格納庫へ踏み込んだ私は、赤城さんに教えられたのを思いだし、懐中電灯を手に取った。よく見れば錆びだらけの年代物だ。端子の具合が悪いのか、スイッチを何度かいじってようやく点いた。とっくに南中した太陽すら欺く闇には、少々心許ない。
或いは、我々を欺いているのは太陽なのだろうか。光と熱の傘に守られ、命を謳歌する我々こそが不自然なのか。むしろ深海に棲む生物たちこそがーー闇を生き抜く力をもつ者こそが自然なのか。
詮無いことを考えていると、神通さんが奥を指差した。
「瑞穂さんの艤装、そのままにしてあります。一番奥です」
例の書物棚の裏側へと、我々は進む。背景に溶け込んだ深海艤装が低い唸り声を上げるまで、彼らの存在に――それらが目前1メートルまで迫っていたことに――気がつかなかった私は、内心で神通さんを責めた。
彼女が1つの注意もくれず、ずんずん進んで行くものだから、必然、私も無遠慮、無警戒に歩を進めてしまった。
「い、一番奥、でしたか」
「大丈夫です。噛んだりしません。……多分」
そうだろうとも――確かに噛まれはしなかった。だが、口に含まれることはある。顔をなめ回されることもだ。
「これです。これが、瑞穂さんの艤装」
「ええ、はい。見たことはあります」
「あら、そうでしたっけ――」
神通さんは少し考えて、思いだしたように笑った……ように見えた。
「そういえばなにやら、台車で運ばれていた人を見たような。ああ、そう、瑞穂さんがね」
「もう、いいでしょう。その件は忘れてください」
まじまじと観察するのは初めてではないが、やはり近より難い。艤装のどす黒い肌が、懐中電灯の明かりに照らされヌラつく。嫌でも目につく白い歯と口の間から時折覗く舌。灰黒色の腕。どれも尋常の様相ではないのに、何処か野生を感じない。いや――自分に言い訳をするのはやめよう――私はどうしても、その形に『ヒト』を発見してしまう。
「それで、神通さん。妖精さんは何処に?」
「そうですね。暫く、待っていれば良いかと」
「待つ……そうですか。どれくらいですか?」
「普段は、近づけばすぐに出てくるのですけど……ふむ」
彼女は顎に手を当てた。
「あまり、大勢いるのが得意じゃないのかしら」
「大勢、というほどでも」
「それか、自分の宿主以外には、姿を見せづらいとか」
「ム……そういえば」
私が腕型艤装に囚われた一件で、中央のドームに現れた妖精さん御一行は、萩風さんの登場であっという間に散っていった。思い返せば、雁字搦めで身動きの出来なかった私に対してすら、おっかなびっくり接していたようにも見えた。
「では、ここは私が離れます」
「いやいやいや、やめましょう。それは、やめましょう」
神通さんの提案を、直ちに却下する。あのときの二の舞になることが、私には容易に想像出来た。ところが、どうも彼女は納得していない様子だ。
「でも、1度は無事に戻れたではないですか。私も、いざというときは助けますよ?」
「神通さんは、あの惨劇を知らないからそんなことが言えるんです」
「惨劇…?」
後悔は先に立たないという。軽々しい行動は、自らの首を締めるーー彼女を説得するのに気をとられ、私は近づき過ぎていた。瞬間、右足の辺りにガシ、という感触。
巨大な艤装の巨大な腕が、私の足をとらえていた。
「ほほ、ほら…。こんな風に…」
「まぁ大変」
神通さんも大概、大根役者である。緊張感を寸毫も匂わせず、口先だけで私を心配した彼女は、しゃがんで艤装を観察し始めた。
いや、目は見えない筈なので、観察というか、観測というか――鼻先を近づけたり、指で撫でたりしている。
「……どうしても私には、貴方への敵意があるように思えないのです」
「それは……はい。確かに。私程度、いつでも縊り殺せるでしょうけど…」
この艤装は、私の足をへし折るでもなく佇んでいる。神通さんは、艤装の粘液を何気なく私のズボンで拭って――ひどくないか――おもむろに立ち上がった。
「ここはひとつ、念じてみてはいかがですか。放せ、と」
「そ、そんなことで解放してくれるなら、苦労はーー」
「そうかしら。意外と上手くいくかも知れませんよ?」
何か、神通さんには確信じみた予感があるようだ。腑に落ちないまま、私は念じた。頼むから放してくれ。
「……何も起きないじゃありませんか」
果たして、艤装からの反応はない。私の足をガッチリと固定して動かない。彼女は少し考えて、言った。
「そうですか……では、もう少し具体的に。掌を開け、と」
「掌?それは一体…」
「ある程度は自律して動作するといえど、やはり艤装は艤装です。命令――いえ〝操作〟する感覚をもってください。それなら、ひょっとしたら」
