瑞穂さんは雪を踏みしめて歩く。先日とは進む方向が反対だが、彼女にこの道を運ばれるのは2度目である。いや、勿論その様相は違うのだが、何にしても大の男が情けないことだ。先刻から言うことをきかず、プラプラ情けなく揺られる身体が、情けなさに拍車をかけている。私が恥じ入っていると、彼女は笑って首を振った。
「実は、3度目なノデすよ」
「ほう、覚えがないが……。ああ、私が行方不明になったという」
「ゴ名答です」
彼女に串刺しにされてしまった私は、あろうことか、串刺しのまま雑談を交わしていた。
「提督はこンな状況で、とてモ落ち着イておられルノね」
「それ……わざと言ってますか」
「サあ?どウかしら」
勿論私は、私のこの状態を異常だと思っている。しかし、私は取り乱さない――否、取り乱すことが出来ない。どうやら私は今、瑞穂さんによって肉体の自由はおろか、精神の自由までをも掌握されているらしい。何も本人から説明を承ったのじゃないが、そういう確信がある。
先程来、私の首から下は、ピクリとも動かせない。糸の切れた操り人形の如く、ダラリと垂れ下がっている。痛みもない。吹雪いているのに寒ささえ無い。先刻、重大な損傷を負った筈の臓器はなんらの違和感もなく粛々と生命活動を続けている。制服を汚した血液は、表皮付近の血管が裂けたことによるもので、失血死するものではないようだった。
そして何よりも、心が凪いでいる。私は今、ひたすら健全で健康だ。この恐るべき事態を冷静に受け止め、そして受け入れている。
考えるに、今の私は瑞穂さんに「接続」されている端末のような物なのだろう。本体が無事に稼働しているから各端末もおおかた正常である、という極めて常識的な非常識を体験している。瑞穂さんが息災である限り、私はきっと、発狂することすら出来ない筈だ。
「ひょっとしたら記憶がないのも、貴女の差し金ですか」
「素晴ラしい考察でスわ」
「何が目的ですか」
「この基地ノ存続、ですよ?以前ニモ申し上げておリまス」
私は、彼女の言葉を咀嚼する。嘘を言っている様子はない。私を害することで、何が生まれる。存続するのに都合の良いこととは?
「私では基地司令官として不適格である、と考えているとか」
例えば、私を殺そうとしている、とか。司令官の首を挿げ替えてより円滑に基地を運営する。私は、どこか他人事のように淡々と思考した。
「私にトってのリスクが高すぎマセんか。皆さンを敵にまわシてしまいまスし、放っテおけバ、勝手にいなくナルのに」
「確かにその通りです。因みに、もう敵にまわされる一歩手前ですが?」
「存じテオりますヨ」
「では、よかった」
例えば、傀儡にしようとしている、とか。このまま私を骨抜きにし、意のままに操って自らの要求が通りやすいような環境を整える。裏でこの基地を操ることが目的か?
「マァ、恐ろシい……!そんな人ヲ人とモ思わぬ所業を私ガ為すト?」
「もっとえげつないことを、今、やっているじゃありませんか」
私は咎めるように、凶悪な爪に目線を遣る。瑞穂さんは、クスクス笑って首を傾げた。
「ソウでスね。しかし、貴方は生キテいるし多少の意志を残しているじゃありまセンか」
「ふぅん。これも違いますか」
「でも、悪くナいかも知レマせんね、ソウいうの。このまマ、私と繋がってイルのは如何かシら?まさに一蓮托生。互いの心ト体を隅から隅まで知り尽クして、正真正銘のパートナーにナってミます?」
「こういう形は、少し、遠慮したい」
瑞穂さんは、心なしか楽しそうに笑って応えた。
「ふふ……。キっとそう仰ルと。ヒトミさんに怒らレてしまウもの」
「ヒトミさんが……?ですから、あの話は誤解だと」
「いいえ。そのことではアリません」
「……?」
では例えば、私を改造人間にしようとしている、とか。自分より弱い存在に使役されるのは真っ平であるから、どこぞのバッタ人間の如く、首長に相応しい存在へと強く逞しく……いや、これは流石にバカらしい。口に出すのは止めた。
