此の基地には、新聞が置いていない。辛うじてラジオやテレビは入るから、情報を得るのは専ら音声媒体らしい。社会の趨勢から随分隔たった陸の孤島で、倹しい中にもささやかな楽しみを見つけて生きる。乾いた日々に少々のツヤを見出すことが出来るのは、多分強さなのだと思う。
要は何だといえば、いつも通り退屈だ。那珂さんと私は、2人でトランプなど始めてしまった。もろに職務専念義務違反で、真面目にやっている方たちに知れたら散々言われるだろうし、言い返すことも出来ない。言い訳すると、今さっき誘われた時だって立場として一応苦言を呈した。だが「暇ならのんびり」が本基地の伝統なのだそうだ。5年くらいで伝統も何もないと思う。
「まぁ、あれだね。ポーカーやってもしょうがないっていうか」
「私の手の内丸見え、というか丸聞こえですからね?」
「今なら海佐の財布の中身、全部巻き上げられるよ」
「物騒な…」
「いや、しないって。流石に」
彼を知り己を知れば百戦が云々。純粋に楽しむことを意図したゲームへ、孫武の兵法書を引用する意味があるか微妙だが、敢えてかの言に抗するなら勝負事には〝未知〟があるから面白さがあるのだろう。大富豪、ババ抜き、ポーカー、ブラックジャックにナポレオン、ダウトやページワンに至るまで。騙し合いや駆け引きを肝とする類のゲームは、ことごとくその醍醐味を潰されてしまった。とりあえず、私のドベは決定している。
「じゃ、あれ。スピードにしよっか」
「まぁ、それくらいですかね」
表向きの札で〝階段〟を作っていく速さを競う遊び。どちらかと言えば駆け引きより反射神経を問われる。艦娘の身体能力は人と比べるべくもないから、こちらは正しい意味で勝負にならないかもなんて思ったが、やってみると私の圧勝だった。
「なんかね、遅れて思考が流れてくるっていうか」
「ははぁ……互いの思考が、混線する訳だ」
確かに中盤から後半にかけ、彼女はミスが多かった。数回やったが結局どれも同じ結果になった。このゲームもいまいち公平さを欠いていることに気付く。最早互いに引き出しがなくなって、神経衰弱に落ち着いた。
「ただやるのもねぇ。賭けする?」
「こらこら…。私、公僕ですよ?」
「お金や物は賭けないよ。負けた方は、勝った方のお願いを1つ聞く、とか」
「ム…。それもどうでしょうねぇ」
彼女らがされて嫌なこと等、私には判らない。今時うるさいハラスメントがどうなんて話を、此の基地で聞きたくはないのだ。
「じゃあ、海佐が勝ったら、お姉ちゃんの良いとこ教えてあげる」
「ふむ…?なるほど、その程度なら」
「で、私が勝ったらー…」
「何でもどうぞ。出来る範囲で」
彼女は顎に指を当て、結構真剣な表情を作った。単なる話の流れだが、余計なことを口走ったかも。凄い要求をされやしないかと、ヒヤヒヤしつつ釘を刺した。
「あの、出来る範囲ですよ?」
「ん…ふふ。考えとく。勝ったらね」
「ちょ、ちょっと。アリですか?そんなの」
「アリでしょ?いま何でもって言ったじゃん」
半笑いであっけらかんと言い放った彼女を見、不味いことを口走ったと確信した。私にすればナシもナシーー後だしジャンケンにも程がある。
「まぁまぁまぁ、勝ったら勝ったら。ほら、カード伏せよ?」
「言っておきますけどね。私記憶力はそこそこ自信ありますから」
大口叩いた私は、見事に負けた。
手札がないからと、安心したのは誤りだった。寧ろ思考が伝わるなら、しっかり不利なゲームである。記憶力は、仇になる。どうも私の思考は意識に昇った時点から、コンマ数秒の間があって伝わるらしい。「あそこにあったな」なんて考えようものなら、狙い打ちだ。必然、私は無心で未知の伏せ札を捲る役。那珂さんは海老で鯛を釣る役。10対42なんて目も当てられぬ結果にはキチンと抗議したが、奇襲出来なきゃ水雷屋は務まんないよ、と彼女は遁辞を弄するだけであった。
***
ちびちび小分けに食べていたが、もうそろそろ限界だ。
今日の昼と夜で、ヒトミさんに貰ったおでんを完食することになる。ここ数日の食欲が大いに満たされたのは事実だが、またしても私は自前での食料調達を余儀なくされた。買い出しは日曜。今日は金曜。明日1日、何とかして食事を工面せねば。何食か抜いたって別に死ぬことはなかろうが、基地の面子に心配をかけるのは嫌だった。
那珂さんにチラと尋ねた処に拠れば、今日は神通さんと共に食べるらしい。
「普段はどちらが作るんですか?」
「作りっこもするけどね。殆どお姉ちゃんだよ、とっても上手だし」
「そういえばヒトミさんも、そんなことを先刻」
こんな基地だ。瑞穂さんといい神通さんといい、生活能力が向上するのも肯ける。というか2人に限らず、此処に居たら皆自然に、やり繰り上手の家事上手になりそうなもんだ。
「食事といえば……、知ってます?赤城さん、カレーが苦手だそうで」
「ホント…?聞いたことないけど」
