サルベージ   作:かさつき

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朝。

早々に布団から這い出して、目覚まし時計に課された朝の大仕事を拒否した私は、できる限りの防寒具を羽織って部屋を出た。釣りに向かう為だ。

 

どうやら私という生物には、精神的緊張を覚えて寝付いた日の翌朝、早起きになる習性があるらしい。受験だの試験だの、若かりし頃を思い起こすにつけ、耳障りな音が奏でられるよりも前に起きてしまった記憶がある。目下、私を悩ます緊張の原因が何かは明らかであった。それは、本日秘書艦を担当するはずの萩風さんと、如何にしてコミュニケーションをとる、もとい謝るのかーーその目途が全く立っていないことであると、自認している。要する所、喧嘩した相手と仲直りできるかという、真に子どもじみたことに胃を痛め、目を覚ましたわけである。

 

ヒトミさんから頂いたおでんはまだ充分残っていて、それをあてに数日乗り切るくらい、出来そうなものである。それにも関わらず、私がそろそろ白み始める時分の寒空のもと、磯釣りへと参じたのは何も食糧が尽きることを心底懸念していたからではない。もて余した緊張を多少なり体を動かすことで、誤魔化したかったからという向きが殆ど全てであった。

 

この基地に来て最初の仕事ーーそれは遂に、無駄だったのだがーー食料調達を行った、そのポイントへと足を運ぶ。

 

 

 

そこでは、深海棲艦がダンスを踊っていた。

 

 

 

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何事だ、これは。

 

目をしばたたかせても、擦っても、ついでに頬をつねってみても、私がどう頑張ってみようと、かの人型深海棲艦は間違いなく、足場宜しからぬ磯辺にて軽やかなステップを刻んでいる。どうやら事態は現実のもので、私の脳髄に生じた寝惚けの類ではないらしかった。頭蓋を振って、この光景を受け入れられぬ脳味噌を、叱咤した。気取られぬよう一定の距離を置き、観察行動開始。手元の腕時計は、5時50分を示している。

 

たたんたた、たたたたんたんーーー。

風体は極めてヒトに近いが、眼の光が淡く見え隠れして、凡そ人外に相違なかろうことは見当がついた。

 

たんたん、たたたん、たんたんたんーーー。

わりあい遠く離れていても判る程度に、肌が白い。だがそれと判るのは二の腕とか、顔とかの露出された部分だけである。

 

たたんたたんたん、たんたんたんたんーーー。

彼奴の体の大部分は真黒の衣服、或いは装備に覆われているようで、それが夜の背景に保護色となり、私の観察行為を妨害した。

 

たんたんたん、たたたんたんたんーーー。

見えづらいが、髪も暗黒だ。彼奴が土を蹴るその度ごと、ビーチパラソルよろしく、ふわりと広がり、舞って落ちた。場所さえ伴えば、あの豊かな黒は煌びやかにも見えたことだろう。

 

たんたたん、たたん、たたたんたんたんーーー。

彼奴は、こちらに気付く様子はない。誰も居ない海に向かって、ひたすら楽し気に、パフォーマンスを披露していた。

 

しかし、まぁ………。

 

本当に本当に、楽しそうだ。見えるのは躍動する彼奴の背中だけで、表情など判らないのに不思議とそう感じた。深海棲艦を知らぬ者からしたら、色白の女がただ純粋に、踊りを楽しんでいるようにしか見えないだろう。深海棲艦とは、嘗て太平洋戦争で散った人間たちの怨念だと主張する者があるが、その彼らが今この場に居れば、自らその説を撤回したくなるのじゃなかろうか。こんなに生き生きした怨念もあったものじゃない。動きもキレッキレで、音楽が合わさればさぞかし素晴らしい舞台となろう。

 

たたたん、たたたっ。たたんっ。たんったたんーーー。

恥ずかしながら、私が敵の踊りに見惚れていると、彼奴も興がのったと見えて、テレビか何かで聞いたことのあるメロディを口ずさみ始めた。動きもより大きく、より速くなり、曲の大団円に差し掛かったようである。

 

その歌声には、どこか聞き覚えがあった。ああ、そうか。そういえば彼女は今日、深夜シフトだったな、と思い起こした。踊る深海棲艦の正体に勘付き、胸を撫でおろす私なのだが、ノリノリなところに水を差すのも憚られたから、もう少し観客、もとい観察を楽しむことにした。

 

たんたん、たたんっ……!

