「……出て行ってしまいましたけど」
「え、あー…と。あの様子なら…いずれ戻ってくるかも?」
那珂さんが場を離れたことで、巻きついた舌が緩み、口を動かせるようになった。しかし、残念なことに話の腰を折られ、萩風さんの勢いもへし折られていた。なし崩しに元の体勢へ戻ってしまった彼女を見ると、天を仰いだものか頭を抱えたものか、迷う。今の私にはどちらも許されないから、せめて溜め息だけ溢しておくこととする。萩風さんが口走った通りとにかく、タイミングが悪かった。
気まずい空気の中に、互いが目を逸らして暫く経った。先に口を動かしたのは私だった。
「私、妖精さんにお菓子をあげるのが、好きなんですよね」
「…はぁ?」
その発言に、大した意図があった訳ではない。那珂さんがそのうちに此処を再訪して、いったんこの場は終わりだ。その後、大救出劇の幕開けとなるだろう。其れまでにせめて少しでも、萩風さんと距離を縮めておきたいという願望とか、野望の類いにせっつかれて、またもや世間話を仕掛けたのである。何度目だと自問するーー私もつくづく懲りない男だ。
「可愛いんですよ。両手でしっかり持って、口いっぱいに頬張ってね?ハムスターを想像してもらえると、わかり良いかと」
萩風さんが訝しがる。先刻の2割増しくらいに両眉が近寄った。さすがに面倒くさそうだ。
「また唐突に……今度は、何の話?」
「ただの世間話です」
「……まぁ、もう良いです。ハムスターは、確かに可愛いですね」
そうでしょう、と首肯く。小動物に癒される人の心理特性など、今もって言及するまでもない真実である。ところで私は、妖精さんによるメンタルセラピーは戦場において、極めて重大な効を成すだろうと兼ねてから考えている。どなたか、そのノウハウを確立して頂きたいものだーー心が弱った時には何か安らぎが要るという点で、人も艦娘も同じである。
「お行儀も良くてね。貰いにきた子らは、ちゃあんと並ぶんですよ」
「ふぅん…」
「各々に好みもある。大概なんでも美味しそうに食べますが、食べ応えのあるものが人気です」
「じゃあ、ひょっとして買い出しリストにあったお菓子類は…」
その通りだーーちょっと得意になって私は首肯く。よくぞ気付いてくれました、と随分偉そうな科白が出た。
「お菓子食べ過ぎで、不健康だと思ってました」
「いや、流石に1人ではね。それはそうと、煎餅より甘い菓子が手堅いんです。中には辛党の妖精さんだっていますが」
「……妖精さんってお酒飲むの?」
「中には、です。宿主の影響でしょう。酒好きの艦娘もちょくちょくいる」
先程から遠巻きに此方を伺っている2人の妖精さんへ視線を向けた。あの子らも、彼女と共通の好みをもっているかも知れない。
「あの子……萩風さんと神通さんによく似ている。多分、好みも似通ってるでしょう?」
「どうかな…。あんまり、格納庫の外に出たがらないし。ご飯も、食べてるのかどうか」
「じゃあ例えば、萩風さんの好きな物ってなんです?」
「え。うーん?ぱっと思い付かないですけど…。強いて言うなら果物が好きですね。頻繁には食べないけど」
どんな感情であっても、しばらく経つと慣れがくるものだと人は云う。お化け屋敷みたいなアトラクションでは、客の歩く速度にうまく合わせ、5分から10分ごとに恐怖演出のピークを置いて感情の〝鮮度〟を保つようにデザインされるとか。彼女にも慣れが訪れたのかもーー会話は続いていく。
「そう云えば、ここの人らはあまり酒を飲まないですね」
「確かに、ごく稀にしか」
「良いことです。前の基地ではーー。ああ、いえ…」
「な、なんですか?」
艦娘は、人間より代謝が良いらしい。程度の差こそあれ、ほぼ全員がある程度酒に強いと思ってよい。彼女らに付き合うのは、相応の覚悟が必要だ。
前任基地の話。私が倒れ、仕事復帰の1ヶ月後のこと。ごく珍しい休日の暇に合わせ、飲み会へ誘われた。那智に千歳に隼鷹に…酒好きの艦娘を筆頭にして、基地の中でも指折りのうわばみたちが、私の快気祝いに託つけて飲みたいだけの会だ。酒はそれほど嗜まないがあんなのに着いていったのは、ひとえに奢りの誘惑ゆえーー失敗だった。
