「すみません、お待たせしました」
「おかえり。大丈夫だった?」
「差し当たり、できることはやりました。此方としては、大淀さんが早めに回復してくれるのを、祈るばかりです。明石さんにも、その旨伝えました。後々連絡が入るだろうとも」
何かが解決したわけではないが、我々にできることは十分やっただろう。
そういえば、事務室に津田さんの姿が無かった。時計を見てみると、見張り番の交代時間に差し掛かっている。どうやら彼は、次番の萩風さんの所へ、声をかけに行ったらしい。
見張り番は、午前8時間半、午後8時間半、深夜7時間の3回交代で行うことにした。漁船警護の時間割とは異なって、インターバルを設けられない。なんにせよ、瑞穂さんが抜けた分は大きかった。
仮に私と津田さんが見張りをしても、万一の時に鎮圧不可能だ。そこで、監視は女性陣に任せ、食事の用意は専ら男手で行うように申し合わせた。〇七〇〇、一三〇〇、一九〇〇の3回。夕食時は、体を拭くためのタオルとお湯も用意する。
ところで、津田さんは基本的に弁当用の冷凍食品を詰めるだけだし、私は精々、炊く焼く炒めるぐらいの男料理しか作れない。瑞穂さん、口内炎など患ってしまわないだろうか?今更心配になってきた。萩風さんを待ちながら、2人にそのことを相談した。
「一応、野菜を多めにするつもりですが」
「そう、ね。暫くは、大丈夫だと思いますよ。しかし、今後もずっと、となると……やはり」
結局はそこに収斂されるのだ。午前中ずっと悩んでいたが、遂に結論がでていない。しかしもう、今日のうちには判断すべきことだと思う。いつまでも手を拱いていては、皆の不信が高まる。
「那珂さんは、今の状況をどう思っていますか?瑞穂さんの件です」
歩み寄ったのに突き放されたことを、だ。午前番の那珂さんは、今日この後トレーニングに向かうらしいから、思いを聞いておくなら今のうちだ。
「どう…かな。良くはないんじゃない?」
「私も同感です。この状況を決して良くないものだと思っています。でき得る限り早期に決着をつけなければ、と」
「ん?うん……まぁ、そうだよね」
いまいち煮えきらない返答をして、那珂さんはあらぬ方向に顔を向けた。この話題を避けたいのかも知れない。
「ただ、拙速に物事を進め、わだかまりが僅かでも残ることも、悪手だと思います」
「うん……うん。そう。そうだね。ホントに困っちゃうよね」
「しかし一方で、今すぐに全員が納得する答えは、無いと思っています。人間関係に特効薬はない。今後も何かにつけて、今回の一件が頭を過ぎることでしょう」
「じゃあ……どうするの?」
そう告げると、漸く那珂さんはこちらに向き直ってくれた。少しだけ驚いたように目を見開いている。監視役が凍えないように置かれたストーブの光を反射して、透明感のある彼女の瞳は、ユラユラと濡れ輝いた。何かを期待していて、しかし、不安でもある――アンビバレントな感情が、問いかけを介して、私に預けられた。
「せめて、目的意識を共有すべきだと考えます。全員で何か1つのことをやり遂げることが、必要かと」
「例えば?」
私は無言を返した。那珂さんには隠しようもないので、それで十分だった。正直、なんのプランもない。考えている最中だ。
「そっか……」
「すみません……」
那珂さんは、どこか寂しそうに笑った。
「……なんかさ。あのことがあってから、モヤモヤしっぱなしなんだ。私は瑞穂さんのこと、なーんにも知らなかった。最初のうちはね、裏切られたー、なんて思ってた」
「最初は、ですか?」
「裏切るっていうのは、仲間なことが前提だよね。でも、そもそも仲間じゃなかったんだよ。私と瑞穂さんは」
「そんなことは、ないと思いますよ?」
那珂さんは暗い顔で、首を振った。
「朝ごはん運んだ時に、色々話したの」
「そうでしたか。瑞穂さんは、なんと?」
「謝られた。こっちこそ、何も知らなかったのにね」
あんなこと、誰かに相談できるわけないか――那珂さんは、多分、そう呟いた。か細い声で、よく聞こえなかったが。彼女のいう仲間とは、互いに理解しあう関係を指すのだろう。