暗くてよく見えないが、見事なポージングが決まった気がする。彼女が軽く息を吐き、ゲリラライブは幕切れとなった。

 

数メートルくらいまで近付くと、特徴的なお団子頭が視認できたので、安心して彼女に声を掛けた。

「おはようございます、那珂さん」

「わひょぁぁぁ!!」

夜の海に、那珂さんの面白い叫び声が溶けていった。盛大に飛び上がって此方を振り向いた彼女は、目の端に涙を浮かべていた。

 

「か、かかい。海佐ぁ……!なん、何やってんのさっ……こんなとこで!もぉぉ!」

「いやはや、なんともすみません。ついつい、見入ってしまいまして」

彼女の言うことは半分こっちの科白だった。見入っていたのは本当で、特に悪びれることなくそう言った。

 

「も、もー!後ろからいきなり、声かけちゃいけませんって、習わなかったの!?心臓が止まっちゃったら、みんな困るでしょ!もー!」

彼女はぷりぷり怒りながら、独特な調子の説教を展開し始めた。釣りに来て偶々見つけた旨を伝えたら、憮然としつつもひとまず怒りを収めてくれたから、翻って今度はこちらが彼女に質問した。

 

「いつも、ここで踊っているんですか?」

「………むぐ」

つい先程まで、咬み付かんばかりだった彼女から、急につるりと勢いが抜けた。決まり悪そうに目を逸らした彼女に曰く、なんでも良いじゃん、と。咎めたように聞こえたのだろうか、と内心首を傾げつつ続けた。

 

「悪いことは無いですが、何も夜中にやらずとも……。私だったから良かったものの、外部者に見つかったら、事ですよ」

「うぅー………」

言葉に詰まった那珂さんは、ふい、とそっぽを向いて復た、なんでも良いじゃんーー取り付く島もない、といった具合である。

 

「まぁ、それはそれとしてーーー素晴らしかったですよ、先刻の」

先刻の、とはつまり彼女のダンスを指す。私は芸能事情に明るくないが、ゴツゴツと劣悪な足場を物ともせず、調子よく足を運ぶのは結構凄い技能ではなかろうか。何より、あの生き生きとした躍動感の快さ。見ているこっちが元気になるとはこのことで、情けない理由で痛んでいた胃に栄養を分けて貰った気分である。尊敬も込め率直な感想を述べたのだが、まだ肝心の本人、ピンと来ていない様子。

 

「な……な……なん……」

反応は大袈裟にすべし、というのがどうやら基地内でのスローガンであるようだ。ややあってから漸く、那珂さんは自分のことを褒められたと察したらしく、矢鱈目ったら驚いた。ついこの間も、こんなことが在ったような。

 

「いやいや、そんなに驚かなくとも。素敵でしたよ。兎に角、元気で、生き生きとして」

「ずっと………見てたの?」

「え?えぇ、まぁ割と長い間。ある事情で、気落ち気味だったのですが……なんと言うか、元気を分けて貰った気分でしたよ」

 

「え…えー。えへ、そ、そーお?んへへぇ……」

那珂さんはちょっとドギマギして、〝へにょ〟と相好を緩めた。この無邪気な笑顔が、彼女にはよく似合う。またいつか見せてもらえるか試しに尋ねてみたら、しょうがないなぁ、なんて満更でもない様子だ。驚いて、怒って、また驚いて、狼狽えて、照れてーー情緒豊かな那珂さんの表情筋は、つくづく多忙である。

 

***

 

