現場での意見は割れた。
救助隊員の大多数は、島の反対側へ船をまわしてでも、その女性を回収すべきであると主張した。だがそれは同時に、今まさに第六分隊が救出せんとしている百余名を、以後数十分にわたって島へと縛り付け、それだけの危険にさらすことを意味した。
ならば救助船を新たに1隻回し、第六分隊は本来の任を果たせば良い、と言う者がいた。しかし、これにも待ったがかかる。何のことはない──救助船が足りないのである。仮にそれをどうにか調達出来たとして、緊急の第七分隊を新たに結成するとなった時、誰を配置するのかも問題だった──ただでさえ戦力の乏しい中、主力の者が敵艦隊との戦闘に出払っている状況である。強いて言えば、先んじて任務を終えた者たち──特に早い段階で帰港する第一・第二分隊あたり──に任せるのが自然な流れであろう。それはしかし、補給・休息のままならぬ過密出撃を強いることと同義である。おまけに当時、護衛を担当した艦娘たちには低練度の者が多く、緊張度の高い作戦の、尚且つ経験の少ない悪天候下の航海で、みな疲労蓄積著しい状態であった。無理な連続出撃は、これから育っていく筈の貴重な戦力を徒に減らしかねない、との見解は一致していた。
ならば──これはもう身も蓋もないのだけど──このまま避難を強行すべきである、という者もいた。直接口には出さないが、要するに、見捨てていくべきだ、と。
多方面からあらゆる批判を受けようかと思う。しかし、薄暗闇の沖合から砲火の轟音が鳴り響き、ひり付くような緊張感の中にあって、何処に居るかも定かでない老女のために、避難を遅らせろとか、関係の無い百人を危険にさらせとか言われ、易々と承服できる者は少なかろうと思う。回り込むために余計な燃料を消費してはいけない、と云う説得にも力があった。一般に、船の燃料消費は速度の三乗に比例するといわれる。出来得る限り早めの帰港を実現するためには、帰り分の燃料をなるべく多く残しておきたかった。
では陸路から、近所の自家用車を借りて彼女を連れて来てはどうか。じゃあその間、残された市民はどうするのか、港に縛り付けるのか、いったん家に帰すのか……と二進も三進もいかない。最後の判断は司令部に委ねられた。
「全てを救おうとすれば足元を掬われるんだ、って誰かが呟きました。すごく……嫌な雰囲気になって。でも私は反対しました。あくまでお婆さんを捜索をすべきで、せめて誰かが島に残るくらいはするべきだ、って」
「色々な考えがありますが……立派だと思います。それで、司令部は何と……?」
「折良く……と言うと失礼だけど。航空母艦1隻及び護衛の駆逐艦1隻が撤退中である、という情報が入ったんです。合流可能な距離で航行しているから、彼女たちを活用せよ、と」
艦載機の発着艦は困難だが、機銃や高角砲等といった対空兵装が辛うじて運用可能であるという。戦線離脱した彼女らを第六分隊へと合流させた後、対空要員として所属していた艦娘数隻が島に残って捜索を続ける。少々酷だが撤退時の対空はその空母たちに任せる。艦隊の防空力は幾分下がるが、悪天候下での空襲の可能性も然程高くないため、悪い賭けではなかった。
老女を保護して数時間持ちこたえられれば、何とか新たな救助隊を回すことが出来そうだったという。
「それはまぁ、妙案に思えますが…」
「そうです。妙案でした。何せ、敵性工作員を1人あぶり出せたんですから」
萩風さんは自嘲気味に笑う。今日初めて見た彼女の笑顔が、こんな状況においてなのは、どうにも惜しいことだ。
何となく、事の顛末が想像できた。敵性工作員とはつまり比喩というか、要するに萩風さん自身のことだろう。その島に残った艦娘のなかの1隻というのが、萩風さんだった訳だ。よりによってその折も折、この姿へと変貌した。しかもそれは恐らく、件の老年女性の目の前だった、と。
「近隣の方の自家用車を借りることが出来ました。男性隊員が1名、女性隊員が1名、艦娘が2名。うち1人が、私」
