名探偵マーロウ   作:ルシエド

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突き抜けるT/天定まって亦能く人に勝つ

 マーロウがマーニーと組むようになってから約二ヶ月。

 マーニーが依頼を受けるのは基本的に学校、依頼人は同じ学校の学生か先生であるため、必然的にマーロウの存在も学生に知られるようになってきた。

 だからか、マーニーを通さず直接彼に話を持ちかけてくる人間も出て来たようだ。

 

「陸上部三年の那智勇一です。はじめまして、ご高名はかねがね承っております」

 

「マーロウだ、よろしく。高名っつーほど何かした覚えはないけどな」

 

 年上に対しガチガチの敬語、ガチムチの筋肉。那智は絵に描いたような体育会系だった。

 ここは学校近くの喫茶店。

 そして那智とマーロウだけでなく、何故か舞城天も居た。

 

「マーニーと、それと舞城から聞きました。

 そして確信しました。オレのこの依頼を頼むべきなのは、貴方であると」

 

「おい天、お前何吹き込んだ?」

 

「……」

 

「そこでだんまりは反応に困るからやめてくんねえかな!?」

 

「悪口など言っていないことはオレが保証します。

 人情味に溢れ、一度受けた依頼は必ず達成し、皆が笑顔になれる方向を目指す探偵、と」

 

「天お前……俺のことハーフボイルドとか言ってたくせに、陰ではそんな風に……」

 

「……」

 

 情に流されやすく、時に頑固なくらい強情で、甘ちゃんオブ甘ちゃんのハーフボイルドと仮に天が言ったとしても、上記の褒め言葉とは矛盾しないのが面白い。

 

「では依頼の話を。最近のことですが、アイアンの一人が……」

 

「アイアン?」

 

 マーロウが天を見る。説明頼む、という目つきだ。

 天が那智を見る。那智先輩説明してくれないかなあ、という目だ。

 那智は1mmも引かず天の目を見返した。説明を求められているのはお前だ、というド正論を叩きつけてくる目だった。

 天はどう要約しよう、とちょっとだけ考えて、ほどほどな長さで説明した。

 

「うちの学校はいくつか派閥に別れています。

 その中でも特に大きな派閥が四つ。

 家がお金持ちの『セレブ』。生徒会長の派閥です。

 恋愛や遊びを楽しむ『フラワーズ』。顔がいい人の派閥です。

 不良集団『スティンガー』。裏カジノを開き何十万と学生から巻き上げてると聞きます。

 そして那智先輩がトップをやっている体育会系・運動部の集まりである『アイアン』です」

 

「お前ら学校で何でそんな面倒臭いことしてるんだ……?」

 

「さあ」

 

 天が首を傾げると、那智が少しだけ補足する。

 

「舞城はアイアンではないんです、マーロウさん。

 彼女はマーニーと同じ一匹狼(アウトロー)という派閥未所属の総称派閥に……」

 

「面倒臭いな高校生!」

 

「彼女が部活に所属していない体育会系であったので、俺は多少の繋がりがありました」

 

 "ですがそれだけです"と彼は言い、"では話を戻します"と話の流れを修正する。

 

「依頼は今街で話題になっている集団、暴走族やロックンローラーの類の奴らのことです」

 

「暴走族、ロックンローラーの類?」

 

「はい。その名も自転車爆走原理主義歌劇派……『ビートライダーズ』」

 

「自転車爆走原理主義歌劇派」

 

「初期メンバーが全員ブリヂストンのビートって自転車に乗っていたそうです。

 それで自転車だけでなく、音楽活動もしていたことから、音楽(ビート)ライダー」

 

「そうかぁ……自転車爆走原理主義歌劇派かぁ……」

 

 音楽と自転車乗り、両方でてっぺんを目指す暇人の集まり。

 それがビートライダーズ。最近ちょっと話題になっている集団だ。

 

「奴らは最近、街の様々な場所で問題を起こしているそうです。

 ライブハウスでは喧嘩騒ぎ。

 自転車では他の自転車乗りを煽ってレースを仕掛ける。

 喧嘩や速度出し過ぎでの自転車転倒などで、既に怪我人も出ていると聞きます」

 

「つまり誰かれ構わず殴りかかってるってことか?」

 

「おそらくそうなのではないでしょうか。

 誰かれ構わず勝負を仕掛け、その結果他人と争いになりやすくなっているのではないかと」

 

「ふーん……?」

 

