どうやら夢を見ていたらしい。
ずいぶんと昔に過ぎ去った思い出。
見回すと、部屋の壁には何枚もの絵が飾られている。
結婚したばかりの頃に描かれたもの。
その絵の中では、若かりし頃の俺とふたりの妻が笑っている。
隣には、オッサンから建国記念に贈られた2枚の絵。
『魔王の最期』と名付けられた絵には、黒い闇を斬り裂く光の剣が描かれている。
『勇者の旅立ち』という絵には、水平線の向こうに消えようとする船の姿が。
一応、友好の為に描かれたはずだが、前者には片隅に破壊される城の姿。
後者には、船の脇に大きな水柱が描かれている辺りにオッサンの悪意が見て取れる。
そのオッサンも、20年程前に死んでしまった。
今は、ローラとの間に生まれた長男が、オッサンの後を継いでいる。
6人もいた息子も皆、成人して自立した。
最後に描かれた絵には、ローラとシアちゃん、そして、6人の子供たちの姿。
息子達は今や、方々に散らばり、街の領主になっていたり、新たに国を興したりしている。
「世界征服が完了致しましたわ」
そう言って笑う、ローラの姿が思い起こされる。
そんな彼女も、5年前に逝ってしまった。
今、俺のそばに居るのは、もう一人の妻だけ。
ベッドに崩れ落ちるように眠っている彼女の頬に手をのばす。
老いて節くれ立った手で、柔らかな感触を味わう。
彼女だけは、昔と何一つ変わらない。
いつどんな時も、俺のそばに居てくれた。
「……んん? なんじゃ、くすぐったい……」
頬を撫でられる感触で目を覚ましてしまったらしい。
「……おはよ…う、シアちゃん」
かすれた声しか出ないのが悔しい。
「……うん? ……!! 目が覚めたのか、あるじ!」
寝ぼけた様子を見せていた彼女も、俺が起きた事に気付くと飛び起きる。
どうやら、また何日も眠ってしまったらしい。
最近は、起きていられる時間が極端に減ってしまった。
医者の話では、もう永くは無いだろうと言う事だ。
きっと、俺が起きるまで寝ずに待っていたのだろう。
彼女はどこか疲れた様子を見せている。
「何…日……?」
前に目を覚ましてから、何日経ったのだろう?
そんな簡単な事も言葉に出来ない自分がもどかしい。
「もう、3日も経っておる」
彼女にはそれだけで解ったのだろう。
俺の知りたかった事を教えてくれる。
「それよりも、あるじ。とっとと目をつむらんか!」
言われた通りにすると、唇に柔らかな感触。
結婚当初から続いている朝の習慣だ。
何十年と続いているのに、未だに照れる彼女の姿が微笑ましい。
でも、これで最後になりそうだ。
「何かして欲しい事はあるか?」
「……手を、…手を握ってて…欲しい」
訝しげな表情を浮かべながら、俺の手を握ってくれる彼女。
「……ありがとう。ずっと、そばに居てくれて……」
「突然、どうしたんじゃ?」
彼女の手を強く握る。
それだけで、何かに気付いたのだろうか。
「待っておれ、すぐに医者を連れて来る!」
席を立とうとする彼女を引き止める。
「いいんだ……。シアちゃんが居てくれれば、それでいい」
俺の言葉にしたがって、再び椅子に座り直す。
そして、しっかりと手を握る。
もうほとんど何も見えない。
世界との繋がりが、彼女の手だけになってしまったかのようだ。
神様がくれた最後の時間。
これから長い時間を一人だけで生きる事になる彼女との別れ。
「何かして欲しいことはあるか?」
再び、そう問いかけてくる彼女にそっと首を振り、最後の頼みを口にする。
「……手を握っていて欲しい。…最期まで」
力が抜けていく俺の手を、彼女がしっかりと握っていてくれる。
俺の魂をこの世に繋ぎとめるかのように、強く握り締める。
やがて、どれだけの時間が流れたのだろうか。
意識が解放されていく。
俺の顔に温かな水滴が落ちる。
何度も何度も。
それが、彼女の涙だと気付いたときには、俺の魂は天に召されていた。
深い後悔の念と共に。
「おお、勇者よ! 死んでしまうとは、情けない!」
懐かしいフレーズが響く。
顔を上げると、さらに懐かしい顔が。
「オッサン?!」
死んだはずのオッサンがここに居るって事は、ここが死後の世界か?
オッサンは黙って俺に紙とペンを差し出す。
「何だ?」
紙には大きく、『いきますか、いきませんか』と書かれている。
どちらかを選べって事か?
単純に考えて、『逝きますか、逝きませんか』って事だろうか?
いや、もしかすると『生きますか、生きませんか』かもしれない。
でもそうすると逆の意味になってしまう。
って、待てよ。
今から生き返れるのか?!
「おぬしの選択を後押ししてやろう。それを見て、どちらかを選べ」
オッサンが指を鳴らすと、空に映像が映し出される。
俺の手を握ったまま、涙に暮れるシアちゃんの姿。
胸が強く締め付けられる。
けれど、戻ったとしてもまたいつか別れの時が来る。
また彼女に悲しい思いをさせてしまう。
逡巡する俺に、オッサンが語りかけてくる。
「魔王とは、世界の理の外に在る者。そして、勇者とは、魔王に対して世界が創りだした呪い」
それは、いつぞやサイモンが俺に言った言葉。
あの後、ふたりのいない所で問い詰めてみたが、アレ以上の事は何も知らなかった。
アイツの話が真実ならば、魔王を倒した俺は死ななければならない。
でも、選択肢を与えられるのは、どういう理由だ?
