津田さんも言ってくれたことだ。今日は休もう。色々とありすぎた。これだけ身体が重いのは久しぶりだ。暖房をつけて横になり、目を瞑る。こうすると何故か考えごとが捗って、なかなか寝つけないのが常である。たぶん集中力が増すからだろう。催眠療法だとか、トランス状態だとか、そういうのと同じだろう。
なんだ?目蓋のうらに見覚えのない情景が広がる。瑞穂さんが私にのしかかっている。足を絡めて、妙に艶っぽい吐息を私の耳もとで。私の意識は朦朧として、呂律さえ回らず、彼女の鼓動に心を奪われ、為すがままで……。途中で、何か別の音が。アラーム音?
「あれ……そうだ。携帯電話が」
それで、思い出した。私の尻に敷かれたスマートフォンは、あのときから少なくとも数日、あの格納庫に放置されている。
目を開く。ほんの数分、微睡んだだけだと思ったが、小一時間は経っている。妙に現実感のある夢だった――いや或いは、夢ではないのか?私が行方を眩ませていた3日間に何があったのかは知れないが、少なくとも瑞穂さんが、私に何か良からぬことをしたであろうことは想像に難くない。彼女が私の脳に働きかけて――そんなことが可能かは取り敢えずおいておくが――記憶が意識に上らない暗示をかけていた、とか。流石に想像力が豊か過ぎる気がするけれども。
「取りに…行くか」
まぁ、それはいい。電話会社との契約が切れたわけじゃなし、このままにしておくわけにもいくまい。さっさと回収して修理にだすか、買い換えるかすべきだし、何より無性に気になっている。目が冴えてしまった。少しばかり軽くなった体を起こし、上着を羽織った。部屋を出て格納庫へ向かう。
その道すがら、赤城さんと出会った。
「あら……休んでいなければだめですよ?」
「いえ、そうなのですが。あそこに物を忘れて来まして」
私が顎で示す方向に、彼女も歩を進めている。訊けば、格納庫に工具箱を取りに行くとのこと。
「赤城さんは、何か用があるんですか?」
「いえ、大したことでは。談話室の換気扇、最近調子が悪いでしょう?油でも差そうかと。それで、忘れ物というのは?」
微睡みの記憶の夢を思い返しながら話す。赤城さんが、腑に落ちない顔で訊いた。
「携帯電話…あんな所に置いてあったの?」
「ええ。萩風さんに置き去りにされたとき以来、ずっとですよ」
「本当に?貴方を探しているとき、何度となくかけていたけれど……ずっと圏外でしたよ?」
「電池が切れたんでしょうね。もしくは衝撃で、もう完全に壊れてしまっていたか」
あの夢の中で瑞穂さんは、精密機器の中の精密機器をあろうことか放り投げていたーー尻に敷いた私が非難する筋合いはないけれども、もしあれが真実なら、画面のヒビは余計に悪化していると思う。
赤城さんと共に、小走りで格納庫へ向かう。今日は日差しがあるからまだマシだが、どうひっくり返っても寒いものは寒い。めいめい、我先に庫内へ逃げ込んで、明かりを灯す。赤城さんが懐中電灯を貸してくれた。
「普段は、此処に引っ掛けてありますので」
彼女はそう言って、作業台横のフックを指差した。礼を言って奥へ進んだ。目的の物は意外とすんなり見つかった。あの妖精さんドームから出た辺り。
「う…わ。なんだこれ」
パサパサの汚れがこびりついている。これは、粘液だ――あのベタベタしたゲル状物質が干上がったもの。私にはもはや、馴染み深さすらある深海型艤装たちの皮膚を覆うもの。スマートフォンのスイッチを入れてみたが、ウンともスンとも反応しない。そしてやはり、画面のヒビが、より盛大なものになっている。ここまでくると、買い換えた方が安上がりだろうか。
「見つかりました?」
「ええ、なんとか」
粗大ゴミと不要品のジャングルから生還した私を、赤城さんが迎えた。汚れたスマートフォンを見て、同じく彼女も顔をしかめた。
「参ったな。なんでこんなに汚れているんですかね…?」
赤城さんが何か思いついた。
「口に含んだのかも」
「深海の艤装たちが、これを?……何のためにです?」
「隠すためですよ。主に、貴方を」
「私を?口の中に?」
「ええ。ついでに、そのスマートフォンも」
この人は空恐ろしいことを平気で言う。どうも赤城さんは私が行方不明だったあの3日間、深海艤装の口の中で眠りこけていたと思っているらしい。
「私たち、かなり本気で探しましたよ?それでも見つからなかったのです。結構、手の込んだ場所に隠されていたのだろう、と思っていました」
「し、しかし、流石にねぇ?ほら、瑞穂さんの自室とか」
「探していない筈ないでしょう。屋根裏まで行きましたからね。蜘蛛の巣と鼠の糞でとんでもないことになってしまいました」
