林の中でポツンと存在を見せつけていた。

 

 

 

 

 

 真相はこうである。

 

 このお墓の近くの林は、一年ほど前から小学生の秘密基地が作られていた。

 一年ほど前から聞こえていた小さな物音というのがこれだ。

 そして一ヶ月前、林の枝葉が剪定で一気に減少したことにより、子供達は一気に秘密基地の中身を拡充した。

 それが、木々が絡んで出来た空間に貰い物のダンボールを貼り付けて完成した、この秘密基地なのだ。

 

 子供達は自分達だけが知っていることを親に秘密にすることに、不思議な快感を覚える。

 数年後には反抗期として芽生える、反抗期の種のようなものだ。

 "親に見つかれば壊されるかも"と思いながら、その背徳感を喜びに変え、子供達は秘密基地という聖域を守る。

 家出したらここに来る。

 親に心配させながら、ここで寝泊まりする。

 小学生達の間で家出がブームになったのは、間違いなくこの秘密基地が原因であった。

 

 マーロウが大人ではこの林に悪戯できないと断言していた。かがんで歩かないと身動きもできない林の状態を身をもって証明していた。

 が、小学生ならそれも問題はない。

 マーロウの身長は170半ば。対し小学生達は140と少しくらいしかない。

 動き回るのにさして支障は無かったことだろう。

 

 そして夜に動き回っている時に、懐中電灯の光が林の葉の隙間を抜けてしまえば、それが人魂に見えてしまうというわけだ。

 子供がうろうろすれば、光は揺らめいて更に人魂に近く見えることだろう。

 これが幽霊の正体。この騒ぎを起こした枯れ尾花というわけだ。

 

「しかしいい出来だな、これ。

 木が絡み合って出来た空間の内側に、ダンボール貼り付けてあるのか。

 木の外側には葉付きの大きな枝を山盛りにしてるから、遠目に見ても分かんねえな……」

 

「へへっ、そうだろ?」

「これのよさがわかるとは、中々の大人みたいだなー」

 

 マーロウは秘密基地の良さが分かる男であった。

 小学生がその辺で拾い、"なんか剣みたいだ"と思って振り回している大きめの枝の良さが、分かってしまう男だった。

 

「おっ、いい枝だな。これはそうそう見つからねえサイズと形だ」

 

「わかんのかあんた!」

 

「あんたじゃない、マーロウだ。もしくはお兄さんと呼べ」

 

 子供もこういうノリの大人相手だと、秘密基地に隠していた自分の宝物を見せてくる。

 剣みたいな枝だったり、異常に大きなネジだったり、金のエンゼルだったり、子供が宝石だと思いこんでいる綺麗な石だったり。

 

「ほー、こりゃ学校のグラウンドに撒く塩化カルシウムの塊か。レアだな。

 形がいいとこんな感じに、ちょっと宝石っぽい感じに見えるんだよなあ」

 

「え、宝石じゃないの!? 宝物だったのに!」

 

「下手な宝石よりももっとレアなもんさ。運が良かったな」

 

「本当!?」

 

 マーロウは子供達の警戒心をあっという間に粉砕していた。

 その結果として子供達からの友情を得た。尊敬ではない、友情だ。

 

「ぬ、この基地、下にはダンボールを敷いて、その上にシーツを敷いてあるのか。

 タオルケットも置いてあって、こっちは虫よけネット……

 夜も寒くないこの季節なら確かにこれで十分か。

 この箱はお菓子入れか?

 成程な、ここを使った奴はここにお菓子を入れないといけない。

 それで溜まったお菓子を夜に食べれば、家出の時の食べ物問題も解決するわけだ」

 

「すげー! お兄さん見ただけで全部分かるのか!」

 

「ふっ……ハードボイルド探偵だから、な」

 

「ハードボイルド探偵すげー!」

 

「お前らもよく頑張ってここまでのものを作ったな。凄えじゃねえか」

 

「へへっ」

 

 褒めて、褒めて、褒めて。

 けれど、言うべきことは言う。

 

「でも、今日でおしまいだ。分かるだろ?」

 

「……」

「……」

 

「子供の秘密基地ってのは、大人に見つかったらおしまいなんだ」

 

 この林は子供達のものではない。

 他人に迷惑をかけてしまっている以上、続けさせるわけにもいかない。

 秘密基地は、いつかは終わるもの。いつかは消えるものだ。

 自分が大人になった頃、子供の頃に作った秘密基地を見に行こうと思っても、きっとその秘密基地は残っていない。そういうものなのだ。

 

「ここの裏にはお墓がある。

 お墓で眠ってる人達のために、お墓の近くに秘密基地を作るのはやめようぜ。な?」

 

「……はい」

 

 マーロウは優しく諭しつつも、彼らの秘密基地を解体し、それで終わりにするつもりだった。

 幽霊騒動を解決し、それと同時に子供達が騒動のせいで怒られるという未来を回避し、それで終わりにするつもりだった。

 それ以上関わるつもりなど無かったのだ。

 なのに、しょぼんとする子供達を見ている内に、マーロウの内側に彼らしい気持ちが湧き上がってきてしまった。

 

「ああもう落ち込むな!

