外で、吹雪が啼いている。室内に逃げ込んだ暖気を威嚇するように、建てつけの悪い窓をガツガツ鳴らした。ストーブの火を消してから多少経って、室内と言えど冷えてきているが、再点火のタイミングはすっかり逸してしまっている。
「やっつけ、た…?」
目をむいて聞き返せば、萩風さんは鼻をスンスン鳴らしながら頷く。彼女は、さっき台車に載せた黒い塊を指さした。
「艤装が…こう、なって」
「こうなった…とは?」
「う。わ、わか、判らないんですけど。いつの間にか、これが」
「置いてあった…?」
「いえ、そうじゃ、なくて……」
萩風さんは依然、あまり冷静でない。途切れ途切れにどうにかして声を絞り出している。ゆっくりひとつずつ聞き出すと、幾分奇妙な事実が浮かんできた。
まず、四方から砲口を向けられ硬直を余儀なくされた彼女は、武装を解除せよとの指示を受けた。素直に従って陽炎型の標準艤装を取り外す要領で、すわ、艤装に手をかけると、どうも普段と感触が違う。よくよく見れば、例の「腕型」が背に取り付いていたらしい。
「陽炎型のを……ずっと、着けたままだったのでは…?」
「その筈なんです。でも、見たら…これで」
深海棲艦の姿で、艦娘の艤装を装着したままでいると形態の遷移が起きる…?あまり、気分の良くない話だ。
艦娘の艤装はジョイントが備わっていて生体部分と区別がつきやすい。彼女らの艤装は、あくまで装備なのである。しかし、手足の様に自由自在に動かせることも事実である。
あの夜の那珂さん姿を見てから、艤装は艦娘や深海棲艦の体の一部なのではないか、との考えが強くなった。そして、体が変異する中間体ならば、艤装も変異する。有り得なくもない――むしろ自然なことにすら思えた。
「ええと………それから?」
「……言いました。外し方が解らない、って。でも…」
「まぁ、素直に聞き入れてはくれない、と」
「はい…。ふざけるな、って…言われて。けどっ。ど、どうしようもなくてっ。ホントに分からなくて…。あんなの、どうしようも……っ」
萩風さんは下唇を噛んで、悔しそうに項垂れた。
「それで、包囲を破って逃げた…?」
「いえ…。その時は、逃げ切れないと思いました。面子を見る限り、迎撃部隊の構成員だったし…」
「迎撃任務を完遂して、そのまま駆けつけた訳ですか…」
大した根性だが、彼女らは彼女らで、疲労が溜まっていたと思う。いつ敵の増援が来るかも知れぬ状況でピリピリしていてもおかしくない。萩風さんはまた、泣きそうな声を絞り出した。
「それで、あのおじさんが…。あの人が、言ったんです。その娘は、仲間じゃないのかって…。でも誰かが。誰かが、こいつは化け物だ、深海棲艦だ、って、応えたんです。それで……頭に血が昇って」
「………まさか」
「…撃ちました。1人ひとり、正確に。なるべく…急所を狙って」
寒い部屋の中で、しかし彼女は、じっとり汗ばんでいる。
「そのとき、本気で思いました。仲間に向けて、こ、殺してやるって…。目の前が真っ赤になって、気づいたら皆、倒れていて…」
「ほ、本当に……殺して…?」
「いえ…。息はあった…と、思います。死んでは、なかった…と」
身を焼くような怒りの次に、猛烈な後悔。例の男性、そして救助の自衛隊員たちの姿は、辺りにない。巻き添えを食わぬよう、迅速に距離をとったと見える。弁明の機会など無い。彼女はすぐに逃げ出して、それきりだそうだ。
波乱の救助任務は、最悪の形で幕を下ろしたのだ。尻に接着剤でも塗りたくったかのように、腰が上がらなかった。
「あ…ええと、その後は?普通に帰投したとは思えませんが…。まさか、この北陸まで自力で……いや、そんな訳はないですよね?ひょっとして他の基地に逃げ込んだ?」
「は、はい。他の基地へ…」
「一体、どうやって…?」
「邂逅艦、って聞いたことありますか」
「ありますが…?あ、なるほど、つまり――」
ある日突如として、港に現れる艦娘がいる。人類史上初の艦娘もそうだったのだが、何処から来たか訊けば大抵、「気付いた時には海上にいた」と答える。出自不明の艦は、かなり扱いに困る。軍事的機密の宝庫へ軽々に招くのは色々問題があるが、かといって、猫の手も借りたい情勢下に、新戦力は何がなんでも確保しておきたい事情もある。信頼に足るか否かを評価する方法が必要だった。
面白いもので、端からは初対面に見えても、姉妹艦は姉妹艦を識別できるようだ。特に縁の深い艦娘どうしに顕著で、萩風さんを例にするなら、先の大戦で第四駆逐隊に所属していた他3隻の駆逐艦娘が適任か。
