☆C/M境界
タルタロッサは何を仕掛けてくるわけでもなく、攻撃を誘ってくるように立ち塞がっていた。
周囲にはC/M境界の魔法が使えるようなものもなく、魔法を適用するには部屋が狭すぎる。
武器が足りず、突貫するのは得策ではない。
対する相手も攻撃の手には出ようとしない。
ただ人工的な照明の明かりを呑み込むように、高貴にも淫らにも思える衣装で佇んでいる。
魔法少女というよりは、高級娼婦の衣装といったところか。
薄く透けているヴェールの奥で口がきゅっと結ばれていて、不穏なだけだ。
相手に動く気がないのなら、こちらから行くしかないのかもしれない。
ネクロノームはブロッサム+に着いて地下室へ行ってしまった。こちら側は任されたのである。
相手を倒し、進まなくては。
タルタロッサへと殴りかかろうと考えたとき、C/M境界の頭が突然冷静になっていくような感覚がして、鮮明なイメージが脳内を埋め尽くした。
場所は変わっていないが、タルタロッサが目の前にいなかった。
かわりに足元にボロの雑巾のように打ち捨てられていて、血の池に沈んでいる。
このイメージは、C/M境界がこのままタルタロッサを殺した未来のイメージなんだと、なぜかすんなりと理解した。
こうなったあと、自分は何をするのだろう。熱川モエを殺した凶悪犯として捕まるしかないのだろうか。
未来の自分もまた、自らの手に付着した血液を眺め、呆然としているらしかった。
なるほど、確かにいまタルタロッサを殺せばこうなるのかもしれない。
ネクロノームをじっと待つしかなくなってしまうのかもしれない。
そんなぼんやりとしたイメージの中に衝撃が走ったのは体感時間で1分と経たないうちにだった。イメージの中の自分が痙攣し、ゆっくり後ろを振り向いた。
屍の瞳と視線が合い、エルフの顔が血液で汚れていくのをただ見ていた。刺されたのか。
意図も状況も解さないまま、C/M境界は意識を失っていく。
ここでイメージが途切れた。タルタロッサはこちらを指差しているだけで、生きている。
今のは現実ではない。魔法による影響だろうか、ただのノイズだったはずだ。だけれどどうにも離れてくれない。
すでに止まっている拳がきゅうに重く感じて、下ろすしかなくなった。
タルタロッサの口元がすこし歪んで顔を近づけてくる。また映像が見える気がした。
一度余計な思考が洗い流されて、別のことが強制的に流し込まれる。今度のものは単純だった。
ミコが中身を引きずり出されている。壊れたぬいぐるみのように落ちていて、綿の代わりに血や内臓が飛び出て目も当てられない。
だがたったこれだけだった。タルタロッサの表情を見るに、これはきっとあいつを殺されたくなければという交換条件の提示だと思われた。
ミコを縛っている鎖も魔法のアイテムだとしたら、ありえないことじゃない。
タルタロッサを殺すにしても、ミコを犠牲にするわけにはいかない。
妖精だって仕事で試験官に従事しているだけだとか聞いたことがあるし、妖精は動物として割り切るには人間に近すぎる。
悪意をもって魔法少女を選んだとも思えない。
運が悪かっただけのミコは、現在はタルタロッサに見せられたであろうイメージに怯えて大人しくしている。
本当は早くネクロノームに助けてほしいだろう。
地下へと続く階段からは依然として戦闘の音が聞こえてくる。
人が組み合っているよりも激しく空気を震わせる魔法少女の戦いの音だ。
こうして元マスターであるネクロノームを誘い込んだ以上、ここで仕留める気だろう。
そしてミコがそのエサだった。
C/M境界がタルタロッサを殺して済む問題でもない。先の映像でも思い知らされた。
ネクロノームの裏切りだってあるかもしれない今は、こうして様子を見ているしかないのかも。
そうして思考が固まりかけたとき、自分の目の前をなにかが通過していった。
黒い身体に赤い尾をひいていて、光ってもいないのに色濃く足跡を残していく。それが、黒の長手袋に包まれた人の腕と気づいたのは1秒ほど後のことだった。
視界からタルタロッサが声もなく外れていく。自らの肩を信じられない目で見て、ちぎれて先がなくなった肩口を押さえてうずくまる。
さっきまで戦闘が行われていた地下室からの音はブロッサム+による追跡のものだけが聞こえる。
タルタロッサの腕を飛ばしたのはネクロノームで、凶器はなく、肩甲骨ごと引き剥がしたらしい。
強引な力業でも、それしかなかったんだろう。
ネクロノームはC/M境界を見るなり、両手をあわせて謝るそぶりをしてみせた。
「ごめんなさいですの、勝てません! 端末盗って逃げましょう!」
「ミコは!?」
「あいつは……ええい、私はすこし残りますの! すぐに行きますから、この家ごと爆破でも試みてくださいまし!」
C/M境界はふっと、タルタロッサが腕を奪われたことで放り出されたマスター用の端末を見た。
あれで試験を管理していたのだろう。ひとまず位置を把握し、C/M境界は扉が壊れようと構わずに飛び出した。
櫻井の家に住人の気配はない。自分の魔法を起動し、管理者用端末に自分を追わせ、ちょうど玄関を飛び出したところでキャッチした。
それ以後は振り返ることもなく。周辺に建っているなるべく高い建物に飛び乗って、武器となるものを探した。
