本当にご馳走様でした、と心ばかりの謝辞を述べる。大したことはしていないと、瑞穂さんは事もなげに言って返した。謙遜したのかと思ったが、直ぐ考えを改めた。きっと料理を振る舞い慣れているであろう彼女にとって、こんなことはそれこそ朝飯前なのだ。
ーーさて、お返しは何にしよう。
本当に大丈夫ですと、さっき決まった約定を反故にしようとする彼女。私の気が済まないからと、何とか説得した。それは良いとしても、困ったものだーー私は結構、この件に関して気負っている。なるほど、瑞穂さんは毛ほどもこれを気にしていないし、「ありがとう」の一言で、片を付けようと思えば付く話だ。しかし私の中の番付で、「朝食を(美人な女性に)作ってもらうこと」は、相当高位に食い込んでいる。自分で勝手に設けた高い敷居のせいで、自己満足以上の何者でもないお返しに懊悩する阿呆がいた。
今回のことに釣り合うものは何だろうか。試しに瑞穂さんに尋ねてみるが、答えは決まっている。曰く「なんでも良いですよ」だ。そりゃあ、そうだろう。抑も彼女、なんにも要らないとまで言っていたし。
前任基地のとある事情で、一時期散々贈り物に悩んだことがある。水雷戦隊所属艦への贈り物に、だ。たまらず大淀さんに相談を持ち掛けた際、彼女は言った。「まずは相手の好きなもの、必要なもの、喜ぶものを考えてください。忖度こそが、贈り物の本質です」と。一々尤もである。
それは兎も角、大半が間宮券で済んでしまう辺り、駆逐艦娘たちは可愛いものだ。それ以外にも有形無形問わず、幾つか要求はあったが、中でも不思議だったのは、陽炎型の末妹・駆逐艦娘秋雲のものだった。なんと聖地に連れていけ、と云うのである。何教の聖地かと問えば、何教でもないが宗教みたいなものだ、と答える。海外は流石に無理だと云えば、国内だと云う。結局、稀な休みを返上して向かったのはとある田舎町で、彼女は熱心に町並みや風景を、写真に納めていた。あれは、一体何の意味があったのか。趣味の一環の資料集めだと言っていたが、蒐集癖があるのだろうか。今もって謎のままである。そこまで考えてふと、思い付いた。
ーー瑞穂さんの趣味とは、なんだろうか。
別に彼女たちは、昨日今日生まれたわけではない。この基地に来る前から、その人生(?)は始まっていて、生活や人格の基盤は寧ろ、前の所属で培われたと考えて妥当だ。中間体として発覚する前、他の艦娘と変わらぬ生活をしていたのだから、趣味とまではいかずとも、楽しみの一つや二つあるのが自然。交通の便が悪いこの地で、やりたくとも出来ないことが、あるのではないか。それに関わって返すのも良い。
「つかぬ事を聞きますが、瑞穂さん。趣味とかないのですか」
「え?…えーと、のんびりお茶すること、でしょうか……」
「あぁ。確か那珂さんが、そんなことを言ってましたね」
「はい、時々ですが。………それが何か?」
「何を返せば良いか、考える材料ですよ。欲しいものがあれば、云ってください」
「……は、はぁ」
不意に、津田さんが言葉を発した。
「そういえば、瑞穂さん。最近お茶うけに悩むといってましたね」
瑞穂さんは首肯した。手に入るものが限られているから、隣町のスーパーマーケットで買える菓子に、毎度毎度アレンジを加えるらしいが、タネがそろそろ尽きそうだと説明された。
「それなら丁度良い。ちょっとしたものを、今度」
「それは……何だか申し訳ないような……」
「いやいや。食べ物の礼を食べ物で返すのは、釣り合いがとれているでしょう」
特に使わない小物など貰っても、置き場所に困るし、かといって捨てるに捨てられない。やはり消えてなくなるものの方が、互いに後腐れないだろう。今度の日曜、少し足をのばしてみるか。何であれば、そのために休みを取ってしまうのもよい。ごくプライベートな事情だし、買い物のついでなら、津田さん云うところの「休める時は休む」も実践できそうだ。これは当意即妙と、早くも私はその気でいる。今この場で口にすると、また瑞穂さんに気を遣わせてしまうだろうから、その思い付きは腹の内に留めておいた。
