急に我に返ったように、瑞穂さんは語尾をすぼめた。
「あ……ご、御免なさい。突然、こんな……」
「……大丈夫です。謝られることなど、1つもありません」
別に迷惑などしないーーそう思う。むしろ私は、それを受け止めなければならないし、受け止められる度量を持ちたい。しかし、彼女の抱えていたものには、私の想像を遥かに超えて重みがあった。だから、それに戸惑いを覚えたのもやはり、隠せぬ真実であった。
「痛み……とはつまりその…痛覚が、ですよね?」
彼女は小さく首肯する。私は二の句が継げなかった。例えばそれは、絶えず麻酔を打たれているような感覚だろうか。聞くと彼女は、次のように説明した。
「上手く云えませんが……。怪我をすると、其処だけ浮いて感じるのです。あるべきものが、在るべき所を留守にして、ぼんやり痺れているような……。温かいのに希薄で、血が集まるのに空虚で……」
結局私は、首をひねるばかりである。金輪際、実感を望めぬことをひとまず打ち遣り、差し当たって理解できそうなことだけ尋ねた。
「1つ、いいですか。つまり、この基地の艦娘たちは皆、痛覚がない…と?」
「あ、いえ、それぞれです。〝痛み〟は、私だけ。その人その人、失うものが違います。またその病態もーー病気かは判りませんがーー様々で、私のように一切を失う者もあれば、時折消えてまた回復して、を繰り返す者もあります」
私は戦いていたのである。痛覚の麻痺した者が、そもそも1人いる時点で大事である。そこに加え、瑞穂さんの言葉を借りるなら〝大切なもの〟を損ねた者たちが今、こぞってこの基地に在るという。戦うとか守るとか、責務を果たす以前の問題で、生活を営んでいくこと自体に、困難さを覚えていても疑問はない。神妙に押し黙った私に、しかし瑞穂さんは、微笑みかけた。
「暗い顔を、なさらないでください。ヒトミさんは取り戻した、と先立って申したでしょう?」
「治るもの、なんですね……?」
「治りませんでした。今までは、ですが」
「最近になって何かがあった、と……」
それは、全体何なのだろう。上手く応用すれば、他の艦娘たちにも普遍的感覚を取り戻せるのではないか。ヒトミさんに今度、詳しく問うてみる必要がある。思案する私に、瑞穂さんは述懐した。
「その何かは、提督の着任と決して無関係ではない、と私は考えています」
「いや……いやそんな、まさか」
「ヒトミさんがそれを取り戻したのは、少なくともこの数日以内なのです」
「だからといって、流石にそれは……、病気なのでしょう?」
1人の人間の登場によって、難病が意味も解らず快方へ向かうなど、偶然と説明されたほうがまだ納得しやすい。そんな都合の良い不条理は決して起きないと信じていたが、彼女の眼差しは切実だ。何かにすがりたい心情も、理解できないことはないが……。気圧されて、私は話を逸らしたのであった。
「あー………。ところで此は、聞いて良いのか……ヒトミさんの失った〝大切なもの〟とは、何ですか」
「それは……もう既に心当たりがあるはずです。彼女の身に、直接触れた事がある提督ならば」
「心当たり…」
「もし解らなくとも、訊けばきっと教えてくれますよ。ヒトミさんは恥ずかしがり屋ですが、提督のことはきっと信頼していますから」
