サルベージ   作:かさつき

28 / 83
28

これでは、いけないーーー私のくだらない意地は、せめて伝えたいことを伝えねば、と訴えていた。馬鹿にされて不愉快だぞ、とばかりに仏頂面を作ったものの、瑞穂さんは穏やかな微笑を崩さなかった。私の演技が堪能でないことは、既に互いの共通理解ーーーこの顔の真意も筒抜けとして、妥当であった。彼女には、玩具を買って貰えぬ子どもが、駄々をこねているようにしか、見えていないのかも知れない。そうすると、私はとんだ道化である。急に恥を覚えたため、嘆息しながら背を向けた。

 

「また今度、お話し致しましょう。もう少し続けてから、戻りますね」

瑞穂さんはそう云って、自らのトレーニングに戻っていく。背を向けたまま、そうしましょう、と私は答えた。私の後頭部に目玉はついていないが、声音の柔らかさを聞くにつけ、彼女の表情はさながら、我が子を見守る母のようでもありそうだ、と想像する。気が安らぐと同時に、一方でそれは私の自尊心をーー別に彼女は悪くないがーーそこそこに辱しめた。要するに私は、自身が大人の男だという自負を、少なからず持っていたようである。頭の隅に恥は追い遣り、スクワットを開始したら、背後から運動器械のがなりが、やおら聞こえ始めた。

訓練室に響くのは、規則正しい軋みと、2人の荒い息遣いだけとなる。訓練室を流れるかまびすしい無言の時間は、だいたい四半刻程、瑞穂さんが部屋を辞するまでの間続いた。彼女は別れ際、柔和な笑みと優美な会釈を、こちらに寄越すのを忘れなかった。

 

瑞穂さんが去ってすぐ。久々にかいた良い汗を拭きつつ、ふと時計を眺めると、そろそろ午前シフトの者が、帰投する時刻である。萩風さんのことが気になりつつも、一先ず置いておく事として、私は足早に、訓練室を後にした。

 

***

 

「失礼します。先程、帰投致しました」

赤城さんが姿を見せたのは、私が執務室の達磨ストーブに点火するコツを掴んだのと、ほぼ同時刻であった。ボスッ、とかいう奇矯な音を鳴らして、ボロ達磨はその身に火を点す。死に体で働くその姿は、古兵を思わせた。彼は遠くない未来、あの格納庫とは名ばかりの物置小屋にて、隠居の身となろう。彼の戦歴は、記録に残らず「故障中」の張り紙だけが、長きに渡る戦いを示す唯一の証となるのだ。

 

「どうも、ご苦労様でした。寒かったでしょう」

私の労いを聞いて、彼女はしきりに両手を擦りあわせた。

 

「辛い季節になりましたねぇ……。海も、結構な荒れ模様でしたし」

見ると彼女の髪は濡れ、てらてらとした光沢をもっている。水を吸った道着が彼女の体に張りついて、目に悪い肌色が覗く。さぞかし寒かろうと思い、手早く報告を済ませたーー何もなかったようだ。

 

「風邪をひかぬよう、気をつけてください。ストーブ、当たっていきます?」

「ええ、お言葉に甘えます」

首肯し、いそいそとボロ達磨の前にしゃがみ込んだ彼女は、クチュン、と嚔をかました。報告の最中からずっと、鼻をスンスン鳴らしていたから、心配だったのだ。

 

「うーん……シャワーでも浴びて体を温めるほうが、良いかも知れませんね」

きっと、と応えた赤城さんを、横目で窺う。艤装を装着しておけば幾らか凌げるところを、わざわざ外してから来ているのは、例の事情のせいだろうか。体調不良のリスクをおしても、隠し通すべきものであるらしい。ふと、赤城さんが思い出して、言った。

 

「そう言えば、浴場の前を通りかかった時、何方か使っておられましたね。こんな時間に」

「あぁ、きっと瑞穂さんでしょう」

汗にしても、波飛沫にしても、体を濡らしてはいけない。私が訓練室にて、彼女と時間を共にした旨ーーそれを聞いた赤城さんは、意外そうな表情を作った。聞けば、彼女があの部屋を利用するのは、珍しいことだそうである。

 

「では、普段、何を?」

「のんびりと、お茶を飲んで過ごしてますね。お饅頭やお団子を御茶請けに。私も間々、お呼ばれします」

 

ーー素晴らしき哉、スローライフ。

いやいや違う、そうではない。民間の支援・協力ばかりの実状を、国防と呼ぶと首を傾げられそうだが、せめてもう幾らか、そこに携わる緊張感を持って欲しかった。確かにそちらの方が、瑞穂さんの印象に合っているけれども。そう云えば先んじて、那珂さんからも同じ話を聞いてあった。さてそうなると、瑞穂さんが急に訓練を始めたのは、どういう訳であろうか。赤城さんに尋ねると、暫く考えた後、笑いながら答えてくれた。