「……今は貴方の思考が、伝わっテオりまスからね?」
「ふむ。忘れて頂きたい」
「少年のヨウなことを考エるのね。少し、意外デした」
「男は何歳になってもそんなものです。……幻滅しましたか」
彼女は首をふる。少しだけ、表情が緩んだ気がする。
「今迄、私の目論見を幾ツか挙げてクダさいましたが。どれモ惜しい、ソシて尚且つ、正解は1つも御座いまセン」
「惜しい?」
瑞穂さんは、格納庫の扉を開け、中に踏み込んだ。
「私は、貴方を傀儡にすルつもリはあリマせん。シカし、本基地の環境を整える為、とイウのは強ち間違いではありません」
「私は、貴方に使役さレルことに不満を感じテおりません。シカし、改造人間にする、といウのは強ち間違いではアリまセん」
「私は、貴方が基地司令官として不適格デアる、とは思いマセん。しかし……」
「しかし。我々の或る〝この基地〟ノ司令官に、いま瑞穂が……いえ、私が求メテいる所までは。残念ながら、届いていないノです」
「でスから……申し訳ないノダけれド。今カラ貴方には、人トして死んデ頂こうと思ってイルのでスよ」
何気なく発せられた死刑宣告を、私は、やはり冷静に受け止めていた。
少し、不思議だ。なぜ瑞穂さんは、私の意識を残したのであろうか。さっさと黙らせて事に移った方が効率的ではないだろうか。彼女が小さく笑った。
「効率……ナんテ、そんな寂しいこト、オッしゃらナイでください。最期におシャべりしてオキたかったのデす。今生の別れニなるのだカら」
「……興味本位で訊くのですが、私はどうなってしまうんです?」
もっと素敵になりますよ、と彼女が端的に回答する。もう少し具体的に教えて頂きたい。どうせ伝わるのだから念じた。
「じきに分カリます」
今度ははぐらかされた。彼女は格納庫の中ほどまで進む。私が萩風さんの艤装に拘束されたドームの中だ。そろそろか、と思う。湯を入れたインスタントラーメンを待つくらいの心持ちで、死を待つ。
……いや、待て。本当か?
彼女の発言は、矛盾を孕んでいるように思えた。今生の別れ、と言っていたが、その前には改造人間にするとか、意味不明なことも言っていた気がする。
「そちらは、提督がお考エニなったことデしたけど?」
どさくさ紛れの責任転嫁を咎められた。いや、お恥ずかしいことに全くその通り。それはともかく、傀儡にする気はないとのことだったし、私の自由意志を支障のない程度に残す予定である、とも受け取れる。
「その通りデす。ただ、お体ニは多少の変化があるデしょウね」
瑞穂さんの爪がつるん、と抜けた。少しだけ感覚が戻る。寒い。刺された部分に疼痛を感じる。ただ、大出血はない。私は、されるがまま床に寝かされた。手足は動かせそうだが、腹に何らかの重い物質が付着しているせいで、上体が起こせない。
「疑問なのですが。人として死ぬ、というのはつまり、人でなくなる、と?」
「ソう捉えテクださい」
「それは、今生の別れなんですか?明日も、普通におしゃべり出来そうですがね」
瑞穂さんの表情が、固くなった。
「私とは、モウ……お別レです」
「え……?」
彼女が、私に覆いかぶさった。
***
私には、瑞穂さんが泣いているように見える。煌々と光を放つ目から、黒い涙が流れだしている。涙は意志を持ったように蠢いて、私の顔へ集まって来た。
「まってください。お別れとは、どういう意味ですか」
「じきに分かリマす」
「この、黒いのは何ですか」
「じきに……分カりまス」
「瑞穂さんっ……!」
心がざわつく。じきに分かるだって?分かった時には、もうきっと手遅れだ。瑞穂さんとの「接続」が千切れたせいで、じわじわと感情が戻ってきているのが判った。
「答えて下さい……!今から、何が起きるんですか?何をされるんですか?そしてーー」
そして、貴女はどうなる。答えによっては全力で抵抗する必要がある。
