サルベージ   作:かさつき

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お待たせしております。


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 いつもより静かな朝食。この基地の隊員たちは、必ずしも饒舌でない。しかし今日は、それに輪をかけて静かだった。毎朝たいていは、那珂さんか赤城さん、或いは津田さんの辺りから雑談が膨らみ始めるのに、3人は神妙に考え込んでしまっている。ヒトミさんはいつも物静かだし、瑞穂さんは自ら話題をふる人ではないし、今日も朝食に顔を見せている萩風さんはどこか所在無さげに小さくなっている。落ち着いた雰囲気は、まぁ良しとして、だが、折角顔を付き合わせての食事時に、聞こえるのが食器の音だけでは寂しい。ここは私が何か肩の力の抜けるような話題を、と足りない頭をしぼっていたら、赤城さんが小さめの声をあげた。

 

「津田さんはこの件、上に報告を?」

 

 それを合図に、部屋の空気が少し張りつめた。全員の視線が一点に集まる。珍しく彼は口ごもって、居心地悪そうに目を泳がせている。この件、とはつまり私の体に起きた異常のことだ。

 

「まあ、ねぇ。ど、どうなんでしょう?こんなのは初めてでして、ええ」

「今までの方のことを思えば、少し待ちたいように思います」

 

 こういうとき、瑞穂さんがいの一番に意見するのは珍しい。彼女は牽制球を投げたのだ、と私は解釈した。津田さん、というか、その後ろにいる例の海将への牽制球を、だ。

 

「ん、んん。そうですね、ええまぁ」

「今までの人を思えば、って……なに?」

 

 知りたくないし、聞きたくないのに、自然と察せられてしまうーーそういう憂鬱な感情を滲ませた語調で、那珂さんは問いを投げ掛ける。瑞穂さんは、言葉を濁すのをやめた。

 

「……今までの方々のように、何処かしら体に不調を訴えれば、すぐにも〝依願退職〟の準備が整うことでしょう」

「で、でも。でもさ、いくらなんでも早すぎだよね?」

「最高記録更新ですね」

「要らないよ、その記録……」

 

 瑞穂さんが、苦い表情を見せる。那珂さんは、チラリと私に視線を移してから俯いた。

 

「……あの、司令は体、平気なんですか?」

 

 今度は萩風さんが、おずおず訊いた。頭はボンヤリしているが肉体的な辛さはない。本当に、見た目が変わっているだけだ。私は少し考えてから答えた。

 

「しんどくはないですよ?少し頭がぼーっとする感覚がありますが、頭痛というほどでもないし」

「ぼーっとする、なら、その。ただの風邪、とか」

「……風邪、ねぇ」

 

 数日で髪が脱色してしまう風邪なんぞが日本に流行れば、パニックさえ起こりそうだ。萩風さんは妙なことを言ったと自覚して、眉毛を変な形に歪めて黙りこんだ。

 今度はまた、瑞穂さんが声をあげる。

 

「私には、貴方が……何と言いましょうか、その……深海の――」

「み、瑞穂さん…!止めようよそれは、なんかさ」

「ええ、そうですが、やはりどうしても」

「待ってください。別に大丈夫、ですよ?さっき言った通り、体調は何も…」

 

 ――深海、か。

 なるべく考えないようにしていた。しかしこの場の皆が、間違いなく感じていることだと思う。さっきから誰も、私とまともに目を合わせてくれなかったからだ。部屋の空気が悪くなったように感じて、思わず弁明していたが、瑞穂さんの考えは変わらないらしかった。

 

「それがむしろ、異常ではないかしら?こんなに血色の悪い方を見たら、大抵の人は病院に行くことをすすめます。提督の在り方が、根本的に変容してしまったとしか――」

「もういい……!」

 

 那珂さんが、きつい口調で瑞穂さんの言葉を遮る。

 

「しかし…誰が原因でこんなことが起きたか、とか」

「いいよそんなの…!やめよ?考えるのやだ」

「……其処はとりあえず、おいておきましょう」

 

 見間違いだと思うが、瑞穂さんの口角が一瞬、僅かにつり上がった気がした。

 

「結局最初の話に戻りますが、今後、どうしますか?」

「先刻に貴女が言った通り、一旦、報告は控えます」

 