そこまで話した時、津田さんが薄緑色の液ーー高速修復材で満たされた真空パックを携えて戻ってきた。やはり艦娘は摩訶不思議である。バケツに溜めた修復材に、患部を浸して5分ほど待てば、あっという間に薄皮が形成した。戦う側からすれば此ほど有り難い物もなかろうが、尋常ならざる回復力を不気味に思うものも在るという。
再生能力と言えば、ウズムシ目の扁形動物ーープラナリアが有名だ。やつらの体を、頭と胴体で真っ二つにしてもうねうね動き回って、いずれは再生し、2つの個体が出来上がる。それに嫌悪を感じる者があり、他方で神秘を感じる者がある。それぞれの立場に、優劣はない。慣れているか否かーーそれ意外に差はない。
面白いことに、恐怖とか嫌悪とかいう感情は、繰り返すことで耐性が身に付くものである。足の多いやつや、1つもないやつ。ぬるぬるするやつ、うねうねするやつ。にょろにょろ動くやつ、かさかさ動くやつ。或いはさらに概念的な、怨念とか、幽霊、妖怪、化け物、あらゆる未知に至るまで。
慣れは、恐怖を薄めるものだ。勿論、その慣れが悪く働く場合もあるが、非合理的な恐れを回避するためにも、人間はなるべく多く知らなければならないと思う。
そして、こと艦娘に限っては、慣れても別に害は無い。広報の皆さんには、本当に頑張って欲しいな、と切に願う私である。
***
事務室にて、私は遅めの朝食を摂った。
プレーンな焼き海苔に包んだ、プレーンな塩握り。炊き立ての米で握ったそれは、ふっくらと穏やかに口腔を刺激する。海苔のパリッ、という食感も決して邪魔せず、むしろ互いを引き立てあう。米の甘みが塩気と混ざって、咀嚼する度じゅわりと舌に染み込んだ。鼻に抜けた磯の香が消えない内に、みそ汁を一口啜る。白味噌の優しい旨味が、舌を無理なくリセットしてくれるから、また握り飯を楽しめる。たまに口に滑り込むわかめは、つるつるしているのに、適度に歯ごたえがあって嬉しい。
素朴な飯も、瑞穂さんの手に掛かると、幾らか感動が割り増しになるようだ。さっきから続く空腹も、手伝った。食べ終わって、溜め息を吐いたら瑞穂さんに笑われた。幸せそうに食べますね、と言われても、実際幸せなのだから仕方ない。
そう言えば私は、津田さんに用事があったのである。幸せついでに年休取得に関して聞いたら、別に構わないが、取得の仕方がワーカホリックのそれである、と苦言を呈された。仕事に誠実なのは良いが、休めるときは休め、とも。ワーカホリックとは、随分な言い草だ。あまり自覚がないが、そうなのだろうか。
分かっていると思いつつ存外、自分で自分のことは理解していないものだと思った。
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ーー失礼しまーす。
ーーーー明石か?悪いが今、結構疲れてるからよ……。
ーーちょっとだけお話を。大淀のことです。
ーーーーん……ヨドちゃん、どうかしてたっけか。
ーーあの娘、最近落ち込んでるでしょ。
ーーーーそうかな。いつも通りに見えるが。
ーー何やってても、心ここにあらず、って感じです。
ーーーーふーん……?プリン食われたとか?
ーーいや、こどもですかっ。
ーーーーいつからだよ。
ーー最近です、最近。ボーッとしてるのが増えてるんです。
ーーーー心当たりあるか?