「私……本当に深海棲艦なのかな?」
「やはり、気になるものですか」
「そりゃあ……ね」
私は否定も肯定もしなかった。だが、この基地へ着任して数週間、つくづく思っている――深海棲艦、艦娘、中間体――これらは全て、どこかの誰かが勝手につけた名前だ。ただの分類名に過ぎない。いま、目の前に生きているこの人がどんな人物なのか、関わってみなければ判らない。
「貴女は……那珂さんです。ダンスが上手で、明るく前向きで、話しやすい人だ。しかしもし仮に、貴女が深海棲艦なのであれば、それはある意味、私たち人類にとって、希望でもあります」
「どうして?」
対話の余地があるとを信じられるから――海を埋め尽くす人類の敵が、実は良き隣人かも知れないと信じられるからだ。しばらく静観していた神通さんが、そこで口を開いた。
「那珂ちゃん。今日私たちが貴女を訪ねたのはね?そういうことも全部含めて、私たちが何者かを知るためなのよ。その、1つのアプローチ」
「でも……私なんかに訊いても」
「いいえ、貴女だからこそよ。そうでしたね?」
神通さんが私に向き直った。空気を読め、という言外のメッセージを受信した気がする。
「ええ、神通さんと同型艦であるにも関わらず、私と那珂さんの〝海〟の相性は異なっている。おふたりの違いを考えることが、大きな手がかりになると断言できます」
「ホントぉ……?なんか、いま考えた感じがあるけど?」
「ま、まさか、滅相もない。今ではありません。……ついさっきです」
屁理屈にもならぬ言い訳をした私を見て、那珂さんは吹き出した。
「あっはは。うん、わかった。それで説得されてあげる」
「流石、那珂さんです」
「さっき言ってた通り、モヤモヤは残ると思うけど……私はもう出して上げて良いと思う。あんな暗い部屋でじゃなくて、お茶しながらお喋りしたい」
破顔一笑。那珂さんの笑顔は、いつも向日葵のようである。
やがて、萩風さんと津田さんが、瑞穂さんのための食事を持ってやって来た。2人の姿を確認した那珂さんは、席を立った。
「今回のこと、私は何も……最初から最後まで、ホントに何もできなかったって、思った。色々、自分が情けなくなっちゃってさ。だからせめて、鍛えてくる。私、まだまだ弱いな――」
那珂さんはそう言って、胸の前で拳を握り込んだ。
私からしたら、全くの的外れ。彼女の危機意識が、神通さんの口を割り、津田さんの疑惑を確信へと導いた。そして遂には、瑞穂さんの行為を寸前で食い止める契機になったのである。私は知っている――間違いなく那珂さんは、私と瑞穂さんの恩人の1人だ。
だがきっと、彼女はそれで納得しないのだろう。その腕力を以て、仲間を止められる存在になるまで、自身を鍛え、邁進する心積もりなのだろう。なにせこれから、瑞穂さんと本物の仲間になるのだから。
漢……そう、漢だ。
水雷魂は此処にある。胸が熱いな――。
純然一切、称賛の気持ちだが、年頃の女性には幾分失礼かとも思ったので、口には出さなかった。むろん、無意味である。
「女の子ですけど?」
去り際にしっかりと睨まれた。
***
「なるほど共通点ですか。面白い」
「できれば、細かな艦歴までわかれば、都合がよいのですが」
「神通さん、手っ取り早いものが有ります。ついてきてください」
津田さんに相談してみたら、何やら事務室へと招かれた。彼は、何かのファイルが並んだ戸棚をしばらくゴソゴソやっていたかと思うと、桜色のファイルを取り出した。
「やあ。これだこれ。まさか役に立つとは。捨てなくて良かったです」
「あ。あー……なるほど。わざわざ買ったんですね、津田さん」
私はそのファイルの正体を知っている。神通さんに説明を入れた。
「なんです?何かの、書籍?」
「艦娘型録、という……ええと、7、8年前から作られだした、自衛隊全面協力の……資料、ですね」
艦娘が現れてからというもの、国防の第一線で活躍する彼女たちに対する世間の関心は、留まるところを知らない。そこへ目を付けた広報部が、旧帝国海軍の艦艇を知ってもらい、ひいては自衛隊へ関心をもってもらうために作成したのがこの資料だ。
