☆パフェクトスイート
苺坂千代の生活は変わりなく、高校の表面上の友人たちにも変化はなく、千代はすでに数度吐き気をこらえていた。
あの人はどうしたとか聞かれることが多く、そのたびに気分が悪くなる。
千代はまだ、現実を受け入れられていなかった。
稲村張子が千代のもとまでやって来ないということは、彼女はあのまま始末され、端末に届いた通知も本物ということだ。
誰も来ない放課後はこんなに寂しくて、こんなに物足りないものだっただろうか。
以前の生活に戻っただけで、むしろ黒幕もカッシェーラもいなくなって荷が降りたはずなのに、そこで自分が何をしていたかを思い出せなかった。
まさか、あれだけ嫌っていた女が生活の一部になっていただなんて。自分で自分を笑って、ごまかすしかない。
身内のノリというものについていける気がせず、その日苺坂千代は同級生とすぐに別れた。
一人で歩く道は広くて、隣の守ってくれる奴がいないせいで何人かにはぶつかられてしまう。
千代はそんなに弱っているだろうか。きっと弱っている。
帰り道にある行きつけの喫茶店に寄ろうと思い、千代はいつもの道を通っていく。
光景に変化はない。誰も、張子の死を知ることはない。
喫茶店の前にまで来たとき、今までの光景にはそぐわない異質なものが存在していた。
作り物のような美しさを持つはずがその身体はまだ傷だらけで、息も荒く、路地に隠れていた。
魔法少女だ。それも、カッシェーラを殺し、パフェクトスイートをも殺そうとしていた魔法少女、グラナティオ。
こちらが向こうの存在に気付くと、向こうもまたこちらを見て、目を丸くした。
「パフェクトスイート……!」
「どうしてこんなとこにいるんですかぁ? 自宅は?」
質問にはすぐに答えず、グラナティオはまずうつむいた。答えはそのあとに小声でだった。
「私に自宅はない」
そういうことか、と納得した。
千代の知り合いにも家出からの一人暮らしに失敗している噂が立っている、音信不通の元同級生がいた。
さすがに中学生では無理だったんだろう。グラナティオの正体も、いわゆる家出少女なのだろうか。
「こんな身体じゃ戻れない。傷が治るまでは、どこかに隠れていたかった」
隠れ家にできる場所を探しているうちに、無意識に甘い香りにつられてしまい、この通りに来たのだという。
このお店は遠くからでもその香りの誘惑を漂わせてくるから、千代はそれで理解した。
「もしかして。甘いもの食べたかったりぃ?」
「べ、別にそんなわけじゃない。ただ、補給出来れば怪我だって」
「食べたいんですねぇ」
千代は考えた。この相手は、自分に復讐がしたい相手だ。助けるのは損でしかない。
でも、放ってはおけない。傷は深く、さすがカッシェーラといったところだ。
それに、魔法少女といえど疲れていては回復も捗らない。
ひとつ、提案をする。
「私の家、来ませんかぁ?」
勿論、グラナティオが頷くわけがない。復讐の相手に傷だらけの状態で家に招かれ、応じる者は生粋の暗殺者くらいだ。
余程自分の心を隠さなければならない。きっと、グラナティオにはできないことだ。
誰がお前なんかの、と言いかけ、叫ぼうとする威勢がグラナティオの傷に響いてしまったようで、彼女は胸を押さえ、血をこぼした。
これは吐血ではない。
気を失ったグラナティオの変身が解け、千代の想像していた彼女の正体とは異なった姿があった。
傷だらけの少女、いや、少女というにはまだ幼い。まだ小学校の低学年といったところだろう。
ともかく、グラナティオだった少女は気絶してしまい千代に寄りかかってきた。
カッシェーラとは違う小さな身体だった。
さっきまで千代とグラナティオだったのが、パフェクトスイートと少女になっている。
立場が逆転した。今なら始末できる。そう少しだけ思ったけれど、そんな考えは振り払った。
自宅にまでこんな小さな少女を連れ込むのは初めての体験で、不審者扱いされないかひやひやした。自分がまだ女子高生で助かった。
