大変な状況ですが、皆様何卒、体にお気をつけください。
何かとストレスの多い年末に、本稿を数分間の暇潰しに利用していただけましたら、幸いです。
遠目に映る格納庫の扉から、か細い光が漏れている。まだ中で誰かが作業をしているらしい。雪交じりの土を踏み慣らしながら、我々はその光へ向けて歩を進めた。
「神通さん、やっぱり目が見えているんですかね?」
「え……。なんで?」
「だって今、本を読んでいたでしょう」
部屋から出た後、すっかり押し黙ってしまった那珂さんに、世間話のつもりで尋ねた。彼女は薄闇に怪しい光を放つ目を、少し細めて笑う。
「あぁ、あれか。あれはね、点字で書かれた本。内容は誰かの歌集、だったかな」
「点字の?そんなものがあるんですね。知らなかった」
「私は意味を読みとるだけで精一杯だったけど、お姉ちゃんは結構すらすら読めるみたい。挿し絵とかも凸凹してて面白いんだよね」
ふと、彼女が考え込むように言葉を切った。
「あの本……そう、思い出したんだけど……その初代司令官の……時安さん?が、出ていくときに貰ったって言ってた。調べたら結構良い値段のやつでさ」
「へぇ……?」
普通、逆ではなかろうか。旅立つ側へ餞別を贈るのが世の習わしだーーと思っていた。これには那珂さんも同意見の様子である。
「やっぱり、おかしいよね?逆だよね?」
「まぁ……皆無ではないでしょう。世話になった礼に、個人的な贈り物を……?」
「上が下にお世話に?キリないよね、それ言い始めると。まだ当時、お姉ちゃんと赤城さん以外の艦娘も2人か3人くらい残ってたんだよ?同じくらいの階級で、とか、同じ部署の人に、っていうなら分かるんだけど」
「同じ部署、と言えなくはないですけどね?この距離感は多分、そんじょそこらの事業所なんかには負けないくらい濃密ですから。或いは、時安さんが特別、細やかな人だった、とか」
「んん……赤城さんか津田さんに訊いてみようか」
赤城さんは今日〝夜の散歩〟に当たっている筈だから、今あの場にはヒトミさんが残っているのであろう。津田さんは既に自室へ帰ったようだし、話が訊けるのは明日以降のことになる。自分の吐き出す白い息を眺めながら、那珂さんは呟いた。
「ね。時安さんとお姉ちゃんって、やっぱりそういう関係だったのかな。男と女っていうか……」
「でしょうね。神通さんの話では……まぁ、ほら。あんなことをやった訳ですし。少なくとも彼女の側が、特別な感情を抱いていたのは間違いないでしょう」
「でも片方が、もう片方を残して出てっちゃった……って、何かドラマみたい」
仕事の都合と一言で片付けようとするのは、いかにも風情がない――かといってそれが現実なのだろう。私は、そういう大人っぽくてビターな味わいの別れにとんと縁がない男なので、感情移入もしづらかった。
「お姉ちゃん……今回の犯人も同じ気持ちかも、って言ってたね」
「ふむ。あれは、適当なことを言って、はぐらかしただけのような気も……?」
私の進言を、しかし彼女は、大いに首をふって否定した。
「お姉ちゃんはさ、言いたくないことは言わないんだけど、嘘とかごまかしが、あんまり上手くないから。適当言ってるんじゃないと思う。多分、そこそこ確信をもってるのかも。そうじゃなくても、今回のことが他人事に思えないくらい、時安さんのことを引きずってるとか」
「確信、か。同じ気持ちとは……どんな気持ちでしょうね」
「それは、まぁ。その人と別れたくないっていうか……っ?」
格納庫の5メートル手前で、那珂さんは急に立ち止まった。つられて、私も歩みを止めた。彼女は、ぶつぶつと独り言を呟きながら、顎に手を当てて考え込む。
「今朝、依願退職の話持ち出したのは、瑞穂さんだよね?」
「ええ、確か」
「何か……どっちも矛盾してない?お姉ちゃんのやったことも、今回のことも」
私は、那珂さんの言う意味を考える。神通さんと今回の犯人ーーそれぞれが、同じリスクをおかした。司令官の首がすげ変わってしまうリスクを、である。対象を基地に留めたいと思っているにもかかわらず、確かに、心身の不良による退職を早めたようにも見える。
「しかし、基地司令官なんて、いずれはいなくなる訳で。せめて少しでも長く…………あ」
「ん……どしたの?」
其処まで口に出して、ふと、思いついた。
「那珂さん、怒らずに聞いて欲しいんですが……。この基地を作った黒幕がいたとして、その人は……中間体のことを都合の良いモルモットか何かと考えている節があります。ただでさえ解らないことの多い艦娘の中でも、更に稀少な存在。巧く扱えば利権を生む。だが、切ろうと思えばいつでも切れる」
那珂さんは暗がりでも分かるくらいに顔を険しくしたが、何も言わずに私の次の言葉を待つ。
「そういう薄汚れた欲望を、ひょっとしたら、神通さんや今回の犯人は見越していたのでは…と今、思いました。利用しようとした、とも言える」
「利用……どんな風に?」
「今の私の容態を見れば、私が皆さんのような……正体不明の中間体になったとも見える。この国の何処かに、それを面白がる人間が……或いは、いるのかも知れない。もしかしたら、更なる新種のモルモットが一匹増えた、とかそんな風に考えてくれるかも知れない」
「なに、それ。……やな感じ」
この基地が、大がかりなケージであるとすれば、今の私は実験動物だ。外から勝手に転がり込んで、勝手にデータを提供してくれる――あまつさえ、勝手にこの基地を守ろうとしている――大変都合の良い実験動物。