「この黒いモのは、私です。私ノ命、記憶、心、魂、生き様。好きに呼んでくだサい。今から、提督に差し上げます」
「馬鹿な。そんなことは不可能です」
瑞穂さんは、首を振った。
「今までも、少しズツ。貴方に注いでいタノですよ?一度に全部差し上げてしまうと、体が拒否反応を起こすのデ少しズつ。昔、一度それで、失敗ヲ」
「私の髪や肌の色が変わったのはそのせいだと?」
「……恐らくは。まだ3回目なので、確信はあリマせんけど。先日、皆さんの顔が私に見えていタのも、その影響でショうね」
ハッとして私は、口を閉じる。黒い涙が口元に集り始めた。口の中に入ろうとしているのか?自由になった両手で、鼻も押さえる。瑞穂さんが口の端を歪めた。
「無駄デすよ」
彼女の言うように、全く無駄であった。相手は流体だ。指の隙間を抜け、唇の端から浸透し、私の体内を目指して侵入する。はじめは舌で押し返そうとしていたが、同じことだった。口内に、塩辛くて少し苦い味が広がる。
「さぁ、ほら飲マナいと。今度は息ノ根が止まりマすよ」
「ん……!ぐっ……!」
諦めて、喉を鳴らす。死んでは何も成らない。少なくとも生きなければ。少なくとも意識を保たねば。
そうだ。痺れた頭で想う。神通さんは言っていた。初代の唇を奪って、何かが体から抜けていくような感覚がした、と。それと、同じ現象が起きている?
「げほっ!ごほ。がはぁ」
「……少し、休憩」
気管に液体が入った。思い切りむせる。鼻の奥に逆流して、ツンとした痛みがあった。顔中真っ黒に染められて、もう彼女の顔さえ見えない。自分で自分の目が開いているかさえ判らない。酸欠で頭がクラクラする。訳がわからない――私はどうなっている?
「なんで……こん、な」
「なんで、とは?よク意味が解らナいわ」
感情のこもらない声が闇の向こうから聞こえる。冷たい感触が濁流のように顔に集まって来た。だめだ、また始まる。喉をならす。彼女はもう止まらない。ひたすら、飲み下す。溺れる。苦しい、苦しい、苦しい。深海棲艦の艤装にされたことの意味が、おぼろげに理解出来た。奴らは私を食おうとしたのではなかったのかも知れない。むしろ、全くの反対だった。
「はぁ、はぁ……。あト、少しデす。もう、す、少シ」
「瑞、穂さ…!ごほ。もうやめ…てく、ださい!」
聞こえる声が明らかに憔悴してきている。彼女の言葉を信じるなら、これは彼女の命らしい。私がそれを喰らって飲み干すなら、彼女はどうなる?想像したくもないが簡単に予想できる。
「ま、ダ……まだ」
「頼むから!私に!貴女を殺させないでください!」
ふと、流れの勢いが弱まる。瑞穂さんが私の胸に体重を預けるのを感じた。耳元に吐息ーー消えかかった彼女の命を感じる。声が聞こえたかも知れない。それは誰の声だったか。
――私は生きたい。
――海の底で永劫の安息に退屈するよりも、生きて逝きたい。
――仮令、肥溜めの中で産声をあげる蛆虫になろうと。
――仮令、屍肉に集る浅ましい生き方であろうと。
――仮令、誰に顧みられることなく腐り果て、朽ち果てようと。
「廻り、還ることが出来るノならば、ソれがいい。水底で美シク死んでいルよりも、土の上でなま臭く生きていタい」
彼女は何を言っている?今から死のうとしているんじゃないのか。生きたい?矛盾している。
「先ほど色々言いまシタが、貴方ニ望むこトハたったひとつデす。私を、飲み干シテください。私を咀嚼して、喰イ潰して、蹂躙シテ、胃の腑に収めテください。死んだヨウに生きるのは、もうたクさンです。お願いです。殺しテほしいの。廻る命の環の中に私ヲ戻して。生まれ変わリタいの。どうカ、ドうか、お願いです」
瑞穂さんは泣いている。黒い涙を流している。何なのだ。何の涙だ。死んだように生きる?生まれ変わる?まさか。
「瑞穂さん、そこまでに」
男性の声が聞こえた。この基地に男など、私以外には1人しかいないから声の主の正体は明確である。
まだ寒いですね。