那珂ちゃん好きは、少々注意です。
意識を取り戻す私はまた、広大な海原にいる私を私でないように思う。つまり私は以前のように、何ゆえか、わたしとなって。わたしとは、つまり、なんだ誰だ。私は船に、揺ら、いや?違う。波に?船はわたしで、わたしと同じ私は船だ。船のわたしは波に揺られている。
まだ混乱していた。
暗転。
此処は海で、空が青い。波に揺られるわたしは、彼女を助けに行かねばと思うが、彼女とは誰だれか。空が輝く。いや、輝くアレは鳥か。空ではなくて鳥が輝く。いや、鳥?鳥でもない飛行機か。爆撃機、戦闘機か。雨が降る。晴れていても雨だ。狐の嫁入りは火の雨だった。身を焼く雨で、たくさん死んだ。だめ、生きて。何が誰がだ?痛い、痛く焼けて熱さ体も折れ。助からないわたしが願うのは。助かってせめて貴方たちだけは、と。貴方たちとは?多く死んだが、すべてでない。貴方たちが?わたしは其処へ行けなかった。底へ先に逝く。貴方たちは故郷へ。お願い。
暗転。
わたしの白い手を眺める私とわたし。いや、もう一人。底へ逝ったわたしは白い手を眺める彼女と同じだ。白い白い手。わたしと彼女の白い手?彼女とわたしはひとつになった。融けて、混ざる。彼女?わたしはいま、私とひとつだから、つまり混ざる彼女とは私のことか?そうなのか?いや私は男だ。誰が?あぁそうか彼女だ。わたしが其処に行こうとして、生き切れず、底へ逝った彼女だ。其処へ着く前に二人は、海の底へ着いて???何かに?底に棲む鬼へと変わったのか。白い鬼の手がわたしと彼女の手だ。
深海棲艦の手は、白い手か。
暗転。
赤黒い海の水面で私は底に居なかった。人が立って、人?いや、艦娘だ。海の上に人は立たない立たない、立た、か、わない?戦わない?砲声、轟音。見えるのは白くない艦娘、いや白い人もいる。人か?ではなく深海棲艦だ。焼けつく痛みが肌を裂き。熱い。あれは焼けて黒い人。人でなく、深海棲艦も艦娘も。焦げて黒、燃えて赤。底から来た深海棲艦は白いのに、赤く黒く死んだ。潰れて、爆ぜて、砕けて、千切れて、焼けた。赤と黒が海に沈む。もうやめろ。皆死んでいくんだ。やめるんだ。さようなら。まだだ。嗚呼沈む。生きろ。わたしも底へ。生きろ。皆其処へ。死ぬな。あ、れ?生きろ。上へ。生きろ。暖かい上へ。生きろ。だれ。貴女は、死んではいけないんだ。
嗚呼、明るい。
明転。
土の上のわたしの上の青い空の平和。あれから幾歳朗々とした陽光。今またこの土を人を空を海を。守れるならばもう一度。時代が代わって人が変わった。食うに着るに寝るに困らず娯楽まで。でも時代の人たちは暗い顔をしている。敵がいる。海に鬼が。笑ってほしいから戦う。モノを届けるのは得意だ。それは別に元気だっていい。
また、明転。
華やかな洋服と華やかな舞台。てれびは良い。テレビ。いいなと思うわたしは、火照った顔で画面に臨む。あんな風に歌えたら、きっと良い気持ちで。憧れた。暗い顔も笑ってくれるかな。歌い、踊り、口ずさむ。私の聞き覚えがつながるのはテレビの中。口ずさんでいたのはこれか。誰が?わたしが、だ。やはりわたしとは貴女なのか。
暗転。
夜、闇。ベッドの上?白い手が。間近。月の明り、鏡?顔。鬼。引き。攣。何故。叫喚。
暗転。
部屋は暗く白い手は無い。無い?いや、見えない。それは後ろに縛られたせいか。目の前は誰だ彼は知らない男の足。いや私の知らぬ彼をわたしは知って?ああ。前の基地の司令官。尋問だ。間諜?ちがう。わたしはわたし。罵声。ちがう。威圧。ちがう。憎悪。ちがう。返せ。ちがう。返せよ。ちがう。俺の故郷を。ちがうよ。撃ってしまえ。やめて。二度と動けぬように。よせ。二度と起き上がれぬように。いやだよ。
足を潰せ。
瞑目。
暗い寒さ。死んで足がない?いやまだある。動く。助かって生き。いや、助けられて生きていたのか。目の前に女。立ち塞がるのは底へ逝った彼女。彼女も此処に居た。秘書艦だったか。もうやめようよ、と聞こえた声。聞いた男は歯噛み、踵を返し、部屋を出て。残ったわたしと彼女の悟ること。もう此処には居られない。諦めて生きる。別になった二人はまた別に別れる。泣かないで、と聞こえて泣いた。
暗転。
雪が多い土地。闇夜に舞う。観客は居ない。良いのかな?まぁ良いか。それでも良いや。誰も見なくて。誰にも見られなくて。誰かを元気に?無理でしょ今さら。自分を慰め?しっくりくるかも。誰かに届ける笑顔なんて、無くて良い。自分の顔なんてみえないから、正真正銘、誰にも見られず腐ればいい。だってわたしは贅沢だ。ご飯があって贅沢だ。服があって贅沢だ。寝床があって贅沢だ。命があって、平和があって贅沢だ。わたしは満足。嘘だけど。寂しい?見て?知って?聞いて?贅沢言うな贅沢だ。贅沢が敵なら、確かにわたしは深海棲艦か。
暗転。いや。明、転?
