私がAqoursの一員となってから一週間が経った。
あの日以降、千歌ちゃんをはじめとしたメンバー全員の協力のお陰で、私の歌とダンスはメキメキと上達し、みんなの練習にも何とか着いていけるようになった。
果南さん曰く、
「動きは身体と頭が覚えているんだから、あとは気持ちを乗せるだけ。そんなに難しいことじゃないよ」
ということらしい。
正直最初はそう簡単にいくものかと半信半疑だったけれど、いざやってみると思いの外順調に上達したので自分でも驚いた。
同時に、やっぱり楽しいと思う気持ちって大事なんだなぁ、と改めて実感した。
作曲に関しては、やはりそう簡単には上手くいかないけれど、これは単にインスピレーションが湧かないだけ。
これからの毎日を精一杯楽しんでいくことが出来れば、きっと私にも私にしか聞けない音が聴こえてくるはず。
そう信じることで、この件に関して今は出来るだけ悩まないことにしている。
そういう訳で、私の目下一番の悩みはひとまず解決した。
これで私の輝けるスクールアイドルライフを阻むものはもう何もない!時間は有限! 時は金なり! 限られた時間の中で、私もあの人達みたいに目一杯輝くんだ!! ………と。
「………………思ってたのになぁ〜」
想定外だった。まさかこんな事態になるなんて、一体誰が想像できただろうか。
悩みのほとんどが解決したにも関わらず、私の眠れない夜は続いていたのだ。
「どうして、こんなことにっ……」
自室のベッドに寝転びながら、思わず嘆きを口にする。
それでどうにかなる悩みではないけれど、口に出さずにはいられなかった。
ふと、カーテンで閉めきった窓を見つめる。その向こう側では、私の悩みの元凶が安らかな表情で眠りについていることだろう。
それを想像すると何だか憎らしくなって、でもその寝顔を見てみたいなんて思ったりもして、色んな気持ちがごちゃ混ぜになって思考ががんじがらめになる。
こんな感情、記憶の中にも無かった。つまりこれは、どちらの私にとっても初めての感情。
その感情の名前を私は知っている。だからこそ、この気持ちが異端なものだと改めて実感する。
だけど不思議と、この気持ちに嫌悪感は抱かなかった。むしろ、どうにかして叶えたいと望む気持ちが強いくらいだ。
「……もう……全部貴女が悪いんだからね」
驚いた。そんなつもりは無かったのに、眩暈がするほど甘い声が自分の口から漏れ出ていた。
本当にどうかしている。まさか自分がこんな腑抜けた状態になると、一週間前の私は夢にも思っていなかった。
何よりも、単純すぎる。これはあれだ、チョロいというやつだ。いくらなんでもチョロすぎるよ私!
なんて自分に悪態をついたところでどうにもならない。だって、何の抵抗もなく、何の躊躇いもなく、その感情の正体を私自身が認めてしまったから。
「……千歌ちゃんのバカ」
私、桜内梨子は、高海千歌ちゃんに恋をしている。
それは紛れもない事実だ。この気持ちを否定するつもりは微塵もない。
ただ、その事実を認めたからこそ浮上する問題が一つあった。
「………けど、どうしよう」
この気持ちにどう向き合えば良いかわからない。
正直に欲を言えば、この気持ちの赴くままに行動したい。
具体的には……そう、例えば……手を繋いで…デ、デートとか……あとこう……ぎゅっ、としたりとかされたりとか……。
と、とにかく! やりたいことは語り尽くせない程ある!