「うちの学校の運動部(アイアン)が、そのせいで一人軽い怪我をしました。

 歩道を歩いている時に、車道を猛スピードで走っていた奴らと腕がかすったそうで」

 

 話が見えてきた。つまり、那智は危惧しているのだ。

 今回は後輩は軽い怪我で済んだが、これがエスカレートしていけば、もっと大きな怪我を負わされてしまう後輩も出て来るかもしれない。

 

「今の奴らは得体が知れない。女性では危険かもしれない。だからこそ……」

 

「女の子のマーニーじゃなくて、俺への依頼か」

 

 それを避けるには、敵を知る必要がある。

 

「奴らが何を求めて暴走しているのか。

 奴らの目的は何なのか。

 それを調べていただきたい。それが悪いものであるのなら、妨害と通報もお願いします」

 

「オーケイ、承っ……いや、違うな」

 

 黒帽子に息をフッと吹きかけ、埃を飛ばして帽子をかぶる。

 

「マーロウにおまかせを」

 

「お願いします!」

 

 深々と頭を下げる那智を置いて、マーロウは喫茶店の外に歩き出す。

 その後に天が続いて、早足の天がマーロウの横に並んだ。

 

「ビートライダーズが居そうな場所には私が案内します」

 

「天がか?」

 

「ビートライダーズに怪我させられた人を、保健室まで連れて行ったのは私だから」

 

 天がここに居るのは、流された結果だ。

 被害者を見捨てられず保健室まで運んで、そのことを後に那智に知られ、口下手ゆえに体育会系のグイグイ来るノリを上手くかわせず、事件のことを話せるマーロウの知人として、那智に頼まれここに連れて来られてしまった。

 

「奴らは私達自転車乗りにも喧嘩を売ってる。私にも、あいつらを止める理由はあります」

 

「……お前意外と熱い所あるんだな」

 

 だが、どんな経緯を経たとしても、彼女は最終的にマーロウに協力していたことだろう。

 彼女は無口なだけで無感情ではなく、喧嘩を売られたらすぐに買い、お気に入りの峠を荒らされたら普通に怒る。ただ、顔に出さないだけで。

 一見冷たそうに見えるだけの熱い(ヒートな)女、とでも言うべきか。

 

「あいつらが走る道にも、心当たりがあります」

 

「成程な。頼りにしてるぜ」

 

 舞城天の感情の昂りは、マーロウにも分かるようになっていた。

 

 

 

 

 

 まずはビートライダーズを見つける必要がある。

 マーロウはバットショットを飛ばし、バットショットが見ている光景をスタッグフォンに送信し監視する形で、上空からビートライダーズの捜索を開始した。

 

 デンデンセンサーの最高走行速度が15km/h、フロッグポッドの最高航行速度が90ノット、スパイダーショックの最高走行速度が35km/h、スタッグフォンの最高飛行速度が45km/h、そしてバットショットの最高飛行速度が120km/h。

 バットショットの飛行速度と索敵能力は群を抜いている。

 天が『走り屋が好む道』をマーロウに教えたのもあって、ビートライダーズを見つけるのに時間はかからなかった。

 

「見つけた」

 

 マーロウは駆け出し、この街のどこかで自分と同じようにビートライダーズを探している天の携帯電話に一報を入れる。

 一人では自転車珍走団の奴らを追い込むのは難しい。

 だが、二人なら?

 

「天、奴らを追い込んでくれ!」

 

『了解!』

 

 自転車乗りの天がレースを装ってビートライダーズを誘導し、マーロウが待ち構えて彼らを袋小路に追い詰められるよう、多少考えて罠を仕掛ければいい。

 メモリガジェットを使えば、一度止めた自転車達の逃走を妨害することくらいは難しくないからだ。

 

「こいつは、一体どういうことだ?」

「リーダー……」

「どうやら誘導されたようですな」

 

 噂に聞くビートライダーズの危険性を鑑みて、マーロウは天を少し遠ざけ、自分一人で彼らに相対する。

 

「ビートライダーズだな。ちょっと話を聞かせてもらおうか」

 

「なんだなんだてめえら、オレ達に何か用か」

 

「お前らが最近起こしてる騒動に、聞きたいことがあって来た」

 

 ビートライダーズの目的が悪であればここで止める。

 そうでなければ説得を試みる。

 腹を決めたマーロウは、ここで全員を一人で相手取ることも覚悟の上だった。

 

「どういう目的でやってやがるんだ?