目前に暗黒。何処だ。目が見えない?いやそうでもないか。手が見える。星が見える。だが暗い。夜を見ている。闇を見ている。黒い物を見て……?わかった。夜の海だ。底なしの暗さ。海に向かってわたしは踊る。誰も見ない。見られてもしょうがない。誰にも…?後ろに気配?男の声、叫ぶ、変な声、わひょぁぁって何よ。
少し、明転。
この男は私か?夜明け前の釣り人は、悪人顔の司令官。失礼な。この司令官は変な人。失敬な。踊りを見てた?見られた?誰かに見られた。だから何?遂に終わった何かが終わり。何が終わり?どうでも良い。始まってすらいないから、終わるものもないけどもう止めだ。どうでも良いし何でも良い。これが最後だ。やりたいことなんて、捨てるが吉だ。大人しく朝は寝ておこう。
明転。
スバラシカッタ?ゲンキヲワケテ?マタイツカ?
何それ。何?この人は?何を?言って?熱い顔が緩んでいく。ニヤけてないわたし?うわうわなにこれ。何なの?やっぱりこの人、変な人だよ。失礼な。
とってもとっても、変な人だ。でもーーー。
暗転。
暗い?何処に、今は倉庫か格納庫?また闇を見て。これは本棚か?鉄の肌触り寒く。青白く光冷たく。歯の唸る軋み。ぐぉるるる。足が融ける混ざり浮遊感。私の背中か?司令官の背に近づいて止まり、恐い。恐いな。怖がられるかな?嫌がられるかな?気持ち悪いし、臭いよね。そうだよね。でも、でも、でも。知って欲しいせめてお願いこれだけは。貴方と同じ。顔は怖いよ、だけど中身は。心までは。鬼じゃないの。
この人には、知って欲しい。ちょっぴり贅沢させて欲しい。
明転。
くすぐったい。男子更衣室と比べないでよ。なんだか笑えてきちゃった。やっぱり、変な人。あははーーー
「失礼な……ムゥ…?」
蛍光灯から出た光芒に目を刺され、眉間に皺が寄った。いや、どうだろう。この皺はひょっとすると、何時だかの強烈な頭痛を、今また追体験していることによって刻まれたものかも知れなかった。何にせよ、意識を我が手に取り戻したにも関わらず、私は目を開けかねている。執務室に仰向けで転がっているらしいことだけは判った。そしてこれは、あの談話室での一件と同じ現象らしいことも、何とは無しに理解していた。
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汚れた天井に相対する私。混濁した記憶に整理番号をつけ、頭の中で並べなおす作業の傍ら、彼女ーーあの妖精さんが、私にちょっかいをかけていた。動けないのを良いことに、私の頬をブニブニつついてくる。別段楽しんでいる様子もなく、見たこともない生物に触れる幼児のようで、良くも悪くも無垢である。普段であれば、手ずから撫でまわすであろう状況にあって、しかし私は、動けないのを惜しむ余裕すらなかった。
とにかく、頭が痛い。床は酷く冷たくて、体は固まったままだ。格納庫へ出かける前にストーブを切っていったことは、室温を下げるのに一役買った。妖精さんに触れた瞬間意識を失った私に、窓を閉める猶予などなかったから、勢い海風に北風が徒党を組んで執務室を跋扈している。現状、病人(?)に優しいとは言い難い環境だ。
以前、萩風さんに意識を奪われた後、私が目覚めたのは何時頃であったか。夕刻辺りに気を失って、日付を跨いだんじゃなかったか。
私は全体、いつ動けるようになるのであろう。このところの冷え込みを想起して、心まで寒くなる。室内での緩やかな凍死など、是が非でも遠慮したい。近場にあって、私の窮地を伝えられそうな存在と云えば、妖精さんくらいしか思い当たらないが、彼女は今、私で遊んでいる。自分の体力に恃むしかあるまい、と半ば諦めていたら、救いが現れた。
「軽巡那珂です。海佐いる?忘れ物しちゃって」
ノックが3回。どうやら手袋を取りに戻って来たようだ。これ幸いに、どうぞ、と言請けを返した。