さて、日が顔を見せたのを合図に、釣りの用意を始める。もう始業まで、程ない。那珂さんはもう、艦娘の姿に戻っていて、私に一声かけた彼女は、足取り軽く基地への道を歩み始めた。そう言えば何故彼女は、こんな場所までわざわざ来たのだろう?遠ざかる彼女の後姿を見て、ふとそんな疑問が湧いた。少し注意もしたが、一般市民に見つかったとしたら、本当に一大事だ。そこに気を揉むくらいなら、基地の敷地内でやれば良いものを。艤装は身に着けていなかったから、一時帰投、及び艤装格納のうえで此処まで歩いて来たようだ。リスクを承知の上で、陸路をここまで来てーーと考えると、幾分不合理に思えるが………。

 

ーーーいや、まあいい。それは後、取り敢えず食料確保だ。

 

昇り始めた太陽は、冷え切った私の体にほんの少し、その熱を分けてくれている。祖母に撫でて貰った時の、あの感触に似ている気がした。早起き、磯釣り、邂逅、ゲリラライブーーイベントの多い朝である。朝から良いものを見られたことで、先刻の子どもじみた不安感は、多少なりと払拭出来た気がする。悩みは尽きないが何とかなるさ、今日も頑張ろう、と少しだけ前向きになった私だった。

 

 

 

まぁ人生、そう都合よくは、往かないのだけれども。

 

 

========================

 

 

朝食を食べ損ねると1日が辛いから急いで戻った。釣果2尾、並。

談話室の流し台にて魚の鱗と格闘していると、徐々に人が集まり始めた。15分程経つと、昨日の面子に赤城さんを加えた5人が集まった。皆の会話を背中で聞けば、テレビ番組がどうだったとか、今度お菓子を作ろうとか、和やか極まる情景であった。その中でも、那珂さんの口数が昨日より多い気がしていた。さっきの今で機嫌が良いのだろうか。魚はいつもの様に、切り身にして網で焼いた。

 

「ヒトミさん。凄く美味しかったですよ、あのおでん。ご馳走様でした」

冷ご飯を電子レンジで温めている最中、流しにもたれてぼんやりしていると、ふとヒトミさんと目が合った。この礼は、本心だ。世辞抜きにしてあのおでん、滅茶苦茶美味しい。今日の昼はおでんと決めてあるーー今から昼食が待ち遠しい。

 

私の言にヒトミさんは少しはにかんで、視線を横に流すーーその先には瑞穂さんがいて、彼女もまた、ふわりと笑顔を見せた。瑞穂さんに手伝って貰って、という昨晩のヒトミさんの言葉からは、2人の関係が自ずと推し量れた。

 

やはり、身も心も温めるには料理だ。ガピガピに乾燥した米を掻きこみながら、そう思った。

 

***

 

朝食の後、那珂さんと津田さんに伴って、庁舎へと向かう。執務室のカギは既に開いていて、中で萩風さんが待っていた。もう既に室内が暖かい。彼女が暖房をつけてくれていたようだ。朝の挨拶ついでに礼を云っても、小さく会釈を返されるのみだったが、無視を決め込まれるより数段マシかと諦めた。

 

「さて、始めましょうか」

「はーい…って言っても、特に何も無かったけどね」

私の言にそう返した那珂さんを見る限り、平穏無事に護衛任務は終わったようだ。PCの電源を入れながら、萩風さんの様子を横目で窺った。

 

瞼が下がっているーー眠いのだろうか?昨日の烈しい様子とは打って変わって、妙にぼんやりしている。訝しみながら、本日最初の事務仕事をこなした。

 

しかし、那珂さんの言う通り本当に何も無かったらしい。30秒程で報告が終了した。我々が暇なことは平和の証だが、そろそろ何か刺激が欲しいところだ。最近は風呂上りのストレッチくらいしかしていなかったことだし、いい加減ご無沙汰になってしまった筋力トレーニングを実施するとしよう。

 

「萩風ちゃん、だいじょぶ?」

今日これからの一日に思いを馳せていると、ふと那珂さんが萩風さんに声を掛ける。出し抜けに現実へ引き戻された萩風さんは、胡乱に那珂さんを見つめ返した。

 

