「あー……と。神通さん、お昼は……どうされますか」
無為に過ごす時間の中で、腹の虫が飯を寄越せと要求してきたので、びくびくしながら神通さんに尋ねてみた。時計を見てみれば、もう昼飯時には遅い。前の基地では食堂へと向かうところだが、此処は所属の隊員も艦娘も少なすぎるから、そういう便利な施設を望めないのだった。また、尋ねた所で昼食が出てくる訳でもないし外食できる店もないのだが、ややあって答えてくれた。
「……お弁当を、用意してあります」
「あぁ……そうでしたか。ではそろそろ、休憩に入ってください」
隊に所属する艦娘は、規則正しい生活とは無縁な者が多い。前任基地でも同様で、時間のある時に飯、任務が終わったら飯、というのが文字通り茶飯事であったが、この基地は別だ。平和極まるこの海域ならば、いつ体を休めようと問題はない筈だ。そもそも秘書艦といってそれほど仕事は無いのだし、罰は当たるまい。
「………今休憩に入りますと、そのまま終業時刻になってしまいますが……」
「ん……それは、どういう……」
いまいち理解が及ばなかった。
「本泊地は現状、非常に艦数が少ないうえ、厳しい財政状況で護衛任務を回す必要があるため、なるべく各艦の休息時間を多めにする方針をとっています。また、ほとんど形式のみですが、秘書艦制度も採用しております。シフト作成の都合上、秘書艦任務があった次の日の深夜にシフトが入るので、秘書担当艦は、終業時刻を数時間早め、仮眠をとってから任務に当る事になって居ります」
随分丁寧に説明してくれた。根が真面目なのだろうか。先の、極北のような態度からは信じられぬ程、彼女は律義だった。幾分違和感を覚えつつ、業務日誌の表紙裏を再度覗いてみた。
11/1 /2
月 火
秘:終日 神通 那珂 ……
護:深夜 伊13 神通 ……
護:午前 萩風 瑞穂 ……
護:午後 赤城 伊13 ……
確かに明日の深夜、彼女は護衛任務に当たることになっている。得心がいった。それぞれ基地に、基地ごとの任務と事情がある。そういうことならば、尚更問題はない。腹が減ってはなんとやら、休める時には休むべきだ。
「それでしたら、大丈夫です。なにかあったら津田さんに聞きますから、先にあがって下さい」
「………まぁ、それなら……お先に」
訝しげな声をあげつつ、自分の荷物をとりまとめて、彼女は執務室を後にした。
出ていく際には、敬礼をも忘れない。歯に衣着せぬきらいがあって、私への敵意も結構明け透けだ。もう少し言葉を選んでくれても良いのでは、とも思う。だがそれでも、こういう所、流石は元日本海軍属で、儀礼を忘れないのが好印象であった。その一方で、突然に悲しんでみたり、律義に基地の事情を説明してくれたりと、どうも掴み処がない。この数時間で神通さんという艦娘の様々な面を見て、結局どんな人なのか分からなくなっていた。
とりあえず、自分も昼食だ。
一人になって少し緩んだ部屋の空気を感じながらいい具合の空きっ腹を撫でつけ、私も弁当箱を取り出した。
今日の昼食は、焼き魚に、味海苔と白米。この基地に来て以来、馴染みの面子だ。今日も私の腹の虫を落ち着かせるのに貢献して頂こう。そう言えば、魚の切り身がそろそろ無くなってしまう。それはつまり私の食事が、米と海苔だけになることにほかならない。皆はどうやって食料を調達しているのだろう。やはり隣町まで買いに行くのか。窓の外。今にも雪の降り始めそうな灰色の空をぼんやり眺めながら、萩風さんに何と言って謝ったものか思案しながら、弁当をつついた。
萩風さんとの一件を思い起こすにつけ、私が溜め込んでいた悪いものは普段、形を潜めているようだ。そして何らかの激しい情動に誘われて、噴出する。ストレス性のものだろう、体が硬直したり怒鳴り散らしたりと、行動の制御が利かなくなる辺りはかなり問題だ。何らかの形で、今後はそれを上手い具合に発散すべきだろう。しかしながらこの地には、残念なことに娯楽がほとんどない。できることと言えば磯釣りくらいだが、趣味にできるほど意欲は湧かなかった。
やはりここは、美味い飯。なにか料理を作って、食べようか。
美味しいご飯は丈夫な心と体を作る、というのは祖母の言で、私が落ち込んだ時の拠り所だ。ヒトミさんや赤城さんは喜んでくれたし、ひょっとしたら他の艦娘たちとも距離を縮められようかという淡い希望も手伝って、俄然やる気が湧いてきた。個人的に、そろそろ野菜が食べたいところだ。葉物が良い。寒くなってきたし、鍋にしようか。きっと温まる。最近魚ばかりだし、牛でも豚でも鶏でもいいから、ここはやはり肉でいきたい。もし時間があえば、皆を誘おう。丁度この後赤城さんが午後のシフト報告に来るようだし、皆の好みを聞いてみようか。そう言えば最近、最近暇な時は大抵飯のことを考えているような。その時だけは、穏やかな気持ちになれるのだ。逃避行動なのかも知れない。
