☆C/M境界
第一試験が始まるまでには数日の余裕があった。
説明会のあとのこの日は土曜日で、祝日が月曜日に重なってできる三連休の初日だ。あの場にいた16人の魔法少女のうちひとり、「C/M境界」は昼間から試験が行われるE市で最も栄えている駅の周辺に来ていた。
駅のまわりにある高層ビルから、このそこそこ発展している街並みを見下ろすのは彼女の日課のひとつで、ついでに人を助けたりもする。
背面はぼろぼろながら前面は綺麗な紋様をうっすらと浮かび上がらせているポンチョ、長く伸ばされたやさしいクリーム色と紫色のおさげ。
それらの特徴を備えた少女が、このあたりでは都市伝説になりかけているのだ。
本来の彼女の住居はN市にあるのだが、住宅街が多く家族での利用なんかの多いこの駅を拠点にしていた。
家族連れというのは、小さな子供や老人を伴うと危険な状況になることも少なくない。
人通りが多いことを除けば、この駅は魔法少女の出没スポットとしては上々だ、とC/M境界は思っていた。
単に、ほほえましい団欒の一幕が好きと言うのもあるだろうが。
生粋のお姉ちゃん子であった彼女には懐かしくもある。まだ自分が幼く、喜んで姉に話をし続けていた日々を思い出さずにはいられないのだ。
ただ、試験開始の数日前なのでこうしてずっと懐かしんでいるだけの時間を過ごすだけではいられないのだが。
現在、多くの魔法少女がここE市上空のあちこちを飛び回っている。マジカルキャンディー稼ぎに使える場所を求めているのだ。
存在を隠すことを推奨されている魔法少女に都合のいい、なるべく人に見られずに人助けができるような。
いわば狩り場だ。そんな好条件の場所は滅多にない。
C/M境界は自宅からここまで変身した状態のままやって来たが、数人の魔法少女とすれ違っている。全員が必死なのだろう。
当然のことだった。C/M境界だって死にたくない気持ちはとてもわかる。
ともに、そうして人智を越えた魔法少女という存在への、生への執着が利用されようとしていることもわかっていた。
運営が仕向けようとしているのは恐らく手柄の取り合い、魔法少女同士の闘争だ。力のある者同士がぶつかり合い、血を流すことを望んでいる。
C/M境界の目的は、そのような腐った目論見を持ち実行にまで移した犯人の特定だった。
兄弟姉妹、愛する者がきっといる者をそんな場所に駆り出すなど許せるはずがない。それに、人死にが出ると脅して何がしたいのか。姿を見せず魔法少女に仕事を押し付けた運営の正体はなんなのか。それらを突き止めたかった。
目下では、おそろいの服を着た小さな姉妹が手を繋いで歩いている。ついあんな光景を見ると、自分と重ね合わせてしまう。
決して、自分のような運命を辿るものを出してはいけないのだ。
「ねぇ、何してんの?」
背後から好奇の声がした。すぐ後ろだ。先手を打たせまいと振り返り、そこにいた少女を驚かせた。
「あ、邪魔しちゃった?」
敵意を持っているようすはない。ここまで身構える必要もなさそうだ。警戒をすこしだけ緩め、安堵のため息をつく。それから相手の言葉通りに返答を返してやった。
「邪魔をされた」
「まじか。そりゃごめん」
心にもないような謝り方だった。C/M境界は睨み付けるように視線を送る。相手のモチーフは恐らく消防士だ。
昨日の説明会にいた覚えがある。いちいちおぉとかあぁとか言っていたのは彼女ではなかったか。
特に脳筋が戯れているとき、歓声が絶えず耳に入ってきたことを覚えている。
燃えるような赤の髪を銀色のベールで覆い、耐火のジャケットの脇腹あたりからは二対のバーナーらしい筒が伸びている。
また尾てい骨のあたりからは背面からしっぽのようなホースが一本出ていた。この太さがあれば多量の水を噴射できるだろう。
ふとももは革のベルトが巻かれているが、それがすぐ目につくほどにスカートが短い。つまり露出度は高かった。
「うぅ、そんなに睨まないでよ! ちょっと知らなかっただけだもん!」
こちらが相当怒っているように思っているようだ。そんなことは気にせずに、消防士らしい魔法少女の名前を尋ねた。
「お前。名前は?」
「名乗るときは自分からだよ?」
思いの外生意気な性格をしているらしい。わざとわかりやすいようにめんどくさいという表情をしつつ、仕方なく自分から名乗ってやる。
「C/M境界だ」
「しーえむちゃんね、おっけーおっけー。あたしは
人懐っこい笑みを向けて、彼女が一歩近寄ってきた。こっちは一歩引いた。
「で、結局何してたの?」
燃々煌綺は、自分がいちばんはじめにした質問のことをちゃんと覚えていた。
