サルベージ   作:かさつき

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人を驚かせようとした時計職人が、悪戯心に趣向を凝らしたのであろう。矢鱈大きい壁掛け時計の打刻音は、これまた矢鱈大きかった。

 

この数日で嫌というほど解ったが、私はよくよく、肝が細い。突然の事態に弱いのだ。まして、今朝から神通さんと同じ部屋にいて、天敵の追跡から隠れる小動物よろしく縮こまった私は、いまや大抵のことに驚くことが出来そうだった。大島海将が好みそうな荘厳な時計は、鳴る度に唯でさえ細い私の肝を、さらにキュッと締め上げる。5回目の時計が鳴る少し前には、私は今か今かとびくびくしながら、時計を睨んでいた。

 

時計の方に気を取られていた私は、突然鳴ったノックの音に対して、全くの無防備であった。

 

「津田です」

私の肝を握り潰したその音の主は、津田さん。私は言承けを返した。

 

「お疲れ様です、どうしました」

失礼します、と言って執務室に入ってきた津田さんに、未だ高鳴る心臓を落ち着かせつつ尋ねた。

 

「いえ、先ほど萩風さんから入電がありまして」

 

「……そうですか。何と言っていましたか?」

分かり切っていたが、やはり私は嫌われてしまっているようだ。できる限り直接連絡してくれるのが好ましいのだが。中継を入れると、どうしたって判断に遅れが生じる。

 

「面倒事があったため、少し帰投が遅れるとのことです。一応お耳に入れておこうと」

面倒事ーーなんと言ったものか、随分〝ファジィ〟な報告だ。

 

「そうですか、ありがとうございます」

私が謝辞を伝えると、津田さんは、それでは、と早々に踵を返した。ドアノブに手をかけたとき、彼は徐にその動きを止めて、神通さんの方を振り向き尋ねた。

 

「神通さん。樋口海佐の仕事ぶりは如何でしょうか」

………出来れば私の居ない所で聞いては貰えまいか。

 

私は結構、人からの評価を気にするのだ。ただ、先ほどの神通さんの言を思い起こせば、彼女が私をどんなに嫌っているかはもう明々白々であって、半ば諦めも混ざり気になる程ではないのだが。

 

「ええ。とても素晴らしい方です。今迄の方と同じように」

神通さんは、何やら書き物をしながら顔を全く上げずに答えた。それ見たことか。それはそれは素敵な皮肉を、拝領してしまったではないか。解っていても、目の前で嫌味を言われるのは堪える。

 

「ああ、そうでしたか」

津田さんの反応は、何とも言えない。彼にも神通さんの真意は少なからず伝わっていることだろう。期待を裏切られて残念そうにも見えるし、予想通りで退屈そうにも見える。一体何の意図だったのか、それだけ聞いてすぐに出て行ってしまった。この間のことでお喋り好きな人だということは分かったが、それでもなお、彼の為人は霧のようでいて依然掴めない。

 

神通さんの言葉を聞いて、何もしていないのに何故か悪いことをしたような気分になってしまった。その気分を払拭するため、下手な口を使う選択肢をまたしても採用した私は、天下の愚か者であった。

 

「こ、この時計、矢鱈五月蝿いですね」

 

「………」

神通さんは、無言を貫いている。書き物をする手は動かし続け、顔は手元を見続けているが、心なしか冷たさが増しているような。

 

「こんな音を半刻に一度聞いて平気でいるとは、どういう神経なのでしょうか」

やめておけば良いのに、諦め悪く話続けてしまったのが、良くなかった。

 

「相当図太いんでしょうな」

私がへらへらと表情を崩して、そう言った瞬間であった。

ぎょるん、と音のしそうな速さで顔を上げて、神通さんは私を見据えた。これは不味い、と思った時には遅かった。先ほど聞いた、妙な語調で、彼女は一息に話し始めた。

 

 

「先程、申し上げましたことの意味。或いは、能く伝わらなかったと見えまして、まこと、自らの言論逞しからざるを恥じ入るばかりに御座います」

 

「私の能力及ばざるが故、海佐に少々のお手間を掛けさせましたこと、ここに陳謝致します」

 

「天地神明に誓い、今後この様な事態が起きること在らざるを、全きに成らしめんと志しまして、仮令海佐が夢中に遊行する白痴とありましても、それは能く解することの出来ましょう、ごく端的明瞭の言を以て再度、先程の私のお願い事、ここに繰り返しますこと、何卒、ご海容の程よろしくお願い申し上げます」