でも、この気持ちが極めて特殊だということも同じく理解していた。
女の子が女の子に恋をするというのは、決して一般的ではない。
否定はしない。諦めることも出来ない。けど、行動に移すための勇気が、あと少しだけ足りなかった。
そう。だから私は、きっと誰かに背中を押して欲しいんだ。
私のこの気持ちが決して間違ったものではないと、私以外の誰かに肯定してほしい。
こんな我が儘で身勝手なことを素直にお願いできる人なんて、普通に考えたらいない。
けど、私がわざわざお願いしなくても、こちらが望む言葉をくれそうな人に心当たりはあった。
スマホを操作してメールアプリを開き、その人の名前が表示されたアイコンをタッチする。
なんだかこの人のことを利用しているようで少し気が引けるけれど、今の私に他に頼れそうな人なんていない。
私は静かに覚悟を決めて、まだ少し震える指でその人宛にメッセージを入力した。
◆
梨子ちゃんが改めてAqoursの一員となり、練習にも本格的に参加するようになった、その週の土曜日。
朝起きると私、渡辺曜のスマートフォンが一件のメッセージを受信していた。
差出人は梨子ちゃん。その内容は、相談したいことがあるから会いたい、とのことだった。
あの日、面と向かって力になりたいと言った手前、いつかそんな日が来ると良いなと心の片隅で期待してはいたものの、予想していたよりも早くその機会が訪れたことにまず驚いた。
どんな相談だろう。私なんかで力になれるのかな。そんな期待と不安で一杯になりながら、はやる気持ちで待ち合わせ場所である沼津駅近くの喫茶店に向かった。
とは言ったものの、やっぱり期待する気持ちの方が強かったとは思う。
私の中の桜内梨子という女の子は、美人で、大人っぽくて、しっかりしてて……とにかく私には無い魅力を沢山持ってる素敵な女の子で、そんな梨子ちゃんが私を頼ってくれているという事実が純粋に嬉しかったのだ。
もちろん、今の梨子ちゃんが今までの梨子ちゃんとは違うということはわかってるし、二人を比較するつもりも無い。どちらの梨子ちゃんも、私にとって大切な仲間で、友達だ。
けど、やっぱり嬉しいものは嬉しい。その気持ちを変に誤魔化すつもりも無かった。
だからこそ、だ。だからこそ、今私は過去最高なくらいに戸惑っている。
それは、梨子ちゃんの相談の内容があまりに予想の斜め上過ぎたからだ。
向かい側の席で顔を真っ赤にし、恥ずかしそうに顔を逸らしている梨子ちゃんを見ながら、注文した紅茶を一口飲んで気持ちを落ち着かせる。
そうして、もう一度さっき受けた相談の内容を頭の中で繰り返してみた。
どうやら、梨子ちゃんは千歌ちゃんのことが好きらしい。
それも『LIKE』ではなく『LOVE』の方で。
「え〜と……梨子ちゃん、もっかいだけ確認して良い?」
「え? ……うん」
私の問いかけに、梨子ちゃんはまだ赤いままの顔できょとんとしながらも頷いて答える。
「梨子ちゃんは、間違いなく千歌ちゃんのことが好きなんだね?」
「……う、うん」
あ、また真っ赤になった。
少し気の毒になってきたけれど、これは確認のため。
決して顔を真っ赤にして照れる梨子ちゃんの顔を見たいからとか、そういう疚しい理由じゃないのです。
……………………………………ホントだよ?
「それは友達としてとかではなく、恋人になりたい! とか、キスしたい! とか……そういう意味での好きなんだよね?」
「えぇ!? キキキキキッキス!?」
「違うの?」
「ちがっ……わ、ないけどぉ………うぅ」
顔だけじゃなく耳や首まで真っ赤になった梨子ちゃんは、羞恥心が臨界点に達したのか、テーブルに突っ伏して顔の下半分を隠してしまう。
そしてその不満そうな瞳だけをこちらに向けると、少し拗ねたような口調でぼそりと呟いた。
「……………………曜ちゃんのイジワル」
なにこの梨子ちゃん凄いヤバイんですけど。
どれくらいヤバイかって言うとうちっちーと今の梨子ちゃんどっちをお持ち帰りするかと聞かれたら何の迷いも躊躇いもなく梨子ちゃんと結婚する。それくらいヤバイ。
うん。間違いなく今の私の思考の方がヤバイね。少し得意技の名前でも言って落ち着こう。
「前逆宙返り3回半抱え型前逆宙返り3回半抱え型前逆宙返り3回半抱え型っ!」
「曜ちゃん!?」
よし、落ち着いた! さすが前逆宙返り3回半抱え型! 頼りになる!