 特に理由が無いなら即刻やめろ。そいつで迷惑してる奴らも居るんだよ」

 

 マーロウの問いかけに、ビートライダーズのリーダー格が一人応える。

 

「オレ達は、真剣勝負がしたいんだ。迷いなく引退するために」

 

「引退……?」

 

「オレ達はやっちゃならねえことをした。

 なのにこんなことを続けるなんてスジが通らねえ。

 最後に最高の勝負をして、それを最後に引退しようと思ってたんだ」

 

 彼ら曰く、本気の引退試合をするため、目をつけた相手に片っ端から勝負を挑んだのだという。

 

「それで喧嘩を売って回ってたのか?」

 

「それは……申し訳ねえと思ってる。

 やり方がとことん不味かった。

 ライブハウスでは相手の感情を逆撫でして殴られちまった。

 レースはレースで、速度の出しすぎで転倒するような奴に勝負を仕掛けちまったなんてな……」

 

 本当にすまねえ、とリーダー格の男が頭を下げた。

 他の男達も次々と頭を下げていく。

 素直に謝られるのも、引退を考えているというのも、マーロウの予想の範囲外だ。

 天は彼らがその場しのぎの嘘だと思っているが、基本的に信じる人間であるマーロウは既に半信半疑であった。

 

 彼らの応対に、マーロウの頭の中の何かが引っかかる。

 直感が、彼らの悪評に対しよく分からない違和感を覚えていた。

 

「……? あんた、見たことあるな。山の探偵事務所の探偵だ」

 

「マーロウだ。お前らの目的を調べ、内容によっては止めてくれと頼まれてる」

 

 彼の名前と職業と目的を聞いて、ビートライダーズは後退るどころか、目の色を変えて詰め寄ってきた。

 

「あんたの話は聞いてるぞ、頼む! オレ達の依頼を受けてくれ!」

 

「は!? おいちょっと待て、俺はお前らに対して別の依頼を……」

 

「同時に受けてくれて構わん!」

 

 逆にマーロウがその勢いのせいで後退ってしまう。

 

「ビートライダーズの本懐……歌と自転車で、本気の勝負ができる最高の相手を探してくれ!」

 

「本気の勝負ができる相手、だと?」

 

「ああ! オレ達が満足できる最後の勝負を競えるような奴を……頼む!」

 

 ビートライダーズの目的は分かった。

 彼らが周囲にかけている迷惑を止める方法も分かった。

 探偵の仕事とは基本的に、捜し物を見つけることにある。

 

「いいぜ、ただし約束しろ。

 その最後の勝負の相手は俺が必ず用意する。

 だからその最後の勝負まで、他人に絶対に迷惑をかけるな」

 

「ああ、約束する!」

 

 何やら話が変な方向に行き始めたが、この約束が守られるなら、とりあえず街に何か迷惑がかかることはないはずだ。

 約束が破られてもすぐに分かる。

 ほっと息を吐くマーロウの背後で、ビートライダーズの一人が天に声をかける。

 

「お嬢ちゃんもあのあんちゃんの仲間なのか?」

 

 その男からすれば優しく声をかけたつもりだったのだろうが、自転車で一般の人を怪我させたビートライダーズに、天はあまりいい感情を持っていなかった。

 むすっとして、その質問を跳ね除ける。

 

「人に迷惑をかけるマナーのなってない走り屋が、私に質問をするな」

 

 そして自転車を手で押して、早足でずんずんとその場を立ち去って行った。

 

「おい待てよ天!」

 

 マーロウがその後を追い、ビートライダーズから随分と離れた所で、天はピタリと足を止める。

 

「天定まって亦能く人に勝つ、と言います」

 

「どういう意味だ?」

 

「要するに『悪は必ず滅びる』、です」

 

「へー、そりゃいい。悪くないな、その言葉」

 

「必ず勝ちます。だから……自転車の方は、任せて下さい」

 

 歌と自転車で勝負をするのであれば、自転車の方は任せて欲しいのだと、マーロウが初めて見るような顔で、舞城天は頼み込んでいた。

 

 

 

 

 

 翌日。

 どういう勝負をするのか、という細かい話がビートライダーズとの間で決まった。

 自転車の方は峠攻め。山の麓から坂を上がり麓に戻るという道筋。

 この街の走り屋が好む山沿いのコースがセレクトされた。

 歌の方は小さいライブ会場をビートライダーズが借りることになった。

 普段はヒーローショーなどもやっている、空が見える開けた屋外のステージである。

 