ねむりんだったら飛行できたが、あいにくとC/M境界にはできない。展望台が必要で、今できることでありやるべきことは飛行ではなかった。
遠目に見える、休憩中らしい重機。あれを跳ね上げ、目的地に落とすことこそがすべきことなのだ。
魔法が行使され、ロードローラーが宙を舞った。目標はC/M境界がさっきまでいた一軒家だ。
それでも、玄関からは誰も出てきていない。ミコもネクロノームも、足止めされているのか。
C/M境界が安堵の息を吐くことができないまま、ロードローラーは目標通りの場所に着弾、爆発炎上する。
一度、乗り捨てられた車をイナゴの魔法少女に落としたことがあった。あのときを思い出す。
いや、あれよりも規模は大きい。
奇跡的にというべきか、それとも制御がきいていたのか、櫻井の家だけが破壊され、他の家屋には影響がないようだった。
しかし、一軒家が丸々ひとつ崩壊している状況にもかかわらず、誰も屋内から出てこないままだ。
じきに騒音を聞き付けた近隣住民が現れることを考えると、ネクロノームの救出はC/M境界が迅速に行うべきだろうか。
動き出す前に、山のように積もった瓦礫から、血色の悪い少女が這い出てくるのが見えた。ネクロノームだ。
あの容姿で民衆に目撃されてはまずい。こうして大事件になっているんだから、魔法少女がこれに巻き込まれていたとなればもっと面倒になるに違いない。
ネクロノームのためにも、C/M境界はなるべく速く彼女を回収し、もとのビルの屋上へ戻った。
彼女の兵隊風の衣装は真っ赤に染められていた。元より赤と紫がメインカラーだったのに、こちらの衣装にまでべったりつくほど血液まみれだ。
「怪我は大丈夫なのか」
「大丈夫、ですの。この血はタルタロッサのものですし」
ブロッサム+との戦闘はひたすらに不利で、爆破に間に合わないと悟ったネクロノームは咄嗟に床に転がっていた彼女を盾にしようとしたらしい。
魔法による攻撃に盾も耐えきれなかったそうで、ネクロノームを信用するならば黒幕は少なくともひとり消えた。
「ブロッサム+は? それに、妖精も」
「……わかりませんの。自分の身でせいいっぱいで。ごめんなさい」
ネクロノームが謝ることではない。魔法少女でさえ死にかけるあの爆発を妖精が耐えられるかは疑問だが、無事を祈っておくしかなかった。
仮にもC/M境界をただの三条煙から変えてくれたのはミコなのだ。
「そうだ、当初の目的を思い出しましたの。その端末」
C/M境界が魔法を使って運び出した、明らかに作りの違う特別頑丈そうな端末だった。これが試験官用のものだろう。
となると、お知らせの名目で全員にメールを送ることができる。
画面を立ち上げると、すでにタルタロッサ死亡の通知は行き渡っていると表示され、それでも続けてお知らせを送ることは可能だと書いてあった。
ネクロノームのアドバイスを受け、裏切り者はタルタロッサであり、彼女の死で第3試験は終わりになるという内容の文面を作る。
送信ボタンを押せば滞りなく送信され、もうひとつ元から持っているC/M境界の端末が通知音を響かせる。
内容を確認するとさっき自分が打ち込んだ文面のとおりで、試験官用の端末は問題なく作動していた。
これで、魔法少女たちは疑心暗鬼から解き放たれるだろう。C/M境界はまずその点に安心し、まだ問題はいくつも残っていると思い出して気合いを入れ直した。
「では、端末をこちらに。多少魔法の国を知っているあなたのことです、試験によるある程度の選別が必要なのはわかっておりますわよね?」
素直に頷き、手渡した。
これで残るはブロッサム+のみか。他に殺人犯がいないことを祈りたい。
☆ブロッサム+
危ないところだった。
ネクロノームの動きに変化があったことを察して、ミコを持って地下室へ飛び込んでいなければ、タルタロッサのように成す術なく肉塊になっていたことだろう。
彼女のことは残念だった。
タルタロッサは、人の破滅する姿を見たいという目的で協力を申し出てきた魔法少女だった。
喋ることは元の女性にもできなかったが、喋れないなりに持っている交渉術で『ネクロノームの友人』に品物を送らせる、及び情報を抜き出すことでたいへんブロッサム+の役に立ってくれた。
ドラゴンの骨格の件だとか、特にそうだ。ファインプレーである。
「未来予知を見せる」という魔法も便利だった。
内容はすべてほんとうの未来予知ではなくタルタロッサ自身の捏造であったが、それを信じ込ませることまでが魔法だった。
これも何度か利用してきた。
例えば、トランホルンの排除にも使った。オルタナティヴを守らなきゃいけないなんて無駄な使命感を与えることでドラゴンに向かっていかせたのだ。
今後はそんなふうに、気づかれないよう間接的に始末することが難しくなる。
ブロッサム+は精神攻撃が得意ではない。直接手を下すのなら多少はできるはずだ。
幸いにも、ブロッサム+の手元にはミコがある。聞き出してもらった情報なのだが、妖精型マスコットは食べられるうえ、魔法少女の力を強めてくれるらしい。
地下室の隅で怯えているミコを見つめ、自分の唾液を飲み込んだ。
「な、なに? ちょっと、やめてよ。私、あなたを魔法少女に選んだのは、私で!」
何やら喚いているが、耳を塞ぐことにした。
恩義なんてものに美しさはないし、無論考慮する価値もない。使えるものは使っていくべきだ。