「……」
「片道30分のドライブでした。あんな状況だけど、風が気持ちよかった。綺麗な街だなって、平和になったら、また来てみたいな……なんて、ぼんやり考えていた覚えがあります」
「ああ、はい。多少は余裕が──」
「その時は、まだ、大丈夫だったんです」
ほの暗い予感を伴った無表情の声が、ギロチンみたいに私の言を遮った。一瞬和らいだ萩風さんの顔へ、反動をつけたように陰が落ちてきた。
二○○○。4人は島の反対側に位置する小さな集落へとたどり着く。数軒の家々を手分けして探した。萩風さんは、少し離れた場所にある平屋の小さな家を探していた。真っ暗だったが鍵がかかっていなかったため、もしやと思ったそうだ。
「あのお婆さんは、仏間で蹲っていました。受け答えは出来ますが動けない様子です。よく観察すると、足がかなり腫れ上がっているのが判りました」
避難の準備を済ませ、灯りも消していよいよとなった時。焦りのせいか暗闇のせいか、普段はつまづかないような小さな段差に足をとられた。兼ねてから骨が弱くなっており、足を折ってしまったらしい。大声で叫んだが家の立地のせいで、誰にも気付かれない。立とうにも立ち上がれない。這いずって外に出たとして、港までどれだけかかるか分からない。日が暮れたら、恐ろしい化け物が襲ってくるのでは……?せめて家の中に居た方が安全なのでは……?結局彼女は、誰にも気取られず取り残された。亡き夫の遺影に、ただひたすら祈っていた。
「お婆さんを背中に背負って、とりあえず皆に合流しようとしました。なるべく港に近い場所で待機した方が良いと思ったんです。家の外に出て、その時に……言われました」
「……言われた、というのは」
「〝ありがとう、白髪のお嬢ちゃん〟って」
改めて言及するまでもないが、平生、萩風さんの髪色は白ではない。奇しくも、その老女が言う「恐ろしい化け物」の姿をした者に助けられた訳だが、彼女がそれと気付くことはなかった。
「さっき……けほ。言われたことですけど」
「え……はい?」
「貴方が、さっき言ったこと。けほ。縦と横の繋がり? だ、大事だと思います。でも、けほ。でも、きっと私には……もう無理です」
「ど、どういうことですか……萩風さん?」
彼女の様子がおかしい。心なしか、息が荒い。
「私はあの時、こっ。心のっ、そ、底からっ、化け物ニ……し、深海棲艦なったンダと。けほ」
「ちょっと、大丈夫ですか? 萩風さん……? 萩風さん!」
「あ、あの時、かは。きっト、お、終わっタンです。私は、もう、マトモじゃなイんです」
ひょうひょうと、すきま風みたいな音が彼女の喉から聞こえてきた。同時に、萩風さんの澄んだ声にノイズが走りはじめた。
「私は、ひ、ヒどイパニックに、ナリました。喚いテ、掻キ毟って、お婆さんも、けほ。置キ去りに。その、う……けほ。そのうち、みんナにも見つカって」
「わ、わかりました……! もう充分わかりました! 話しちゃいけません!」
「み、みんな。私に武器を向けマした。ドうやって島に上陸しタんだ、とカ」
「萩風さん! どうか、どうか落ち着いてください……!」
「わ、私ハ……もう、バケモのなんデす……!そう、言われたんです…!」
解らない。今の話で萩風さんが〝心の底から〟化け物になったというのは、些か大袈裟な気もする。タイミングが悪かったのはその通りだが、事の顛末に、まだ靄がかかっている。
未だ語られていない部分があるに相違ない。かといって、話を続けることは無理そうだ。喉を押さえ苦し気に咳込む彼女は、すぐにでも明るい場所へ連れ出して新鮮な空気を吸わせてやるべきだ。
私には、それが許されない。ふと、視界の隅で何かが動いた。
「たいじょぶ!?萩風ちゃん。わっ……凄いにおい」
「は、萩風さん…!」
「あれ? 2人とも……ぐぇっ」