「なんでも、辛いのがダメとか」
「えぇぇ……?変だなぁ。本人が言ったの?」
「変って、何がです?」
「私が、ここに来たばっかりの頃なんだけどーー」
潰され、へし折られ、ズタズタの心でこの基地に流れついた彼女を迎えたのは、神通さんと赤城さん。それはもう、格別に良くしてくれた、というのが那珂さんの言ーー来て間もなく、当時の基地司令の眼を盗んで、2人はささやかな食事会を催してくれたのだそうだ。そして、その時のメニューがカレーライスーーしかもかなりの辛口で、色々な意味で涙が出そうだったという。無論、神通さんと赤城さんもしっかり食べていたようだ。
「そう云えば最近、やたらと薄味のもの食べてる気がする。何だろね、ダイエットかな?」
「いやぁ…?食事制限なんてするタイプに見えませんが」
「む…。これでも皆、ご飯は気を遣ってるんだからね?好きなものばっかり食べてれば、体なんてあっという間に壊しちゃうんだから」
今の時代、美味いのと体に悪いのとでは、案外地続きだ。意識して野菜を取り入れなければ、市販のカレーライスなんてのはそれこそ代表選手みたいなもの。米と小麦粉ーー炭水化物の二重奏と食欲を煽るスパイシーな香りのあわせ技。よく煮込んだ肉は勿論として、人によってはトンカツだのチーズだのと、脂っこいものを更に組み込んで、これがまた一々合うし。隙あらば菓子パンなどパクついているヒトミさんみたいな存在は、ここでは案外少数派なのかも知れない。当然私にも、耳の痛い話だった。
「メニュー考えるのも大変なんだよ?ある程度決まってた方が楽」
「普通は給養の人が、ある程度考えてくれるんですけど、それもないしーー」
「カレーの日もない?」
「……全くです」
那珂さんはサラリと私の思考を読み取った。不便な自由とは、実に不都合ーーこの基地には、カレーの日なんて無いようだ。多分その落胆が、私をオカシクしたのだと思う。
「まぁまぁ。自己管理出来るなら、むしろ楽しいから。食べたいときに食べたいものをーー」
「食べりゅ、と」
「作っ……え?」
達磨ストーブが、すぉぉ…ん、と侘しい音を立てて力尽きた。いやちがう、ただの灯油切れだ。
「え…。え、何?なに、今の?噛んだ…?」
「え、あ、お。知な、ら、知らなければ良いんです」
キミが言えば艦娘連中もれなく爆笑必至やで、との触れ込みで前任基地の龍驤に教えて貰った空母ジョークは、盛大な空振りだ。多分、からかわれたのだと思う。魔が差した。2度と言うまい、使うまいーーと自戒するのは遅すぎたようである。那珂さんは何を察してか、ニマリと口角を上げた。
「……。海佐が言うと、シュールで……いいね!」
「止めてください」
「前の基地だったら爆笑だったの?」
「い、いいですから。もう」
「萩風ちゃんにも言ってみたら?ツボ浅いから」
「さ……参考に、します」
那珂さんは、それから暫く肩を揺らしていた。赤城さんが帰ってくるまで、それは続いた。昼過ぎには2人とも帰した。明日未明以降の護衛任務はなくなった訳だが、休日でもない限り〝散歩〟は通常通り実施すると彼女らに教わった。燃料はだましだまし使うしかないが、いままでなんとかなっていたのなら、しばらく津田さんのやり方をなぞろうと思う。
去り際、2人は何かコソコソと話をしていた。
***
那珂さんとの会話で、不意に話題にのぼった萩風さんが執務室の扉を叩いたのは、午後6時をまわった時分であった。今、執務室には私だけーーこの間のような衝動に備え、少し深呼吸をしてから返事をした。
「そ、それ。頭の、何ですか……。イ級?ヘルメットでしょうか」
「さぁ?勝手に出てくるんですよ」
執務室の扉が開いた先に、萩風さんが佇んでいた。特徴的な頭部艤装と、黒を基調とした装備。肌が白いのは誰しもそうだが、彼女の場合特に目がいくのは露出の多さだ。何度同じ事を思ったか解らないが、艦娘にしろ深海棲艦にしろ、薄着が好きすぎる。冬の海にノースリーブとビキニパンツはいかがなものか。この状態の萩風さんを見ていると、ヒトミさんの水着姿すら、しっかり着こんでいるように思えてしまう。室内に進み、元の姿へ戻った彼女に思わず聞いていた。
「あの格好…寒くありません?」
「寒いですよ?」
会話が続かないのは、今に始まったことじゃない。今日はそこを乗り越えるのだ。
「艤装着けて来ても、良いんですよ?」
「あ、そう。参考にします」
にべもないとはこの事である。きっと今のは、参考にする気がないことの意思表示だ。少し語気を強めてみよう。
「ほ、保護の機能があるんですよね…!?」
「ええ、あります。……では、報告を」
ーー三球三振。バッターアウト。チェンジ、か。
いや、そうは往かない。私はいわば、ギリギリ二軍の落ちこぼれ。振り逃げだろうが何だろうが、1打席1打席を最後と思って食らいつかねば。那珂さんとの約定文ーーそんな物は無いけどーーに、諦めるのを是とする文言はない筈だ。
