サルベージ   作:かさつき

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こんにちは


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 目を覚ましたとき、時計は正午を示していた。私の体温を吸い上げた布団を押し退ける。

 喉が乾いた。枕元に置いたペットボトルの水を流し込むと、胃のかたちが分かりそうなくらい冷えきっていて、身震いした。

 

「もうちょっ…と…」

 

 腹は減っていないし、談話室に今すぐ出向く必要もないだろう。それより、もう少し横になっていたい。考え事をするのが億劫だ。固い布団だが、ぼちぼち愛着も湧いてきた。いましばらく、温いシェルターに引きこもっていようか。

 

「昼食か……んんむ…」

 

 赤城さんは昼食時に起こす、と断って出ていった。だとしたら、そろそろしっとりした声音の目覚ましが聞けるころ。それはあんまり贅沢な気がして、しぶしぶ布団を畳みにかかった。

 

 ***

 

 談話室には、ヒトミさんが1人でいた。私を見るなり、少しの会釈と笑顔、そして、何かに驚いた顔。まぁ、髪の色が治ったことは伝えていなかったし。いつも通りーーでは、ないか。表情に影がない。何というか、熱っぽい。面映ゆい感じがどうしても拭えなくて、壁に目線を流してしまった。

 

「どうも…」

「あ、あの。治った、んですか。髪の毛」

「ええ、はい。おかげさまで」

「あ……そう」

 

 微妙な間が開いて、ずいぶんさっぱりした挨拶が返ってきた。少し、顔が強張ったような……気のせいか?

 

「赤城さん、は…いないですね?」

「確か、…さっき神通さんと、お話しを…」

 

 つい15分ほど前のことだと彼女は説明した。妙に深刻そうな様子だったとか。

 

「ム……また何か、良からぬことが?私は呑気にも寝ておりましたが」

「さぁ…。詳しくは…聞いてない、です…」

「そうですか…」

 

 ヒトミさんが思い出したように顔をあげた。

 

「あ、あの。おにぎり…。赤城さんが、貴方にって」

「おお。ありがたい…」

 

 炊き込みご飯を作ったのも少し懐かしい。あの時の、あの炊飯器の横に、ラップをかけて置いてあった。昆布、鮭、おかか。旨い。

 

「あの…考えて、ました」

 

 食後、歯と歯の間に挟まったかつお節を除去していると、ヒトミさんが真剣な面持ちで切り出した。自然と私も居ずまいを正した。

 

「考えた…ん、ですけど。すごく、困って…ます」

「困っている?」

「すごく、複雑でした。色々、…ある。というか」

「ふむ…。得てして、人の感情は複雑なものかも知れない。名前を……なんぞと言いましたが、何もまるっきり1つに絞れとは言いません。強いて言うなれば…?」

 

 彼女は私が話す間、机を見つめていた。顔をあげた彼女の瞳は、ひどく淀んでいたような気がした。

 

「ヒトミさん?」

「さっき、解らなくなったんです」

「〝さっき〟?解らなく…〝なった〟?」

「はい。私、少し、残念でした」

「残念とは……」

「髪の毛の色……治ってたから」

「え」

 

 先刻の間の意味を、理解した気がした。私の手の甲に、掌が重ねられた――ヒトミさんが机越しに上体を乗り出して、私に顔を近づけた。彼女の吐息が顔を撫でる。無表情の中心にある深海みたいな色の瞳が、私の視線を捉えて逃がさなかった。

 

「どうやっテ、治しタの……?」

 

 彼女の指が、私の指をからめとっている。

 それは体温を愛撫するように。

 あるいは、深淵へ引きずりこむように。

 優しく悩ましく、しかしおぞましく、少しだけ寂しく、蠢いて、すがりついている。

 

「よ、よ…妖精さん、です。さっき、格納庫で、色々と」

「はい。……はい。そうだと思って、ました」

 

 彼女の指が離れ、手が離れ、最後に顔が離れた。ヒトミさんは、少し俯いてーー幾らか沈んだ声ーー話し始めた。

 

