何から話すべきだろうか。或いは何を話さないべきだろうか。疑問の答えが出るには、その部屋への道のりは短すぎた。
庁舎一階の重い鉄扉の奥に、六畳の部屋がある。コンクリート打ち放しの壁、採光用の小窓ははめ殺しの磨り硝子。飾り気のないその空間は、重要物品等保管庫としての利用を想定されていたらしい。しかし現在、そこには机と椅子以外何も置かれていないのだと、津田さんは説明する。保管庫と呼ぶにはあまりに整然としたその部屋には別の用途があった。彼に曰く、この部屋が使われたのは過去に1度だけだ、と。
その鉄扉には、外から鍵をかけられる。中にはドアノブこそあれど、鍵をあけることはできない。そんな不便な扉が役に立つことなど、ない方が良かった。
「神通さんはあの日、この部屋で尋問を受けたそうですよ」
津田さんはそう言って、この鉄扉を開いた。
***
其処は、正しく独房である。LED電球の普及したご時世に、蛍光灯を使うどころか、まだ白熱電球だ。橙色がかった薄ら明るい光が照らす部屋の真ん中にパイプ椅子が置かれ、瑞穂さんが座っている。両手足を鎖で繋がれて、傍目からは大変痛ましい。艦娘を拘束するにはこれくらい必要なのだろうか。或いは、彼女ら中間体の経験則なのか……昔の自分はここまでされれば逃げられなかった、という。瑞穂さんは緩慢に顔を上げ、ドロリとした視線で私を捉えた。
「提督にお教えすることはありません……と、先ほど申し上げませんでしたか」
その声音には、不思議な威圧感がある。焦るでもなく、怒るでもなく、塞ぎこむでもない。多少憔悴しているようだが、粛々と現状を受け入れるような静けさを感じた。先刻の痛切な言葉が嘘だったかのような落ち着き……そして今になって、明確な拒絶の態度。部屋の中で待機していた萩風さんと神通さんが、警戒を少し強めた。萩風さんは彼女の背後に、神通さんは扉を塞ぐように控えている。室内で艤装を背負っている姿を見るのは珍しい。
「貴女になくても、こちらには話すことがあります」
「ではどうぞ、勝手に話してください。……べつに、聞きませんけど」
彼女の向かいに置かれたパイプ椅子に腰掛けた。彼女の膝と私の膝が、1メートルくらいの距離感だ。津田さんは部屋の隅に置かれた机の上にラップトップのコンピュータを開き、記録をつけだした。
「あー……えー……私はときどき、子どもっぽいと言われます」
「存じておりますよ。年甲斐もなく改造人間がどうとか」
津田さんが、がくっ、と首を折った。所謂〝ずっこけた〟という描写が妥当である。いざ尋問と意気込んだ矢先、不可解極まる世間話が始まれば拍子抜けするのも無理はない。
いやしかし、こればかりは勘弁いただきたい。先ほどから、気だるげに虚空を眺める彼女の言動には、違和感を禁じ得ないのだ。どうにも目的がわからない……一貫性を欠いている、というべきか。いずれにせよ素直に口を割りそうもない。会話の糸口を探るためまずは世間話から――営業トークでもあるまいに、悠長なことであるが。
「あれは、忘れて頂きたい。いや、しかし。子どもには子どもなりの正義や良心があるんです」
視野の狭さや経験の乏しさによって、ごく一面的で独善的な正義であることもまたしばしばである。それが認められるか否かはまた別だ。だからといって頭ごなしに否定するのはきっと間違っていると思う。
傍から見れば、それがどうしたと言いたいだろう。考えながら口も動かすから、必然、話すことは行き当たりばったりである。
「それで、そう。私は視野が狭かった。この基地に来て学ばされました。いかに自分が経験不足であったのか」
「はぁ……懺悔なら教会を紹介いたしましょうか」
「実家が仏教ですので。あ、いえ、それはともかく。深海棲艦の形をした艦娘がいるなんて知らなかった。知らないから、彼女たちはどんな思いで過ごすのか、なんて想像にすら及ばなかったのです」
津田さんは気を取り直して、文書を打ち込み始めた。話は聞かないと宣言したはずの瑞穂さんだが、なんだかんだで相槌を打ってくれる――根が善人なのは間違いない。そんな人がここまでのことをしたのには、何かのっぴきならぬ理由があったことは明確だ。彼女が何者であるかは、朧に想像がついている。しかしその真意は未だ捉え切れない。