げんなりした表情で彼女は回想した。
「いやいや、考えてみてください。確かにこのスマートフォンは汚れていますがね、私が戻ってきたあの日、私の服は微塵も汚れちゃいませんでしたよ」
「ご自分で言っていたじゃありませんか。体に染み込んだんでしょう?」
「い、嫌なことを言わないでくださいよ」
「帰ってきたとき、様子がおかしかったのは貴方がよくご存知の筈。飲まされたんですよね?瑞穂さんの……えっと、海?でしたっけ」
思わずクレームをつけたが、彼女は本気らしい。よしんばそれが真実だとしても、私は五体満足で戻ったのだし、詳細な経緯はこの際いいのじゃないかと思った。私以上に赤城さんは、細かいことを調べたがる性分なのだろう。
「まぁ……好奇心は猫をも殺す、とか言いますし」
「本当に、重々、承知しています。でもこんな所にいると、食べることか、考えることくらいしか、陸ですることが無いんですよ」
蔵書はもう読みきってしまったし、と彼女は、格納庫の一角に林立する本棚へ目線を動かした。彼女は何気なく口にしたが、それは大変な偉業ではないか?素直に称賛を贈る。
「それは凄い。知識は邪魔になりませんからね」
「そうでもありません。少しくらい無知な人の方が好まれますよ。変に捻くれていませんし」
そうだろうか?多少性格がキツくても、知的な人には憧れる。私の脳裏にまず浮かぶのは大淀さんだ。怒らせたら怖いが、それ以上に頼りになる。
「大切なのは、知識量というより、それをどのように扱うかでしょう。頑な過ぎると、知識に縛られて自分も周りも息苦しくなりますから」
「ええ、ええ。本当にその通りです。身につまされます」
赤城さんは苦笑いを、苦笑いであることを隠そうともせずに、顔に浮かべた。
「今後はそこに、訓練など増やしていただければ、生活にもハリが出ますね」
「はい。勿論、そのように」
赤城さんは午前中、瑞穂さんの監督に当たっているらしい。答え合わせをしてきます、と言って去る赤城さんに何と返してよいものか判らなかった。仮に私の夢と、赤城さんの推理が正しかったとしたらどうだろう――スマートフォンの修理代くらいは瑞穂さんに肩代わりしてもらえるだろうか。
大層みみっちいことを考える私が、自室へ戻ろうと一歩踏み出したとき、赤城さんといれ違いで庁舎から現れた津田さんに呼びとめられた。
「失礼。さっきあんなことを言った手前申し訳ないんですが。電話です、貴方に」
「…?庁舎の固定電話に、私を名指しで、ですか?」
「はい。貴方の携帯電話につながらないから、と」
「なるほど。誰です?」
「艦娘の川内さんです。貴方の前任基地の。個人的な要件だそうで」
大淀さんをイメージしていた脳味噌に、全く想定していなかった名前をぶつけられて、一瞬固まった。川内が私に電話……全体、何用であろうか。なにより、如何にして私の居所を掴んだのだろう――霞か足柄さん辺りがリークしたと考えるのが妥当か。
「ありがとうございます。すぐに」
私は駆け足で、事務室へ向かった。
***
「はい、お電話代わりました。樋口ですが…?」
「もしもし、提督?おおー、ホントにいた」
「私の職業は提督じゃないんだが……何度も言ったがな」
まだ日が高いのに、この時間帯の川内にしては珍しく、活力ある声が電話口から聞こえた。
「今日は随分元気だ。普段なら、今から寝るくらいじゃないのか」
「夜間作戦の帰り。まだちょっと昂ってる。提督が寂しくしてるかと思って電話したんだけど。元気?」
寂しくないわけではないが、耐えられない程ではない。また、元気と云えば噓になるが、病気をしているわけではない。それぞれ、正直に答えた。
「そっか、良かった。ならいいや」
「ああ、私は大丈夫だ。心配してくれてありがとう」
「うん。また倒れられても困るし」
「それは……もうそろそろ、思い出にしてくれ」
無理かなぁ、と半笑いの声。にやけ顔の川内がありありと想像できる。
少し嘘をついた。大丈夫、と言ったのは嘘だ。こちらへ来てから何度も倒れているが、それも言わなかった。すこしばつが悪くなって、話をかえた。
「よく分かったな、ここの電話番号。誰から聞いたんだ?」
「聞いたっていうか…うん、実はね。私、籍おいてたことあるんだよ、そこに。いやぁー、まさか、提督が着任するとはねぇ。不思議な縁だよね」
「な、なんだって…。それは、いつごろのことだ?」
「えっと、大体、6、7年まえくらい?」
この基地が今の役割をもつより前ではないか。つまり、初期も初期、初代司令官の名前すら、彼女は知っているのか?