目覚めたのは執務室の椅子の上だ。ガンガン痛む頭を押さえながら、初めての経験に狼狽した。机には仕事をしようと試みた形跡があった。ミミズがのたくったような書き損じの書類と、意味を成さぬ文が綴られたディスプレイ。休日前に全部片付けて帰ったのは確かで、つまり私は、飲み会の後にここへ来て夜な夜な仕事を…。顔にへばり付いた書類を気にする余裕さえなくゾッとした。何一つ心当たりが無い。一体何が起きたのかとビクビクしながら1日を過ごしたのだが、幸い、特別大きな問題は起こしていなかったらしいーー同席した者から、昨晩の私がとんでもなく陽気だったことだけは訊いて知った。別れ際、へべれけの私が庁舎へ向かっていったから、何事かと心配したそうだ。止めてくれよ、と思った。あの恐怖体験以来、多くともビール中ジョッキ2杯までと決めてある。
「さっき思いましたが、萩風さんって健康的ですよね?食生活とか」
「健康でいたいでしょ?出来れば」
「しかし、今の時代……」
「時代のせいにしちゃだめです。お野菜しっかり食べて、動けば良いんだもの」
先回りで言い訳を潰された。蓋し正論である。
「海佐、野菜嫌いなんですか?」
「食べますけど…手間がね。楽なメニューありません?」
「手間…って。面倒なら野菜炒め。冬は鍋ものも良いです。作り置きして毎食火入れすれば楽ですよ」
魚釣りは早起きして行くくせに、と嫌味を添えられた。
「鍋か…良いですねぇ。萩風さんはもう誘われてますか」
首を傾げ、なんのことか問われた。赤城さんと話した鍋会は思い付きに毛の生えたような状態で、未だ大した具体性もない。もう決まりであるかのように、今度鍋をするのだと宣言して見せ、同時に、皆来ますからもしお暇でしたら萩風さんも…、と根拠の薄い誘い文句を織り混ぜてやんわり誘った。暇であろうことは重々承知、あとは彼女の気持ち次第だが、返答はにべもない。
「……別に、いいです」
「し、しかし。皆で親睦を深めるのも、大切かと。一緒にご飯食べましょうよ」
「親睦を深めて……どうするの?必要ですか、それ」
「え。そりゃあ…横と縦のつながりをより強固な物に…」
教科書にすら載りかねない決まり文句は、彼女の求める答えとは違うのだろう。必要か不要かと問われれば、恐らく後者だ。どうしても気に入らないのを嫌々参加させても、あまり意味はない。かと言って親睦会なる物に尤もらしい理由をつけるのは野暮な気がした。結局、参加した本人とその周りのが楽しいかどうかーー心の持ちようで全ての価値が決まるのだから「あったら嬉しいもの」以上にはなり得ない。
「と、まぁこれは…建前で。私は基地の皆さんのことを知りたいんです。堅いこと抜きに色々話して、なるべく仲良くしたいんです。勿論貴女とも」
「知って、仲良くなって……それで?どうせすぐ、いなくなるんじゃないの?」
「職業柄、転勤・転属は多いですが…。何も明日や明後日どうなる訳では」
自分で言っておいて後悔した。そういう事がのべつ幕なしに繰り返されてきたのがこの基地だ。普通なら、少なくとも3年くらいは同じ基地ないし駐屯地に勤続する。例の越川氏ですらそれには満たぬというから、彼女がそう言いたくなるのも頷けるが、いつか来る終わりを常に見据えて過ごすだけでは、些か寂しい。
「まぁ、あれだ…。ちょっと寂しいんですよ。せっかく同じところに勤めたのに話もまともにできないなんて。仲良くなって何かしたいんじゃなくて仲良くなるのが目的でしょう、食事会なんてものは」
「だから、それで…そこから」
「そこから…?」
「そこから、それから………」
彼女は私から目を逸らし、汚泥みたいに堆積した隅っこの暗闇に視線を溺れさせた。最後に小さく首を振って、苦しそうに目を閉じた。
「……萩風さん?」
「分からないです……自分でも何を言いたいのか」
「じゃ、話してみましょうよ。何かに悩んでいるならば、取るものもとりあえず口に出してみるのは大切です。そのうち、考えがまとまったりもするんです。さっきは悔しいとか、何とか」
悔しい、悔しい…と、彼女は自問するように繰り返し呟いた。舌の上で嫌いな食べ物を転がす様な苦い顔だった。今まで直視したくなかった何かを、ゆっくり吟味しているようにも見えた。
「私が初めてこの姿になったのは…民間の方の目の前でした」
「……え」
そうして淡々と、彼女は語り始めた。
***
意外にも、艦娘としての彼女はベテランの部類らしい。那珂さんの話にあった薩南諸島近海における大規模戦闘。そのきっかけとなったある事件を、彼女は経験していたのだという。
「前の基地で私は…中途半端な立ち位置にいました。弱くはないけど、特別強くもなくて。遠征に駆り出されて、近海の哨戒や簡単な偵察くらいならこなせる…ってそれくらい。兎に角、最前線で戦うことはありませんでした」