さっきのめんどくさいという表情を作ったことに効果はないようだ。こんなふうにぐいぐいくるタイプの人間は苦手で、どちらかといえば姉のように受け身な人を好むC/M境界には面倒な相手だった。
また本心を顔に出して、渋々口を開く。
「……街行く人を眺めてた。困ってたらすぐに助けられるように」
「おぉ! 実はめっちゃいい子だった!?」
本当にうるさい。ここで嘘を教えても反応は同じだったろう。
最初の質問には答えてやったので、これ以上付き合ってやる義理はない。そっぽを向いて、駅前に視線を戻した。さっきの姉妹はいなくなっていた。
「ちょっとー、つれないなぁ。そんなんじゃ友達たくさんできないよ?」
バカにされているらしい。特にお友達がたくさん欲しいわけではないが、こういった言葉は気に障る。また彼女を睨むことになった。
「あっ、あはは、言い過ぎたかな」
「言い過ぎだった」
「うぅ……ごめんなさい」
ちょっとは反省してくれただろうか。さっきよりも、いちおう心の入っている謝り方だった。頷いて許した後は、燃々煌綺はほうっておくことにする。
駅前を見ている魔法少女はふたりに増えた。偵察態勢としては安心、なのだろうか。
燃々煌綺についてはちらちらとC/M境界のほうばかり見ているため、そのまま2倍になっているとはいえないだろう。
その燃々煌綺が先に何かを察知したらしい。突然C/M境界とは違う、後ろに目を向ける。
何事かと思うが、察知されたものは煙の匂いだった。路地裏でわざわざ煙草を吸っている者がいるようだ。
それだけかと燃々煌綺の視線を追いかけずに駅前の観察を続けようと考えたが、C/M境界の聴覚に路地裏からのかすかな声が届いた。
成人男性と小さな少女、二種類のうめき声。前者はこれでもくらえというふうに、後者は苦しさを漏らしているふうだった。それから、乗用車の扉を乱暴に閉める音。
嫌な予感がして、燃々煌綺を押し退けてまで路地裏を見ようとした。
黒い車が走り去っていこうとしている。エンジンがかけられ、排気ガスを吐き出し始める。
窓が黒っぽくて内部はよく見えないが、魔法少女ならばすこし目を凝らせば見える。女の子が、口に布を巻かれて泣いている。誘拐以外の何者でもない。
背後から燃々煌綺が漏らす「いったた、何すんのさいきなり」の他にも、誰かに伝えようと必死な声が脳にまで響いてくる。
「おねえちゃん! どこいったの、おねえちゃん!」
姉を求める女の子の声。さっきおそろいの服を着て歩いていた女の子のものだった。両親も必死に探しているらしい。
あれほどに仲がよさそうにしていたというのに離ればなれになった姉妹。両親までもが探し回っている。
そして、さっきの連れ去られる少女。わずか数秒で脳細胞を回し、これらのことからあの連れ去られる少女は姉の方であると考えた。
そう結論付けた途端に身体が動く。
ビルから飛び降りた。置いていかれているおさげが風になびいているのがわかる。
後続には誰もいない。C/M境界は自分の背面と前面を入れ換え、その目にビルの上で呆然とする少女を視認する。
次の瞬間、C/M境界が着地するよりも早く魔法が起動した。
この魔法は『遠くのものを落とす』魔法だ。術者であるC/M境界と燃々煌綺にはビルひとつぶんほどの間がある。これにより、対象に含むことができる。
燃々煌綺は見えない力で打ち上げられ、さらには地面へ向けて引っ張られていく。隕石が加速していくように、地面へ真っ直ぐ進んでいく。
咄嗟に衣装のミニスカートをおさえていたが、着地したC/M境界の隣に尻から突っ込んだ。路地裏には大きく衝突の跡ができる。
そんなことを気にしている暇はなく、ひび割れた地面に心がすこしでも引っ掛かるよりも早くに落下物の少女の手をとり、走り出した。
「いきなりなにさ!?」
「いいから来い! 人助けだ!」
「試験は明日からだよ!」
そんなことを言っている場合ではない。魔法少女であれば、わざわざ狭い道を走る乗用車に追い付けないはずがない。
誰かを助けることに乗り気でないらしい薄情な女に合わせることなどなく、全力でビルの間を縫って駆ける。
段ボールの群れを蹴散らし、逃げ出す黒猫を抜かし、泣いている少女を追いかける。
理解に時間を使いすぎた。もし自分達が間に合わなかったら、きっと彼女の姉はただではすまない。
身代金目当てならまだいいが、その他に目的があるとなると危険すぎる。世の中にはそういう趣味の男もいる。
あのような魔の手から、助けなければいけない。
自分の姉のような運命を――三条家のような悲劇を許してはならない。
魔法少女、C/M境界としての感情だけでなく。姉を助けることもできないで亡くした人間、