 こんなつまらない話にプロを呼んでも来てくれるわけがないが、ビートライダーズもライブしてチャリで走っているだけのアマチュアだ。

 アマチュアでも十分に勝てる可能性はある。

 歌の上手い人間を集めるため、歌を歌った記憶が全く無いというマーロウのため、マーニー・緑川楓・若島津ゆりかという絶妙に心強くないメンツが集まってくれていた。

 

「頼んだぜ、お前ら。歌上手かったら手伝ってくれよ」

 

「え、マーロウまさかこのメンツも対ビートライダーズ歌手の候補なの?」

 

「本で読んだが、今時の女子高生は皆カラオケ行ってるから歌上手いんだろ?」

 

「偏見ッ!」

 

 今時の女子高生とやらをなんだと思っているのか。

 皆が思い思いの曲を入れる中、マーロウはこっそりマーニーに耳打ちする。

 

「マーニー」

 

「何? 手伝って欲しいなら、それもやぶさかじゃないけど」

 

「なんか違和感があるんだ。俺とは別方向から調べてみてくれないか?」

 

「マーロウのいつもの勘か。分かった、マーニーにおまかせを」

 

 今回は珍しく、マーロウが受けた依頼をマーニーが手伝うという形になったようだ。

 カラオケ初体験のマーロウに皆が色々教えつつ、各々思い思いに歌い出す。

 

「―――♪」

 

「お、普通に上手いな」

 

 緑川は不可ではない、といった塩梅。あまりカラオケに行かないけど音痴ではない、というレベルのようだ。

 

「―――♪!」

 

「うお、すげえ上手え!」

 

 リア充寄りのゆりかは単純に上手い。声がしっかり出ていて、メリハリがある。

 元の曲のテンポもキッチリ守られていて、カラオケに来た回数で言えば一番多そうだ。

 

「―――♪゛」

 

「……………………………………………お前、これは流石にちょっと」

 

 マーニーは音痴だった。酷いレベルの音痴であった。他に言うことはない。

 

「マーロウも歌いなよ」

 

「知ってる曲なんて全然ねえぞ……あ、一つあった」

 

「頑張れ頑張れ。ヘタクソだったとしても笑わないから」

「はい入力、『Finger on the Trigger』」

 

「おい! ったく、しょうがねえな、勝手に入力しやがって」

 

 かくして、彼は流される形で人生初のカラオケに挑み。

 

 対ビートライダーズの歌担当が決定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カラオケタイムの更に翌日。

 マーロウはビートライダーズを歌で負かすべく、歌勝負の会場にやってきていた。

 噂を聞きつけたのか、大きな宣伝もしていないのに観客席が2/3ほど埋まっている。

 このお客さん達の投票によって勝敗を決める、というのがこの勝負の決着方法だった。

 

 マーロウは決戦を前にして、依頼人の那智と通話している。

 

「俺はこれから会場入りだ。そっちはどうだ?」

 

『会場の周りに怪しい動きはありません。

 驚きですが、ビートライダーズは本気で正々堂々と戦うつもりのようです』

 

「だろうなぁ。あいつらの目は本気だった」

 

『……オレは、にわかには信じられませんが』

 

 那智も会場に来ているらしい。

 マーロウは歌勝負の会場に居て、天は山の麓でレースの開始を今か今かと待ちわびている。

 歌と自転車の勝負開始は同時になるよう設定されており、フル二曲と歌手交代で10分と少し……そんな短い時間で、両方の勝負が決着するよう調整されていた。

 レースコースも10分と少しでゴールできるものがチョイスされている、というわけだ。

 

「気合い入ってるじゃねえか那智。後輩のためか?」

 

『オレは一年の時、先輩に何度も助けて貰いました。

 そして今、オレの後輩が奴らに怪我させられました。

 ここで後輩のために動けなかったら、オレは先輩に申し訳が立たないんですよ』

 

「高校生やってんなあ」

 

 那智はといえば、ビートライダーズが暴力に訴えてくる可能性をまだ捨てきれておらず、いざとなれば体を張って探偵を守ろうとしている。

 彼はこの案件に本気でぶつかっているようだ。

 先輩後輩という関係と運動部の代表という立場が、彼に強固な責任感を発揮させている。

 

「なあ、お前の後輩が怪我して天が保健室に運んだって事件あったろ?