深海棲艦の脅威が認知されるにつれ、島を離れる者は増えるのが自然な流れである。しかし、生まれ育った故郷を捨てがたく思う心の動きも、至極まっとうかもしれない。漠然とした危機と愛する故郷とを心の内で天秤にかける惨い日々の中で、サンゴ礁の美しいある島に戦禍が降りかかった。
「○八○○。沖縄本島を迂回し南東から接近する深海部隊を哨戒機が捉えました。沖縄と本州を分断させるための小拠点を形成する狙いがあったのだろうと言われています。奄美基地所属の水雷戦隊が直ちに迎撃に向かい、これを撃滅しましたが、その日は……少し近かった」
件の島には、200世帯600人程度が残っていた。それはつまり、最低限の生活を営むに足る環境が保たれていたことに他ならない。小競り合いは度々起きていたが、少なくとも島から離れた場所でのことであって住民たちはまだ、対岸の火事を眺める気分でいられたのかも知れない。しかし、その日の戦闘が行われたのは島の目と鼻の先であった。さらにその直後、再び深海の小部隊が接近しているとの情報も入る。本格的な進攻作戦が開始されたのではという危惧から、一○○○には全島民に対して避難指示が発令された。
「しかし…。避難しろと言われて、はいそうですか、って訳にいかない人数です。かと言って、すでにその頃陸上型深海棲艦の存在は認知されていたから、のんびりするのも決して得策ではないと判断されました。手をこまねいていたら最悪の事態も起こり得る、と」
深海棲艦がのさばり始めたことで、水産・海運業は衰えざるを得なかった。なにせ、彼奴らにとっては護衛艦ですら〝的〟である。まして民間の旅客船は言わずもがなーー殆どが格安で売り払われたか、放棄されたか、解体された。隊の保有する足の速い艦艇をかき集め、鹿児島と沖縄を拠点にしていた海運会社の船舶を借用し、海上保安庁に協力を仰ぎ、なお足りない。あとは個人保有のオンボロ小型漁船を寄せ集めて十数隻。なんとか全島民を運びきれるだけの船を確保したのが3時間後だった。
「多数の船舶が固まって航行して、一網打尽にされては元も子もないので、6つの分隊をつくりました。沖縄基地から出発するのが3隊。奄美基地から出発するのが3隊。出港時間や航行ルートも少しずつずらす。当たり前ですが索敵力・対潜能力・防空能力のある護衛も必要でした。救助船の数が数なので、動ける艦娘には根こそぎ動員がかかって…。私もその中の1人として」
一四○○に第一分隊が出港、以降30分ごとに各隊後続していく。萩風さんは奄美側の第六分隊に所属していたという。その時刻、先遣部隊が既に敵艦隊の第2波と接触、交戦を開始していたため大回りの迂回ルートを通ったと云う。そこで私は、口を挟んだ。
「あの、ちょっと疑問なんですが…。当時はまだ、国内線の旅客機が撃墜される程に、敵艦隊の対空力は充実していなかったように思います。なぜ危険の多い海路を選んだのでしょうか」
「ああ…それ。島に雲が接近していたんです。表向きの記録には単に天候不良とありますけど、どす黒くて嫌な色のやつが」
「どす黒い…雲?鬼・姫級の近傍では、天候が荒れると聞きますが…」
「その時はまだ、表舞台には出て来なかったですけど、多分近くに居たんでしょうね。海が荒れるのと、空が荒れる……どちらも似たようなものですけど、全員が一辺に死ぬか、六分の一ずつ死ぬかと言われれば、少し違うように聞こえるでしょう」
萩風さんの言いぶりに、ふと鬼気が宿った気がした。目を逸らしてはいけない気がして、仄暗い表情を凝視し続けた。
「あぁ…その。本当に間一髪だった訳だ。たしか、そう、思い出しました。その事件、幸いなことに死者は無かったと聴いたことが」
しかし、萩風さんの暗い表情は保たれている。予定の通り、十全に任務を完遂したのは第四分隊までだ、と彼女は教えてくれた。
「住民たちは、居住地区ごとに搭乗する船を分ける手筈になっていました。ご近所さんの顔を確認しながらの方が、逃げ遅れや置いてきぼりの心配が少ないから。でも…」
一九○○。第五分隊から緊急の無線連絡が入ったのは、日が傾き始めた時分だった。ようやく住民の収容を終え、帰路につく直前である。
「1人暮らしの老年女性が行方不明、逃げ遅れた可能性がある」
彼女の家は、第六分隊が寄港した場所から見て島の反対側にあった。
お待たせいたしました。
暫く暗い雰囲気が。
2019/9/12
矛盾がありましたので、訂正致します。