「失礼しま……あれ?」
彼女の視線は、執務机の辺りを彷徨いている。普段の高さに私はいない。窓付近に倒れた何者かを発見すると、彼女の顔から、さっと血の気が引いた。
「あー……どうも。低いところから失礼します」
「ちょっと。嘘、何っ。どうしたの…!」
一先ず息災で緊急性はない、と伝える意図で発した軽口は、無用であったーーしっかり心配されてしまったので。後から聞くにこの際、顔色も健常者のそれでは無かったらしく、一大事、と彼女は直観したようだ。
幸いというか、当たり前というか、萩風さんは現れなかったーー結局私は、那珂さんに負ぶってもらって執務室を後にしたのである。
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「き、記憶?……私の?」
「恐らく、ですが。那珂さんだったと思います。あれは」
頭痛もぼちぼち収まった時分になって、事の顛末を説明した。私は、清潔感のあるベッドに体を横たえ、顔だけ彼女に向けている。例の妖精さんの存在や、自身の感覚や思ったことも含め、なるべく詳細に、包み隠さず伝えるよう努めた。すべて語り終えると、彼女は遠い目をした。
「……懐かしいなぁ。前の基地」
「〝懐かしい〟ですか」
「うん。最後は…あんまり良い別れ方じゃなかったけど、楽しかったことの方が多いよ」
「……少し、安心しました」
「司令官も普通に良い人だった。薩南の小さい島の生まれだって」
「あぁ…それで、あんな」
薩南諸島の一部では、全島民に避難指示が出ている。艦娘の配備が進む途上、かなり激しい戦闘が行われた記録が残っている。あわや上陸を許しかけたことさえあったと聞く。彼奴等との戦争がいつ終わるとも知れぬ情勢下で、それはつまり、島の放棄と否応にも結び付くのだ。現在では、佐世保地方隊奄美基地の存する大島へ居を移す者が多いようだ。
「前の基地のことは、良いよ。気にしてない…は、嘘だけど。取り敢えず、今は大丈夫。色々モヤモヤしてたこと、全部知られちゃったからさ」
「図らずも、ですが…」
「それでも良いんだよ」
それでも良い、と彼女は反芻した。もう少し狼狽えた様子を見せるかと予想していたのだが、不思議と彼女は落ち着いている。小さく、しかしはっきりした声で、彼女は語りだす。その目は、正面で私を捉えていた。
「漸く。ほんとに漸く、わかったよ」
「私ね。きっと楽になりたかったんだ」
「多分、ここの誰よりも芯が無くて、弱かった。皆に甘えてた」
「上辺ではアレのこと、隠そうとしてたけど。きっとそれは、本心じゃなくてさ。やってること、ちぐはぐだったよね」
「知って欲しくて、相談したくて…。けど嫌われるのが怖いせいで、どうしても踏ん切りがつかなかった」
「ちょっとズルだったけど、私のこと、知ってもらって」
「このままじゃダメだって、そうも思ったからーー」
「弱いなりに頑張るから。だから、助けてください。一緒に、考えてください」
「この基地のこととか、中間体のこととか、私個人のこととか……」
「……ち、ちょっと自分勝手かな?」
何を今さら、とは言わなかった。
「私に、できる限りをしますとも。あぁ、ただーー」
「……?」
「頭を使うのが、少々不得手なので、その、本当に…出来る限りで」
「んはは。頼りないなぁ、もう」
お互い、完全ではないーーというか弱点だらけらしい。妙なシンパシーを感じて笑いあった。長い夜は、これでお開きだ。私はまた、医務室で夜を明かすことになる。
「じゃ、おやすみなさい」
「ええ、また明日」
「あ、あのさ…。なんていうか、その……」
「……はい?」
「長い付き合いに、しようね」
勿論です、と返す間もなく、彼女はそそくさと出ていってしまった。
漸く終わりました。
さて、次の秘書艦は、赤色の似合うあの人です。