 それってお前も事件を見たのか? 事件当日に天や被害者に会ったのか?」

 

『? いや、友人に聞いたんです。

 そういう事件があったことと、その当事者が居たことを。

 被害者がオレの知り合いというのは分かっていますが、誰かまでは知りません。

 舞城にその後そういう事件があったかを聞いて、あったという返答を貰いました』

 

「……そうか、伝聞か」

 

『それが何か?』

 

「いや、気にすんな。お前の依頼は必ず果たす」

 

 にわかに客席が湧き、人の声が徐々に多く聞こえるようになってくる。

 勝負が始まり、天がペダルを強く踏み、ビートライダーズの歌手が曲のイントロをかけた。

 先攻のビートライダーズが歌い始める。

 アマチュアレベルではかなりのものだと言える、そんな歌声だった。

 

 通話を切ったマーロウは、やたら緊張している緑川の様子を伺う。

 そう、マーロウは今日の勝負に二人で歌う曲をチョイスし、その相方に彼女を選んだのだ。

 

「肩の力抜けよ緑川。客なんて対して入ってるわけでもねえぞ」

 

「少しでも居たらキッツいだろう!

 というか若島津で良かったんじゃないのか!? あいつがお前の次に上手かったろ!」

 

「英語部分だけならお前の方が上手かったろ。

 この曲は英文の合いの手みたいなもんが居るから、そこだけやってくれりゃいいんだよ」

 

「お前一体どういう胆力してるんだ……?」

 

 緑川はステージの方から聞こえるビートライダーズの歌唱、観客席からの歓声を聞いて、もう既にいっぱいいっぱいになってしまっている。

 

「行ける行ける!

 昨日カラオケで延長してまでさんざん練習しただろ!

 今日のお前は探偵緑川じゃねえ! 緑の探偵シンガーだ!」

 

「雑に励ますんじゃない!」

 

 肝が座った時のマーロウは、いかなる『恐怖』も踏破してしまいそうな強さが見える。

 そんな彼と話していると、何故か自分の中の恐怖までもが薄らいでくる気がする。

 緑川楓もまた、彼と話している内に、やけくそ気味に覚悟を決め恐怖を蹴り飛ばしていた。

 

「ああもういい! わかったわかった! 今日の私達は二人で一人の探偵シンガーだ!」

 

「その意気だ。クールに決めるぜ、緑川!」

 

 先攻のビートライダーズの曲が終わり、彼らがステージに上る。

 

『続いては新進気鋭の探偵コンビ! "Finger on the Trigger"でお届けします!』

 

 司会の声さえ、もう二人の耳には入っていなかった。

 

 

 

 

 

 坂を降る天の耳に、歌勝負の司会の声が届く。

 

『続いては新進気鋭の探偵コンビ! "Finger on the Trigger"でお届けします!』

 

 それに少し遅れて、マーロウと緑川の声が聴こえてくる。

 天がペダルを踏む強さが、倍になった。

 

「な、なんだあの女の子!」

「誰だ『勝負にならねえだろ』とか言ってたやつ!」

「クッソはええじゃねえか!」

 

 速い。舞城天のロードバイクの走行は、とにかく速かった。

 ビートライダーズと並んでいたのはスタートの時だけで、そこからはもうぶっちぎり。

 全てを振り切る速さでビートライダーズを置いてきぼりにし、なおも加速していた。

 

「ああっ、思い出した!」

 

 その走りを見ていたビートライダーズの一人が、叫ぶ。

 

「この峠でやってるレースでの女子最速!

 最年少チャンプ!

 賞金王!

 様々な異名を持ち、オンロードのみならずバイクトライアルレースでも勝った女子王者!」

 

「と、トライアル……!?」

 

 活動範囲は広くないものの、その活動範囲の中では最強最速。

 金をかけたレースでも連戦連勝。

 知名度は低いが実力は高いバイクライダー。それが、彼女であった。

 

(ここの直線とカーブにかけていい時間は……9.8秒!)

 

 直線も速く、カーブは無駄なく、減速してからの立て直しも早い。

 グングンと加速していくその姿は、無駄がないためか一種の美さえ感じ取れる。

 折り返しはとっくに過ぎて、レースの道残りもあと半分。

 マーロウの歌声が、天の自転車を更に加速させていた。

 

 

 

 

 

 熱唱するマーロウの目に、山の坂を駆け降りて行く天の姿が遠目に見える。

 対戦者のビートライダーズを置き去りにして走るその姿が、マーロウの歌声に更に大きな力を乗せた。

 

「―――♪!」

 

 彼の歌の力に応じるように、観客席の歓声が大きくなる。

 まるでやまびこのようだ。

 声を発する者が力を込めれば込めるほどに、返って来る反応は大きくなっていく。

 

(こ、こいつ……記憶が無くなる前は何やってたんだ!?)