ーーー逃避であろうが、平和ボケであろうが、何でも良い。緩やかに流れる時が、なるべく長く続いてほしい。
そんな風に願った。
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遠い所で雷が聞こえて、ふと外に目をやった。
時が経つにつれ、空は灰色を濃くしている。雪起こしも鳴ったことだし、そろそろ降るだろう。何度見ても雪が降る前の空は、寒々しい。気温の低さに、短くなっていく日照時間、そして妙に甲高い北風のうなりが手伝って、心の底まで冷え込んでいく気がした。日本海側は、雪が多い。大陸から吹く乾燥した季節風は、日本海上を通り抜ける際に、暖流からたっぷりと水蒸気を受け取る。それが日本列島にぶつかって上昇気流を生み、大雪になる。多分この辺なら、暖房に次いで、除雪器具、スタッドレスタイヤくらいが、三種の神器となっていることだろう。
時刻は、午後五時。日が陰って熱源がなくなるから、いっそう寒くなり始める時間だ。そろそろもう一枚羽織ろうかと思案していると、扉がノックされた。赤城さんだった。午後のシフト報告を、と彼女が言うので、どうぞ、と私。
軋みながらゆっくり開いた扉の向こうは薄闇で、そこに二つの人魂がぼんやりと浮かんでいたーーように見えた。
もう日が陰って廊下はほとんど真っ暗だ。彼女は空母棲姫の状態だった。思わず私が悲鳴を上げたので、じっとりと睨まれた。部屋に入るや否や、LEDの蛍光灯に照らされた彼女は、みるみるうちにその姿を変えた。
「結構傷つくのですけど……」
「すみません。まだ慣れないんです……」
元々ふっくらした頬をもう幾らかふっくらさせて、むくれ顔の赤城さんはシフト報告を始めた。
報告とはいうものの、やはり何もなかったようだ。午前に起きた事態を受けて出港を自粛するかと思いきや、遅めただけだったようだ。これ以降は通常に戻るかも知れない。
「どうでした、神通さんは」
だしぬけに、赤城さんが聞いてきた。
「なにか言われたでしょう。主に、キツイことを」
やはり神通さんは今までも、〝ああ〟だったらしい。
「それは……まあ……ええ。なにやら、妙な語調で」
あまり思い出したくなくて、作業に集中しているふりをしながら曖昧に答えた。後から思えばこのとき、手がほとんど止まっていたから、ふりであるのは筒抜けだったと思う。ああやっぱり、といった具合に赤城さんは肩を竦めて見せた。
「勘弁してあげてくださいね。彼女にも悪意があったわけではないんです」
勘弁するのは別に構わないが、後半はどうだろう。ほとんど悪意だったろうに。
「やはり此処に赴任する上官のことを、良く思っていないのでしょうね」
ここにきてまだ数日で、私が何かしでかしたとは思えない。抑も神通さんとは言葉を交わした回数が片手で足りる程なのだ。しかし赤城さんは慌てて否定した。
「あ、いえいえ。それもちょっと違いまして……うーん、と。もう、言ってしまってもいいのでしょうか……」
いや、とか、でも、とかブツブツ言いながら、顎に手をあてていたが、ややあってから顔を上げた。
「兎に角。めげずに関わって行きましょう」
まだ何かの事情があるようだが、結局教えてはくれないらしい。清々しい程、真正面から誤魔化されてしまった。はぁ、と生返事を返して、私は話題を切り替えた。
「それでは、その第一歩としまして。今度食事でもどーーー」
「是非に!何食べます!?お肉?お魚?調理はどうしましょう!?最近揚げ物食べてないなぁ!でも皆集まるならやっぱりお鍋ですか!あったまりますもんね!」
わはー、とか言いながら楽しそうにお食事プランを立てる赤城さんは、凄く子どもっぽく見えた。………かわいいなぁ、この人。
そういえば、炊き込みご飯の時に感じたあの寒気が、また襲ってきている。ほんの少し前まで、まだ半信半疑だったが、やっぱりこれは食い気で間違いないようだ。
ギラギラ輝きだしそうな彼女の勢いに、若干押されながら答えた。
「あー……まだ詳しいことは、何も。皆さん何かと忙しいですし……」
「いえいえ!流石に誘えば来るでしょう!」
「むぅ……どうでしょう。ヒトミさんは来てくれるかもしれないですが、他の4人ーー特に神通さん・萩風さん辺りは……」
大好物でもなければ、頼んでも断られることだろう。それがあっても厳しそうだ。
私の言を聞いた赤城さんが、ふと思い出したように尋ねてきた。