「さて、冷静になったところで本題に戻ろう!」
「全然冷静じゃないよ! 目が物凄い勢いで泳いでるよ!?」
「あはは面白いことを言うなぁ梨子ちゃんは! 私の特技は競泳じゃなくて高飛び込みだよ?」
「とりあえず高飛び込みから離れよう!?」
だ、駄目だ。どうやら私は自分が思っている以上に動揺しているらしい。
さっきから思考がオーバーヒートしかけていて、訳のわからないことを口走っている気がする。
一旦頭を空っぽにして、大きく深呼吸する。大会の本番前なんかは、いつもこうやって身体の無駄な力みを無くしていた。
身体に染み付いたそのやり方は効果抜群だったようで、オーバーヒートしかけていた思考も冷や水を浴びせたかのように冷静になった。
「………うん、よし。今度こそ落ち着いた。ごめんね、梨子ちゃん」
「ほ、ほんとに大丈夫?」
「大丈夫大丈夫! ヨーソロー!」
「あ、ほんとだ。いつもの曜ちゃんだ」
ホッとした様子の梨子ちゃん。自分でやっといてなんだけど、『ヨーソロー』でいつも通りか否かを判断される私って………いや、考えるのはよそう。
「で、話を戻すんだけど……それで梨子ちゃんはどうしたいの?」
少し強引に話を戻し、梨子ちゃんに問いかける。
驚いたし動揺もしたけど、梨子ちゃんの気持ちはちゃんと理解できたし、納得もできた。
ただ、それで梨子ちゃんがどうしたいのかはまだ聞いていない。
「ど、どうしたいって?」
「要するに、千歌ちゃんと恋人になりたいか、ってこと」
私の問いかけに、「こいっ!?」と謎の悲鳴をあげてあたふたする梨子ちゃん。もちろん、顔も例のごとく真っ赤になっている。
しばらくしてようやく落ち着きを取り戻した梨子ちゃんは、それでもやっぱり恥ずかしさは拭いきれなかったのか、視線を顔ごと私から逸らして、紅茶の入ったティーカップで口許を隠しながら、耳を澄まさないと聞こえないぐらいの囁き声で答えた。
「………こ、恋人にっ…なりたい……けど」
何なんだこの可愛い生き物は。
危うくまた暴走しかけた理性を何とか精神で抑える。
本当に、今日の梨子ちゃんはヤバい。少しでも気を緩めると一撃で意識を持っていかれる。
「よ、曜ちゃんは……」
自分との戦いに辛くも勝利していると、どこか不安そうな表情で私を見つめていた梨子ちゃんに声をかけられた。
まずい。もしかして考えていたことが顔に出ていたのかもしれない。
仮に今の梨子ちゃんに「曜ちゃん気持ち悪い…… 」なんて言われたら、正直立ち直れる気がしない。
そんな馬鹿みたいな不安を抱え、緊張しながら梨子ちゃんの次の言葉を待っていると、
「……何とも、思わないの?」
梨子ちゃんは、少し具体性に欠ける質問を投げ掛けてきた。
「………えっと。ごめん、梨子ちゃん。どういうこと?」
「うっ……つ、つまり……」
少し話し辛そうな様子の梨子ちゃん。
何だかそれを見ていると、察しの悪い自分が悪いように思えてきて罪悪感が込み上げてくる。
「ほ、ほら……私は女の子で千歌ちゃんも女の子でしょ? ……だ、だから…その……ね?」
「……あ、なるほど」
そこでようやく梨子ちゃんの言いたいことがわかった。
つまり、女の子を好きになってしまった梨子ちゃんのことを、私がどう思っているのかが気になる、ということだろう。
「う〜ん……まぁ確かに梨子ちゃんがそこを気にする気持ちはわかるけど……」
「……けど?」
「ぶっちゃけちゃうと……凄く珍しい、ってわけでも無いんだよね、実は」
「えっ?」
そう。実のところ、この手の恋愛事を経験しているのは梨子ちゃんだけではなかったりする。
何せうちは女子高で、加えて自分でいうのも何だけれど、私は校内ではそこそこの有名人で人気者らしい。