 赤城さんが場をとりなし、津田さんは食後のコーヒーを飲み干して、問題を先送りにする。

 

「では私、今日は格納庫へ行きますね。何かあれば教えてください」

 

 赤城さんは席を立ち、私に会釈した。発着艦訓練の話は暫く保留だが、艦載機の整備は万全を期しておくとのこと。那珂さんが沈痛な面持ちで立ちあがると、萩風さんもそれに倣った。瑞穂さんが全員分の食器を洗ってくれるというので、私は甘えることにする。流し台に自分の使った皿や箸を並べると、ヒトミさんが私に耳打ちした。

 

「何とも、ない…ですか?」

「はい…?ええ、先ほどもお伝えした通り」

「うん…良かった。うん…」

 

 彼女は、すっかり色の落ちた私の手をとって矯めつ眇めつし、頷いた。

 

 ――薄桃色の唇に目が行く。

 

 今朝の夢を思い出して、何とも言えない気分になった。こういう時は体を動かし、邪な妄想を速やかに健全なエネルギーへと昇華するべきである。自室に戻り、畳んであった着替えのシャツとタオルを引っ掴み、トレーニング室へと向かう。

 このとき、違和感に気付くべきだった。思考が筒抜けならば、あのいかがわしい夢の内容を想起した時点で、もうヒトミさんに伝わっているはずなのだ。このときのヒトミさんは、あまりにも無反応すぎた。

 

 

***

 

 

 トレーニング室には先客がいる。Tシャツ姿の那珂さんが居て、ベンチプレスに勤しんでいた。汗を拭くために彼女が上体を起こした時、初めて私が来たことに気付いたらしかった。

 

「……やっほ」

「どうも」

 

 仮にも上官へ向けての挨拶が「やっほ」である。今さらだけれども、緩い隊紀があったものだ。内心苦笑しながら、私は自分の仕事に取りかかる。一目見たところ、那珂さんはかなりの強度でトレーニングをしている。朝食後、さしたる時間は経っていないと思うのだが体は充分に温まっているのだろうか。

 

「寒いときは、ちゃんとウォーミングアップしないと、関節とか靭帯とか、危ないですよ?」

「入渠すれば治るもん。海佐とは違うから」

「それはまぁ、そうなんですが」

 

 那珂さんにしては珍しく、少し突き放すような口振りだった。きっと彼女も私と同じで、色々なことを頭から追い出して、汗を流したかったのだと思うーー追い出す内容の深刻さは、あちらとこちらで対照的なのが恥ずかしい。

 2人は暫く無言で体を動かした。15分ほど経った頃、那珂さんがおもむろに立ち上がって、傍らのスクイズボトルに手を伸ばした。うがいするみたいに天井を仰いだ彼女の口めがけ、琥珀色の液体が気味良く流れこむ――どうやら麦茶らしい。引き締まった人がやると、とても爽やかで絵になる仕草だと思う。私の視線に気づいた彼女が、ボトルを持った手をこちらに真っ直ぐ突き出して言った。

 

「飲む?」

「あ……失礼。大丈夫ですよ。自分のを持ってきましたから」

 

 事務室の食器棚の奥にしまってあった水筒を示す。昔この基地に所属していた艦娘の忘れ物らしい。丈夫で沢山入るし、飲み口もついた上等な品だが、持ち主不詳でそろそろ処分するという。勿体ないので借りることにした。

 

「……そっか。汚いよね、回し飲み。うん…。また、変なのが混ざっちゃうかもだし」

「え?いや、そうまでは、思わないですけど……?」

 

 ごく普通のことをごく普通に返しただけのつもりだった――しかし、那珂さんは何やら落ち込んでいる。また変なのが混ざっちゃう、という言葉に引っ掛かりを覚えた。

 

「さっき、瑞穂さんがさ…。言ってたよね。誰のせいで、こんなことに」

「ああ、言ってましたねぇ。確かに原因究明は大切ですが、犯人探しにあまり意味はーー」

 

 彼女は暗い顔をして、首を横にふった。

 

「もうほとんど、わかってる」

「は…?」

「私……と、ヒトミちゃんと。あと、ひょっとしたら萩風ちゃんかな」

 

 そういって彼女はベンチに腰を下ろした。那珂さんの沈鬱な表情を見ていると、嫌な気分になる。血液に油汚れを注射されるような不快感。目に見えぬ悪いものが、体の中心を目掛けて侵食してくる。