ーーだから来たんですよ。
ーーーーなら、いいじゃん。フォローしてやれよ。
ーー私じゃ、無理です。樋口海佐のことですもん。
ーーーー……聞こうか。
ーーあの人、水雷戦隊所属の艦娘の竣工日にプレゼント贈ってたんですけど……。
ーーーーなにぃ。初耳だぞ。そんな気障なことやってんのアイツ。
ーーいや、本人そんな意識ないですよ?ほら、妖精さんにお菓子配る感覚。
ーーーーあぁ、樋口ラインな。
ーー何それ。
ーーーー………いや、何でも。
ーーんん?ま、いいや。きっかけは、某駆逐艦にせびられたことだったみたいです。「妖精さんにばっかりずるいっぽい!」とかって。
ーーーー名前伏せた意味ないぞ。
ーー断り切れなくて、あの娘の竣工日に間宮奢ったそうです。
ーーーーあちゃぁ。突っぱねたら良かったのに。
ーーで、寮の中で噂広まっちゃったんです。あの人、変な所で律儀だから、差をつけるのは良くないぞ、って。
ーーーーふうん。ちょっとくらい、誤魔化しゃいいのになぁ。
ーーそれができれば倒れてませんから、あの人。
ーーーーいや、本当にな。よく今迄、そんな大事が俺の耳に入らなかったもんだ。駆逐と軽巡で70くらい居るだろ、うち。
ーー其処で、大淀の登場ですよ。
ーーーーお。
ーー青葉と組んで、寮内に箝口令を敷いたそうです。
ーーーー夕立の時にやっとけよ、それ。
ーー火消しの対価に、ちょこっとだけ、良いもの貰ったんですって。青葉も一緒に。
ーーーーちゃっかりしてるぜ。
ーーそして、今後こういう事が無いように、海佐と某駆ち…夕立ちゃんは、ちょっと絞られて終わり。
ーーーーめでたしめでたし…と。
ーーそれで、大淀の貰ったのが、万年筆なんですね。結構良いやつ。
ーーーーうん。
ーーこの間食堂で、それ見つめながら、溜め息吐いてました。
ーーーー………乙女かよぉ。
ーーまったくですよ。声かけたら、慌てて隠すし。
ーーーーこの間、アイツいなくなって清清するー、とか言ってたんだぞ。
ーー私もそう聴いてました。だから気になって、根掘り葉掘り。なんか張り合いなくなっちゃった、とか言ってましたよ。
ーーーーそうかい。んで、俺は何してやればいいんだ。その乙女に。
ーー勿論、あの人呼び戻してください。
ーーーー無茶言うな。まだ一月と経ってないんだぜ。そんなコロコロ所属が変わってたまるか。
ーーまぁ、ですよねぇ……。
ーーーー解ってるなら、何で言いに来た。
ーーホウレンソウです。一人で抱え込むと、どっかの誰かさんみたいに倒れるかな、と。
ーーーー分かったよ、心に留めとく。
ーーそれと。
ーーーーまだあるのか。会議会議で、疲れてるんだよ。
ーーこっちが本題です。ていうか、その会議。今まで手っ取り早く済んでたのは、あの人のおかげでしょ。
ーーーー………まぁ、そうなぁ。ったく、誰も手ぇ挙げねんだもん。
ーーこの基地にとって、「都合が良い人」でした。言い方悪いですけどね。
ーーーーああ。ノーって言わないもんだから、手間な仕事は大概、あいつに流れてた。渉外とか特に。
ーー大淀のサポートもあって、最近はボチボチこなせてたみたいですね。
ーーーーああ。悪くないコンビだったかもな。
ーーで、それ解消させて飛ばしたんですよね、大島海将は。悪巧みまでして。
ーーーーありゃ。意外と口軽いのなぁ、ヨドちゃん。
ーー私が聞き出したんですよ。それで?その基地に、イイ人でも居ましたか。
ーーーー………怖ぇよ、女の勘。
ーー向こうの基地と、その誰かと、序に自分にとって「都合の良い人」を、見事作った訳ですね。
ーーーー………。
ーーそれで自分は、ふんぞり返って高みの見物ですか。
ーーーーあのさ…なんか怒ってる?
ーー当ったり前でしょ。そりゃ、仕事では色々あるけど、2人とも友達ですもん。1人は元気ないし、1人はどっか行っちゃうし……。
ーーーーまあな……。
ーーその元凶がわかったら殴り込むでしょ、普通は。ましてそれは、自分のよく知る狸なんだから……!
ーーーー何時にも増して、口が悪いよ。
ーー心当たりがあるでしょうが。何をしたいか知らないけど、万事責任とってくださいね?大淀のことも、樋口海佐のことも。
ーーーーはいはい。
ーー万が一。何かあったら、工廠ボイコットしますから!妖精さん皆引き連れて、草津、箱根、熱海に鬼怒川…北は登別、南は指宿まで……!
ーーーーわか……分かったって。悪いようには、しないから……。
ーー絶対ですよ?
ーーーー大丈夫だから。ホントに。
ーーあと、資材を要求します。
ーーーーそれはムリ。
ーーちぃっ。
短めですが続きです。
鎮守府の首根っこを押さえる工作艦がいるらしい。