「実験動物、というのは言い過ぎにしてもです。せめて、興味深い観察対象くらいに落ち着いてくれれば、それで良い。彼女たちと正真正銘、同じ立場――この基地の一員にしようとした、と」
那珂さんは暫く顎に手を当てて難しい顔をしていたが、やがて顔を上げた。
「まぁ……ひょっとしたら、そういう理由もあるかもだけど……」
「……何か、引っ掛かりがありますか?」
「う、んん。わかんないけど……んー」
確固たる自信はないようだが、必ずしも納得はいかないらしい。
「なんかちょっと、回りくどいかな……?ここまでするなら、もうちょっと切実な理由があると思うんだ。わざわざそんなことのために、お姉ちゃんがあんな…。感情的になったのが、納得できなくてさ」
「……なるほど。大なり小なり企みがあったとしても、それが主目的ではない、と」
「そうそう。ついでに、こうなればいいなー、くらいでさ」
那珂さんは眉間に寄せた皺をのばして答えた。私が未必の故意、という法学用語を思い出していると、彼女は1つ、くしゃみをした。寒空の下、少し話し過ぎてしまったようだ。我々は北風から逃れるため、まだ明かりの灯る格納庫へ身を隠した。
***
「む。赤城さん?」
「こんばんは。お2人とも」
格納庫には赤城さんがいた。整備員の妖精さんに教えられながら、電動工具を分解してメンテナンスをしているところだった。彼女が自室から持ってきたのであろう電気ストーブの隅っこをお借りして、我々2人は冷え切った手のひらを温めた。
「まだやっていたんですね。お疲れ様です」
「ええ、そろそろ区切ろうかと思っていたところです」
「たしか今日は、夜のシフトに入っていませんでしたか?」
瑞穂さんでシフトは一周し、彼女の番になるはずだが。
「整備員さんの調子が好かったので、なるべく進めておきたくて。ヒトミさんと代わってもらいました。幸い1日違いなので大きな影響はないか、と……」
赤城さんは顎に手を当てて、少し考え込んだ。やがて顔をあげると、申し訳なさそうに一礼した。
「すみません。許可もとらずに、勝手な判断を。どうも今までのやり方が抜けず……」
「1日違いなら、大きな影響はないんでしょう?それならそれで良いと思いますが」
判断とは、責任とも言い換えられる。赤城さん自身を守る為にも、私が許可を下すという「形」が必要だ。いま、彼女は私の面子を立ててくれたのだと思う。
「突然なんですが。初代の司令官のこと、どれくらい知っていますか。時安さん、でしたっけ」
「初代の?どれくらい……と言いますと」
「例えば、為人とか、誰と親しいとか」
「うーん……。わりと無口な人、でしたね。余り目を合わせてくれなかったです。でも、時折視線を感じました」
彼が転出するまでの数ヶ月の付き合いで、互いに深入りしなかったそうだ。ただ少なくとも、悪い人間でないことはわかったと言う。神通さんや津田さんとは、親しげに話しているのを時々見かけたらしい。彼の妻が海で亡くなったことも2人を通じて知ったということだ。
「あの、それが何か?」
「いやね。先ほど…色々…神通さんから…。いやはや、何から話せばいいのか……」
神通さんと初代司令官の間に起きたことは、赤城さんも初めて聞く話であるらしかった。途中からは整備の手を完全に止めて、我々の話す一語一語を注意深く聴いていた。
「なるほど、それで此処へ……」
「ええ。藁にも……というか、妖精さんにもすがる思いで。参考までに訊きますが、神通さんの動機……なんだと思います?」
赤城さんは困った顔になって、作業の手を止めた。那珂さんがキョロキョロと辺りを見回して、格納庫の奥へと分け入った。どうやら妖精さんを探しに行ったようだ。
「那珂さんにも想像がつかないのでしょう?私に神通さんのことは……。う、んん…」
「じゃあ、今回のことでもいいんです。何か小さなことでも」
「……瑞穂さんが怪しい、という話だったかしら」
「ええ、まぁ」
「それこそ、私には……。そうですねぇ」
赤城さんはもっと困った顔になった。しばらく悩んで、ふと顔をあげた。
「この間、何だか様子がおかしかったの覚えておいでですか?ほら、私が秘書艦だった日です」
「覚えてます。ため息をついて、何か悩んでいたような」
赤城さんは首を横に振った。
「あの日あの後に、瑞穂さんに声をかけてみたのですよ。何かあったのか、と。でも何も教えてくれませんでした。笑って誤魔化されるだけで。既に申し上げましたが、1人で抱えてしまいがちなのです。彼女」
「……そうですか」
「確か、もっと前にも……こんなことが。いつでしたか、あれは…」
彼女が何かを思い出すように眉間を撫でていると、那珂さんが戻ってきた。
「どうでした?」
「…っかしいなぁ。いつもは艤装の辺りでボーっとしてるのに」
那珂さんは頬を掻いた――神出鬼没の妖精さんも、大抵この時間帯には、格納庫に帰ってきているとのこと。しかしこの間、彼女が私の部屋へ訪問したときも夜であったが。
「たまたま、お出かけ中なのでは?」
「んん。今迄は、何の目的もなくウロウロするところは見たこと無いんだよね。あ、でも、たまーに夜間哨戒にひょっこりついて来てることはあったけど」
「ふむ。では今夜はヒトミさんに、と」
無駄足になっちゃったね、と那珂さんは落胆して見せた。結局、大した成果を得ることは出来なかった。赤城さんの片づけを手伝い、3人で格納庫を後にした。
さぁ、これから。
ps.
イベント終了しました。
勇ましい竹ちゃんが好きであります。