ベッドに寝かせ、ある程度の応急処置を施す。
変身が解けても残る傷とは、余程日常的に傷ついているとか、特別な事情があるのかもしれない。
隣に椅子を持ってきて見守っていると、落ち着いて寝息をたてていた彼女がうめくようになり、うなされて跳ね起きてしまった。
汗を拭いてやり、飲み物も用意する。
「大丈夫ですかぁ?」
心配して出した問いは、うるさいと一蹴されてしまった。
「お前に心配される私じゃない!」
感情に任せて吠える少女。
だが、弱っていて決して大きくなかった声をかき消すように鳴いた腹の虫が激情を台無しにしていた。
「何か作りましょうかぁ」
少女は恥ずかしそうに頷くと、小声で甘いものがいいと呟いた。
彼女が甘いもの好きであるということは、あの喫茶店の前につられてやってきたことからも読み取れる。
千代にもお菓子作りの経験はある。
ミュウジカに馳走になったときのいちごのムースほど完成度の高い代物はできないものの、いちおう友人にお世辞でなくおいしいと言われたこともあった。
パフェの魔法少女なのだから、スイーツくらい作れるべきだろう。
魔法の端末で検索し、家にある材料を総動員し、近しいものを作ろうと努力した。
その結果、苺坂千代史上最高峰に近いパフェが完成した。
あの喫茶店とまではいかないまでも、千代からしてみれば満足だ。
奇跡的に何種類もフルーツが冷蔵庫で余っていたのが救いだった。
腕が満足に動かせないようすの少女に、千代はつきっきりになっていた。
途中で少女の目に涙が浮かび始めたときはどうしようかと焦ったが、嫌だから泣いているのではないらしい。
「どうして泣いて……」
「初めて、なんだ。まともにおいしいもの」
「え……?」
「私のいた場所じゃ、食い物だって得体の知れないものばかりだった。初めて食べる人間らしい食事がこれなんだよ」
複雑な事情だとは思っていたものの、どうやら想像以上に酷い境遇で生きてきたのだという。
詮索は得にならない。互いに苦しむだけかもしれない。
「あの、ひとつだけ」
「なんだ」
「まだ私を、殺そうと思ってますか」
少女は答えない。眉をひそめ、視線は下に向いている。
千代にはそのしぐさが、葛藤があるように見えた。
「……ではぁ、お名前は?」
少女は困った顔をすると、一拍おいてから答えてくれる。
「ヒトツキ、だ」
「ヒトツキさぁん。覚えましたわぁ」
殺されたくはなかったが、せめて殺されるなら相手の名を知っておきたいと思った。
境遇を聞き、自分勝手にも心境が変わったのかもしれない。
「もう一品作ってみますねぇ」
食べさせ続けているといつの間にかパフェがなくなっていた。
千代はせっかくだからあるだけ作る勢いでやってしまえと台所に戻る。今度作るのは何にしようか。
残ったもので何ができるかを考え、結局決めきれずにヒトツキ本人に訊ねようということにした。
台所から顔を出すと、何か影が通りすぎたように見えた。
この家で通っていく影といえば、あり得るのはグラナティオくらいだ。
あるいは侵入者。魔法少女にまだパフェクトスイートを狙う者がいたなら、それはC/M境界か、あるいはネクロノームか。
嫌な予感がして部屋に戻るとヒトツキの姿はなくなっており、千代は自分の決断すら待たずに変身し駆け出した。
やっとグラナティオを見つけたのは街中でだった。周囲の人々は写真を撮るなど思い思いの反応だ。
民衆に知られるのは魔法少女としてまずいことだと教えられていたくせに、グラナティオは隠れようともしていない。
だがそれは、グラナティオの視線の先にいる魔法少女も同じだった。
「ミュウジカさぁん? どうかしたんですかぁ」
「来るな。近寄っちゃダメだ」
グラナティオに制止され、佇むミュウジカのもとへは行けなかった。
だが様子がおかしい。最初に訪問したときのように苦労人らしい雰囲気はなく、狂気に堕ちたように背中を丸めている。
「あいつは……危ない」
単純な言葉で脅威が告げられた。