***
密やかに企みを抱えた私は、瑞穂さんと2人で執務室に戻った。いつもの様に、何をするか思案を巡らす暇はなかった。すぐに萩風さんが訪ねて来たのである。今朝のことに文句を言われるものとばかり思っていたが、結局瑞穂さんの云うことは正しかった。彼女は普段通り、起伏に乏しい表情を顔に貼り付け、淡々と報告を遂行した。それが終わるとただの一言、失礼します、とだけ述べてすぐに出ていった。ものの5分ほど。木枯らしに吹かれたような時間であった。萩風さんが出ていくや否や、瑞穂さんが頬笑みかけてきた。
「大丈夫、と申したでしょう?」
「まぁ、特別怒っては…いなかったですが……」
勿論私は、胸を撫で下ろしていた。それなのに微妙な反応を返したのは、そんなことで良いのか、という危機感が、反面であったせいである。だが、今回に関しては、偉そうなことをいえる立場にない。業務形態が特殊なこともあるから、時間に対する考え方が一般の隊規とは異なるのだろう。夜に騒ぎ、朝になったら寝る軽巡洋艦娘を1人知っているし、特別おかしいことでもないかも知れない、と考え直した。
史料を読むにつけ、水上機母艦瑞穂の乗員たちは、とかく「ユルかった」らしい。そのせいもあって彼女は沈没してしまった訳だが、艦娘たちは乗組員の性質をも、その身に受け継ぐのだろうか。或いは、艦の頃の記憶が、彼女らの人格を方向付けるのだろうか。そう思えば、隊規に対する見方や、元軍属のわりに丸みのある彼女の為人も理解できる気がした。
「艦娘というのは、乗組員たちの記憶も受け継ぐものなのですか」
「え?うーん……受け継ぐというか……。傍観していた記憶はありますね」
「ほう」
「一人一人、細やかに覚えてはいませんね。数百人はいる上に、入れ替わりもありますし」
「なるほど。皆、似たような格好ですから無理もありません」
その数百皆が皆、同じ男であり、似たような坊主頭であり、等しく制服に身を包んでいるのだ。私も着任した当初は、水雷戦隊所属の駆逐艦娘の別が判ぜられなかった。雷、電、若葉、文月ーー姉妹艦でもないのに、瓜二つの者があるのはどういう訳だろう。何にしても、似た者を区別するのは難しいのである。この世には、自分と同じ顔の人間が3人いると云うが、強ち間違いとも言い切れない。故人となってしまっているが、事実ヒトミさんと瓜二つの人間が2人いた。
「似ているといえば、艦娘たちにもよく似ている娘がいますよね。姉妹艦でもないのに」
「えぇ、確かに。なんでしょう、親が同じなのですかね……?」
「艦娘にとっての親とは?」
「そうですね…設計者、とか」
「そうなると、神通さんと那珂さんには平賀譲氏の面影があることに」
「それは……うーん」
「なんにしても、検証のしようはありませんね」
この件に関して頭を悩ますのは、あまり生産的ではないだろう。生物の設計図がつまびらかにされ始めた現代で、いずれ艦娘や深海棲艦に関しても、その起源が解明される日は来るのであろうか。
私と瑞穂さんは、こういう毒にも薬にもならぬ話題を取り上げては、のらりくらりと時間を潰した。瑞穂さんはなかなか豊富な話題を持ちあわせていて、話題を1つ振れば、5や10になって返ってくる。お茶が趣味の、お喋り好きは伊達ではない。それは結局、昼の12時くらいーー任務帰りのヒトミさんが、ひょっこり顔を見せるまで続いたのであった。
***
「ーーー以上……です」
「はいーーどうも、ご苦労様でした」
ヒトミさんが執務室を訪れたのを機に、訓練室におりますね、と言って瑞穂さんは席を外した。ヒトミさんにーー私にも序にーー気を遣ってくれたのだと思った。いざ〝あのこと〟を聞いてみようかという潮になって、いつもの通り、優柔不断が顔を見せる。考えてみれば別に知っておく要もないか、とそう尻込みし始めたのである。女性には年齢を尋ねにくいが、知っておく必然がないのと同じで、これは私の好奇心以上の何者でもない。ああでもない、こうでもないと、頭の中で1人会議を演じていた折、ヒトミさんが口を開いた。
「あの……朝は、どうして……その」
「え!あぁ、はい。お恥ずかしい限りなのですがーー」
津田さんにした通りの説明を、私はもう一度繰り返した。あの妖精さんの話に差し掛かった時、瑞穂さんと違って、ヒトミさんは驚かなかった。確かにヒトミさんは、例の談話室の一件に立ち会った人である。