「そして、おぬしは未だ魔王を倒しておらぬ。故に、死んでもらうわけにはいかん」
はい?
「ちょっと待て! 俺は、確かに魔王ゾーマを倒したはずだぞ」
「一人の魔王に対して、勇者は一人」
オッサンの答えはにべも無い。
どういうことか考えてみよう。
元々、魔王ゾーマは300年前に猛威をふるった存在。
そして、300年前にアルスによって倒された。
復活した魔王は、俺が倒した。
やはり、復活したアルスの加勢によって。
「……てことは、あくまでもゾーマはアルスの管轄であって、俺が倒すべき魔王は別に居る?」
俺が導き出した答えにうなずくオッサン。
「なんてこった……」
あまりにも無情な現実に愕然とする。
けれど、魔王なんて他にいただろうか?
「おぬしの倒すべき魔王は、既に世界の脅威足りえん。それゆえの選択肢」
どういうことだ?
「どんな奴なんだ?」
俺の質問に表情を変えることなく、オッサンは答える。
「おぬしも知っておろう」
俺が知っている魔王?
ま、まさか、ひょっとして……?
「彼女がそうなのか?」
オッサンはその言葉にうなずく。
彼女を倒すために現世に戻るか、それを防ぐためにここに残るかって事か。
……いや、違う。
第三の選択肢が残っている。
「気付いたか?」
オッサンは微笑を見せる。
今まで見せた事の無い表情に、今まで感じていた違和感の正体に気付く。
そう、オッサンが俺に優しすぎる。
「ああ、俺は彼女のもとに戻る」
そう言った俺を慈しむように見るオッサン。
いや……、この人はオッサンじゃない。
「では、行くが良い勇者よ。おぬしが魔王を倒して再び戻ってくる日を楽しみに待っておるぞ」
旅の始まりの時のように、オッサンがその言葉を口にする。
すると、映像に映し出されていた俺の遺体が消え始める。
その手を握っていたシアちゃんは軽いパニック状態になっている。
同時に、今ここにいる俺の身体も透け始める。
なるほど、俺が死ぬときは今までもこんな状態だったのだろう。
「ありがとう、オッサン。いや、神様」
その言葉に、オッサンの姿が光に包まれる。
再び現れたときには、若い女性の姿になっていた。
「私の名は、精霊ルビス。この大地を創りし者。世界が平和であらんことを祈ります」
その言葉を最後に、俺の視界は真っ白に塗りつぶされていった。
「おお?! 勇者よ、死んでしまうとは情けない……?」
何で疑問形なんだ。
顔を上げると、そこは懐かしき玉座の間。
そして、玉座には久しぶりに見る息子の姿。
「もしや、父上…ですか?」
「何だ? 父親の顔をもう忘れたのか?」
そう言う俺に、そばに仕えていた騎士が手鏡を差し出す。
「勇者様、これを」
この男は、あの門番の息子だ。
父親と同じように、俺の息子に仕えてくれている。
母親の教育が良かったのだろうか、それともローラに師事していたおかげかもしれない。
文武両道、質実剛健、父親に似なくて良かったというよりほかは無い。
手渡された手鏡を覗き込む。
俺の顔が、若かりし頃に戻っている。
旅を始めたばかりのあの頃の姿に。
神様も、いやルビス様も粋な事をしてくれる。
「どういうことですか?」
息子が俺に尋ねてくる。
どう答えるべきだろうか?
「まだ、仕事が残ってるんだとさ」
それだけを答えて、別れを告げる。
今は、一刻も早く、帰還を告げなければならない人が居る。
俺は、屋上に上がり、ルーラを唱えた。
俺とシアちゃんだけで暮らしていた、小さな家の前に立つ。
国を息子に任せた後、隠居した小さな我が家だ。
扉を叩いて、その言葉を口にする。
「ただいま、シアちゃん」
途端に、扉が開き、小さな身体が飛び出してくる。
涙に濡れた彼女の顔は、押さえ切れない喜びに輝いている。
「あるじ!」
胸に飛び込んできた彼女を力いっぱい抱きしめる。
ここ何年かは、ついぞ出来なかった事だ。
「ただいま、シアちゃん」
もう一度、万感の想いを込めてその言葉を口にする。
「おかえり、アレク」
彼女が俺の名を呼ぶ。
そして、どちらからともなく唇を重ねる。
話さなければならない事はたくさんある。
けれど、今はこうしていたい。
時間はたっぷりとあるのだから。
勇者の戦いはまだ始まったばかり。
精霊ルビスが願った、世界の平和の為に。
そして、愛する者の笑顔の為に、この世界を生き続けよう。
我が愛しき魔王と共に。
TO BE CONTINUED DRAGON QUEST 2
とりあえずはこの物語は終わりです。
この後も外伝、そしてDQ2の時代へと続いていきますがそれはまた後ほど。
ご愛読ありがとうございました。