今の私が感情を受け取りやすいなら、これは彼女の感情でもあるのかも知れない。

 

「なぜ、そう思うんです?」

「私が……私たちが、記憶を埋め込んだ…って。この前宿直室で話してたよね」

「ええと、つまり皆さんの、ええと……深海棲艦的な要素?……が、そのとき混入したと」

「だって、そのときくらいしか、考えられないし……」

 

 それはいささか、想像力が豊かに過ぎないだろうか。だいたい、あの話はあくまで仮説である。

 

「確かに、萩風さんの〝記憶〟も見ましたが…。でも、白髪になった日と夢を見た日じゃ、ちょっとタイムラグがあったんです。原因は其処じゃない筈だ」

「うーん……じゃ、逆にどんな原因があるわけ?」

「いや、そこまでは……」

 

 彼女は悲痛な顔で、しかし、真っ直ぐ私に反論した。

 

「私、そんなに楽観的には考えられないよ。やっぱり、私たちのせいだって、一番可能性があると思う」

「……仮にそうだったとして、証明できません」

「……そうじゃなかった、とも証明出来ないよね?」

 

 意地の張り合いで、少しだけ空気が張りつめた。暫くはお互い睨みあっていたが、やがてどちらともなく目を逸らした。こんなことは、不毛だと知っている。それよりも、これからどうするのかを論ずる方が建設的だ。多分那珂さんも同じことを考えている。

 

「どうすれば治るのかな……」

「混ぜられたのが本当なら、反対に吸い出して貰う、とか」

「どうやって?一度混ざっちゃったものを取り出すのって、結構難しいよね」

「ん、むぅぅ……」

「治すっていうのは、現実的じゃない、のかな……」

 

 とりあえず、何の結論にも至らなかった。仕方なく、各々のトレーニングに戻る。暫くの間、白髪染めが必要になりそうだ。この年でそんな物を都合せねばならないことに、幾らか落ち込んだ。

 

「お姉ちゃん……ひょっとしたら、何か知ってるかも」

 

 ふと、那珂さんは呟いて、トレーニング室を出ていった。それ以降昼食まで、私は1人寂しく汗を流すことになる。午後は津田さんに外出届けの決裁印を求められただけで、何らの事件もなかった。

 

 

***

 

 

 白いシャツは、早めに洗わないと不潔な黄ばみが出る。この寒さの中、上半身裸になるのは辛いところだが、上官たるもの、いつ如何なる時も清潔感が求められる。

 終業後の午後6時。汗を吸って重くなったシャツを抱え、底冷えする洗濯室にやって来たのがつい先ほどのこと。1つしかない洗濯機にシャツを放り込んで体を拭く。替えのシャツを着たところで那珂さんが現れて、私の後を追うように洗濯物を滑り込ませた。

 

「私さ、柔軟剤のにおいとか結構好きなの。だから、洗濯はなるべく頼まれたい質なんだけど」

 

 ぐるぐる唸る洗濯機に体重を預けながら、那珂さんは切り出した。そういえば、彼女の艤装に上着を汚されたときと、格納庫から救出されたとき、2回の追い剥ぎ行為を受けたが、あれにはそういう意味があったのか。

 

「瑞穂さんといい、那珂さんといい、この基地の人たちは世話好きなんですね?」

「んー……そんなじゃないんだけど。なんかさ。においフェチ?なのかな、海佐はどう思う?そういうの」

「どう、って……ええと。干したての布団のにおいは好きですが」

「まぁそうだろうね…うん」

 

 他愛のない世間話にしては、彼女に動く気配がない。此処は寒いから談話室で、などと言い出す間もなく彼女は洗濯室の扉を閉めてしまった。何か人には聞かせられない相談事でもあるのだろうか。

 

「そういえばさ。萩風ちゃんが、潮風の香りって言ってたよね。ほんとかなぁ?」

「え?…いや、それはただ、汗臭いだけでしょう」

「…そっか。ねえ、この間の神経衰弱、私勝ったよね?」

「あぁ、はい。そういえば。……出来る範囲で、ですよ?」

 

 何でも云うことをきく、とか無謀な約束をしていた。私は先回り釘を刺しておく。

 