あに図らんや、掌が緩む。私の右足は見事に解放された。
「おお……おお!凄い!初めから、こうすれば良かったのか…」
「いえ。恐らく、今だけでしょう。言いましたよね?貴方には瑞穂さんが」
「そうか…〝混ざって〟いる?」
神通さんは頷いた。
「そうです。そして、今だけは……この艤装に宿る妖精さんと、意思の疎通を図ることが出来るかも知れませんよ」
「話せる…のですか」
「いえ、少し違います。あくまでも、意思の疎通。那珂ちゃんは、貴方の頭に浮かんだ内容が脳に流れこんでくるとか……。つまりは、そのような」
「皆さんは普段、そうやって?」
「ええ。言葉はなくとも、解りあえることが多いですね」
では、と言って、神通さんは本当に距離をとってしまった。一応、互いに姿の見える距離だが、猛獣にひねり潰されかけている人間を救出するには、手遅れになりそうな塩梅だ。
妙な緊張感を味わいつつ、艤装に手を当てる。さあ何かを念じてみよと指示されて、ハイそうですかと容易に発想出来るほど、引き出しが深くも広くもない。私は大いに困った。
ぐずぐずしているのを見かねたのか、艤装のほうから動きがあった。瑞穂さん似の妖精さんが、にゅるん、と、生えてきたのだ。
「お……ええと。こ、こんにちは?」
返す言葉はない。しかし、綿毛みたいな笑顔で、私に飛びついてきた。この間、のんびりと昼寝をかましていたのとは雰囲気が違う。言葉は無いのにすぐわかった。この子は、私に明確な好意を抱いている。
「うお。あ、ああ。よしよし」
想像よりも軽い。私の胸に、頭をぐりぐり擦り付けてくる。両腕で支え、頭を撫でてやった。意思が伝わる、という神通さんの言は、真実らしい。妖精さんの思いが解ってしまう。上手く説明出来ないが、脳の中心に、私のものではない思考や感情の類いが浮かんでは弾ける。好意の種類は、親愛に近い。家族のそれに似ているだろうか。暖かい心持ちだ。
「ええと。君のことは、何と呼べばいいだろうか」
キョトンと、つぶらな瞳で私を見つめる。名前、という文化は妖精さんには無いのだろうか。私は私だ、と言っているように感じた。
「君も、色々思う所はあるだろうが……君の宿主の……瑞穂さんの話をしにきたんだ」
妖精さんの表情が、少し不安そうなものに変じた。瑞穂さん本人とも、心を共有しているのだろうか。この子は、拒絶されることを恐れている。心を許した存在が、居なくなることを恐れている。何を説明されるでもなく自然と、それがそうだと知った。
「いや、大丈夫だ。私は、何処にも行かない。行くつもりはないよ」
妖精さんは、首を横に振った。そうだろうとも。口だけなら、何とでも言える。ひどく無責任な約束だ。そもそも、何処にも行かないなら、元の姿に戻る必要もないのだから。
「お願いだ。聞いてくれないか。彼女は…君の宿主は、私を引き留めるために、命すら賭けてしまった。それは凄く……危うい、と、私は思う。一歩間違えば今、私たちはこんな風に身を寄せ合うことも出来なかったかもしれない。彼女のやったこと……正しいとは、口が裂けても言えない」
妖精さんが俯いてしまった。罪悪感が腹をかき混ぜる。しかし、伝えなければ。
「私を、元に戻してくれないか。皆が、取り返しのつかなくなる前に。皆に、考える時間を作るために」
彼女は俯いたまま、私から離れ、艤装へと消えていった。これはつまり、交渉決裂ということだろうか。駄目、だったか。
なんとも言えない思いを腹に抱えながら、艤装に背を向けた。
「後ろです!」
神通さんの鋭い声が飛ぶ。振り向くと、深海艤装の巨大な口が、眼前まで迫っていた。死を覚悟する暇もなく、風の唸りが聞こえ、瞬間、私の体が〝横にズレ〟た。その口は、さっきまで私の上半身があった場所に食らいついていた。
「……え」
私が艤装に襲われかけたこと。そして、疾風のように接近した神通さんに助けられたことを理解するのに、数秒を要した。思い切り右腕を引っ張られ、多少の痛みを感じる。
なおも、私めがけて食いつこうとするのを、神通さんが制した。いつの間に装備したのか、流れるような動作で14cm単装砲を展開し、艤装の鼻先へ突き付けた。流石にこれ以上身動きできないと見えて、呻くような声をあげながら、モゾモゾと縮こまった。
「危ない所でした」
「え…?ああ、そう、でしたか……」
内心、この事実を受け止められずにいた。襲われそうになったことに、少なからずショックを受けている。あの艤装は間違いなく、ついさっきまで触れあっていた瑞穂さんの艤装だ。つまりは、その中に、あの妖精さんが入っている。私は、殺されかけたのか?あの数分のやり取りで、私はここまで彼女を追い詰めてしまったのか?
