【停滞】湖の騎士 異聞録 (旧題偽・湖の騎士伝) 作:春雷海
……原作と比べるとかなり改変したかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
「あいよぉ、連れてきたよマスター」
エウリュアレを連れ込んできたヘクトールは優しく床に転がしては、そう答える。
言葉とエウリュアレを見た金髪の青年は満足気に頷いていた。
「お疲れお疲れ、長い海賊生活一応はご苦労様と云っておこうかな。 メディア、彼にラム酒を上げてやれ。この時代じゃ高級品だよ、文句は言わずに感謝してくれよ?」
「はいはい、感謝しますよ、マスター」
「本当ならこんな酒よりも水がいいんだけどねぇ……全く水はすぐに腐るからダメなんだ、酒だとアルコールがあるしあまり動かなくなるじゃないか。僕ならそんなもの耐え切れないね、まったくケイローンの奴はどうして生活関係のものを教えてくれなかったんだ。わかりやすい授業だから耳障りだ、もう少し生活に役立つものを――――」
独り言が始まったと思いきや、次第に自分の世界にのめりこみ、ヘクトールのことを見向きもしなくなった。顎に手をやって生前の記憶を振り返りながら独り言が止まらなくなる。
「……あぁまた入っちまったか、困ったねこりゃ」
ヘクトールはため息をついて少女からラム酒を受け取り、飲み始める。
このマスターは人間性としては一応は悪くないのだが、どうしても考え始めると自分の世界に入ってしまう傾向が見られる。
「諦めてください。 イアソン様はどうしてもあのような性格なので」
「オタクも大変だねぇ……生前の苦労が思い浮かべちまうよ」
「まぁ。私たちの生活と苦労を勝手に妄想と想像されては困ります……あれでも私は楽しかったのですよ」
少女――メディア・リリィの笑顔を見て、ヘクトールの背筋は思い切り冷えた。
表情は確かに笑みを浮かべているものの、器用に目だけは殺意と怒りに満ちて睨んでいた――「お前ごときが語るな」と言わんばかりに。
マスターがこれなら彼女も同類のようだ……視線から逃れるようにヘクトールはラム酒を被るように再度飲むと――。
「ちょっと! 私を無視しないで、勝手に話し始めるんじゃないわよっ!」
……そういえば、エウリュアレを連れて込まれたのを思い出した。
全員が視線を向けると彼女は白いドレスが若干乱れながら芋虫のように転がされ、手首は縛られている姿。
「あぁ、失礼いたしました、女神様――僕はイアソン、卑しいながらも嘗ては立派な王だった者だよ」
「私を敬えるくらいの礼儀があるなら、これを外してもらえないかしら。跡が付いちゃうのよ」
「それはできないねぇ、出来るわけがない! 何せ女神なんて謳われても戦闘力のないあなたなんて、オレの配下を相手でも手も足も出ないだろう? そして、あなたはただの奴隷さっ、全然怖くないねぇ!」
額に手を添えて傲慢に叫ぶが、イアソンの両脚はぶるぶると子羊のように震えていた。
サーヴァントであるエウリュアレに放たれている神性と怒気に体制がなく、怯えてしまっているのだ。
「はっ、はははは! 因みにこの震えは武者震いさっ、いいねぇもっと来なよ、そうすればもっと僕は強くなれるからさぁあああああああ!」
やけくそ気味に叫び出したイアソン……そんな彼に寄り添ったのはメディアリリィだった。
「もう幾ら何でも情けなさすぎますよ、少しは素直になったらどうですか? 怖いからやめてくださいって」
「お前本当に遠慮なく言ったなぁ!? 折角ごまかしたのに……っそんな遠慮しないところがお前の嫌なところで嫌いなところだよっ!」
既に誤魔化しが聞かない状態であるのにもかかわらず、イアソンは八つ当たりにも近いように声を荒げる。
そんな彼に苦笑するメディアリリィに対して更に苛立ちが来たのか、詰め寄った。
「何を笑っているんだぃ、何がおかしいんだよぉッ!?」
「……イアソン様って子供だから素直になれないんですよね…………本当は私のことが好きなくせに」
小悪魔と加虐性を含めた笑みを浮かべながらイアソンの胸を人差し指で撫でた。
「ふふふっ、本当に可愛らしい」
「う、うるさいっうるさいっ! 揶揄うな、そんなことで誤魔化されないんだからなっ!」
怒声を挙げて、勢いよく離れたイアソンはそのまま船内の扉を荒々しく開ける。
そしてこれまた、足音を大きく立てながら船内に入った――後ろから見えた彼の耳が赤く染まっているのを見てメディアリリィは満足気な笑みを浮かべた。
「あぁ……生前に成しえなかった、イアソン様の揶揄い。なんてかわいらしく快感に満ちたものなんでしょうか……」
「おじさん、あんたが怖く感じるよ」
ヘクトールはイアソンに心底同情する――愚弟と似てそうで似ていないマスターを。
小悪魔としか言いようがないメディアリリィに気に入られて、揶揄いまくられている彼が不憫でならなかった。
「……なんなのよ、こいつらは」
最も不憫なのは、誘拐されては目の前でラブコメ擬きを見せられて床に転がされているこのエウリュアレだろう。
彼女は普段なら決して見せないだろう唖然とした表情でその光景を見つめては、呟いた。
しかしそんな彼女を気にも留めずにメディアリリィはヘクトールに顔を向ける。
「それで、ヘクトール様? ちゃんとこちらに来るようにしたのでしょうか?」
「あー、はいはい。ちゃんとオジサンは仕事しましたって……しっかしあのマスターは本当に馬鹿だねぇ。『カルデアのお嬢ちゃんたちを見極める』とか何とか云わないで、折角手に入れたこいつを使えば、望みをかなえられるのにねぇ――」
ヘクトールが取り出したのは、黒髭から奪い取った聖杯。
膨大な魔力を感じるこの杯をメディアリリィは両手で受け取り、胸に抱えるように持ち込んだ。
「あの方は聖杯を使うことなど望んでいません。それで成しえることは卑怯だと思い込んでおりますから……あの方が望むのはすべて自分の力で成しえなければならないという概念に囚われているのです――聖杯を利用して手に入れても何も意味がないと知っているからこそ」
「……まぁ、それを傍らで見守りながら敢えて何も言わないで放置するというあんたも性格悪いよなぁ。それを直そうとは思わないのかい?」
「思いません、思うわけないじゃないですか――だって」
刹那、ヘクトールは背筋が凍って一筋の汗が伝った。
それはメディアリリィの黒く歪んだ笑みを間近で見てしまったからだ。
「だって、折角イアソン様が歪みながらも頑張っているのに―――それを台無しにしてしまうなんて勿体ないじゃないですか」
必死に足掻くイアソンの姿を眺めていたいという欲の為だけに、言葉を発さずに敢えて見守るという選択をした。余りに身勝手で歪んだ考えを間近で聴いて感じたヘクトールは引き攣った笑みを浮かべて一言。
「いやぁ、本当に…………あのマスターには同情するわ」