メールの予測変換機能みたいな淡々とした任務報告を終え、彼女が背を向けた瞬間、私は言い放った。声を低くするよう意識した。
「昨晩のことです。那珂さんにとある〝艤装〟を見せてもらいましてね…?」
「………あぁ、そう」
一瞬、彼女の体が硬直したのを、私は見逃さなかった。わざわざ夜に着けるモノは、1種類しかない。平静を装っている彼女だが、多少の動揺は与えられたものと見える。小さな取っ掛かりを得たように思えた。
ところで、中高生くらいの少女相手に会話を続けて貰うため奮闘する基地司令官は、世の中どの程度いることだろう。自分が随分情けない存在であることは、今更確認するまでもなかった。
「あまり、驚かないんですね?」
「いつかはバレる、と。皆、言っていました」
「成る程……。で、それを踏まえてもう一度云います。艤装を着けて、報告に来ても良いんですよ?」
少しの逡巡があったように見えた。私の方に向き直って、彼女は力なく言った。
「お断りします。あの悍ましい姿を、見られたくないので」
「そ………そう、ですか」
内心、しまった、と思った。那珂さんに限った話ではない。あの姿を人目に晒すことは彼女らにとって、頼まれてもやりたいことではない。少し考えれば、解りそうなものだ。背中に嫌な汗をかいて、どう取り繕うべきか焦る阿呆は、二の句を継げなかった。しかし意外にも、萩風さん側からの救援が入って、間が繋がった。
「ですが、まぁ。昼は……」
「え…!はい、何です?ひ、昼?」
「昼の…日中の任務報告くらいは、着けたままで来るように…しますけど」
「ああ!もう、その通りです。はい、それが良いです。そうしてください。しっかり周知しますから」
「夜専用の艤装が存在する」ことを隠す。そのためだけに、艤装を装着せず報告へ来ていた。夜だけだと怪しまれるからと、1日通して寒い思いをしてきた彼女たちは、もう報われて良い。今となっては昼くらい、その努力が報われても良いのだ。
次いで彼女は、別の事柄に言及した。
「あの……明日の秘書艦業務ですけど」
「はい。確か明日は……ヒトミさんでしたね」
「私が交代します。さっきすれ違ったとき、直接お願いしました」
「交代……?」
「今週のお休み分です。業務はもう、無いんでしょうけど」
私は先刻まで何となく、気を抜いていた。明日はヒトミさんが秘書艦だし護衛任務もなくなるし、久々に心を休められるか、なんて思っていた。そこへきてこの申告。萩風さんが本来の秘書艦だった日にあった〝アレ〟を、思い出さざるを得なかった。承知しました、と私が返すと、彼女は小さな会釈を1つして、執務室を後にした。
それと入れ替わりで、今度は津田さんがやって来た。
「おや、こんばんは。何かありました?」
「ええ、はい。なんとも急なお願いで、恐縮なのですが……」
お願いとは、赤城さんとヒトミさんと那珂さんーー3人分の外出届けの決裁を頂きたい、とのことであった。執務室の扉から、3人がこっそり覗いているのには気づいていた。
「一応基地の内規では、原則5日前までに、とあった筈ですが……」
「ええ。ですから急なお願い、と」
「フゥム…?理由はなんでしょうか?」
「買い出しを、1日早めたいのだそうです。海佐は食事に困っているから是非、と彼女たちが」
それはもう、願ってもない話であるが。ドアの隙間を見遣ると、3人と目が合うーーウィンクをお見舞いされた。ヒトミさんはとんでもなくぎこちなかった。胃袋を人質にされると、私は弱いのだ。彼女らが市街地で問題を起こすとも思えない。こういう所で少しずつナメられていくのだろう。私はノロノロと印鑑を取り出した。
「まぁ…、はい。良いんじゃないでしょうか」
「すみません。ということで、買って欲しいものをここに」
渡されたのは、あのメモ用紙だった。
「他の人には、今から…?」
「あ、いえ。もう既に」
私は、後回しか。許可を取る前から行く気満々ではないか。もう既に、の後に省略されたのは「結構ナメられています」に相違ない。そういえばこの印鑑1つで、彼女たち3人はもとより運転手の津田さんすら、明日の日中基地を留守にすることになってしまったのだ。萩風さんとの対峙(?)には、独力で臨む可能性が極めて高い。
私の心の休日は、もう1日延期である。せめて買い物メモには、思いの丈をぶつけておこうと思う。
イベントが始まり、赤城さんは改二になり。
アツい日々が続きますね。色々な意味で。
うーん、マンダム。
皆様、体調にはどうぞ、お気をつけて。
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感想欄にてご指摘いただきましたので、文章を修正いたします。
「ノイズ交じりだが」→「 削除 」
知識不足の作者ですが、今後ともお付き合いいただけますと有難いです。