サルベージ   作:かさつき

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漸く、ですね。


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ーー私は、天井を見ていた。

 

 ふやけた意識で傍らに視線を遊ばせると、微妙な表情の彼女がいた。色々なことがありすぎて、まず現状を理解するだけで、精一杯だった。私は、声を出そうにも出せなかった。何かを伝えるべきなのか、其れすら判らなかったのである。

 

=================

 

 ヒトミさんの声より大分小さなその音が、私の耳に届くためには、いくらか時間を要した。実にそれは、南中した太陽が西に沈み、那珂さんが帰投し、その後に起きたある事件が一応の収束をみて、執務室に帰ってくるーーそれくらいの時間だ。

 

 いざ、その音の存在を意識し始めると、微かに、しかし断続的に鳴っていることに気付く。私は出所を探った。どうやらそれは、外から聞こえるらしいと知れた時には、自然、窓辺に寄って、何が有るのか検分した。正体を見た私は、別にそこまで狼狽えていなかったと思う。あぁこれか、と音の正体を自然と受け入れた気がする。

 

「思う」とか「気がする」とか、態々言葉を選ぶのは、この前後の記憶が判然としないからだ。つまりは、記憶を混濁させるような事態が私の身に起きたということで、今はそこまでに至る経緯を思い起こすのに必死である。

 

 ただ、順繰りに考えていけば、確かにその験はあったかも知れない。状況は、あの時と似ていなくもない。すこし時計を戻し、那珂さんが帰投した後にあった事件を、一から思い出そう。

 

***

 

 昼休憩を終えたヒトミさんと瑞穂さんには、その足で官舎へ帰るよう指示した。1人執務室へ帰った私は、先日見つけた「民生の今昔」という本を捲ってみた。特別興味を惹かれる内容ではなかったし、不気味な印象が未だ残っていたから、かなり読み飛ばした。

 

 斜め読みも斜め読みに読み終えて、最後のページに行きついたかどうかと云う折、いつもと違う、派手な音が扉を鳴らした。がたん、と何か重いものが倒れかかってきたような音で、老い先短い扉の余命を、根こそぎ削り取らんばかりの気勢である。

 

 何事かと扉を開けると、那珂さんが居た。薄ら暗い廊下の中に、見覚えのある白い肌と、黒い髪が見えたーー深海棲艦の姿。ただし、寒空の下、活き活きとタップを踏んでいたあの時とは違う。彼女に満ちていたはずの活力は毫もなく、弱々しく床に臥せって、憔悴し切っているーーように見えた。

 

「ど、どうしました!けが…!?会敵したんですか!?何の連絡も…!」

「ち、違うよ!ちょっと、倒れただけだって…」

「ちょっと、って…」

「あ、う……。大丈夫、大丈夫だから」

 

 大丈夫を連呼しつつも、立ち上がろうとしては失敗する様が、どうにも説得力を欠く。あからさまに、脚の力が入っていないのである。見ていられなかった。

 

「無理はいけません…!」

「う、うぅ。無理なんて…」

 

 沈痛な面持ちの彼女を抱き上げ、執務室の椅子に座らせた。依然、波は激しいようで、身体中が濡れ、冷え切っている。震えていたから、上着を掛けた。

 

 患部を検める。一見して外傷はないが、彼女の様子から鑑みるに、脚の腱の断裂であろうか。こういう時には、いずれ患部が酷く腫れるから、冷やすことが肝要と聞く。後遺症があってはいけないと、慌てて保冷剤と修復材を取りに行こうとしたら、那珂さんに止められた。

 

「違うの!本当に、怪我じゃないの…!痛くもないし、放っておけば絶対治るから…」

 

 妙に確信を持った云いぶりで説得を受ける。絶対、とまで訴えるからには、経験則の断ずるところがあるのか。過去にも同様の経験があるのではないかと、自然に推察された。

 

「経験があること、なのですか…?過去にも、同じようなことが、あったと……?」

「偶に、ね……来るんだよ」

 

 ふくらはぎの辺りをさすりつつ、笑いながら彼女は言った。無理に作った表情だと、すぐに判った。一度ならず経験がある者の口振りだ。彼女の云う〝偶に〟が、例えば海の上で、敵艦との戦闘の最中に起こることの意味を、艦娘である彼女が理解していない筈がない。

 

「この基地の誰かで、この事実を知る者は?」

「皆、知ってるよ…」

「万一、海上でこの症状が出たら…。誰1人、止めてはくれなかったのですか?神通さんは?津田さんは?今迄の、上官は?」

「艤装着けてれば、大丈ーー」

「だ…大丈夫なもんですか…!これは…」

「ホントだもん!だって、私の艤装はーー」

 