要するに、まだ艦娘配備の黎明期であった当時は、姉妹艦に見分けてもらう、などという〝ざる〟みたいなやり方をやっていたのである。それ以外出来なかったというか、そんな手段を選ぶほど焦っていたというか。現在は艤装の適性検査で誰が何という艦なのか多少の見分けがつくようになってきた。
「新参者の振りをしたわけですね」
「は…はい、そうです。幸い、舞風と嵐が居て…」
「ちなみに、何処の…?沖縄方面の基地ですか?」
「神戸です」
「こ、神戸…!?薩南から、わざわざ…」
なるべく距離をおきたかった、というのが彼女の言だ。佐世保方面は距離的にも組織的にも近すぎる。佐世保地方隊隷下の大村、鹿屋、下関は無理。反対に横須賀方面は遠すぎる。呉方面と舞鶴方面で迷った。呉に行くとすると南からは瀬戸内海を、北からは中国地方を突っ切る必要がある。多少の距離があっても、海沿いに進めば辿り着けそうな舞鶴方面を選んだ。燃料節約のため、昼間は陸路を使った。時には公衆便所の個室に籠って朝を待つ。時には海岸の岩壁に身を隠す。公園の水道で喉は潤せたが、腹が減る。空腹で足元も覚束ぬ状態の彼女が、神戸へたどり着いた頃には、事件から10日経っていた。
「追いつかれるかもって…心配しましたけど。当時は今ほど、管理体制がしっかりしていなかったし…。それに」
「例の大規模戦闘が始まっていた…」
「はい。陽炎型駆逐艦が1隻いなくなったことを気にする余裕は、誰にもなくなっていたのかも」
そこからの彼女は、奇妙な運に恵まれた。
不思議なことに〝腕型〟は、またも陽炎型の艤装へと遷移していた。ただ、著しく〝馴染み〟が悪くなっていたらしい。砲撃の精度はガタガタ、速力などは本来の半分未満に落ち込んでいて、比較的鈍足な海防艦娘にすらわずかに負ける程だったそうだ。それ故、昼間の対潜哨戒任務を稀に任される程度で、専ら陸での基地警備を手伝った。中でも、基地内の警備室に常駐出来たことが、最大の幸運だった。煌々と灯る不夜城の光は2年もの間、彼女が夜陰に巻かれるのを防いだ。
「司令官が、とても優しい人でした。この基地に来られたのも、その人のおかげで…」
「それは良かった…不幸中の幸い、ですね」
「でも、私、あの人に嘘をつきました。夜が怖いから夜間任務は許してくださいって」
「あながち、嘘でもないでしょう?」
「いえ…私は嘘つきです。今も、昔も」
「……え、ええと、その、あれだ。かなり長い間、身を隠せていたんですね」
何をどうやっても気が重くなる話題だ。萩風さんは何かと暗い顔をしようとする。彼女の感情が追いついて来る前に、全て吐き出して貰うが吉だと思った。
「はい。でも、昼夜逆転って最初は辛くて。体調を崩した時期もありました。司令官ともあまり会わなくなって」
「ははぁ…そうですか。やはり人間、暗いときに寝るのがいっとういい訳だ」
思わず深い相槌を打った。夜戦こそ我がレーゾンデートルとばかりに毎晩毎夜はしゃぎ散らかす奴を間近で見過ぎて感覚が鈍っていたが、やはりアレはおかしいのである。
「まぁ、そうなのかな…。私…人間じゃないですけど」
「細かいことはいいっこなしですよ。私の前任基地で川内ってのがいましたが、昼夜逆転のパイオニアみたいな奴でねーー」
「………川内さん?」
「ム、ご存知ですか」
「神戸でお世話に…。あと、生前も何度か」
生前、とはまた奇妙な――あまり自分自身を指して話す言葉ではない。
「どんな感じでした?あの夜好きは」
「だいたい、海佐の仰る通りですよ。えっと……昼夜逆転のパイオニア?」
「そこはまぁ、良いとして。彼女がいるとなると、夜はおちおち出歩けないですね」
「………実際、川内さんに見つかったんです」
「え。あ、そうだったんですね」
「実力じゃ足元にも及ばないから、あっという間に組伏せられました。でも、私だって分かるとすぐ解放されて…。何か、事情を知っている風でしたけど」
「事情…?中間体の話を聞いたことがあったとか?」
「さぁ…。そこまでは」
少なくとも、彼女が神戸で2年過ごす間に、神通さんと赤城さん、更には那珂さんがこの基地へやって来ている。何やら薄ら暗い噂を耳にする機会もあったかも知れない。萩風さんも詳しくは知らないらしいーー首を横に振った。
「そこからは、あっという間でした。この基地への異動が決まって」
「それは随分…展開が早いというか」
