☆マスターサイド
慣れないE市の空気をせいいっぱい取り込んで、魔法少女が走っていた。ふだん、魔法少女がここまで走り回ることはない。
相手が魔法少女並の速度をもっていないなら、全力を出す必要はないのだから。
だが、彼女は全力で走っていた。理由は簡単。彼女は、魔法少女に追われている。
追っ手はふたり。真っ黒な衣装に身を包んだ者と、桜の木のように薄いピンクで装飾が華やかにされている者だ。
さっきまでは黒っぽいほうひとりだったのに、と吐息に混ぜて文句も吐き捨てる。
さっきまでは、人事部門の方から派遣されてきたマスコットキャラクターと二手に分かれて逃げていたのだが。
あの桜っぽい衣装がこっちに来ている以上、逃げ切ったか捕まったかだろう。殺されたのかもしれない。
そこそこ気の合う妖精で、もし試験中のみの仮の契約ではなく、ほんとうに組めたらいいところまで行けそうだったが、自分が逃げるのでせいいっぱいだった。
勝手に脱落したことにして、心のなかで黙祷する。どちらにせよ言葉を発する暇はないのだが。
彼女は、この追っ手のふたりを魔法少女にした張本人である。
本来なら手ずから教育し、魔法少女のなんたるかを教え込んでやる立場だ。だというのに、追いかけられるとは。こんな筋合いは、どう考えてもない。
あのふたり、黒い『タルタロッサ』に桜っぽい『ブロッサム
魔法の資質を見つけてやったのは、まぎれもなく私なのに。そう言えばちょっと自惚れている感じがするが、事実は事実だ。
自らの手に握られたメトロノームがちくたくとテンポを決めている。マスターはこれを指ではじいて、加速させた。ともにマスター自身も加速する。
追っ手には想定外の事態、のはずだ。一気に距離を突き放し、姿をくらませるために適当な道を曲がっていく。人通りの無い道を歩く一般人が驚いた顔をするのを、飛んでかわしていく。
驚いたのは速度か、いきなり現れたことか、マスターの端正に整った顔か。アレンジによって太股が魅惑的に露出したおもちゃの兵隊のような衣装か。
それとも、人外娘だと主張するような長く尖った耳か。人間に類する者ではない、あるいは新鮮な死体だと主張するような紫がかった土気色の肌か。
どれをとっても、常人には驚きの塊だろう。
答えは出ないままに、一般の人は見えなくなった。振り返ってももう見えない。タルタロッサも、ブロッサム+もだ。
ただ安心して立ち止まっているだけでは追い付かれてしまう。逃げ込むためにホテルに入る。ピンク色の看板が掲げられたそういう施設にひとりで入るのは気が引けるが、魔法少女のガサ入れがこんな場所にまで入れられるとは思えない。
変身したまま、呆然とする店員と適当にやりとりをして、部屋へ急行した。マスターの容姿は覚えられやすいので、いつもなら便利なのにこういうときだけは不便になる。
部屋に入ると、ビジネスホテルよりずっと豪華な内装が迎えてくれた。誰もいない個室にかちかちとメトロノームの音が響き渡る。
マスターは針を指でつまんで、手持ちのメトロノームの勢いを減らした。マスターは速度を失い、瞬き、呼吸、鼓動でさえもゆっくりとフェードアウトしていく。
心臓は動かない。マスターは肌色のとおりの新鮮な死体となって活動を停止した。
☆C/M境界
ひたすらに追いかけ続け、黒の乗用車が乗り捨てられているのを見つけた。追っ手を警戒して、だろうか。
目標を運転していた男の姿に切り替え、速度は変えずに再び追い始める。
引っ張り回される燃々煌綺が頭をぶつけたり身体の各所を激突させているようだが、気にしていられない。制圧と救出の役割分担ができるというだけで連れていく意味は大いにある。
路地裏の先で、少女を連れた男が屋内へ逃げ込むのが見えた。迷わずに一直線に飛び込んでいく。扉はこの際壊してもいい。
ただのガラス片は魔法少女の身体に傷をつけられるほど鋭利ではない。それに直せる扉より、治せない心の傷が問題だ。
C/M境界は男が閉めた直後の扉を蹴り破ろうと脚を突き出し、木枠とガラスの小窓を破壊しながら屋内に突入する。
そのはずであった。しかしC/M境界の脚はある一点で止まっていた。
なびいていた髪が重力の影響を受け、普段のように垂れていた。燃々煌綺が勢い余って地面に激突し、鼻血を出していた。
「何者だ、貴様……!」
「魔法少女。オレも、お前もな」
脚が動かないのは、掴まれているからだった。髪が垂れたのは、燃々煌綺が激突したのは、その女がC/M境界を止めたからであった。
片方の脚を取られている状態でも反撃を試みる。が、体勢が悪すぎる。顔面への拳も有効な一打にはならず、振り払うことは叶わない。
成す術なく、C/M境界は相手を睨み付けた。相手の表情は微動だにしない。
「止めるな、貴様!」
「止める。試験はまだ始まっていない」
ただでさえこうして少女の救出を邪魔されているというのに、燃々煌綺に対するC/M境界と同じような受け答えをする魔法少女はたいへん気に障る。
ちらりと上空に視線を向けた。ビルの屋上の端に、いくつか植木鉢が並べられているのが見えた。横にいくつか煉瓦も積まれている。魔法を使うには十分だ。