 何かを言いかけて、止めた。露骨に目を逸らされる。また、いつもの隠し事か、と思う。全く、こんなことには随分慣れたものだ。嫌味の一つも言ってやろうかと思ったが、憮然とするだけに留めた。

 

「瑞穂さんに聞きました。中間体は何かを失っていく、と」

「え…」

「瑞穂さんは、痛覚。ヒトミさんは、温感と冷感。那珂さんは…何でしょうか」

「……知りたい?」

「気が向いたら、で良いです。もう何となく、解りましたが」

「そっか…。うん、そうだよね」

 

 なんともいえぬ気まずさが、部屋を支配した。それを拭おうとしてか、彼女は報告を遂行すると云う。気も漫ろで、ほとんどの報告内容は頭に入らなかったが、とりあえず問題がなかったことだけは分かった。それが終わったら、那珂さんは座ったまま言った。

 

「……ごめん。もうちょっと、居て良い?まだ、脚が…」

「勿論、構いませんよ。暖まっていってください」

「ん。ありがと」

 

***

 

 暫しあった。口下手な性質上、沈んだ空気に陥りやすいが、沈黙が好きな訳ではない。隠し事をされるのは、確かに気分が良くないが、那珂さんのことを嫌う訳では、勿論なかった。私は話題を探す。やかんが頻りにふき上げる蒸気の音に合わせるように、那珂さんが掌を擦りあわせているのが、妙に調子よく聞こえて、思い出した。

 

「那珂さんは、歌が上手ですよね」

「……そ、そうかな?」

 

 彼女の頬がほんのり朱に染まる。これに限らず、那珂さんの反応はいつでも面白い。なんとなく興がのって、私は更に続けた。

 

「格納庫に、カラオケセットが置いてあったでしょう。那珂さんのでしたよね?」

「あ……うん。そう、私の。使わないし、捨てよう捨てようって、ずっと思ってるんだけど」

「折角上手なのに、勿体無い。使えば良いじゃないですか」

「でも、あんまり騒がしいのは、その、良くないかなって……」

 

 尤もだが、それは時間と場所によりけりだ。何も真夜中に、大音響で演奏しろと云うのではない。弁えてさえいれば良いと思う。市民に姿を見られるリスクを犯してまで、ダンス練習を敢行した人の台詞とは思えないーーあんなに楽しそうだったじゃないか。本音が別にある予感がする。

 

「私は聴きたいなぁ」

「え……えぇ~?うーん…」

 

 強引な手管に頼んだ私の説得交渉(?)は、意外に即効性があったようだ。那珂さんの頬が、緩み気味である。押せば行ける、と確信した。

 

「お願いしますよ。最近、潤いが無いんです」

「そ、そお?そんなにぃ?んもー…しょうがないなぁ」

 

 んもー、と那珂さん、繰り返す。渋々な振りは、振りであるのが明らかだ。繰り返すが、那珂さんの反応は、いつでも面白い。こういうのがーー本人には言わないがーー割りと充分な潤いなのだ。その内きっと、彼女の歌を聴かせて貰うとしよう。

 

 ***

 

 彼女は紛う事なき艦娘である。悩みはすれど、「こう」と決めれば一直線な、清々しさをもっている。艦娘すべからく即断即決ーー昭和男の魂を、色濃く受け継いだのが揃っている。

 

 それは良いとしても、じゃあ早速取りに行こうよ、とはいくらなんでも性急過ぎないだろうか。脚はもう良いのか尋ねると彼女に曰く〝治っちゃった〟らしく、事も無げに立ち上がった。

 

「明日では、ダメですか」と、私。

「私の気が、変わっちゃうかも知れないでしょ?」と、那珂さん。

 

「私、必要でしょうか?」と、また私。

「重い物、女の子に持たせちゃだめだよ?」と、また那珂さん。

 

「……実は、暗いの苦手なんです」と、更に私。

「大丈夫。何が出ても私が守るから」と、更に那珂さん。

 

 三方を塞がれた私は、闇の支配する夜の格納庫へ行くことを余儀なくされた。自分で撒いた種だが、一つ言いたい。何が出ても守ってくれるならば、カラオケセットくらい、一人で運べそうなもんである。ただ、いつになくアグレッシブな那珂さんに免じて、不満は呑み込んだ。彼女は、少し表情を引き締めて呟いた。

 