 

「刺激されたんじゃないでしょうか。海佐は…えー……そう、不思議な……所がありますけど、基本的に真面目で、実直な印象を受けますし」

何となく言葉を選んでくれたのが伝わって、私は少し傷ついた。精神性擦過傷を隠匿し、それなら良かったです、と返した。やや沈黙があってから、彼女は世間話をふってきた。

 

「瑞穂さんと、どんな話をするんです?」

「どんな……と言って、大したことはないです。天気の話、とか……」

話題がない者同士の会話に於いては、不思議なことに大抵、天気が取り沙汰されるのだ。自分から尋ねておいて、さして興味も無さそうな彼女は、またもや、クチュン、と嚔をした。

 

「瑞穂さん……最初おっかなびっくりでしたが、今日一日でなんとなく、打ち解けられた気がします」

「えー?天気の話で、ですか?」

別に始終、その話ばかりだった訳ではない。弁解すると、一先ず赤城さんは納得したようだ。

 

「まぁ、確かに。海佐は話してみると…えー…と、面白い人、ですからね」

またも、ほんのり気を遣ってくれたせいで、私は傷ついた。精神性裂傷を隠匿し、そんなもんですか、と惚けてそっぽを向いた。そうしてふと、思い出す。

 

「あぁ、そうだ。瑞穂さん、私のことを〝大丈夫な人〟だとか言っていましたが、どういう意ーー」

彼女の瞳を、また視界に入れたとき、私は言葉を失った。

 

赤城さんの目に、ぎょっとしたせいだ。種々の感情がない交ぜになったような目である。落胆、期待、悲哀、歓喜、そういう相反する感情が一所にまとめられて、酷く不安定な力場を作っていた。表情自体は薄いはずなのに、その顔の中程にぽっかり開いた2つの深淵が酷く異質で、端正な赤城さんの相貌が歪んで見えた。名前を呼んでみても、返事がない。暗い濁りを、無心に此方へ向けるばかりだ。

 

「失礼ですが……海佐、ご結婚は?」

暫し間があって〝普段〟の表情に戻った彼女は、私から目を逸らした。ストーブの中に揺れる明りを眺めながら、奇妙な問いを投げかけて来る。赤城さんの真意はどうも掴めなかったが、有無を言わせぬ迫力があったから、素直に答えることにした。

 

「……独身、ですが」

「では、恋人は?その昔、付き合っていた人とか」

「………ありませんね。恥ずかしながら」

「それなら、ご家族は?」

「両親と祖父母が、東北の田舎に。あ、一人っ子で」

「他に思いつく限り、別懇の方など……」

「んー…?…特には……」

「そう……」

 

赤城さんは小さく呟き、それきりだった。先の問い、全体どういう意味があるのか尋ねてみても、忘れてください、と答えられた。人のことを根掘り葉掘りやっておいて、彼女も随分無茶を云う。隠し事をされるのに慣れ始めている私は、きっと覚えておいてやろう、と変な反抗心を芽生えさせるのであった。結局このことに関して、我々はこれ以上、何も話さないことになった。というのは、赤城さんが上手い具合に、話を逸らしたせいである。

 

「そう云えば、萩風さんは?今日、秘書艦でしたよね……?」

私が答えに窮するであろう所を、的確に突くーー偶然かも知れないがーーその話題選びの妙、私と彼女が口喧嘩をしたら、あちらに軍配が上がろうことを、予感させるものであった。まんまと追及を煙に巻いた彼女は、答えに詰まった私を見て、何か察したようであった。

 

「………まだ、ギクシャクしてます?」

私は、首肯した。だが、ギクシャクなんて言葉で、あの甚だしい昂りを言い表すことは、到底やるべからざる行為である。自分自身に恐怖すら感じた。萩風さんに再び会えば、又もやあの強烈な体験をせねばならないと考えると、情けなくも汗が滲む。現在萩風さんが休んでいることを伝え、併せ頼み込んだ。

 

「赤城さん。折り入って、お願いがあります。萩風さんに、本日はもう、上がるよう伝えてくれませんか」

「……別に、私は構いませんが…。ご自分で行かれた方が、良いのでは……?今後の為にも」

一々その通りで、反駁しようもないのだが、どうしても踏ん切りがつかなかったのだ。これに関しては下手を打つと、大袈裟でなく私の人生、いろいろ取返しがつかなくなる予感がある。少なくとも今は、誰かに仲介してもらうのが最善と考えた。何にしてもまず、赤城さんに事情を知ってもらうことから始めるとしよう。

 