要するに、私は結構モテるのだ。それも女の子から。
恥ずかしくてあまり大っぴらに話してはいないけれど、Aqoursのファーストライブ以降、沼津駅付近を一人で歩いている時に何度か声をかけられたりもしている。もちろん、全員女の子だ。
流石に付き合ったりしたことはないけれど、そういった好意を向けられること自体は、驚きはするものの素直に嬉しいと思っているし、同性だからと言って嫌悪感を抱いたことは一度もない。
だからと言うわけではないけれど、私は女の子同士の恋愛に対して特に偏見を持ったりはしていない。
だけどそれをそのまま梨子ちゃんに伝えるのは何だか恥ずかしくて気が引けた。だってそれは、自分はモテると自慢してるようなものだし。
「……ん〜っと……ほら、うちって女子高でしょ? だから同級生や後輩からたまに似たような相談受けるんだ。それで一応慣れてるっていうか……」
結局、無難な回答でお茶を濁した。
一応そういう相談を受けたことがあるのは事実だから。
「あっ、なるほど。そっか……確かに曜ちゃん頼りになるし、安心して相談できるもんね」
「い、いや〜、そんな大したことないよ私なんか……」
良かった。梨子ちゃん納得してくれたみたい。全然そんなことないはずなのに、なんだか嘘をついているような気持ちになって少し罪悪感が込み上げてきたけど…。
「まぁそういうわけだから、私は梨子ちゃんのこと応援するよ! 何か力になれることがあったらいつでも言ってね! 全速前進で駆け付けるから!」
罪悪感を誤魔化すように、勢いのある口調で梨子ちゃんにそう宣言する。
その言葉に嘘偽りは無い。正真正銘私の本心だ。
誰もそのことに触れはしないけれど、今の梨子ちゃんがとても不安定な状況だということは、事情を知ってる人全員が理解していると思う。
今の梨子ちゃんは、記憶障害によって生まれた別の人格。その記憶障害が一時的なものである以上、今の梨子ちゃんが私達と一緒にいられる時間は、きっとそう長くない。
だからこそ、今の梨子ちゃんが願うこと、叶えたいことに、出来る限り力を貸したいと思う。
限られた時間の中で、私達の誰よりも輝き、幸福であってほしいと思う。
「……うん、ありがとう。やっぱり曜ちゃんに相談して良かった」
そう言って微笑む梨子ちゃんを見て、改めてこの想いは間違って無いと確信した。
もちろん、恋愛事となると梨子ちゃんだけじゃなく千歌ちゃんの気持ちも考えなくてはいけないため、そう簡単に上手くはいかないだろう。
下手をすると、Aqoursの存続に関わる事態になるかもしれない。
だからそうならないよう、私が二人を支える。何があっても、私が二人の味方になる。
大切な幼馴染みと大好きな親友の為だ。きっと何だって出来る。
まぁ、こんなこと恥ずかしくて本人達には絶対に言えないけれど。
「いやぁ、どういたしまして。でも正直私なんかより、3年生の方が良いアドバイスくれそうだけどね〜」
何となく一人で張り切っていたのが恥ずかしくなり、そんな言葉が口から零れた。
その言葉は、私としてはただの照れ隠しみたいなもので、特に自分のことを卑下したつもりはなかった。
ただ、梨子ちゃんはそうは受け取らなかったみたいで、わかりやすく思いっきり眉をひそめると、いつもより少し強めの口調で不満を漏らした。
「そんなことないよ! 私、曜ちゃんだから安心して相談できたんだよ?」
「え?」
梨子ちゃんの予想外過ぎる反応に驚き、一瞬息が止まった。
そんな私を他所に、梨子ちゃんは強い意思を宿した瞳で勢いのまま言葉を続ける。