むろん、艦娘にスポットを当てすぎると国防上の秘密に触れかねない。したがって彼女たちのメディアへの露出は最低限。「艦娘型録」と銘打たれているが、その実態はどちらかというと「旧帝国海軍属艦船一覧」である。それだけ聞くと騙された感じもするが、なんとまぁこの資料、大変な凝りようで、時には艦娘本人も細かく覚えていないような事実をも押さえているらしい。見るものが見れば、唸る力作なのだとか。私たちの目的を達成するために、これ以上のものはない。
「まぁ我々には、そこまで必要のない物なのですが。直接話せますからね」
知ろうと思えば、知ることはできる。しかし人格を持ったが故、他人に触れて欲しくないことも生まれた。興味を抑えられぬなら直接訊けばよいし、それを拒絶されれば、その欲求は心の裡にひっそりとしまっておくべきだ。普通の人間関係と同じである。
「しかし凄いんですよ?当時の乗員や、工廠の造船官がご存命なら、インタビューまで載ってます。むろん、口を揃えて、良い船だ、自慢の船だ、とね」
「そ……そうですか。なんとなく…むむ。いえ、なんでも」
神通さん……誤解でなければ、これはたぶん、照れているのか。何か言葉を発しかけてはもにゃもにゃと、むず痒そうに口籠っている。
たった今、津田さんが取り出したのは「航空母艦編」。他にも、「戦艦編」「巡洋艦編」「駆逐艦編」「潜水艦編」などなど、後から次と積み上げていく。聞くところ、このファイル群には、第二次大戦が勃発する前も後も関係なく、ほぼ全ての艦船を記録する意気込みなのだとか。〝今後艦娘として現れるかも〟という発想だそうだ。もう既に総括的・網羅的資料として十分だと感じるが、今後も漸次、アップデートされていく見込み。
その1冊1冊が、ズッシリ重い――制作者の気合も重い。誰が全巻集めるのだろう?
「それ以外はどんな内容なのですか」
「艦のスペックなどですね。あと、艦歴や、縁のある人物、印象的な出来事……」
津田さんが説明すると、神通さんは少し唸った。
「艦の、スペック……女性のデリケートな部分を、広く公になる資料に載せるのは、如何なものかと存じます」
「デリケート?そんな事実は特に……あぁ、排水量のことですか?」
「あの、津田さん……やめてくださる?」
結構な怒気のこもった彼女の言も、ヘラヘラしながら肩を竦めるくらいで流せる津田さんは、肝が据わっている。
「どれどれ……艦歴に何かのヒントがあるかもですね。2人で手分けしましょう」
「ありがとうございます……しかしその、どこから手を着けるとよいのやら。なにぶん、資料が膨大ですから。1つテーマを決めません?」
私がそのように提案すると、ふむ、と言って津田さんは黙った。そして、私に顔を向けた。例えばなんだ、ということらしい。
「そうですね。例えば先刻、明石さんに連絡をしたとき、初対面の日のことを話したんです。彼女が私に不快感を覚えたのは、どうも思い違いだったというか…」
初対面の日、3月30日は工作艦明石の戦没日だ。
パラオでの空襲――爆撃の雨に打たれた彼女は火炎に包まれた。重油タンクへ引火したことで更に大炎上し、消火の見込みがなくなったことで、この日、彼女は放棄された。
いわば自分の命日だ。そんな日に折り悪く、挨拶などしに来てしまった男へ、悪印象をもつのは不可抗力的である。ただ、それがある意味、1つのヒントかも知れないと感じた。
「要するに、不快感を覚えるような記憶。いわば、事件、事故の類。そんな経験が、実は共通しているのでは、と」
それが〝海〟の相性にどう影響しているのかは、一切判らないが。
「よし、それで行きましょう。事件、事故ね。マーカーお貸ししますから、気になる所にどんどん線引いてください。神通さんはゆっくりしていてください」
「……では、お茶でもお入れします」
当てどなく、活字の海へ漕ぎ出した我々が、首と肩と眼の疲れに音を上げたのは、一六五〇。終業が近づき、日もそろそろ傾こうかという時分になった頃だった。