☆菅原渦
誰にも言えない秘密があるような女の子はそこら中にたくさんいる。
それは自分のことでも、経験したことでも、思ったことでもあるはずだ。皆、心の内に留めておくものはいっぱいあるのだろう。
女という生き物は相手への本音を陰口として発散すると、彼女――
今までの人生、14年はいたって健全なものだった。そういったドロドロにわざわざ干渉することもなくて、揉め事にも巻き込まれないような人生。
もともと明るいいい子だというありふれた評価でしか表されない渦は変に気取ることもなく、ほどよくいじられる側にも回り、人並みの努力でまっとうな生活を送ってきた。
大好きな吹奏楽も特別上手でもないけれど、吹いてみればクラスメイトには称賛されるくらい。経験者のうち中の下ランクの中の中あたりに位置している。
もっと上手な子もいるし、それを羨ましくも思う。そしてその子が陰口をたたかれているのも知っている。
そんな渦にはひとつ、大きな秘密があった。誰にも言えなくて、誰にも知られていない秘密。
まっとうな人生を裏切るとびっきりの特別な秘密。
即ち、彼女が『魔法少女』であるということだ。
といっても、彼女は壮大な宿命を背負っているわけでもなくれ、人知れず人助けをして地域社会に貢献するくらいのもので、お給金ももらえない。
それでも渦が魔法少女をやっているのは、人目についてはいけないためなかなか言ってもらえないが、「ありがとう」とは気分のよくなる言葉だからだった。
渦が変身するのは魔法少女『トランホルン』である。名前は吹奏楽の担当パートからとった。
いつも扱っているのはトランペットで、ホルンのほうはそう上手くできるわけでもないしむしろ金管じゃあ苦手な楽器なのだが、語感を考えてそういうふうにしてみた。
渦とは違って、トランホルンと普通の人間とでは次元が違う。数ヶ月前初めて変身したときはトランホルンの整った容姿の美しさに驚いたし、身体の軽さで調子に乗って屋上のフェンスを歪ませたり高速道路で車とレースしてみたりした。
いくつものパイプが下がっているようにまとまった髪を振り、ラッパのように広がったスカートをはためかせて金色の美少女として走り抜けていくのは今までに感じたことのない爽快な体験で、渦は運命に全力で感謝した。
魔法少女になってからも渦の生活は特に変わっていない。困った人がいれば助けるしパトロールの時間も多少はとっているが、不安なのですぐに撤収する。
もともと散歩を楽しんでいた時間を利用しているに過ぎないので、あまり長くは活動していない。勉強時間も削っていないし生活習慣は散歩から人助けになったくらいだった。
けれど、精神は大きく変わっていた。自分に自信を持つ、ということ。魔法少女だということが、渦に一時の自信を持たせていたのだった。
今日も渦は自信を持って日常生活を送る。まずは、クラスメイトであったりなかったりの少なくとも中学二年生であるのは同じ友人たち数人と、学校からやや離れた公園で待ち合わせだ。一緒に学校を目指し、駄弁りながら歩いていく。
横一列並んで学校に到着するとクラスの違う者とはまた会おうといったん別れ、微笑んで友人の挨拶に応対しつつ自分の教室へ向かった。
途中で話しかけてきた隣のクラスの女子に捕まって話に付き合わされ、やっと教室へ入ったときに見た壁時計の長針は登校時間の終了間際を指していた。ぎりぎりまで話してしまっていたのだ。
渦は急いで最前列にある自分の席に着いて荷物の整理をし、教師が入ってくる前にどうにかした。
起立、礼。30人ほどの生徒が一斉に立ってお辞儀をする。その後の着席で渦が後ろを振り返ってみると、特に欠けている面子もいないらしい。よく話す友達が休んでいるとなるとすこし気まずいので一安心だ。
ひとつ気になったのは、本来ならばない位置に席が存在しているということか。5列目の後ろに、たったひとりの6列目ができようとしているらしい。一体誰だろうか。
支援学級の子は全て他のクラスに当てられていて、残るは新しい生徒という可能性だった。
「今日は転校生がいるぞ」
教師の言葉は予想通りの事柄であった。この時期の転校生。手続きとかたいへんなんだろうなとほんのり考えながらも、クラスがざわめいているほうに耳を傾ける。
俺の言ったとおりだろ?と誇らしげな男子、どんな子だろうねと期待する女子、かわいい子を所望する男子。様々な反応が飛び交っている。
渦はあくまでも興味はあることにするため近くの少女に話しかけておく。
近くの席といってもあまり話す相手でもない消極的な少女のため会話は続かないが、雰囲気には溶け込めているはず。
そうこうしているうちに話題の転校生が教師に招かれやってくる。ハイライトが少なく儚げな瞳をした少女が、肩ほどで切り揃えられた髪を揺らして教卓へ歩いて行く。
渦は無意識に彼女の瞳に視線を全て吸い込まれており、先程と同様にざわめいているはずの教室が静かに感じられた。