「確かに3年生はみんな大人っぽいし経験も豊富そうだし頼りになるかもしれないけど……でも私が一番に思い浮かべたのは曜ちゃんだった」
饒舌に語りながら、恐らく無意識のうちに私の手を取る梨子ちゃん。
今の梨子ちゃんにしては大胆なその行動と、依然として向けられている真っ直ぐなその瞳に、思わず頬が熱くなる。
「だって、曜ちゃん言ってくれたから。千歌ちゃんにも相談できないことがあったら頼って、って。その気持ちは、私が曜ちゃんが知ってる『桜内梨子』じゃないってわかっても変わらなかった、って。……あの時の言葉、私本当に凄く嬉しかったんだよ?」
なるほど。梨子ちゃんが言いたいことはわかった。
つまり梨子ちゃんは、誰かの代わりや消去法なんかじゃなく、自分の意思で私を相談相手に選んだということを明確に伝えたいのだろう。
その気持ちは凄く嬉しいし、そもそもあれは照れ隠しなわけで梨子ちゃんの気持ちは最初からちゃんと伝わっていたわけなんだけど、
「私は……曜ちゃんがいい。曜ちゃんじゃなきゃ駄目なの」
とにもかくにも、そんな告白めいた言葉を戴いたところで、そろそろ私の気恥ずかしさが限界だった。
「り、梨子ちゃん?」
「? なに、曜ちゃん」
「あの……ちゃんと梨子ちゃんの気持ちは伝わったので……そ、そろそろ手をですね……」
「……………あ!」
繋がれた二人の手に視線を移しながらそう言うと、それに気付いた梨子ちゃんは、シュバッ!とかなりの勢いで素早く手を離した。
視線を上げて梨子ちゃんの様子を見てみると、さっきまでの自分の大胆な行動が今更恥ずかしくなってきたのか、耳まで熟れた林檎みたいに真っ赤にして俯いてしまっている。
かくいう私も未だに顔の熱が引かない。
普段ならお互い手を重ねるぐらいで赤くなったりはしないのに、何故か今は異常なまでに気恥ずかしかった。
なんだかこれ以上は耐えられる気がしなかった私は、注文した紅茶の残りを一気に飲み干すと、出来るだけ平静を装って梨子ちゃんに提案する。
「あ……あはは! な、なんか暑くなってきたねー! 外の方が涼しいかもだし、そろそろ出よっか!」
「え? ……う、うん」
全然装えてなかった。東京行きが決まった時の善子ちゃんの格好並みに違和感だらけだった。
私の急な提案に戸惑いつつも、何も言わず頷いてくれた梨子ちゃんの優しさに深く感謝。仮に突っ込まれてたら多分立ち直れなかったです。
不甲斐ない自分のメンタルを反省しつつ、私は伝票を持って立ち上がる。
それにしても、と改めて考える。
本当に、今の梨子ちゃんはとにかく可愛い。可愛い上に、不思議と守ってあげたくなるような、何とかしてあげたくなるような、そんな庇護欲をビシビシ刺激する魅力がある。
これは、以前までの梨子ちゃんには無かった魅力の一つだ。
(しかも、全部天然なんだもんなぁ。正直ズルいと思う……)
気持ちを落ち着かせる為、小さく深呼吸をする。
そうしてレジに向かって歩き出そうとしたところで、くいっと右腕が後ろへ軽く引っ張られる感触に足を止めた。
驚いて振り返ると、私の服の袖を左手で軽く摘まんだ梨子ちゃんが、不満そうな上目遣いで私を見つめていた。
「曜ちゃん、さりげなく支払い一人で済ませようとしてるでしょ」
「えっ」
そう言って、私が持っていた伝票をあっという間に奪い取る梨子ちゃん。
それから逃げるように私を追い越すと、振り返り様に思わず目眩がしてしまいそうな程眩しい笑顔を浮かべて言った。
「相談に乗ってもらったんだから、ここは私が支払います」
「えっ? で、でも……」
「だーめっ。その代わり、また一緒にお出掛けしようね。もちろん、二人っきりで」
「う、うん……」
弾んだ声に器用なウィンクを添えて甘く囁く梨子ちゃん。