「それなら……時安さん、という人を知っているか?この基地の初代司令官なのだが……」
「ええぇ…?聞かされてないの?大島海将の旧姓だよ?それ」
「な…にぃ」
「え、なになに?怒んないでよ、どうしたの」
自分でも驚くほどに低い声が出た。川内もまた、電話の向こうで驚いたらしい。口にしたい言葉が多すぎて、喉の辺りに渋滞が起きた。
「じゃあ、あの人は全部知っていたのか。こっちの、その…特殊な事情、とか」
「それは…うん。そうだよ、当然」
「そうか……そうだったのか」
「ちょ、ちょっと。なんか、落ち込んでない?」
どう受け止めるべきか判らなかった。だが少なくとも、彼が私に何も期待していなかったことは想像がついてしまう。別に教えなくても問題はない――きっとそう思っていたのだろう。どうせすぐに辞めるのだから、と。
確かに私は、少し落胆していた。目をかけてくれたことに報いるべきだと思っていたが、それは勘違いだったのだから。
「仕方ない、か。そんなものだな」
「ねえ大丈夫?どうしたのさ」
「いや、なんでもない。個人的なことさ」
考えてみれば、少し頼り過ぎだった。スマートフォンも壊れてしまったし、逆に良い機会と捉えよう。そろそろ卒業するべきだ。
「ホントに?変なこと考えてないよね?」
「なんだ、変なことって。心配なら無用だ。私は曲りなりにも、水雷屋だぞ。ちょっとやそっとでへこたれるほど、諦めが良くないんだ」
君と同じだ、と腹の中で付け足した。川内は一旦、納得したようだった。
「それはそうと、川内。昂って眠れない時は仕方ないにしても、近頃、あまり騒ぎ過ぎちゃいないだろうな?普通、夜はちゃんと寝るものなんだぞ」
「え、それ提督がいうの?」
「だ、だからこそだ。しっかり休まんと私のようになるぞ、という戒めだ」
痛い所を突く。そこからは、休暇の話題になった。どこそこのデパートに行きたいとか、私が転任したせいで〝足〟がなくなって困ったとか、地下鉄は迷宮みたいで怖いとか、およそ中高生みたいな話を彼女は続けた。得てして、雑談という時間つぶしを成立せしめるには、聞き役の置物が必要になる――今はつまり、私のことである。だからといって、精神年齢中高生の少女が、電話越しにひたすら駄弁るのを聴き続ける仕事は、寝起きの頭に優しくない。ときどき、私も質問を返したりした。
「一般論で良いんだが、君たち軽巡は何を欲しがるものなんだ?ストイックなイメージがあるが…」
「お。誰かにプレゼント?」
「そういうわけじゃないが、純粋に興味があるんだよ。独特な眼帯をしている人が身近にいてな。何を隠そう――」
君の姉妹艦だ、と言いかけて、川内に制された。そのとき、私の脳裏には神通さんが浮かんでいた。
「待って待って。あれは、大島海将の趣味だからね…?勘違いしないであげて」
「なに……そんなことまで、知ってるのか」
「あー…あ、はは。そりゃあさ、知ってるよ一部始終。海の上で神通を捕まえたのが、私だからね」
川内の笑い声は、何か寂しいものを帯びていた。
握りこぶしは、開くためにあるそうな。
P.S.
Scampさん素敵…!
潜水艦好きなんですよね。