ミュウジカを見ると、ふと目が合って、明らかに前の彼女ではなくなっているとわかってしまった。
そのせいで腰が抜けてしまい飛び出してくるミュウジカへの対応ができなかった。
思わず目を閉じ、ゆっくりまた開けると、目の前でグラナティオの肩の肉が食いちぎられようとしていた。
血が流れるのをまた見ることになってしまった。
グラナティオに蹴り飛ばされ、ミュウジカの身体はまた遠くへ飛ばされていく。
野次馬の群れに突っ込み、すぐに起き上がった。
口元が動いているのが目につく。美味しそうに、グラナティオを食っているのだ。
右の肩を負傷し、槍を両手で持てばむしろ弱くなると判断したグラナティオは武器を片手で構え、パフェクトスイートの前に立った。
彼女に比べれば小さなシルエットだが、カッシェーラのことを嫌でも思い出してしまう。
ミュウジカが動いた。今度は首を狙っている。
わかりやすく大口を開けて飛んでくる相手に槍を突き刺してしまおうとしてグラナティオが構えた槍へ、ミュウジカは自ら片腕を抉らせることで勢いを殺したうえ動揺を誘ってグラナティオに食らいつこうとした。
幸いすんでのところで歯は虚空を切り、また隙が生まれる。
ミュウジカの胸には短剣が打ち込まれ、さらにそこへ蹴りが入って深々と肉を裂いた。
よろめき、体液を流すミュウジカ。
刺さっていた短剣を抜き、すこしだけ舐めると不満そうな顔をして投げ捨て、またこちらを見た。
彼女の身体はすでに二ヶ所も大きく損傷しているのに、平然とこちらを狙ってくる。傷口を見ると、徐々に修復されているようであった。
ミュウジカの魔法は骨に肉付けする、というもの。
つまり、骨が残っていれば再生するし、食事にも困らない。
あの魔法少女は、パフェクトスイートも、グラナティオも、食事の中身としてしか見ていない。
「これでも信じてはいたんだがな、ミュウジカ」
「信じたって無駄です。私、心が壊れちゃったんです。ラヴリンスを殺したあの日、わかったんです」
自分でそういうミュウジカに止まろうとする気配はない。
自分がいくら痛くたって、あの魔法少女は食欲だけで動くだろう。
そんな奴に、パフェクトスイートは食べられる。そう考えると、魔法少女の精神力でも失禁しそうだと思った。
ミュウジカとグラナティオの攻防は続いた。ただひたすら喰うことだけを目的にする敵を相手取るのは難しいだろうに、グラナティオはどうにか対処してみせている。
長くは続かないようだったが、弱点への攻撃で肉付けの速度が追い付かないダメージを与えられてはいるようだ。
疲労と肩の出血、さらにはまだ癒えない傷からグラナティオが遅くなっているのと同様に、ミュウジカの動きも鈍っている。
ふと、諦めたのか、ミュウジカはグラナティオから目を背けた。
次にとった行動は、パフェクトスイートを狙うことだった。
なかなか食べさせてくれない相手より、狙いやすい相手に切り替えたのだろう。腰が抜けて逃げようにも走れない相手はもちろん格好の的だろう。
しかし、パフェクトスイートが逃げるより前にミュウジカが襲い掛かったにも関わらず、パフェクトスイートの肌に傷がつくことはなかった。代わりに、赤い液が付着する。
「グラナティオさん、なんで、こんな私を守って!」
嫌でも姿が重なる光景だった。
パフェクトスイートを生かそうとして、自らを犠牲にする魔法少女。
夢見を嫌うはずの千代が現実を受け入れられなくなる光景だ。
「私は、あなたに復讐されていいことをした、殺されていいことをした! なのにぃ……」
「お前は。私に助けられていいことをしたんだ」
綺麗な首筋が欠け、少女に死への道を歩ませる。
が、まだ道は途中だ。グラナティオは奮い立った。カッシェーラがそうしたように。
「パフェクトスイート、お前には一生を懸けて復讐してやる」
やっと満足に足が動くようになり、パフェクトスイートは駆け出した。
また逃げるしかなくて、また生かされるしかなかった。
千代の心には後悔だけが残り、逃げる中で血がにじむほどに唇を噛み続けた。