「すみません。私、この感情の名前は、恋、だと思ってました……さっき、までは。でも、もっと…汚い、何か…でした」

「……」

「最低、ですね……私」

「そこまでは……。言いません」

 

 彼女は首を振った。

 

「貴方も、一緒になってくれた、って……思ってたんです」

「一緒に……同じ、中間体に?」

 

 過ぎた何かを惜しむような時間があって、彼女はうなずいた。二の句が継げないでいると、ヒトミさんはのっそりと動いて部屋を後にした。ひきとめたが、彼女は少し振り返っただけで、何も言葉を交わせなかった。

 

 ***

 

 談話室から出た直後、赤城さんに出くわした。

 

「ああ……赤城さん。どうも」

「おはようございます」

「おにぎり、ごちそうさまでした。とてもーー」

 

 世間話の序でに、ヒトミさんのことを相談しようと考えていたが、彼女は私の言を遮った。

 

「いいです。それはそうと、少しの間、距離をおきます。貴方の安全のためです。詳しくは津田さんに。それでは」

「え?赤城さ……」

 

 言うが早いか、彼女はそそくさと自室へと戻っていく。なんともいえぬ気まずさと戸惑いを腹に抱え、呆然として残された私は、話に上がった津田さんを訪ねるべく、歩を進めたーーのだが、その必要はなかったらしい。件の人は、私の前方7メートル。手を擦り擦りしながら、官舎に入ってきた。

 

「つ、津田さん…!あの、ええと、赤城さんが、詳しいこと?を聞けと」

「あ、ああ。はい。貴方に伝言を、とのことで。いや、私もいまいち理解してはないんですが。……んー」

 

 彼は、こめかみを撫でながら考えている。何から話すべきか悩んでいるように見えた。

 

「とりあえず、お昼食べながらでいいですか?ちょっとの間、神通さんに、電話番を代わって頂いてまして…」

 

 そのときまで、私は酷く混乱していたが、彼の一言で良くも悪くも肩の力が抜けたのだった。

 

 さて、せっかく切ったが、また出番だ、おんぼろストーブ。点火に手子摺る私を尻目に、津田さんはいつものようにーー栄養は大丈夫なのだろうかーー棚からカップ焼きそばを取り出した。私に背を向けたまま、湯沸かしポットの残湯量を確認する。さっき私が茶を汲むのに使ってしまったから、半分も残っていない。カップ焼きそばを作るには不足だ。

 観念して水を継ぎ足しながら、彼は、要領を得ないことを話した。

 

「なんでも、貴方から良い匂いがしたそうで」

「は……匂い?」

 

 赤城さんの言葉、そのままなのだそうだ。言葉の意味が解るのに、ここまで意味の解らない言葉もない。距離を置く理由は、それだけかーー匂い?

 

「私が言った訳じゃ、ありませんからね?彼女本人の言葉を、そのまま伝えるだけですから。くれぐれも」

「はぁ…」

 

 妙な前置きをした彼は振り返って、ばつが悪そうに言った。

 

「貴方を襲いかけた……んだそうです。その、匂いのせいで」

 

 先刻とは異なる意味で、私は呆然とした。

 

「まさか。さっきの、あれか…?」

「心当たりが?」

「布団に組み伏せられて」

「う…わぉ」

「何かされた訳じゃないですよ…?」

 

 津田さんは苦笑いをこぼした。

 

「まぁ、そういうわけで…。赤城さん、貴方と顔を合わせると何するかわからないそうです。しばらく距離を置く、と」

「そういえば、あの時……那珂さんも、同じようなことをーー」

「おやまぁ、余罪がおありで?」

 

 余罪って。これは私のせいか?軽口を叩く彼を目で咎めると、肩を竦めた。

 洗濯室での那珂さんを思い出す。必要以上の力で私を壁に押しつけたのは、私から潮風の香りがしたからだ、とかなんとか。

 

「潮風の香り、ですか。赤城さんも言っていました」

「私の体、一体どうなったんだ…」

「健康診断では、無理ですね。少なくとも、髪の色は治ったようですけど」

 

 湯沸かしポットが、やたらと甲高い『アイネクライネナハトムジーク』を演奏した。津田さんはカップ焼きそばのかやくをふりかけながら、しみじみと言った。

 