「そうかも知れません。何故かその時、私はずっと……。ずっと司令を、あの人を憎んでいました」
聞き違いかと思って、すぐに訊き返した。
「ちょっと、待ってくださいよ……憎んでいた?」
「判りません。何故なのかわからないけど、顔をあわせるたびに、頭に来るようになって……避けるようになりました。ちっとも話さないうちにいつの間にか、此処への着任が決まっていました」
「しかしさっきは、良くしてくれたと……?」
「…そうなんですけど」
彼女は、また視線を下げて呟いた。
「たぶん、私はもう深海棲艦なんだって、思いました。人を憎むように、そういう生き物に…なったんだ、って。体だけじゃなく、心も」
「しかし、それは違うと思いますよ。今、私が憎いですか?津田さんは?これまでの司令官たちは?」
「で、でも…。顔を合わせるたびに…自分で自分がわからないくらい。凄く不安定になったの。嘘じゃありません…!」
萩風さんは一瞬口ごもったが、直ぐに言い返してきた。彼女が〝心の底から〟化け物になった、という発言の根っこは、どうやらこの辺りにあるらしかった。
「疑っているわけではないですよ?しかしね、だからといって、それが直ちに深海棲艦である証拠とは…」
「ほ、本当なんです。感情が昂って、少しのことでも気になって、思わず……。思わず、相手を傷つけてやろうかと考えるくらいに。自分を制御出来なくなりそうな。本当に……本当、なのに」
「ですからそれは……。それ、は――?」
何処かで聞いたような、いや、私自身ごく最近体験したようなことを、萩風さんは呟いた。
感情の昂り。制御を失いかけるほどの怒り。相手を傷つけてやろうかと――ぶん殴ってやろうかと――考えるほどの。鮮烈な記憶が――二度と思い出したくないくらいの〝アレ〟の記憶が――蘇る。
間抜けに「は」の口を保ったまま、たっぷり30秒くらい考え込んでいた。
「あの、どうかしましたか……」
「………萩風さん、その、ええと、その後。不安定になった、その後は?どうしていましたか…?まさか一発ポカンといくわけでもあるまいし」
「顔を合わせなければ……割とすぐ収まるんです。少し頭を冷やして」
「ふむ…顔を、ね…?」
やはりそれは、憎しみと言えるほど深いものではない。突発的で、条件反射的で、一過性の何か――ひどく、身に覚えのある何かだ。
「ヒトミさんと那珂さんには、何故か、私の思考が筒抜けだそうですよ」
「は、え………な、何を」
「ええ、はい。そういう反応になるのも無理はないと思いますが、先刻のようにトチ狂ったわけじゃありません。一旦聞いて下さい」
順を追って話す。ふたりの記憶を追体験したことも、全て包み隠さず教えた。萩風さんは情報を咀嚼するのに必死なようだった。
「……俄には信じられませんけど、一応、理解はしました。それで、そのことが何か…?」
「つまりですね?貴女がその司令官を憎むようになったのは、それに類似の原因があるのでは、と思うんです。神戸の基地司令官は、見た目深海棲艦の貴女に対して、どんな感情を抱いていたんでしょうか」
「そ、れは…」
「嫌なことを言いますが、良くは思われていなかったかも知れません。それが、貴方に伝わっていた。正体不明の不快感は、向こうが抱いていたものだった」
「……そんな」
思い切り落ち込ませてしまった――前任基地の司令官を少なからず慕っていたようだ。
「そしてもう一つ。薩南の島での救助任務。包囲されて、激昂した。あれすら、同じ現象の可能性がある」
「でも、私、は…。仲間を…」
「ええ、その通りです。理由がどうあれ、やったことは消えません。その後、他の基地へ逃げ込んだということは、保身の気持ちがなかった訳でもないんでしょう。しかし――」
しかしこの場合、大切なことはその先にある筈だ。
「貴方はその分、たくさん後悔して、たくさん苦しんだでしょう?帳消しには出来なくったって、前を向いて生きることは出来ると思います。少なくとも貴女は、人を憎む生き物になったのではない。繰り返しになりますが……一生を日陰で生きていかなければならないほど。一生、自分を罰し続けなければならないほど、寂しい人でもない……私は、そう思います」
一晩考えさせてください、と言い残し、萩風さんは事務室を出て行った。実は3割、いや、半分くらいが祖父の受け売りであった。
最近、すこし寒いですね。
PS
アーケード萩風さんゲキマブで直視できません。
2/19
「神戸」と書くべきところが「舞鶴」になっておりましたので、訂正しました。