 

 付いて行くので精一杯な緑川は、まるで過去の行動を再演することで本来の自分を取り戻しているかのようなマーロウに、歌を通してガンガン引っ張られていく。

 

(探偵に歌唱力とか全く必要の無いものだろう!)

 

 観客の反応で分かる。

 もう決着はついている。

 この歌が終われば、観客の投票を待つまでもなく、彼らの勝利が決まるだろう。

 

(甘さといい、歌といい、無駄なこだわりといい!

 なんでこいつは探偵に必要じゃないものばっかり、こんなに備えてるんだ!)

 

 歌が終わる。マーロウがマイクをスタンドに置き、観客席の皆の声に礼を言う。

 

「お前らっー! 付き合ってくれてサンキューなっー!」

 

 その後、観客席から吹き出した大歓声が、今日一番にステージを揺らした。

 ビートライダーズのリーダーが、満足した顔で肩を竦める。

 『最高の相手を探してくれ』という依頼に、探偵は最高の形で応えてくれた。

 

 それだけで、十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自転車勝負は天の勝ち、歌勝負はマーロウコンビの勝ち。

 完膚なきまでにビートライダーズは敗北した。

 ビートライダーズ、那智、天、マーロウと関係者が皆集まり、後は引退を宣言するという段階でマーニーがやってくる。

 

「マーロウ、今日のアレちゃんと録画したから、晩御飯の時にパパに見せるよ」

 

「や め ろ」

 

「まあ冗談はほどほどにして、ちょっと耳貸して」

 

 マーロウがかがんでマーニーに耳を貸し、こしょこしょと少女が囁く。

 それでマーロウは何か納得した様子で、帽子の位置を直しつつ、立ち上がった。

 

「今まで本気でやってたことを捨てるのは、名残惜しいが……

 約束通り、これを最後の勝負にする。

 オレ達はもう音楽も自転車も辞めるよ。もう誰にも迷惑はかけねえと約束する」

 

「待ちな。俺がここに全員集めたのは、そんな台詞を聞くためじゃねえぜ」

 

 ビートライダーズの引退宣言を、何故かマーロウが止める。

 

「マーロウさん、何を……」

 

「那智、お前は勘違いしてることがあるぜ。

 俺が受けた依頼はビートライダーズが何を求めているのか、何が目的なのかの調査。

 そいつを俺はまだお前に完璧に報告してねえ。お前はまだ真実を知らない」

 

「真実……?」

 

 那智も、天も、ビートライダーズも。全てを知っていたわけではなかった。

 

「那智、お前の後輩がビートライダーズと接触して軽い怪我をしたのはいつだ?」

 

「え? それは……最近、では」

 

「二週間以上前だ。ビートライダーズが暴走を始める前なんだよ」

 

「!?」

 

「ビートライダーズの暴走のせいでその後輩が怪我をしたっていうのは、根本的に矛盾してんだ」

 

 今全ての真実を知る者は、マーニーとマーロウのみである。

 

「変だと思ったんだ。

 那智から聞いた接触事故の話を、俺は聞いた覚えがなかったからな。

 街中でそんな危険な事件の届け出が出されていたなら、噂になってない方がおかしい」

 

「い、いや! そんな前というのはおかしいはずです!

 本人がそういった理由で怪我をしたなら、二週間も報告しないはずが……」

 

「そうさ。お前の後輩は怪我をした後、ビートライダーズを庇って何も話さなかったんだ」

 

「―――!?」

 

「だから事故現場を見た人間の噂話だけが流れた。

 噂話は遠回りして、二週間かけてお前の下に辿り着いた。

 お前に話した奴もそれが二週間前の事件のことだなんて思ってなかったんだろうがな」

 

 例えばの話だが、「今日○○先輩が車に轢かれたんだって!」という噂があったとする。

 この噂話は文を省略され「○○先輩が車に轢かれたんだって!」という形で話される。

 噂話は何月何日何時に起きた、という部分を省略してしまうことが多い。

 人から人へ伝わる過程で情報は欠損していってしまう。

 

 那智も、その話を聞いていたマーロウも、ビートライダーズの暴走時期のことを詳しく知らなかった天も、那智の後輩はビートライダーズが暴走していたせいで怪我してしまったのだ、という誤解を持ってしまったのだ。

 