「じゃあ、お願い」

「何でしょう……」

 

 身構える私に向けて、彼女は小さく言い放った。

 

「大きな声を、あげないで」

「はい?……っ!?」

 

 突然、彼女は強烈な力で、私を壁へ押し付けたのである。

 

「元に、戻りたいよね?」

 

 私の耳もとで彼女が囁いた。彼女の吐息が吹きかかって、首筋にぞっと這い上がるものがある。

 

「も、元に?いったいーー」

「さっき考えてたよね?この年で黒染めやだなー、とかってさ」

 

 両手首を固定され、びくともしない。情けないが本基地の腕っぷし番付において、私は津田さんと最下位争いをするくらいに軟弱だ。艦娘のーー那珂さんの力には一切敵わない。

 

「吸い出すのが無理ならさ。逆に、混ぜちゃおっか」

「な、何を……?」

「私の髪、あっちの姿になっても黒いでしょ。私のこと、混ぜてあげたら、海佐の髪も黒くなるかも。見た目だけは、元に戻るかも」

「ま、待ってください、そんなーー」

「口から……で、いいのかな。色んなところ、試してみる?」

 

 手首が、更に締め付けられる。本気で力を込めても、一切動かすことが出来ない。ほんの15センチまで、2人の顔が近づく。また耳もとで、那珂さんは囁いた。

 

「じょーだん」

「やめっ……はぁ?」

 

 ふ、と彼女の手から力が抜ける。私は、彼女を睨みつけた。

 

「質が、悪すぎます…!」

「ごめん、ちょっとね」

 

 那珂さんはまた踵を返す。何がしたいのか解らないが、足音を殺して歩いているように見えた。ゆっくりと扉に近づくと、手をかけて、勢いよく開く。

 

「何してるの?瑞穂さん」

 

 その先に、瑞穂さんがいた。

 

「っ……あぁ、いえ、別に何も。話し声が聴こえたので」

「ふぅん、そっか……」

「ええ。ではこれで」

 

 瑞穂さんはそそくさとその場を離れていった。その後しばらくの間、那珂さんは廊下の闇を見つめていた。やがて振り返ると、声を潜めて私に訊いた。

 

「瑞穂さん、さ。今朝からおかしいよね?今も私たちの様子を窺ってたみたいだった」

「それなら止めてくれればよかったのに」

「正にそうだよ。何で今のを止めないの?私、とんでもないことしてたよね?」

 

 皮肉のつもりだったが、那珂さんは真剣な顔で私に同意した。私にはまだ、彼女の云わんとするところが判らない。

 

「だからさ。海佐を襲おうとしたんだよ?力ずくで……えっと……しようとしたわけ、私。しかもその目的は〝混ぜる〟とかってさ。それを止めなかったってことはつまり」

「……瑞穂さんを、疑っているんですか?」

 

 今度は、私が声を潜める番だった。那珂さんは険しい表情で首肯する。

 

「さっき瑞穂さんにね、声かけられた。今の海佐は、素敵だって」

「素敵?今の、私が?」

「うん。私たちと同じになったみたい、ってさ」

 

 素敵、か。違う文脈でなら、これ以上なく嬉しい言葉なのだが。

 私は沈黙する。仮に瑞穂さんが何かの悪だくみをしていることが事実だとしてその目的が判然としない。彼女は、私から目を逸らし小さな溜息をついた。

 

「言い訳がましいけどさ。さっき、あんなに強くするつもりなかったんだよ?」

「……それはそれは」

「本当だって。でも、貴方の香りで急に抑えが利かなくなった。本当に、潮風の香りがしたから。頭のなか、真っ白になって、さ」

 

 彼女は一瞬、私の顔色を窺った。眉間にはしわが寄って、眉毛は妙な形に歪んでいたと思う。幾分ばつが悪そうに、彼女はもう一度目を逸らした。

 

「瑞穂さんだけじゃない……私にだって、そういうところがある。吊るし上げたい訳じゃないの。でも、明らかに良くないことが起きてる。目的はわからないけど、もしも瑞穂さんが怪しいなら、やっぱり疑うべきだと思う」

 

 悪いことを、悪いといってあげなけりゃ、仲間に悪い――。

 そういえば、祖父がそんなことを言っていたか。

 




ううん、何だこれ。
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