「一個が片付くと、また一個問題がおきますねぇ。いやはや」

「やはり……私のせいでしょうか」

 

 至って真剣だったのだが、彼は吹き出した。

 

「そんなことは言ってないじゃありませんか。今はあの人の知恵も借りられそうなんですし、何とかなりますって」

「あの人?……ああ、先生…。ムぅ、いや、それは」

「わだかまりや引け目があるのは解りますがね。回り回って彼女らの為。ここは1つ、不服を呑み込むのが上に立つものの仕事でしょう」

 

 率直に言って、頭が痛い。この数日で、色々起こり過ぎではなかろうか。瑞穂さんの件にもまだ落とし所が見つかっていないというのに。

 

「さっき、ヒトミさんと、話したんですが」

「落ち込ませちゃったとか?」

「え…!解るんですか」

 

 なんとなくね、といって彼は湯を注いだ。私が事の顛末を話すと、ゆっくり諭すように語りだした。

 

「彼女らの在り方に、艦艇としての根っこがあるにしても、精神の構造は年頃の娘さんなんですよ?何年も抑圧される環境に置かれて、ある日突然貴方が現れて、唐突にいなくなって、かと思えば髪の毛真っ白にして戻ってきて、次に会ったら治っていて…。毎日、心の中で地殻変動が起きてるようなものだ。朝言ってましたね、感情に名前をつける、とか」

 

 無茶をお言いで、と一旦切って、更に続く。

 

「今のごちゃごちゃになった頭で、パッと答えをだすのは無理ですよ。しかも彼女、結構ネガティブでしょ。自分の中の暗い部分、悪い部分にまず目がいく。色々湧いてくる感情を、悪い方へ捉えてしまう」

「……そんなつもりは」

「貴方に悪気がないのは知ってます。でも、悪手だったとは思いました。ひょっとしたら、1つの拠り所だった貴方への好意すら、何か薄汚い…悪いものだとか、思ってしまったのでは?」

 

 この人はヒトミさんのことになると、やたら鋭くなる。

 

「なんというか、彼女には隣にいる人が必要なんですよね。良い所を自覚させてあげられる人」

 

 カップ焼きそばの蓋は、伸ばしても伸ばしても戻ってくる。後入れソースの袋を置いて、ストッパーにする。

 

「本来それは、周囲の潜水艦娘さんの役割なんでしょう。未だ行方知れずの妹さんとかね。しかし、幾分この基地といえども、限界が」

「潜水艦娘……同じ立場で、ものを考えられる人?」

「そうです。中間体の皆さんに次いで、貴方はある意味、彼女に最も近づいた〝人間〟だった。特別な感情を抱くのも無理ない」

「……瞬く間に離れてしまいました」

 

 津田さんはもう一度吹き出した。

 

「はは、そうですね。まぁでも、仕方ないことです。確かに、彼女の落ち込み具合はひとしおで、察するに余りあります。だけど、貴方の生を尊重することも大切ですし、それは、ヒトミちゃんが成長すべきところだ」

「はい…ありがとうございます」

「だからといって、不器用な彼女の好意は〝最低〟なものなんですか?」

「そうは思いません。……ちょっと、歪なだけで」

「でしょ。だったらもう一度話すべきです。今度は、貴方が気持ちを伝える番だ。さっき聞いたお話には、そこだけが抜け落ちてました」

 

 言われて、少々気恥ずかしくなった。確かに、ヒトミさんに話させてばかりだった。大の大人が、情けないことだ。

 

 この基地に来て、ヒトミさんと話した言葉をいくつか思い起こしてみる。この基地がどうとか、中間体がどうとか……そうだ、何処かーー客観的なことが多い、かもしれない。私個人は、彼女個人にどんな思いを抱くか。なし崩しとはいえ唇を重ねた相手に向けて、何を思うのか。立場はいったん脇に置いて、率直な言葉をぶつけてみよう。

 

 前の基地でだって、そうしてきた。成功もしたし、失敗もした。そこを歪めるくらいなら、私は此処からいなくなったほうがいい。

 

 

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