 

 

 

 

「余計な、口をーーー開くな」

 

 

 

 

女性が出したとは思えぬ〝どす〟の効いた声の中で、怒りが烈しく煮え立っていた。それに呼応するように、ボウン、ボウン、とけたたましく時計が哭いた。

 

以前、赤城さんと談話室で話した時。あの時に感じたあの感覚によく似ている。背筋が凍り、嫌な汗が背中を撫でた。正真正銘の殺気。得物を喉元に突き付けられているような。口は禍の元。そろそろ私は、学習するべきだ。

しかし、どうにもーーー。

 

 

それだけでは、説明が付かなかった。なんだろう。これは、一体。

彼女の表情は、判らない。目は口ほどに物を言うが、今、彼女の眼は見えない。表情も読み取れない。きっと眼帯の下では、憤怒の形相を浮かべているに違いない。違いないのに、一体これは、如何したことだ。

 

殺気ではない、別の何かが、確かにあった。

 

酷く悲しくて。余りに寂しくて。心にできた大きな空洞を、見せつけられるような錯覚。

 

 

私には、彼女が泣いているように見えた。

 

 

 

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彼女が小さく息を吐いて、ほんの少し部屋の雰囲気が弛緩するまで、動くことができなかった。そこからはまた、気まずい沈黙だった。

 

時計が時を刻む音が、部屋の音の全てになってから暫くの後、廊下から足音が聞こえてきた。津田さんが履いている革靴よりも、かなり重い音だ。多分これは、脚部艤装の床を打つ音。萩風さんが帰投したらしい。部屋の扉を叩く音がした。どうぞ、と返すと少し疲れた表情の萩風さんが顔を見せた。面倒事とは何だったのだろう。物凄く尋ねたいと思ったが、さっきの今で、神通さんが横から目を光らせているーーような気がするーーので飲み込んだ。

 

「お疲れ様です」

必要最小限の言葉を投げかけた。此方を一瞥したらすぐ面倒臭そうに眼を逸らして、言葉を返してくることは無かった。

 

報告を、と神通さんが要請すると、彼女は返事をした。上官の威厳などあったものでは無いな、とは思いつつも、ほとんど諦めて文書ファイルを用意する。彼女の報告が始まった。

 

「〇八○○、抜錨。〇八三〇、遊漁船、ポイントに到着。付近数キロにて哨戒開始」

 

「一〇四八、駆逐イ級の残骸と見られる来流物を発見。比較的小型で活動は認められず、特に危険無しと判断したため、放置しました。」

 

「一〇五三、遊漁船の乗員が残骸を発見。深海棲艦の来襲と誤認し、帰港のため転回」

 

「一一三〇、帰港の際に随伴し、漁協にて危険は認められないことを説明しましたが、ほぼパニック状態で、深海棲艦を撃滅するよう強く要請を受けたため、再度出港」

 

「一一五七、残骸を発見したポイント付近を哨戒。既に流されたか、沈没したものとみられ、残骸は発見できず」

 

「一二三二、これ以上の混乱を避けるため、漁協には、深海棲艦を撃沈した、と報告。同時に遊漁船の出港を控えるよう要請しました」

 

「一二五〇、帰港、投錨。以上です」

 

 

報告を聞き終えた後、彼女の表情の意味が分かった気がした。

「残骸、とは、どの程度の大きさでしたでしょうか」と、神通さん。

 

「………まあ、平たく言えば、イ級の頭部ですね」

それを聞いた神通さんは得心顔である。

深海棲艦の残骸自体は、それほど珍しくもない。舞鶴、呉、佐世保辺りの正面海域に現れ、撃滅された艦船、或いは艤装の残骸が対馬海流にのって、この辺りまで流されてくることは、充分想定できる。所詮残骸だ。放っておいても流されるか、沈むのを待つのみであろう。幾ら深海棲艦が謎に包まれているからと言って、本当に何も分からない訳ではないのだ。少なくとも、生首だけで動くことはないという位は分かっている。

 