赤城さんと、那珂さんが現れた。どちらも深海棲艦の姿、薄暗い中でも目が光るので分かり易い。何故赤城さんまで、などと訊く前に、艤装の締め付けが強くなった。肺の中の空気が、間抜けな声と一緒にすっかり吐き出される。
「ど、どうしよう赤城さん……!」
「ええ、いったん落ち着かせた方が良いです。立てますか、萩風さん…?外で風に当たりましょう?」
彼女は頷いた。覚束ない足取りは病人のそれだが、那珂さんに肩を借りて何とかこの場を離れていった。後には、私と赤城さんと、妖精さん2人が残されている。
***
「ええと。那珂さんに事情を聞いて、さっき此処へ来たんですが。海佐は何と言うか……大変なことになってますね?」
「ええ、はい。お陰様で無事ですが。……なんとか、助けてもらえませんか?」
赤城さんは難しそうな顔をして、私の艤装だけなら何とか、と答えた。私の背もたれみたいになっているこの場で最大の艤装を指さした。
「是非お願いします。もう身体中べとべとなもので……」
「わかりました。では少々失礼して……」
彼女曰くこの艤装は〝乗りもの〟なのだそうだ。体の何処かが触れていれば操作が利くという斬新な艤装だと。赤城さんが艤装に手を伸ばすと、清々しくも拘束が緩んだ。
「おおぉ……! 開放感が…。ありがとうございます、本当に……!」
「ど、どういたしまして……?」
この筆舌に尽くせぬ感動は、きっと伝わらない。それでよい。私が最後であるべきだ。一頻り感動した後、赤城さんに訊ねた。
「それはそうと、萩風さんのことですが…。前に一度聞きましたね?私には、思いもよらないこと、とか」
「何と説明しましょうか…。あの娘も、頑張って向き合おうとしているのだけど。なかなか、折り合いをつけられないみたいです」
少し迷いながらも、赤城さんは教えてくれた。どうやら、萩風さんは味方に対して応戦したらしい。そして、互いの砲弾が互いに命中した、と。死者は出ていないという記録を信じるのであれば、砲弾が当たったのは萩風さんと共にいたという艦娘で、きっと無事だったのだろう。
「誰かが誰かを背負うのは、見るのも嫌だと言っていて…」
「はぁ…。私を殴り飛ばしたのは、そういう…?」
「まぁ、そうなのかな、と思っていたんですけど…うぅん」
赤城さんは、悩ましげな様子で頬に手を当てた。話を聞く限り、その老女の反応は割と好意的だ。深海棲艦の容姿が電波にのって、一般に知られたのは決して古い話ではない。察するにせいぜい「白髪の少女に助けられた、これが噂の〝カンムス〟か」くらいの認識だったのではないか。息が上手くできなくなるほどの心的外傷を負うには、幾分弱いような…いや、感じ方は人それぞれか。
──この件にはもう少し、深い根があるようだ。彼女はきっと、自分の心を整理して発信するのが苦手なのだ。自分でも何が言いたいのか判らない、と言っていた。赤城さんに話したことも、溢れてくる種々の感情も──勘違いされて悔しいとか、タイミングが悪かったとか──それらはきっとその時々で感じたものの片鱗でしかない。
「失礼を承知で言いますが。萩風さんはどうも、後ろめたいことを抱え込んでしまおうとしがちです。臭い物に蓋というか、そういう……心理の癖みたいなものが有る、と今日感じました」
それらを抱えきれるほどの強さは、まだないようだ。ひょっとしたら彼女は、自分の気持ちに蓋をしてやり過ごすことが、恒常化してしまったのかも知れない。それが高じて、自分の良心や、記憶にすら目を瞑っているのかも知れない。
しかし一方で、悩むことが出来る。現状を良しとしない向上心は、それだけで価値だ。彼女の腹の底に横たわったつまづきの大元が、あの事件なのだという確信めいた予感がした。然らば、私のすべきことはたった1つである。
背中を押してやる──それだけだ。前任基地で散々振り回されて、無礼られて、同じくらい懐かれたあの娘らと同じように、信じられない程の伸びしろと底力を彼女は持っているのだ。
少なくとも私は、そう信じている。
少々、スランプでした。