 俺も一緒に考えてやるから!

 見つかりにくくて、壊れにくくて、カッコいい秘密基地の作り方!」

 

「本当!?」

「ホント!?」

 

「ああ、男に二言はねえ! だからここは撤収するぞ。

 俺の依頼人が……このお寺に関係のある人達が、ちょっと困ってるんだ」

 

「するする! 次の秘密基地作ろう!」

「今度はもっとすげーの作ろうぜ!」

 

 木からダンボールをひっぺがし、ダンボールを組み上げて運搬用の箱にして、そこに秘密基地の中身を全部放り込む。

 小学生の体の大きさに合わせた秘密基地は相応の小ささで、箱とその中身という形にすれば、小学生二人でも運べる容量になっていた。

 

 子供達は秘密基地が壊れてしまった今日の悲しみをもう忘れて、明日の秘密基地に思いを馳せている。

 未来だ。子供達は未来だけを見ている。

 だから大人と違って色んなことに躓きやすいが、楽観的に、幸せそうに生きている。

 

 そんな子供達の服の胸ポケットに、マーロウは自分の名刺を差し込んだ。

 

「俺はマーロウ。探偵マーロウだ。初回は無料にしてやるから、困ったらここに連絡しな」

 

「秘密基地!」

「秘密基地作って欲しい!」

 

「それとは別でな! ああもう!」

 

 子供の帰りが遅くなったら親が大騒ぎするこのご時世に、秘密基地での野宿をするような行動力ある小学生達だ。

 何かやらかすかもしれないし、やらかさないかもしれない。

 そしてやらかした時は、彼が解決するのだろう。

 彼は子供の依頼でも、それが本気の依頼なら、ないがしろにはしないだろうから。

 

「あばよ。また会おう」

 

 お墓側から出て行こうとする子供達に背を向け、"子供達に背を向けて格好良く去る"というシチュエーションを実現するためだけに、彼は道路側から出て行く。

 

(決まった……今日の俺は完璧に決まった。完璧にハードボイルドだった)

 

 林を抜ければ、そこから道路に出て帰ることができる。

 マーロウは今日の自分のハードボイルドっぷりに身震いし、ニヤニヤしながら大満足なこの雰囲気を堪能し、林を抜けたところで、自分と小学生達の会話を全部聞いていた天と目が合った。

 

「え」

 

 天は何を考えているか分からない顔をしてスマホを操作し、『松田優作』の画像検索結果をマーロウに見せる。

 

「これが堅茹で卵(ハードボイルド)

 

 天は松田優作を指差し、その指でマーロウを指差した。

 

「あなたは半熟卵(ハーフボイルド)

 

「へー、ハーフボイルド……って誰がハーフボイルドだこらぁッ!」

 

 天の評価は至極妥当で、彼女は八割がた褒める意図でこの称号を彼に与えたのだが、顔にも声にもあまり感情を乗せていなかったので盛大に誤解された。

 なんとなく怒られそうだと思ったので、天は学校からここまで押してきた自転車に乗り、坂を利用し脱兎の如く逃走した。

 

「あ、待てこの……速い!? なんつーライダーだ……」

 

 車並みの速さであった。自転車ライダー舞城天は今日も速い。

 自転車が見えなくなると、代わりに歩道でじっとしていた車椅子がマーロウに近寄って来た。

 

「マーニーも居たのか」

 

「天ちゃんここに連れて来たのは私だから、そりゃね」

 

「お前か! ……そりゃそうか、お前が見抜けないわけもないか」

 

「この近くに小学校があること思い出すのに、少し時間がかかっちゃってさ」

 

 マーロウよりも少ない情報で真実に辿り着き、マーロウの性格と選択を完全に読みきった上でここで待っていたのだとすれば、相当な推理力だ。

 全部分かった上で、子供達が怒られないよう、あの住職がこれ以上迷惑を被らないよう、あちらもこちらも立てようとしていたマーロウを、彼女は見守っていたのだろう。

 

 マーニーは林から出て来たばかりの時の、マーロウのニヤニヤ混じりのキメ顔を思い出し、プッと吹き出す。

 

「『ハードボイルドにキメたぜ』みたいな顔してるのはさ、その……

 マーロウはいいかもしれないけど、見てる方からするとこっ恥ずかしいよね」

 

「マーニーてめえっ!」

 

「なにさ、ハーフボイルド」

 

「ハーフボイルド言うな!」

 

 舞城天が発案のこの二つ名は、あっという間に定着したらしい。

 

 

 




人間の自由と平和のために戦うかのヒーロー達は、正義の味方で子供の味方

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