津田さんは我々のことはさておき、ドームの中を物珍しげにキョロキョロしている。内装を見るのは初めてなのだろうか。瑞穂さんは彼を凝視して動かないし、喋らない。私はそもそも喋る気が起きない。
「夜中に話し声が聞こえたら、起きますでしょ、そりゃね。うちの官舎の壁の薄さを舐めちゃいけない」
1分は過ぎたかという頃合い、観察にキリをつけた津田さんが静寂を破った。懐中電灯で照らされ、目が眩む。瑞穂さんが何か言いかけたがそれを遮って、彼は話し続けた。
「ここ数日起きていたことは、貴女の仕業ですね?」
質問というよりは確認だった。瑞穂さんは応えないし、津田さんも答えを求めていない。
「私も……今朝、貴女に言われて微力を尽くそうと思ったんですよ。こんな結果とは思いもよらずでしたけど」
普段、歯に衣着せぬ物言いをする彼が、どこか慎重に言葉を選んで話しているように感じた。
「過去の司令官たちにね、連絡してみたんです。消息の掴める人だけでしたけれども。ちょっとでも手掛かりが掴めないか、と淡い期待をもって。そんで、例の越川さんです。ほんの1週間ほど前に彼、瑞穂さんと電話で話したそうじゃありませんか……心配してましたよ。貴女の様子がおかしかった、ってね」
私には心当たりがある。1週間前ーー赤城さんが秘書艦だった日のことだ。瑞穂さんは何らかの悩みを抱えた様子であった。
「それで、朝の貴女の言動の端端に感じた違和感が……何か、こう、形をもち始めた訳ですよ。或いは、意図されたものではなかったかと」
「……越川さん、なんと?」
瑞穂さんがゆるりと訊いた。妙に落ち着いていて、どこか背筋に寒気が上がるような気迫をその声に感ずる。津田さんが苦笑した――正にそんな感じですよ、とよく分からないことを彼は言う。
「覚悟を決めたような声だった……と、云っていましたね」
「ああ……そう」
「はい。そして今日の夕刻頃、神通さんに報告を受けました……どうも貴女が怪しいらしい、と――より正確には、那珂さんが瑞穂さんを疑っている、と。しかし私の疑いは確信に変わりました。こんなに早く動くのは予想外でしたが」
神通さんは速やかに情報を共有してくれていた。そうでなければ今、彼は此処に立っていないかも知れない。
今度は瑞穂さんが笑う。彼女は超然と言い放った。
「津田さん1人で何が出来ますか」
津田さんも笑う。彼は悠然と返した。
「流石に1人ではないですよ?」
瞬間、暗闇のなかに、赤く光る目が見える――そして、両足に懐かしい感覚。二度と同じ目にあってたまるかと思っていたのに、こうも早いうちに再びあの豪腕のお世話になるとは。背中で床の汚れを拭きとりながら、私は瑞穂さんの股ぐらをくぐり抜けていく。
「司令!大丈夫……!?」
「あ、ありがとうございます……萩風さん」
深海艤装を背負った萩風さんが、助けてくれた。それとほぼ同時に、14cm単装砲を瑞穂さんの後頭部に押し付けたのは神通さんである。
「動かないで」
「動きませんよ、別に」
1人で来るのは無謀だ。だから、2人がいる。こんな夜更けに起こしてしまったのが申し訳ない。しかし、なんとも、瑞穂さんの落ち着き方が不気味であった。
「吹雪いていましたからね。聞こえないと思ったのですが?」
「私、耳が良いですから」
「あぁ……。津田さんたらご自分の手柄のように仰るから」
津田さんは、口の端を少し持ち上げて顔を反らした。どうやら物音に気付いたのは、神通さんだったらしい。
「いえ、違いますね。私たちの談話室でのやりとりも、一部始終把握していたのでしょう?私を泳がせたのね」
「それくらいのこと……。判っていたでしょう、貴女は。でも敢えてコソコソせず、こんなことまで」
瑞穂さんは何か企んでいるーー神通さんも同じことを感じているようだ。
「瑞穂さん、貴女の目的は?」
「提督にお話しましたよ?お聞きになってはどうかしら。いえ、必要ないですね。私の後をつけてきたのならば、私が今の今まで何をしていたのか〝聴こえて〟いたでしょう」
神通さんは無言をもって答える。瑞穂さんは笑みを崩さず続ける。
「心当たりが無いとは言わせませんよ?大切な誰かを支配して、操る。貴女がその先達でしょう?」
支配?違う。神通さんの痛いところを突いて、追及を煙に巻いただけだ。先ほど私が溺れながら聞いた言葉は、もっと切実な、彼女の心の底からの言葉だった筈だ。
「そうかも知れないわね。……聞きたいことは、それだけです。貴女を拘束します。大人しくしてください」
「ですから、暴れませんよ」
鎖で腕をぐるぐる巻きにされて、瑞穂さんは連行されていく。別れ際、彼女に声をかけたが笑顔でたった一言返された。
「提督にお話出来ることは、何もありません」
***
神通さんと萩風さんに監視を任せ、私と津田さんは薬で眠りこんだ女性2人を運んでいた。
「何があったんです?端から見ると、仲睦まじい男女の逢瀬に見えましたが」
「ええ、と。何かを飲まされました。何か黒い液体を」
「は、はぁ?それは一体?」
「瑞穂さんは、それを自分の命だと」
津田さんは困った顔をした。どこから指摘してよいやら迷うのは無理もない。私自身、言葉の意味は解るが全く理解していない。