「何と説明したものか……最近どうも、精神的に不安定なのですよ。自制が利かなくなると云うか、必要以上に感情的になると云うか」

「………」

「萩風さんと話していると、その……如何せん、気が立つんです。悪口言われるくらい慣れている、と思っていたのですが……。面目ないことです」

水雷戦隊所属の軽巡洋艦娘・駆逐艦娘たちは、その体躯小さくとも、血気盛んな切り込み隊長気質の者が、実に多い。飄々としている奴もいるにはいるが、それは天然記念物みたいなものだ。勿論前任基地にも強烈なのが居て、仮にも司令官に向け、クソだ、クズだと散々言う者がーーそう云う者も組織には必要だが、言葉は選んで欲しいーー1人ならずとあった。そういう訳で、私はもう慣れっこだと誤解していたのだ。

 

「………はい、お引き受けします」

 

「う、ぁ…………お、お願いします」

 

ーーまただ。

やたら素直に承諾した彼女は、またあの眼をしていた。渦中に浮かぶ葉のように、捩れ、彷徨し、行き場を失った感情が、瞳の奥に堆積している。もう、聞かずにはいられなかった。

 

「だ、大丈夫ですか。その……物凄い、眼力…?……ですが」

 

彼女は、立ち上がる。彼女は、何も答えてくれない。あの眼を保つまま私に一瞥をくれ、失礼します、とそれだけ言った。執務室の出口に立って、ふと振り返った彼女は、口を開いた。彼女の目は、普段通りに戻っている。

 

「大丈夫です。きっと、大丈夫…………」

 

その言葉は、自分自身に言い聞かせるようでもあった。1つ礼をして、赤城さんは出ていった。閉まった扉の向こうで、クチュン、と嚏が聞こえた。

 

 

 

================

 

 

 

ーーーー帰投しました。

 

ーーん……あぁ、どうもお疲れ様です。お帰りでしたか。

 

ーーーーつい、先ほど。

 

ーーなんでも強い寒波が来るとか。風邪をひかぬよう、充分身体を休めてくださいね。

 

ーーーーええ、承知してます。

 

ーーで、如何しました?任務帰りにわざわざ。

 

ーーーー伺いたいことが。

 

ーーはぁ……何をでしょう。

 

ーーーー海佐が話していました。瑞穂さん、彼のことを〝大丈夫な人〟と、そう言ったらしいです。

 

ーーほう……?

 

ーーーー聞いた話です。彼女自身にも確認しなければ。

 

ーー確か今日は……待機中、ですか。そう云えば、訓練室に向かうのを見ましたね。

 

ーーーーええ、そのようで。

 

ーー神通さんは、既に動いていたようですが……教えてあげなければ、いけませんね。

 

ーーーー最後は、3年前、だったかしら……。

 

ーー確かに、随分久しぶりです。早めに解って、良かったです。

 

ーーーー………。

 

ーー海佐の歓迎会でも、開きましょうか。お赤飯でも炊いて。

 

ーーーーあの、それとは別に気になることが。

 

ーー気になること。

 

ーーーーはい。彼本人が言ったことなので、恐らく事実だと思うのですが。

 

ーーええ。

 

ーーーー萩風さんといると、異様に気が立つ、と。

 

ーー…………。

 

ーーーー感情の抑えが、利かなくなるのだと。ここ最近、情緒不安定だとも。

 

ーーそれは……。

 

ーーーー〝大丈夫でなかった人〟たちは皆、それに類する症状を発現しました。そして、最後に……。

 

ーー思い過ごしでは?未経験の事態が次から次で、動揺も在ったでしょうし。

 

ーーーー其れなら良いのですが、もし思い過ごしでないのであれば……今迄通り、ということに。

 

ーー何れにしても、まだ判断に迷いますね。

 

ーーーーん……どちらでしょう……樋口海佐は。

 

ーーいずれにせよ、瑞穂さんに確認をとる所から、でしょうか。

 

ーーーーええ。

 

ーー注意して見ておきます。神通さんにも、伝えておきますよ。

 

ーーーー有難う御座います。

 

ーーはい、お疲れ様でした。一先ず、ゆっくりと休んでください。

 

ーーーー……海佐のご家族、ご存知ですか?

 

ーーは。

 

ーーーー若しくは恋人、親友、大事にしているペット、とかでも。

 

ーーい……いや、そういうことは、何も。

 

ーーーーそうですか………。

 

ーーあの……一体?

 

ーーーー確かめたいことが、ありまして。

 

ーーはぁ………?

 

ーーーーお忙しいところ、すみませんでした。

 

ーーええ。大丈夫ですが………。

 

ーーーーあ、津田さん。もう一つ。

 

ーーはい。

 

ーーーーいずれにしても、お赤飯は食べたいです。

 

ーー………小豆、買っておきます。

 

ーーーーでは、これで失礼しますね。

 

ーーええ、お疲れ様でした。赤城さん。

 




落差が大きい。

次はどうなりますやら。



2020/3/30
誤字報告ありがとうございます。修正しました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。