自己紹介を促された彼女は、黒板に白のチョークで自らの名を記す。聞いたことはもちろんない名前だ。珍しい名前で、見ればすぐに覚えていただろう。
「
織姫の声は、渦の耳によく響いた。ただの社交辞令の挨拶だったが、渦には魔法少女の
絶句する渦のほうに、ふと転校生の目が向けられた。一人だけ濃厚な視線を送っているからだ。はっと気づいて目を逸らしたが、そのときにはもう織姫の足はひとりぼっちの6列目へと歩みはじめていた。
早く彼女について知りたい。だが朝のHRが終わったあとに行こうとしても、体育の授業で行こうとしても、織姫のまわりには女子が多く集まっていた。
内輪ノリに巻き込まれているようで彼女自身はそう楽しそうに見えなかったけれど、渦がでしゃばっていける状態ではない。
結局一言も話しかけられないままに時間は過ぎて、放課後になってしまった。
荷物の準備は帰りHR前に全てを行い、彼女を追う準備を整えた。織姫は部活だとかどうするのだろう。見学が許されたりするのだろうか。もし話しかけられたのならば吹奏楽部に誘えたりしないだろうか。
けれど教室に留まる者は意外に多く、単独で最後列の織姫がすんなりと出ていくのに対して渦は苦戦を強いられた。
人波をかきわけて追いかける。廊下に姿は見えず、さっさと帰ってしまったのか。
外に出られてしまっては、偶然同じ方向だとかそういう展開でないかぎり出会える可能性は低い。ましてや話しかけたこともなく、同じクラスでたった一度目があったくらいしか接点のない渦が気づいて貰えるだろうか。
かくして渦は、校舎裏に隠れて最終手段を行使することにした。トランホルンへの変身である。身体能力は魔法少女としては高くないものの、飛び上がって一般人を探すくらいはできる。
さらに楽器に関わる魔法の持ち主であるトランホルンは、耳がいいのだ。学校から出たばかりの距離にいる織姫の息遣いも簡単に感じ取れるはずだ。
どうしても気になる転校生を探すべく、トランホルンはひょいと校舎上に登った。日射しが反射して、金色の影が多少見える程度だろう。
もっと高いところから見下ろすため、中庭の木のなかでも背の高い奴へと飛び移る。上からあたりを見てみると、だいたいは一生懸命部活に勤しむ生徒とそろそろ休んでよさそうな先生方だ。
なんとそのうち誰にも見られているようすはない。耳を澄ませてもトランホルンを話題にする声はない。そのまま聴覚で下校中の生徒から織姫を探そうとすると、すぐに朝感じたものと似た息遣いを聞き取って振り返った。
探していた彼女、紛れもなく本人だ。ばっちりトランホルンの姿をとらえている。いきなり大本命に出会ったことで思考がフリーズしかけたものの、渦とトランホルンに結び付く点はないと考えて彼女のほうへ飛び込んでいく。
魔法少女は本来隠れるべき存在だということはわかっていたけれど、正体まで知られるよりいい。そう思おう。
「ええと、虹ヶ路、さんだよね」
織姫は黙って頷く。いざこんな状況になってみると、何を話せばいいのかわからない。
言葉を返さない織姫への対応に困っておろおろしていると、何やら彼女は日陰へトランホルンを招いている。疑いもせずに従って木の影に入ると、織姫が安堵の息を吐いた。
「普通ならたくさんの目撃者が出てるところだったけど、あなたは運がいい魔法少女みたい。ここの人通りも少ないしね」
彼女の言う通り、トランホルンはたいへんな幸運だった。あれだけのことをしておきながら、目の前の彼女くらいにしか目撃されていないのだから。
織姫のことしか見えていなかったトランホルンは我に帰り、自分がとんでもない賭けに出ていたのだとようやっと自覚した。
それと共に疑問が浮かんでくる。織姫の発言についてだ。
「……あれ?どうして魔法少女のこと、知ってるの?」
織姫は今日はじめて口角をあげ、人差し指だけを立てた手をトランホルンの口元に近づけた。日陰にいるせいでさらに暗く見える瞳が妖しく輝く。
「ここだけの話。私もそうなんだ」
次の瞬間。目の前に立っている少女は虹ヶ路織姫から、ミントグリーンの髪を多くの目立たない花で彩った魔法少女へと変わっていた。
アレンジの多い学生服は黒と灰色で、フリルまでが可愛らしさと言うよりも織姫のイメージと同じ儚げな印象を与える。
腕章に刻まれた紋様は唯一暗い赤が使われていて、大きなバツ印で何かを潰しているらしかった。髪色のままのハーブらしい香りが漂い、何よりも鼓動や息がこれ以上を聴いたことのないほどに美しく整っている。
「魔法少女『オルタナティヴ』。それが私。あなたは?」
「あ、え、トランホルンって、いいます」
「うん、トランホルンね、覚えとく」
オルタナティヴは覚えておくと言ってくれた。トランホルンの心の中は全力のガッツポーズが天に向けられ、喜びの管弦楽団が高らかに演奏しているほどの満足感に満ちていた。