「ちょっとそこに土下座なさってください」
大本営にて行われた報告会の全日程が終わり、その他の面倒事を片付けて宿に到着したら、穏やかな笑顔の大淀さんは言い放った。
「え、あ。い、いきなり土下座ですか」
4回目の間違いを犯したときの仏様みたいな顔を前にして、私は石の裏から白日の下に晒されたダンゴムシみたいに縮こまることしかできなかった。
生来私は激情家だった。江戸っ子気質だった祖父の影響であろう。曲がったことの許せない質でもあった。
いい経験になるからと、上官から報告会への参加を勧められた私の気質や、司令本部の実情を能く知っているから、大淀さんは頑なに今度の会への参加を辞退するよういったのだろう。私という人間が、あの場面で平常を保てるはずがなかった。
十数年前に突如現れた海の化け物を日本では「深海棲艦」と呼称した。それらは世界のいたるところでシーレーンを封じ、人の生活をじわりじわりと締め付けてきていた。一般兵器の効かないそれらに人類は対抗策を持たなかった。万事休すかと思われたが、これまた突如現れた一人の女性によって、初めて深海棲艦撃退に成功したのがちょうど十年前だ。彼女は自らを、大日本帝国海軍の軍艦だと名乗った。同じような報告が日本全国の港町、世界各国の島国から寄せられた。日本では彼女らを「艦娘」と呼称した。海自は現在、彼女らを全面的に支援する体制を組んでいる。
さて、日本全国各地に散在する深海棲艦迎撃のための海上自衛隊基地を、現在は旧帝国海軍に倣って鎮守府とも呼ぶ。旧海軍の慣習が体にしみついた艦娘たちへの配慮である。各鎮守府における代表者一人と艦娘一人を含む数名が中央にて基地運営の方針や戦果、資源消費及び要請など種々雑多の報告事項を確認しあう会合が月に一度行われる。
今回コトが起こったのはーーーというか私が起こしたのだがーーーその会合が行われる会場でのことだ。
顔を真っ赤にし,涙目で歯を食いしばっている駆逐艦娘と目が合ったのが良くなかった。
その横で反吐の出そうなにやけ面で彼女の尻を触る男に気付いたのがまずかった。
申請やらなんやらで、付き添いの大淀さんが傍にいなかったことも災いした。
私の中の正義感と激情は見て見ぬふりを許さなかった。事前に「その男」を知っていれば,周囲が知らん顔をしている理由を知っていれば、納得はできなくても見ず知らずの艦娘の不幸に顔をそむけることくらいはできたかもしれない。後悔先に立たず。当時の私は何も知らないケツの青い若造でしかなかった。鼻息荒く二人に近づき、男の手をぎりりと締め上げそのままの勢いで以て、リノリウムの床にごちんとたたきつけてやったのだ。合気道や柔道の心得があってよかったとこのときは思った。
周りはこの事態に顔を青くした。申請やらなんやらから帰ってきた大淀さんは平謝りだった。男は私より年も階級も上だった。私は二等海佐で奴は海将補である。要するに中佐と少将だ。なんでも現在勢いのある鎮守府の提督候補なのだとか。その男がかの鎮守府の海将から可愛がられていることを私を除くみなは知っていた。手癖の悪い人物だということも。
その男は人の手を借りて医務室に連れられて行って、事情を知らない私は大淀さんにベランダへとひっぱられて行った。
「この……あなたは……なんて……、ぼぼ暴力はいけません!!海佐のばか!!」
これがこの時完全にテンパった彼女の第一声であった。どうでもいいが、人は言いたいことが全部一度にのどから出ようとするとき、ちぐはぐな発言をするものだ。
場にそぐわぬ奇妙な説教に面食らった私は、とりあえず謝った。
「む……。ごめんなさい」
確かに私自身、自らの性質はこの時代において考え物だと思っていたのだ。そこを叱られたと思った私の返答も、この場ではちぐはぐだった。
「し、しかしね、大淀さん。あなたはあの場にいなかったから知らないでしょうが、あれはどう見ても……」
「うっさいです!!口ごたえしないでこの……!この………!このぉぉ!」