「ちゃんと……見せてあげるから」

「何をでしょう?」

「大事なところ…かな。私の」

「は、はぁ…?何と言うか、その……いかがわしいですね」

 

 がす、と尻を蹴り上げられた。これは全く、私が悪い。

 

 ***

 

 視界の悪い地べたに台車を転がすと、無骨な音を立てた。暗い中、波の打っては返す音だけが聞こえる。やはり今日も、海は荒れ模様の様だ。

 

 徐々に近づいてきたプレハブ造りの外観は、廃墟と言われても不思議はない。不穏な建造物が、庁舎からの光を映して闇夜に仄白く浮かんでいた。格納庫の南京錠を、手こずりながら開ける。那珂さんと共に、事務室で鍵を借りた時、津田さんに耳打ちされた。上手くやって下さい、とのことだが、いまいち意味を汲み取れなかった。曖昧な笑顔を返してしまった辺りが、私の私たる所だと思う。

 

 さて、軋む戸を開け、電灯のスイッチを探した。唯でさえ辺りが暗いのに、段ボールで窓すら塞いでしまった格納庫内は真の闇だ。壁伝いを探るだけだったのに、見つかるまでに5回は躓いた。いつの日か必ず、この格納庫を更地にしてーーもとい綺麗に整頓してーーやろうと固く誓った。

 

 漸く光の灯った庫内の片隅に、それはあった。埋もれて判らなかったが、近くで見ると結構本格的なやつだ。周りの物品を退かして、持ち出せるだけの幅を確保した。もう散々な目に遭ったし、さっさと帰りたいばかりである。入り口の方に振り返って、那珂さんを呼んだ。

 

「これですよね、那珂さん………あれ?」

 

 その呼び声に応える筈の人は、そこに居なかった。

 

ーーおかしい。

 確かにさっきまで、すぐ後ろにいた筈だ。それが忽然と、何の音もなく消えるとは。そういえば、先程事務室で、別の鍵を借りていたが……。

 

 瞬間、ブゥンと音を立て、格納庫内の明かりが急に消えた。庁舎からの煌々とした光が、目を刺激するばかりである。背筋に冷たいものが走った。この際、カラオケセットなど後回しだ。入り口に向かおうと、踵を返したその時だ。

 

 ふっ、と。唯でさえ暗かった視界が、完全に消失した。

 

 眦から蟀谷、瞼の辺りにかけて、冷たくスベスベした物質で覆われたせいだと判った。私は、驚きすぎて声も出ない。突然の事態に半狂乱になって、それを振り払おうとしたが、これがまた、強烈な力で私の顔に密着している。暫く格闘した後、耳慣れた声が聞こえた。

 

「ま、待っテ!落ち着イて!私ダカら!」

「な、な、な……那珂さん、で、でし、たか」

 

 少し安心した。同時に、このスベスベした物は、那珂さんの掌であることが知れた。要するに今の我々は、〝だーれだ?〟の状態である。思わず私は、不平を溢した。

 

「ほ、本当に、勘弁、してくださいよ。こういうの、全く苦手なんですから」

「うン。そウナんだネ……」

 

 背後から聞こえた那珂さんの言葉の端に、何かの引っ掛かりを覚えた。彼女の声に、妙なノイズが走っているようなーー?

 

「な、那珂さん……声が……?」

「ネェ、そノまマ、黙ッテ、聞いテ?」

 

 私は、硬直した。優しく語りかける那珂さんの声音に、何か異様な迫力があったからだ。ぐぉるるる。あの音が、聞こえた。

 

 

 

 

「長い付キ合いニスル、って。前、言っテくレたよね」

 

「結構、サ。嬉しカッたンだよ、あレ。この人なラって思っタ」

 

「ダかラ、見せテアげるノ。私の、大事なトコろ」

 

「嫌な気持チにさセチャったら、ゴメンね。マサか海佐が、ホンとニ怖がリだと、思ッテなかっタカら」

 

「デモ、半分グラいは、自業自得、ダよネ?」

 

「コッちハ最初、拒絶しタのに、踏み込ンでキタの、海佐ダモん」

 

「………怖ガってモ、良いカら、さ」

 

「見捨テナイデ。……オ願イ」

 

 

 

 私の目が、解放される。

 

 私の背後に、何かが、蠢いていた。

 

 歯の根が、ガチガチ鳴るのは、何も寒いからだけではなかった。

 

 本当に、ゆっくりと。

 

 私は、振り返った。

 

 

 

 

 

 あ……歯?

 

 

 

 




歯。
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