「ぁ……え、はい?だ、大丈夫です」

「んー……また、眠れてない?」

また、と言うことは彼女は朝、頻繁にこんな具合なのだろうか。感情表現がくっきりしていて、生活もメリハリのありそうなイメージがあったから、意外に思えた。買い物メモを見てみても、彼女は健康に甚く気を付けている様子だったし、低血圧だろうかーー艦娘にそういう内科系の異常があるのかは、寡聞にして知らないが。

 

「体調が優れないのであれば、少し休んでも構いませんよ?大した仕事もありませんし」

私がそう言うと、しかし彼女は眉根をキュウと引き絞って、あからさまに睨みつけてきた。

 

「気を遣って頂かなくて、結構です。というか、到着数日で倒れる人に心配されたくありません」

だからあれには理由があって、と言い返しそうになったが、吞み込んだ。彼女の言うことは正鵠を射ている。この世にあって最も説得力を失する行為とは、医者の不養生こそがそれだと、私は概ね納得していた。ただ単に体調を心配しただけなのに、そんな言い方あんまりじゃないか、とも思ったが、結局閉口した私を見かね、那珂さんがフォローをくれた。

 

「でも本当に辛いなら、変わるよ?私もほら、色々あるし……さ」

那珂さんが、ちらりと此方を覗ったような気がした。

 

だが私は、心ここに在らずーー彼女の視線に気を回す余裕は無かった。というのも、つい先ほど萩風さんの一言を見舞われてから、妙に心がザワついていたからだ。この間萩風さんに向けて怒鳴ったあの時と酷似した、異様な衝動を抑えるので精一杯だったーーつまり私は、強烈に苛立っていたのである。

 

ーー顔が、充血する。

ーー思考が、茹る。

ーー衝動が、湧き上がる。

ーーいっそもう、吐き出すか。

ーーああ、もういっそ……。

 

 

〝ぶん殴って、やろうか〟

 

 

「ねー、ちょっと?聞いてるー?おーい」

口を開きかけた私の鼓膜を、緊張感の無い那珂さんの声が揺らして、我に返った。

 

………今、何を言いかけた?

まただ。〝あれ〟が来たーー極端な感情の昂りが。しかも今回は、あまりに露骨で桁外れだ。苛立ち、などという生半可な言葉で表現して良いものではない程、峻烈な衝動が唐突に私を襲った。自分の中に自分でない誰かが居り、その何者かによって自身の感情をおもちゃのごとく振り回されたような、そんな不愉快な違和感ーー或いは被害妄想ーーを覚えていた。この衝動が未然に収められたことを先ず安堵した後、恐怖した。

 

ーー私は一体、どうなってしまったのだ。

通常では考えられない暴力性と衝動性。もし今、一拍でも那珂さんの言葉が遅かったら、何が起きていたのだろう。考えると寒気を覚える。

ーー或いはこれが、私の本性なのか。

自制の利かぬ、幼稚な性質。思えば、ここへ来た理由にしてもそうだ。自己嫌悪が首を擡げた。

 

 

「ねえ、本当に大丈夫?顔色悪いよ?」

那珂さんの心配してくれる声が、聞こえる。言葉を返そうと口を開いたが、何も言えない。萩風さんの声が聞こえたからだ。酷いノイズが私の脳に、反響し続けている。先刻の衝動が沸き、言うべき言葉が埋もれて消え失せた。

 

 

「また、体調不良ですか?もう少し自己管理を……」

 

 

ーー嗚呼、まただ。

ーーもう、やめてくれ。

ーーもう口を、開くな。

ーーうるさい。

ーー黙れ。黙れ。黙れ。

 

「く……。うぅ……あ」

呻くことしか出来ない。まずい、とにかく異常だ。なんだこの怒りは。萩風さんの近くにいると、まずい。何が何だか判らないが、彼女の声が聞こえるだけで、抑えがたい感情の奔流に襲われる。これでは、お互いに危険だ。このままでは、自分が自分でなくなる。逃げろ。遠くへ離れるんだ。急げ。急げ。

 

トイレへ、と短く告げた私は、逃げるように執務室を後にした。私を呼びとめる声が聞こえたが、立ち止まらなかった。

 

 




読んで頂きありがとうございます。

今回は、少々長めでした。


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