恥ずかしがり屋なくせに、こういうところはやっぱり梨子ちゃんだなぁと改めて実感する。
「……ていうか、次もあるのか」
決して嫌なわけではない。むしろ、楽しみなくらいだ。
けど、これ以上梨子ちゃんの魅力にたじたじになるのはちょっと悔しいので、それまでに何とかして対策を考えておこう。
そしてその時はもっとさりげなくスマートに支払いを済ませようと、レジへ向かう梨子ちゃんの背中を見つめながらながら心に決めた。
◆
喫茶店を出た後、私と梨子ちゃんは特に行く宛も無く、お喋りを楽しみながら沼津駅周辺を歩いていた。
その間の話題は、学校での出来事や昨日見たテレビ番組の話など、とにかく他愛もないものばかりで、何となく私から改めて本題に触れようとはしなかった。
無神経に話を聞き出そうとしたり、無理に手伝おうとするのを、きっと梨子ちゃんは望んでいない。
もし仮にそうだとしたら、喫茶店にいた時にそう言っていたはずだから。
多分梨子ちゃんは、自分の中に初めて芽生えた感情を前にして、それをどうしてあげるのが正しいかわからず、私に助けを求めてきたんだろう。
なら、私に出来ることは一つしかない。
「……ねぇ、曜ちゃん」
他愛の無い話しに区切りがついたところで、梨子ちゃんが改まった口調でそう切り出した。
気が付くと私達はいつの間にか中央公園に辿り着いていて、その上まるで空気を読んだかのように周囲に人影は見当たらなかった。
梨子ちゃんからすると、話を本題に戻すには絶好のタイミングだったんだろう。
「さっきの続きなんだけど……本当に良いの?」
「? なにが?」
梨子ちゃんが何を言いたいのかすぐには理解できず、首を傾げる。
一体なんのことだろう?
「……だからその……私が、千歌ちゃんのこと好きって話。よく考えたら、曜ちゃんは平気なのかなって」
「??」
梨子ちゃんの答えを聞いても、やっぱりどういう意図の質問なのかわからず、ますます首を傾げる。
「えーと……ごめん、梨子ちゃん。もちょっと具体的にお願いします」
少し困った笑顔でそうお願いする私。
すると梨子ちゃんは、少し躊躇いつつ、気まずそうな表情でこう続けた。
「………つまりその……嫉妬、とか」
嫉妬。その言葉を聞いて、ようやく理解した。
なるほど。梨子ちゃんは、自分と千歌ちゃんが仮に恋人同士になったとして、私が梨子ちゃんに嫉妬してしまうのではないかと心配しているのか。
「……………ぷっ」
「え?」
駄目だ。堪えきれず吹き出してしまった。
いや、だってこれは仕方ない。そんな心配するってことは、つまりそういうことなんだから。
「ッッ……アッハハハハハッ! ご、ごめっ、梨子ちゃ……そ、それはさすがに、どうかと思うっ…プッ、ククッ」
「えぇっ!? な、なんで笑うの!?」
我慢出来ず大笑いし始めた私に困惑した様子の梨子ちゃん。
まぁそうなるだろうな。何より私には前科があるし、心配されても仕方がないのは確かだ。
けど、それにしたっておかしい。
「いや、だって梨子ちゃん……そんな心配するってことは、千歌ちゃんと付き合う気満々ってことじゃん!」
必死に笑いを堪えながら、困惑した様子の梨子ちゃんにそう断言する。
同時に、言葉にしてみるとまた笑いが込み上げてきて、それを堪えようとして身体が小刻みに震えだす。
「ーーなっ!?」
私の言葉に顔を真っ赤にして驚いた様子の梨子ちゃん。
多分、本人にその気は無くて、純粋に前科がある私のことを心配してくれたんだと思うけど、それにしたって直接指摘されたら恥ずかしくもなるだろう。まぁ、張本人の私が言うのもなんだけど。
「ち、ちがっ! 私そんなつもりじゃーー!」