「帰りましょう…。少し、軽率でした。敵意がないというのは、見立て違いでした。申し訳ありません」
「え?……ええ、ああ、はい。そうですね」
艤装から離れたことで、少し緊張を解いて、神通さんが謝ったが、あまり耳に入ってこない。全てがスローモーションで動いているように感じる。本当に、取り返しの付かないことになってしまったような……二度と修復できない亀裂が生じてしまったような、ひどく暗澹とした腹持ちだ。
私たちは、格納庫の入り口に向けて歩を進め始めた。
背後から「待って」と聞こえた気がして振り向いたが、何も見えないし、聞こえなかった。
***
「あら?もう……。本当に、休んでくださいね?」
赤城さんが眉を顰めるであろうことは予想できた。しかし、どうしても落ち着かず――この腹の内を何処かにぶつけたくて――結局、庁舎に戻ってきてしまった。思えば、昼に眠ることなどそうそうないのだ。むしろいつも通りの生活リズムと言える。
「何か、落ち込んでます?」
「落ち込んで?……ええ、まあ、少し」
赤城さんは、それ以上尋ねなかった。小さめのファンヒーターに手をかざし、暖をとっている。冷えきった廊下には心許ないが、無いよりマシなのだろう。
いまの彼女は、瑞穂さんの監督係だ。廊下にパイプ椅子を設えて、読書をしている。
「津田さんが言ってましたよ。川内さんと話したのですってね」
「ええ……赤城さんは、あの川内を知っているそうで?」
「と、言っても、ほんの僅かな期間でしたけどね。さっぱりとした、気性の良い人だった印象です」
「ええ。同感です。夜に眠らないのが玉に瑕ですが」
赤城さんは苦笑いした。それが川内らしさなのだと彼女は言った。
「ああいうはっきりしたヤツばかりなら、世の中楽かも知れない」
「楽、ねぇ……そうかも知れません。でも、一見気難しいように思える人も、意外に素敵な所があるものですよ?解りやすさばかりが、人の良さではないのです」
赤城さんは、繰り返し繰り返し頷いた。そういう知り合いがいたのだろうか。
「初代のことも、川内に聞きました」
「ああ、なるほど。その手がありました」
「その初代司令官。驚いたことに、私の知り合いでした。というか、前の基地でとても世話になった人でした」
赤城さんは意外そうに、眉を上げた。
「あ、あら?じゃあ、此処のこと、教えてもらえていたのでは?」
私は首を振って否定した。仔細に説明しようかとも思ったが、先刻の悔しさがぶり返してきたので、話を逸らした。
「神通さんのことも、気になって尋ねたんですが…。あまり新しい情報は得られませんでした」
「ふぅん?私の目からはあの2人……少しギクシャクしているように見えましたね、当時」
「仲が悪かった?」
「いいえ?でもお互い踏み込みきれていないというか……。なんと言いましょう、倦怠期?」
「ふぅむ……神通さんの様子にも合点がいきますね。あの2人の関係が気になる所だ」
赤城さんは、首を傾げた。
「何だか、主旨がズレてませんか?」
「え?そうでしたか?」
「2人の関係ではなくて、貴方をどうやって元に戻そうか、その手がかりを得る為の電話だったのでは?」
「ええ、はい。確かに……何だか、妙に気になってしまって」
瑞穂さんの影響だろうか。人の恋愛がやたらと気になるのは。
ふと、赤城さんは思い出したように顔を上げた。
「あ、そうそう。さっき、瑞穂さんをお手洗いに連れて言ったとき、おしゃべりしたのだけど。やっぱり、私の予想は当たっていましたよ。彼女、貴方を艤装の口の中に隠していたようです」
「あ、ああ。そういえば、そんなことを」
当たって欲しくはなかった。とりあえず五体満足で生還したので、とやかく言わないが。
「何でも、粘膜の接触があると、その…海?の、受け渡しに都合が良いのだとか」
「へぇ……それは、確かに心当たりが。絶対邪魔が入らない場所で、漬け物を熟成させたわけですね」
「つ、漬け物…。まぁ、そういうことに」
「そうでしたか、口の中に。空恐ろしいことで……」
そこまで言って、私はハッとした。口の、中?
「口に含んで…海を」
……先刻、私はとんでもない間違いを犯したのではないか。妖精さんは、私の願いを、聞き入れてくれていたのではないか?瑞穂さんの〝海〟を直接返せないなら、艤装を経由して返せばいい。
「あ、赤城さん、わ、私は少し、用事が」
「用事?まぁ…かまいませんが。本当に、早めにお休みなさってね?」
「はい。休んできますよ」
何処で、とは指定しなかった。あまり、居心地は良くなさそうな予感があった。
ごめんなさい。モンハンやってました。