ーーそれはあくまで私たち隊に所属する者の常識であって、未だ市民の常識ではないのだった。

十年たった今でも、深海棲艦に関する根拠のない噂は、依然として横行している。海水につかるだけで体が再生するとか、死んでもすぐに生き返るとか。ただ近代兵器が効果的でないだけで、決して不死身でないことは、公的な周知も為されているはずだ。

 

化け物であることには違いないのだが、正しい知識を持たずして、必要以上に恐れることは間違っていると思う。

 

今回の一件の本質は、恐らくそこにある。知識の不足による、過剰な不安と過敏すぎる対応。パニックを起こしたら、もうそこまでだ。不安が取り除かれるまで、異常な防衛反応を見せる。生物全般、そういうものだ。

 

これが件の〝面倒事〟か。

出来れば途中で一報をお願いしたい所だが、大事無かったようだ。これを機に地域の皆さんも、ある程度危機意識を持ってくれると良いのだが。

 

「お疲れ様でした。英断だったと思います」

報告内容を文書に打ち込み終えた私は、彼女を労った。

 

つもりだったのだが、萩風さんには、睨まれてしまった。

「………偉そうに」

彼女が小声で口走った言葉が、私の耳にも届いた。

これくらいなら無視しても良かった。彼女が私にとびきりの悪印象を持っているのは、見た目にも明らかだったし。それでも、その次の言葉は、どうしても看過できなかった。

 

 

「……この小児性愛者」

 

 

絶対に看過できなかった。事実無根である。

 

「ま、ま、待ってください!断じて違います。誤解です」

机を叩いて勢いよく立ち上がった。あの談話室でのことを言っているのだろうが、あれはしょうがなかったのだ。というかヒトミさんは説明してくれていないのか。私の勢いに気圧されるどころか、萩風さんには寧ろ火が着いたようだ

 

「なんですか!どうせヒトミさんのこと脅してるんでしょう!」

そういう論理か。小児性愛の上、脅迫の嫌疑までかけられているらしい。大体ヒトミさんは、小児と言える程幼くない。冗談ではない。憤懣やるかたなし、とはこのことだ。私の中で、怒りが熱を持ち始めた。負けじと言い返した。

 

「ですから違います!」

 

「じゃあ、あれをどう説明するんですか!」

 

「あ、あれは私が体調を崩して、それを負ぶってくれようと……!」

 

「非力なあの子が、そんなことする訳ないじゃない!」

 

「実際したんだから、しょうがないでしょう!」

 

「鼻の下伸ばして、気持ち悪い!」

 

「私が何時、そんなことを……!」

 

「この……変態!」

 

 

 

「変、た………いい加減にしろぉっ!」

 

萩風さんが、小さく悲鳴を上げて、体を強張らせた。自分でも驚くほどの大声だった。

自らの情動を抑え込めなくなり、肺が破裂したかのように空気が押し出され、感情と共に口から噴き出した。やはり私はここ数日の間に、少なからずストレスを溜めていたのかも知れない。これも多分、先に感じた情緒不安定と同じ類の症状だ。そうでも思わないと、この感情が自分のものだと信じられなかった。激情家の私だが、今までの人生でこれほど激昂した記憶は無かった。ただ誤解を解きたかっただけなのに、何処で間違えたか、彼女を怖がらせることになってしまった。

 

互いにばつが悪くなったのか、少しの間、沈黙が訪れた。

 

 

「勤務中です。双方、そこまでになさい」

子ども同士の口喧嘩を諫めたのは、神通さんであった。やはり、氷柱だ。心なしか萩風さんの顔が、引き攣っている気がする。茹った部屋の空気が急激に下がっていく気がした。

 

「二人共、頭を冷やしてきては?そろそろ寒くなってきましたから、海で泳ぐと丁度良いかと」

神通さんはそう言って、また手元に視線を落として、再度書き物を始めた。またも沈黙、それを破ったのは萩風さんだ。

 

「今後一切。ヒトミさんに近づかないでください」

何か言い返したかったが、神通さんの手前、もうどうにもならなかった。私の方を一瞥してそう吐き捨てた彼女は、朝と同じように大股で部屋を出て行った。

 

結局誤解は解けずじまい。すごすご椅子に座りなおして、また脱力。

 

無為な時間が戻って来た。

 

 

先ほどから神通さんは、手元をどうやって確認しているのだろう。

暇が過ぎて、どうでもいいことを考え始めた私であった。

 

 

 






遅くなりました。


この1日も、もう少しです。
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