「他者と違う判断を下す人。他者と違う行動を起こす人は、他者と違う経験をした人なのだというのが私の持論です。正義や良心の違いとは、心の有り様より以前に、経験則による部分も大きいのかも知れない。だから人間社会は複雑で、争いが絶えないのだと」
「さもありなん、ですね。と言いますか、経験が心の在り方を決めるのでしょう」
「ええ。きっと、同じ基地に在ってすら。日々同じ釜の飯を食った輩にすら経験の――考え方の違いはある」
瑞穂さんは、やれやれ、と言わんばかりにため息を吐いた。
「それで……そんな話をするためにわざわざ、ここへ?今夜はもうお休みになっては」
「ただの前置きですよ。貴女もそうなのだと思うんです……きっと瑞穂さんにはとびっきりの……誰にも言わない壮絶な経験がある、と」
「ございません」
いやにしっかりとした否定。すこしかまをかける。
「ほう?私には何も教える気はないと、先ほど」
「あら……揚げ足とりなんてどこで学ばれたのかしら」
「子どもは知らず知らずのうちに成長するものですよ?あるいは、男子三日会わざれば刮目して見よとも」
刮目するまでもなく、三日会わない内に白髪頭になった男は不敵に――なるべくそう見えるように――笑った。瑞穂さんは、虎みたいに目を細め私の双眸を受け止める。よくよく観察してみれば、他の皆に比べて彼女の瞳は色素が薄いのだと気付いた。その瞳に射貫かれると、背筋が伸びる。
「それで、成長した〝こうへい君〟は私に何を訊きたいのかしら?」
嘲るような笑い顔を彼女は作った。私は内心、ホッとしていた。瑞穂さんはやはり根がいい人だ――人を〝おちょくる〟ことに慣れていない。よく見れば微妙に頬が引き攣っている。いままで、努めて無表情を顔に張り付けていた彼女は、少しだけ隙を見せてくれた。
「先刻申し上げた通り、私には話すことがある。結論は……ある意味、私の中で出ています。今からするのは質問ではなく確認です。貴女に訊きたい訳ではありません」
方便だ。結論など出ていないし、本当は瑞穂さんの口から教えて欲しい。しかし、赤城さんが差し伸べた手をはね除けるくらいに、拒絶の意志は固い。まずは彼女が死物狂いで閉ざしていた何かを、こじ開けるのだ。
「まず、私をこのような姿にしたこと。この基地にひとつの楔を打つ為だった。艦娘だけではなく人間すら、中間体になる可能性を示した。正体不明の艦娘という存在……不明は不明のままでとりあえず利用していた現状に、新たな刺激を与える。研究者の興味を喚起し、この基地に存続の口実を作る為だ。その口実たる……モルモットたる人間の1人が、私です。過去の司令官たちは、みな何かしらの精神異常を患っていた。私にもその兆候はあったが、どうも様子が違うことに、貴女は気づいた。私は、過去に類を見ない特殊な性質をもっている……であれば、これはチャンスだ。艦娘だの深海棲艦だの……訳の分からない存在の中で、さらに特殊な中間体。それがもし元人間で、しかも性別が男とくれば研究者が黙っちゃいない。貴重な観察対象が増えれば、この基地は存続する」
一息にまくし立て、彼女の様子を窺う。しばらく目をつぶっていたが、瑞穂さんは急に喉を鳴らして笑い始めた。
「ふふ……。ごめんなさい。あんまり必死に的外れなことを仰るから、つい」
これが世に名高い「失笑」という現象か――或いは演技だろうか。那珂さんが夕刻に言っていたように、これが主たる目的ではないのだろうか。いや、基地の存続を望む旨、彼女自身の口から聞いたばかりだ。
「へぇ。先刻、貴女の口から聞いたことをそのまま申し上げたんですが」
「嘘を仰らないでください。そのようなこと、私は一言も」
「一部、想像も混ざっています。しかし大枠で貴女の考えを代弁したつもりですよ」
瑞穂さんはどこか楽し気に首を振った。私が迷走する様が面白いのか。いや、彼女がそこまで捻くれているとは思えないが……瑞穂さんは、現状を喜んでいる?