これがこの時完全にテンパった彼女の第二声であった。これもどうでもいいが、人は言いたいことが全部一度にのどから出ようとするとき、うまく言葉がでないものだ。
「落ち、落ち着いて……」
興奮して肩で息をする大淀さんをなだめる。普段冷静な彼女の激昂を受け止められる器量は私にはなかった。そもそも私はこのとき大淀さんが怒る理由をはき違えている。
「ああぁ……この人を一人にするんじゃなかったぁぁ」
落ち着いたかと思うと今度は顔を真っ青にしてぶつぶつと何やら呟き始めた。貧血か低血圧だろうか、今まで無理をしていたのだろうか、帰りしな何か精のつくものでも食べようか、とか考えていたところに横から声をかけるものがあった。
「どうしたんだ、君ら。会議が始まるぞ」
我らが鎮守府を統べる大島海慈海将その人であった。
「先生、大淀さんが大変なんです!」
「提督、樋口海佐が大変なことを!」
「元気だね、君ら。俺はもう肩がこっちまってよぉ」
遅ればせながら私の名前は樋口幸平。とある基地で2等海佐を務めている。
その後はてんやわんやだった。海将に、大淀さんに、そしてあの男にと、何度頭を下げたか思い出せない。その後私は報告会に参加せず、警務官のみなさんによる取り調べ、そして厳重注意を拝受した。解放されたのが夜の二一〇〇、宿に到着して大淀さんに土下座宣告をうけたのが二二〇〇であった。
「さ、海佐。張り切ってどうぞ!」
4度目の仏顔に笑顔を貼り付けて、大淀さんは仁王立ちであった。
「この度はお二人に多大なるご迷惑をおかけしましたことを謝罪申し上げます……。平にご容赦を……」
ダンゴムシたる私は五体投地に平身低頭であった。
「ヨドちゃん。その辺で」
見かねた大島海将が助け舟を出した。
憮然としていたが大淀さんは引き下がった。海将には勝てぬらしい。土下座を正座に改め、海将の顔をおずおずと見上げた。
「今回のは俺のミスでもある。本部の実情を教えておくべきだった」
「そ、そんなことは……。すべては自分の我慢弱さのせいであります」
「まあ、聞きなよ」
恐縮する私を制して海将は静かに語り始めた。
深海棲艦と艦娘。人知を超えた二つの存在が現れてからというもの、自衛隊はタカ派勢力の影響を強く受け始めている。艦娘たちを支援する意味合いで、彼女たちに馴染んだ旧日本軍の体制や語句を採用しはじめる基地が増えている。司令本部を大本営などと呼称することは、今までなかったことだ。それがタカ派の勢いに火をつけるちょっとしたきっかけになったのである。
「それに乗じて増長するバカタレもいるんだよ。情けないことだが」
艦娘たちは全員が見目麗しい少女や女性の姿をしている。彼女らがどんな人に対しても友好的なのをいいことに、下種な欲望の捌け口にしているものもいるらしい。あの海将補もその一人だという。彼が補佐する海将は、深海棲艦との戦いにおいて大きな戦果を挙げている。だがその後ろには、暗いうわさが絶えないらしい。話の中には政治家との汚いつながりもあるとか。
「さて、ここからは樋口海佐、君の話だ」
自衛隊の現状を大まかに述べたのち、海将は激憤の中にあった私を、真っすぐに見つめた。私は思わず背筋を正した。
「君が感情的になりすぎるきらいがあるのは知っていた。今もそうだったろう」
図星だった。私の中の激情は頭の中で、幾刻か前のあの男に、もう一度技をかけようとしていた。
「は……はい」
大淀さんはため息を、海将は苦笑いを返してきた。
「まあ、そんなわけだから。これは俺の監督責任なんだ」
私は顔を伏せた。尊敬する上官に対して自らの失態の責任を負わせるのが情けなかった。
「さて、問題はここからだ。今後の我々の処遇について、な」
果たして、海将の話はまだ終わっていなかった。この日の出来事が、私の人生におけるほんの小規模な、しかし確実な転機であった。
初投稿です。のんびり書いていこうと思います。
よろしくお願いします。
2/11 一部手直ししました。
3/30 手直ししました。