「いやいや。生きてるじゃありませんか」
「彼女の言ったこと、そのままですし……」
「はぁ……」
会話はそこで途切れた。男2人がここで考えても仕方ない。とりあえず那珂さんと赤城さんを送り届けて、考えるのはそれからだ。自室に勝手に入るのは憚られたから、医務室に寝かせる予定だ。
「……」
「……」
男2人、黙って歩く。唯一賑やかしい床の軋みはいつものこと。特に何を喋るでもない。こういう時勇んで口を開く津田さんの沈黙は、だんだん慣れてきた。彼も人並みに黙ることがあるのだと納得した……その瞬間やはり、彼は話し始めた。
「朝、様子がおかしかったのは、瑞穂さんだけじゃない」
「……そうでしたか?まぁ、私の見た目はもうおかしいなんてもんじゃ――」
「いえ、貴方のことじゃありません。ヒトミちゃんですよ」
ヒトミさんの様子?私は今朝〝タイヘンイカガワシイ夢〟のせいで顔をまともに見られなかったので実感がない。先刻瑞穂さんと対峙したときは、基地司令官の危機に遭って尚そこそこの余裕を見せた実績をもつ彼も、殊ヒトミさんの異常には真剣な面持ちである。
「貴方の顔、凝視してたでしょう?なんだか熱の籠った目で」
「……熱の?」
「恋する乙女の顔ですよ、そりゃもう」
「瑞穂さんといい、貴方といい、勘弁してくださいよ」
どこの世界にうだつが上がらない三十路男に恋する乙女がいるのか。津田さんは真剣な表情から一転、正に是、真なるにやけ面を作った。
「いやぁ、ダメ男にやられる女性も、世にはいるとかいないとか……」
そんな気の毒極まりない女性がいるのか。前世でどんな悪行をなしたのやら。それはそうと、自分で言っておいて指摘するのも何だが、その口ぶりは私をダメ男と断定したということで良いのか。
「失礼を承知で尋ねますが……津田さんは、それでいいんですか?」
「それで、とはなんでしょうか」
「ヒトミさん、貴女の娘さんに似ているんでしょう?……思うところないんですか?私みたいな〝ダメ男〟に恋、ですよ?」
「……おっと……これはこれは」
怒らせただろうか。いや、私も今のはムッときたわけだしおあいこだ。チラリと横目で顔色を窺うと、予想のいずれとも異なる顔色だった。怒るでもなく、ヘラヘラとにやけるでもなく、これは……なんだろう覚えがある表情だ。
「構いやしませんとも。あの子は娘じゃありません。娘と同じ顔で、同じ声で、ひたむきに頑張って私に元気を与えちゃくれますが、どうしたって私の娘は13年前に死んでます」
「前から疑問でしたが……この際、聞かせてくださいよ。津田さんはどうやって折り合いを付けたんです?自分の娘と見た目が同じ、別人が現れて」
少しだけ考えて、彼は答えた。
「本当の娘でないこと。娘にとても似ていること。両方を否定しないことです。艦娘として接しながら、娘にするようにちょこっと甘やかそうと思いました……そんなにすんなりとはいきませんでしたが」
「矛盾してませんか」
「矛盾はしてませんよ」
「それで、貴方は満足なんですか……」
また、さっきの表情が彼の顔を自然に緩めた。
「満足です。あの日、人生の楽しみなんぞ尽きたと思ってましたから。いい年して酒だのギャンブルだの即物的な欲求しかない俗物に比べたら、近しい人の成長を見守ることが出来るなんて、よほどの果報者だ」
ああ、思い出した。これは祖父と同じ表情だ。
「もしも前時代的雷親父のような感情を私がもっているとお思いならお門違いです。娘はやらん!……なんて自惚れも良いところです。強いて言うなら、そう……〝ご近所の可愛い娘さん〟くらいの認識ですよ。あと、さっきの恋だなんだは冗談ですからね?貴方が、彼女を尊重してることくらい存じてます」
「……そうですか」
「いや、はは。ただ、ね。人一倍心配はしますよ?今朝の違和感は、少し危うい感じがあったんです」
私が行方不明だった3日間。彼女は初めいくらか取り乱したが、捜索方針が固まってからは気丈に振舞っていたという。私が見つかって、あの朝、急に表情に影が生まれた、というのが津田さんの言だ。
「覚えがあるんです。あの目は縋る目……依存の目です。見たことがあるんですよ……」
鏡の中で、と彼は小声で続けた。すんなりとはいかなかった、とついさっき聞いたばかりである。
「ヒトミちゃんは瑞穂さんとの間に、何かあったのでしょう」
「何か、とは……」
「そりゃ、何かです。考えても判るわけがないから、やることは決まっているでしょう?……ここから先は貴方の仕事だ」
それもそうだ。ヒトミさんとは明日の朝まで話せない。まずは、瑞穂さんか。
「はぁぁ……」
呼吸困難で朦朧としていたが、彼女の言葉は印象に残っている。思い返し、想像し、思わずため息が漏れる。彼女は一体、この数年どんな想いで過ごしてきたのだろう。もしこの想像が正しければ、彼女はとんでもない重荷を背負っていたらしい。それは、私には決して背負えない荷だ。
医務室に着いて、赤城さんを背中から下ろしながら、密かに覚悟した。話すことは何もないと言われたがこちらには山とある――今夜も長くなりそうだ。
オセアニアじゃ常識なんだそうです。
2021/3/17
誤字を訂正しました 。