「俺もお前の話を聞いた時、完全に錯覚してたぜ。

 ビートライダーズの暴走が始まった後に、お前の後輩が怪我させられたんだ、ってな」

 

「で、ですが、それを何を意味するのでしょうか?」

 

「ビートライダーズが暴走を始めた後、直接的には誰も怪我させていない、としたら?」

 

「―――」

 

「ライブハウスはビートライダーズが勝負を挑んだ。

 それにキレた他のバンドがビートライダーズを殴った。

 ビートライダーズだけに怪我人が出て、噂が広がる。

 『あいつらが他のバンドに喧嘩売って怪我人が出たぞ』って噂がな」

 

「!」

 

 ビートライダーズの行動の結果怪我人が出た、という部分は間違っていない。

 だが明らかに、人から人へ伝わる時に情報が欠損した跡が見える。

 

「自転車の方の怪我人は言うまでもねえな。

 ビートライダーズに勝とうと張り切りすぎてコケた奴が原因だ」

 

 那智の依頼にはある問題があった。

 それは、街の噂に聞いたこと、そして学校で聞いたことを、細かな事実確認もしないまま依頼の動機にしてしまったことだった。

 

「ま、待って下さい! 話を整理させて下さい!

 何故、怪我させられた俺の後輩はビートライダーズを庇い、事実を黙っていたんですか!?」

 

「マーニーが確認を取った。その少年は、ビートライダーズのファンだったんだとよ」

 

「―――え」

 

 那智が呆けて、今度はビートライダーズが慌ててマーロウに食って掛かってきた。

 

「ふぁ、ファン!? オレ達のライブなんて満員になったこともないのに!? あの子が!?」

 

「どんなアマチュアだろうが音痴だろうが、ファンは付くもんだろ。

 ファンは一人かもしれないし、百人かもしれない。

 だが居るって事実だけは変わらねえ。この少年は、お前らのファンだったんだ」

 

「ファン……オレ達が怪我させてしまったあの子が……」

 

 信じられないくらい才能が無い歌手にだって、ファンは付くものだ。

 ビートライダーズは音痴ではないので、尚更ファンは付いていたことだろう。

 

「罪悪感が増したか? そうだよな。

 お前らは街を走ってる時にその子を軽く怪我させてしまった。

 その罪悪感から、ビートライダーズを解散して引退するって決めたんだもんな」

 

「―――」

 

 ビートライダーズが目を逸らし、那智が顔を上げ、ビートライダーズに掴みかかる。

 

「おい! 今マーロウさんが言ったことは本当か!」

 

「……ああ、本当だ」

 

「お前は……お前達は、人を軽く怪我させたことだけを理由に、引退を決めたっていうのか!?」

 

「子供に怪我させた後に、平気でビートライダーズ続けられるほど、俺達は面の皮厚くねえよ」

 

「―――っ」

 

「人に迷惑かけても平気で続けられるほど、立派な趣味でもねえしな……」

 

 時系列順に並べてみれば分かりやすい。

 

 まず、ビートライダーズがファンの子をそうと知らずに自転車で怪我をさせてしまう。

 子供に怪我をさせてしまったビートライダーズは償いのため、解散と引退を決意。

 最後を綺麗に締めようとするが、不運が重なって綺麗に最後を飾れないばかりか、変な噂が広がって街の人から嫌われてしまう。

 そして怪我をさせられた子供が事実を隠したため、噂話での情報の劣化や、口下手な天が那智に必要だった情報を言いきれなかったため、誤解が更に広がってしまった。

 

 那智は以前からあったビートライダーズの暴走により、最近後輩が怪我をしたと勘違いした。

 天はビートライダーズの暴走はもっとずっと前からあったのだと勘違いした。

 マーロウもフィルターのかかった情報のせいで、最初は勘違いしていた。

 

 今回の依頼に至る事情は、そういったややこしい流れの中に隠されていたのである。

 

「これが真実だ、那智」

 

「……これが、真実」

 

 那智が肩を落とし、顔を覆う。

 ビートライダーズを勘違いし、後輩の意を汲み間違えた結果がこれだ。

 体育会系で真っ直ぐな性格なのはいいが、今は彼も自分を見つめ直したい気分だろう。

 

 落ち込んでいるのは那智だけではなく、ファンを怪我させてしまったと知ったビートライダーズも同じ。

 マーロウは彼らへのフォローも忘れない。

 

「そんでもってビートライダーズ。

 怪我させた子がお前らのファンだと知らなかったお前らにも、サービスだ」

 

「サービス……?」

 