「冗談じゃありません。誤解も良いところですわ」
「そうですか……。話が変わりますが、アガサ・クリスティの小説に『ABC殺人事件』ってのがありましてね。なんだか、今回の貴女に似ている気がしています」
話題を変える。先ほどまくし立てたことが〝全てでない〟ことは判った。
「物騒なタイトルね。どのようなお話ですか」
「ここから出たら、是非読んでください。木を隠すなら森の中、企みを隠すなら企みの中。貴女の企みは二重三重に重なって、真意が掴みづらい」
「ここから……出たら?解放されることが、前提の様な言いぶりですね」
「ええ、その通りです。貴女の言葉を信じます。貴女のしたことは、この基地の為。間違いありませんね」
「……お人好しも、ここまでくると救えません」
今度は拒絶――彼女は目をそらす。なんとなく理解した。彼女は自身を「悪」だと断じて欲しいのではないか?私は首を振って席を立った。
「お話は、これで終わりです。貴女の口から、これ以上何かが出ることを期待しません」
私以外全員がきょとんとした。全員の気持ちを代弁したのは他ならぬ瑞穂さんだった。
「……あら、もうよろしいの?」
「結論は……ある意味、私の中で出ています」
私は同じ言を繰り返した。瑞穂さんは暫く後、小さなため息を吐いて、また気だるげに視線を落とした。
***
後ろから津田さんと神通さんの話し声が聞こえる。部屋の監視をどんな割り当てで実施するか相談している。ずかずか歩いて尋問部屋から距離をとると、萩風さんが後ろから小走りで追いかけてきた。
「あの、あれは。なんだったんですか?すごく尻切れトンボだったというか……。司令らしく……あ、ちょっと聞いてます?大丈夫なんですか?ひょっとして、対話不成立ですか?」
「はぁ、ええ。むろん、これで終わりではないですよ」
「それなら、いいんですけど……」
どうせまた深夜にあの部屋を訪れる気でいる。私は事務室で待機することにした。
「記録があると、話にくいこともあるかも知れません」
「でも、今回は取らない訳にも……」
「……何とか、私と瑞穂さんとで、2人きりになれないものでしょうか」
無理を承知で、口に出してみる。話したいことも話せない――やはり彼女は難しい顔をした。
「何か考えが?……いえ、だとしても流石に、今回は賛成できないです。さっきも、私たちが一歩遅ければ、どんなことになってたか」
瑞穂さんが大人しく拘束され続けるか保証がない。何か奥の手を隠している可能性も捨てきれない、萩風さんは懸念する。一々尤もだ。
「ひとつだけ、信じて欲しいんですよ」
「何をでしょうか」
「彼女――瑞穂さんは『人類の脅威』ではない。今回は、歯車がかみあわず……いや、逆か。上手くかみ合いすぎてこんな事態になったが……基本的に彼女は無害なんです。私は、そう思いたい」
「……?それは、まぁ、何となく。司令より付き合い長いですし。私だって……あんなことしでかした手前、あんまり人のこと言えないし」
尻すぼみに小さくなる彼女の言葉は、それでも、今の私にとって心強かった。
「私1人だとダメなら、萩風さん。今夜遅くに少し付き合ってもらえますか。瑞穂さんともう一度話したい。いずれ、皆にも話さなければいけないことですし」
「……それは、まあ、別に」
事務室の椅子に体重を預けて一息つく。そう云えば、瑞穂さんのフルコースを堪能したのはこの椅子だった。
「瑞穂さん……多分、彼女は――」
「……司令?」
「いえ……」
「冗談ですよね……?」
萩風さんは最初、私の言葉を聞き違いだと思ったようだった。そして次に、冗談だと思ったようだ。そして、どうも私が本気らしいことに気付いて、彼女は表情を強張らせた。
2人の間に会話は無くなった。
もうそろそろ、気付いていらっしゃるでしょう。