「そう言えば、萩風さんと何かありましたか?彼女が、最初からああまで敵意剥き出しな所、見たことがなかったのですが……」
「まあ、あったと言えば昨日、はい……。今は何ともないのですが、私、談話室で倒れてしまいまして」
「た、倒……ええっ。本当に、大丈夫なんですか……?」
やはり、知らなかったらしい。というか、やはりヒトミさんは、説明してくれていないらしい。普通に心配してくれる赤城さんが、なぜか聖女に見えた。私は、昨日の一件を掻い摘んで説明した。無用の疑念を抱かせたくなかったから、あの夢のことだけは言わないでおいた。
「ああ……それなら萩風さんの態度も、無理ありませんね」
説明を終えると彼女は、納得したようだった。
「し、しかしですね。確かにあの時は、変質者に見えたかも知れませんが、誤解なんです」
まして、ヒトミさんを脅しているなどと、少々反応が過剰だと思う。
「ん、と。事情があるのです……私は知っていますが、ただ……」
彼女は先のギラギラと打って変わって、神妙な顔で言った。
「それを、誰かに知られることは多分、あの娘にとってかなり辛いことだと思います。だから、私の口からは……」
知られると辛い、事情。この基地の艦娘たちが必ず抱えているであろうこと。それが彼女の態度の根源らしい。
なんとなくその想像がついてしまう自分が嫌だった。生物が見せる攻撃性の正体が、自らの身を守ろうという一種の防衛反応であることは、往々にしてある。私への敵意・悪意、ともすれば、〝樋口海佐はヒトミさんを脅している〟などという妄想、疑心暗鬼をも招くその極端な情動。彼女の根源にあるのは、恐怖や怯えなのかも知れない。私自身、若しくは私の立場に対するそれが、あの態度を形成したとも解釈できる。今風に言えば、ハラスメントと説明される何か。セクハラ、モラハラ、パワハラ、アルハラ。縦の関係が根強い組織で、起きやすいらしい。私がこの地へ来る原因になったあの出来事も、きっとその一つだ。
「あ、あぁ………しまった……」
猛烈な後悔が襲ってきて、頭を抱えた。仮にこの考えが事実だとすれば、先の私の行為は、考え得る最悪のものであった。それが潜在的であれ、顕在的であれ、唯でさえ恐怖を感じている彼女を怒鳴りつけるなど……。謝って許して貰うとか、そういう話ではない。今後、まともに会話する機会があるかすら疑わしい。絶対に私を避けるはずだ。彼女と良好な関係を結ぶのは、著しく難しくなってしまった。
「……口論になったんですね?あの娘は確か今日、午前のシフトだったから……報告の時に」
赤城さんにはお見通しらしかった。
「はい……その時、彼女を怒鳴りつけてしまいました……」
もうほとんど絶望している私とは対照的に、赤城さんはキョトンとしていた。
「あら……そんなこと?それ位、一言謝れば水に流してくれますよ。あれで結構サバサバした娘ですし」
今度は私が、キョトンとする番であった。サバサバしている風には見えないが。海佐が何を想像したか知りませんが、と前置いて赤城さんは問うてきた。
「海佐ご自身は、戦場に出られた経験がおありですか?」
「い、いえ。お恥ずかしながら、護衛艦に乗ったことはありますが、実戦は……すみません」
そんな人間が海佐になっている辺り、今の組織体系は歪で、艦娘たちに頼り切りだった。その質問の意図は掴めない。
「いいんです、別に咎めている訳ではないの。平和を知っていることは、寧ろ誇ることです」
ただそれなら、と言葉を一度切って、彼女は言った。
「きっと海佐には、思いもよらない筈です。彼女が抱えているものは」
「でもそれなら、それでいいんです。変に悩まなくても」
「彼女が話してくれるのを待っていてください。そしてその時が来たら、真剣に聞いてあげてください」
「そして、先程も言ったことですが。その時が来るまで、めげずに関わっていきましょう」
そこまで一息に話し終えると、彼女は小さく息を吸ってから、声を張った。
「その為にも!ご飯ですよ!」
終始彼女の雰囲気に呑み込まれていた私は、何とか声を絞り出した。
「……では、鍋で」
「そう来なくては……!」
殺気の、いや、さっきのギラギラが戻って来た。
取り留めもない内容だったが、楽しいお喋りだった。どんな鍋にするか、皆の好物は何か、自分の好物は何か、終業時間を過ぎていても、色々話し合った。全くどうでもいいのだが、地味ながら衝撃的だったのは、神通さんの好物がマシュマロであるという事実であった。
はい、18話でした(遅刻
赤城さんは、素敵な女性です(多分
初日は、これで終わりです(冗長
次は、あの娘ですね(那珂