「お前らも那智と同じで一応、俺の依頼人だからな」

 

 マーニーのポケットの中から、緑色のカエル――メモリガジェット・フロッグポッド――が跳び出して来て、マーロウの手の中に収まった。

 

「お前らが怪我させた子のメッセージが、このカエルに録音されている」

 

「!? ほ、本当か!?」

 

「頼むぜ、フロッグポッド」

 

 サウンドレコーダー型メモリガジェットが、話の渦中に居た那智の後輩の声を、その場の全員に聞こえるように響かせる。

 

『那智先輩、ごめんなさい。マーニーさんに聞きました。

 僕が変に隠したせいで、那智先輩にも無駄に時間を使わせてしまって……ごめんなさい。

 でもビートライダーズの皆さんは悪くないんです。僕が車道に寄りすぎてしまっていて』

 

「違う! オレ達が、ロードバイクで歩道に寄りすぎていたから……!」

 

『ビートライダーズの皆さんも気にしないで下さい。

 悪いのは僕です。僕の不注意で皆さんにはとても大きな迷惑をかけてしまいました』

 

 それはこの事件に関わった者達の罪悪感を加速させるものであり、同時にこの事件を終わらせる最後の一撃となるものでもあった。

 

『……レコーダー越しで、卑怯だと思います。

 でも言わせて下さい。僕は一人のファンとして、皆さんに解散して欲しくないです!』

 

「―――」

 

『マーニーさんが、反論を許さないためにこうして伝えるのが一番だと言っていたので……

 ……迷いましたが、こうしました。

 僕はビートライダーズの引退に反対するファンの一人です。

 一方的に言葉を伝えるなんていいことではないと思いますが、これが僕の精一杯の気持ちです』

 

 那智も依頼人。

 ビートライダーズも依頼人。

 だからマーロウは、依頼人のためにやれることを全てやった。

 

『次のライブ、楽しみにしています』

 

「ああ、ああ……解散も、引退もしない。少なくとも、君がまた来てくれるまで……!」

 

 涙ぐむビートライダーズが何人も見える。

 後悔と嬉しさが入り混じった涙だった。

 夢破れることを決めて進んだ先で、ファンが夢を繋いでくれたから流れた、そんな涙だった。

 ビートライダーズを敵視していた天も、少し後悔した面持ちで、ぼうっと呟く。

 

「怪我をさせてしまったことは悪いことかもしれない。

 その後、最後を綺麗に飾ろうとして周りに迷惑をかけたのは悪いことかもしれない。でも」

 

 その手が、ぐっと自転車のハンドルを握る。

 

「自転車が好きな人間が、それを捨ててまでケジメを付けようとする気持ちは、その辛さは……」

 

 ハンドルの感触が、舞城天にビートライダーズがつけようとしていたケジメの重みを、しかと伝えていた。

 

「……私にも、分かる」

 

「ん、そうだな」

 

 各々が泣いたり後悔しているこの空間の中心で、マーロウがよく通る声を上げる。

 

「このカエルに声を吹き込んだ子は、自分の罪を数えたわけだ」

 

 皆の注目を集めて、マーロウは促す。

 

「人に迷惑や苦労をかけた奴!

 噂を信じて変な疑いかけちまった奴!

 自分の罪を数えたんなら、まずここですることがあるよな?」

 

 まずは謝って、それからだと促す。

 疑ったことを、酷いことを言ったことを、迷惑をかけたことを各々が謝り合う。

 ちゃんと謝って、謝られて、それがおかしくてくすっと誰かが笑った頃には、後悔と涙を塗られたこの場の雰囲気は、すっかり明るいものになっていた。

 

「よし、これで手打ちだ!

 怪我させた子にも謝ったら、そこで全部終わりにしようぜ。お前ら変に引きずるなよ?」

 

 街は人が居なければ空虚な箱となってしまう。

 人が居て初めて、街は宝箱になる。

 マーニーは、彼が見ている宝箱(まち)の中にどれだけ多くの宝物が入っているのか、ちょっとだけ見てみたい気持ちになっていた。

 

 

 




 観客席にはマーロウが歩道橋を渡るの手伝ってあげたお婆ちゃんとか、切符の買い方を教えてあげた小学生とか、不良に絡まれてたところを助けてあげたOLとか、仕事サボって来ている顔見知りの警官とか、猫とか、住職とか、小学生カップルとか、変装した如月アリアとか、まだちょっとギクシャクしている双子の兄弟とか、そういう人達がこっそり居ました

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