煉瓦ひとつを対象に、魔法を起動する。打ち上げられた煉瓦は、脚を掴んでいる魔法少女へ向けて一直線にぶつかっていく。
加速するブロックは激突直前で砕かれてしまうが、C/M境界の拘束は解けた。煉瓦一個との交換としては等価以上に決まっている。
この女には、少女を助けさせる気がない。ならば敵だ。
無愛想なこいつ相手では言葉での説得は難しいだろう。行動不能になってもらうのが手っ取り早い、最善策だ。
拳と拳が激突し、互いに衝撃を受ける。骨にヒビが入る感触がする。C/M境界は攻撃力は高くとも耐久はそうある魔法少女ではない。
これ以上の打ち合いは今後に響くと考え、魔法による遠距離攻撃を多く交える方向でいこうと決めた。
対象は先程状況の打開に使ったものと同じ。屋上に積まれた煉瓦だ。
降り注ぐ煉瓦たちを囮にしその影から攻撃を仕掛けていこうとするが、拳に受けた衝撃はじんわりと痛みを与え、ブレーキをかけさせてくる。
攻撃が当たったのは煉瓦にであり、砂煙が生まれた内で相手の衣装が鈍く光った。
昆虫の外骨格のような光沢、硬度がある。魔法のかかった石の雨の迎撃ではすこしの影響しか受けていないようで、拳部分もC/M境界自身と激突した方が弱っているふうに見えるのみ。
それならば、と今度は植木鉢を対象に選んだ。高く打ち上げ、敵目掛け一直線に飛ばすのだ。
着弾までの数秒、回避の余裕を持たせぬために飛びかかる。蹴りあげは反られて避けられ、踵落としは受け止められる。
だがこうして空中でバランスを崩しかけてももう片方脚はある。顔面に手応えのない蹴りが何度も入れられ、敵もうっとおしく思ったかC/M境界を地面に叩きつけようと振りかぶった。
ここで、時間が来る。植木鉢は正確に脚を掴んだ手の甲に当たり、外骨格を砕く。
詰まっていた土と植物はそのまま足元に落ちていって、外骨格を砕かれた手はC/M境界から離れた。
好機は来た。足元に落ちていく土を巻き込んでの蹴りあげを行って顔面にかけてやり、目眩ましにした。
たった一瞬の隙でいい。決めれば変わらない。渾身の蹴りを浴びせるべく伸び上がり、相手の鼻筋を打ちにいった。
土煙は数秒もせず晴れる。C/M境界の脚は、届いていなかった。
外骨格を砕かれた手を犠牲にして止めている。血塗れの指で掴まれている。
C/M境界は数秒の空白の後、大きな好機を逃したということを理解した。
「……ふざけるな。私は、あの子を助けたいだけなのに」
「そう、それは安心して。彼女はまだ死なない。オレはそれを知っている」
まるで未来を知っているかのような口ぶりで、諭すような声だった。
何をもってそう言えるのか。知っているとはどういうことか。それらは疑問ではあったが、口から出たのは違う言葉だった。
「死ぬことはない、と」
「あぁ。今助けずともな」
「……何を言っているんだ、お前は」
生きていればすべてそれでいいのか。確かに死体よりずっとマシだ。
けれど、死なないから助けなくていいなんてのは違う。絶対に違う。力の弱まっていた指を振り払って、敵を睨んだ。
「苦しい。怖い。寂しい。痛い。そんな闇が迫っているのに。何もしないなんて、魔法少女じゃない」
ふたりの頭上から、何かが飛来する。煉瓦か。植木鉢か。違う。もっと大きな影だ。
C/M境界から離れていて、先程視認したもの。乗り捨てられていた、黒の乗用車である。
まだ燃料の残っていた車は地面に激突するなり爆発炎上し、路地に大きなクレーターを作り、魔法少女をひとり呑み込んでしまった。
C/M境界は警戒し、燃々煌綺も目を向けていたが、炎の中からシルエットが現れることはなく、C/M境界を止めていた魔法少女はどこにもいなかった。
撃退には成功したようだった。
路地に立っていたというのにやけに明るい炎に照らされ、呆然としていた燃々煌綺。ふと思い付いて、適当な段ボールをひとつ持ってきたようだ。
すこし離れたところに置くと、指を一度ぱちんと鳴らすだけですべての炎は段ボールへ移り、彼女のコスチュームの一部であるホースからの水で燃え盛る段ボールは消し飛ばされた。さすがは消防士モチーフ、といったところだろう。
炎で近付けなかった扉には平然と寄っていけるようになっていた。何ら特徴のない鉄の扉は爆発の衝撃で歪んだらしい。普通の方法では開かなかったので、適当に蹴り倒した。
中にいたのは連れ去られた女の子だった。布で声を押さえるように口が覆われており、錠で柱から離れられないようにされていた。
C/M境界が錠を踏み砕き、布をとってやる。解放された女の子は自分がまた自由になったことを声を出してみて確認すると、恩人の少女を見てわっと泣き出した。
「もう大丈夫。妹ちゃんにも会えるから」
ここまで耐えていたのだろう。泣き声は狭い部屋に響き渡る。これだけの元気が残っていてよかった、と胸を撫で下ろして、女の子を抱き上げると部屋から路地へと出ていった。
彼女を送り届けるのだろう。燃々煌綺の横を通り過ぎて、ビルの群れの合間を駆け抜けていく。
「いつまでああしてられるかな、あのひと」
そんな燃々煌綺の呟きには、本人には聞こえることはなかった。