「深海棲艦に酷似したあの妖精さんは、一体なんなのでしょうか?」
「ん、と。この基地の、妖精さん…です。不思議な子…です」
「不思議なのは、全くもって大概ですが。少なくとも敵意は、無いように見えますね……」
「前は色々あった、けど……樋口海佐は大丈夫……だと、思います。たぶん」
少々不穏で、不安だった。色々とは何だろうかーーその内容は大変気になったが、またはぐらかされてしまう予感もあったから、詮索しなかった。そう云えば、考えていることが少し解る、と彼女は言った。この不安もやはり、伝わっているのだろうか。頭の中で、水を向けてみる。
「つ、伝わって……ます、はい」
「む……な、なんだか、小っ恥ずかしいですねこれ」
2人して目を逸らす。こういう時は、話題を変えるに限るのだ。頭の中が透けて見えるのなら、優柔不断もあったものじゃない。意を決して、尋ねてみることにした。瑞穂さんに聞いたこと、そしてヒトミさんに訊きたかったこと、洗いざらい総てをである。
「朝、瑞穂さんが私に気を遣ってくれましてね?朝食を頂いたんですが……」
「それ、は…羨ましい……です」
「えぇ。それはもう美味でーーというのは、兎も角として。そのとき彼女、包丁で指を切ったんです」
「……」
「同時に、聞いてしまいました。貴女がたはいつしか、大切なものを失っていくのだ、と」
彼女の黒曜石の眼は、陽光の仄明りを映して、その中心で私を捉えている。そこに拒絶の色が浮かんでいないことが、不思議と感ぜられた。冷酷な夜陰の中で焚火を囲むが如く、緊張しきりだった胸中が、少しだけ軽くなった。ヒトミさんはじっとして動かず、ただ私の言葉を待っている。
「しかし、ヒトミさんは取り戻した、とも伺いました」
「はい」
「差し支えなければ、教えて貰えませんかーー何を失って、何を取り戻したか」
「………最初に、会ったとき。寒そう……って思いましたか?」
「え……?まぁ、それはもう。風邪ひくぞ君、と内心では」
「本当は……寒く、ありませんでした」
「え、と…つまり?」
ヒトミさんは、いつも通りの小さな声で教えてくれた。
「暖かい、とか。冷たい、とか。そういうのが……なかったんです」
「つまり……温感、ですか」
「はい……。それに…合わせるみたいに、体温も……どんどん、低くなって」
瑞穂さんが言っていた言葉が、フラッシュバックする。
〝とても、暖かかった〟
桃色眼鏡を通して見ていた人もいたが、その言は別に、何らの比喩も含んでいなかった。あの夜、彼女の躰に触れたときの、底冷えするような肌の感触が思い出される。同時に、瑞穂さんがついさっき云っていたことも、理解できた。彼女の体に、直接触れたことのある私なら、分かるーー確かに、その通りである。
さて、次に問題になるのは、彼女がいつ温感を取り戻したのか、だが……。
「少なくとも……お昼には、まだ……。炊き込みご飯、美味しくて……でも、暖かくは…なかったです」
しれっと思考を読み取って、私が何も言わずとも教えてくれた。やはり、あの時からなのか。一体何が、良かったのだろう。思案する私に、ヒトミさんはとんでもないことを口走る。
「じゃあ……お試しで、基地のみんなに……ぎゅっ、てしてみたら……どうですか」
「………。あのね、ヒトミさん?〝お試し〟でセクハラされたら、世の女性はたまらないでしょう。あと、忘れているようですが、私も男ですからね」
「……えっち」
「いやいや、ちょっとーーお……?」
男性の生理に言及しただけで、〝えっち〟呼ばわりされる理不尽を諫めようとした折。普段滅多に鳴らない私の携帯電話が、やおら鳴動してメールの着信を伝えた。
大淀さんから届いたそのメールの件名には、「××基地 前任者の情報提供について」とあった。
なんとか今日に、間に合いました。
PS
もう1年経ったのかと思うと、多少感慨深いものがあります。
いま迄読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
もうしばらく続きますので、お時間宜しいときにお付き合い頂ければと存じます。