「大丈夫、わかってるよ。でも喫茶店ではあんなに弱気だったくせに、今はもう付き合う前提で話してるからおかしくて……ッ」
「も、もう! そんなに笑わないでよ曜ちゃん!」
再び笑いが込み上げてきた私の背中を、真っ赤な顔でポカポカと叩く梨子ちゃん。
その攻撃は全然痛くないどころか逆に気持ち良いくらいなんだけど、それを言うとまた怒られる気がするので黙っておこう。
「いたた。ごめん、ごめんってば梨子ちゃん! 謝るからゆるして〜」
「嘘! 面白がってるでしょ!」
「そんなことない! ホントに反省してます、この通り!」
ぷりぷりと怒る梨子ちゃんの方へ向き直り、両手を合わせて頭を下げる。
それでようやく納得してくれたのか、梨子ちゃんは攻撃の手を止め、大きく一つ溜め息を吐いた。
その表情は、相変わらず不満気だ。
「もぅ……今日の曜ちゃんは意地悪ばっかり」
「だからごめんって。もう意地悪しないから、そんな顔しないで」
そう言って微笑むと、梨子ちゃんの表情にもようやく笑顔が戻った。
「なぁにそれ。少女漫画の台詞みたい」
そう言っておかしそうに笑う梨子ちゃん。
そんなつもりはなかったんだけど、許してくれたみたいだからまぁいっか。
「……さっきの質問のことなんだけどね」
梨子ちゃんが許してくれたところで、気を取り直して話題を戻す。
梨子ちゃんの質問の意図は理解してる。
さっきは笑っちゃったけど、梨子ちゃんが心配する気持ちもわかる。
だから、ちゃんと答えなきゃ。梨子ちゃんが安心して千歌ちゃんを好きでいられるように。
「梨子ちゃんが心配してる通り、私多分嫉妬しちゃうと思う」
「ッ………そ、そうだよね…やっぱり」
私の言葉に悲しげな表情を浮かべて俯く梨子ちゃん。
嘘をつくわけにはいかないから仕方がないとはいえ、大切な友達のこういう表情を見るのは心が痛む。
「でも、勘違いしないでね。梨子ちゃんのこと応援するって言ったのは本心だよ」
「え? で、でも……」
私の言葉に戸惑った様子の梨子ちゃん。
そんな梨子ちゃんを安心させるためにも、私は私らしい前向きな笑顔で言葉を続ける。
「あのね、梨子ちゃん。私にとって千歌ちゃんは、小さい頃からずっと一緒に過ごしてきた家族みたいな幼馴染で、かけがえのない特別な存在なんだ。それはきっと、今までもこれからもずっと変わらない」
今まで誰にも言ったことがないどころか、つい最近まで自分でも気付いていなかった本心を、包み隠さずさらけ出す。
正直凄く恥ずかしいけど、梨子ちゃんだって勇気を出して私に相談してくれたんだ。こちらも、それ相応の気持ちで答えないと。
「だから、千歌ちゃんにとって『渡辺曜』よりも特別な存在が出来る度に、私はその人に嫉妬して、心底羨ましがると思う。ホント、自分でも自分のこと面倒だなって思うよ」
言葉とは裏腹に、気持ちの方は落ち着いている。
少し前の私だったらきっと取り乱していただろう。そう考えると少し自分の成長を実感出来た気がして、そんな自画自賛をしてる自分がおかしくて、自然と笑みが零れた。
うん、大丈夫そうだ。今の私なら、心の底から梨子ちゃんを応援できる。
「けどね、だからこそ思うの。梨子ちゃんならしょうがないかな、って」
「…………………………え?」
嘘偽り無い言葉と笑顔で、戸惑った様子の梨子ちゃんにそう告げる。
なんだか混乱させちゃったみたいで申し訳ないけど、これが私の本当の気持ちなんだから仕方がない。
「だって、今日梨子ちゃんと話してわかったんだもん。梨子ちゃんが千歌ちゃんを想う気持ちは、私が千歌ちゃんを想う気持ちよりも……ずっとずっと大きいって」
「なっ!? そ、それは……」
私の言葉に顔を真っ赤にさせて照れる梨子ちゃん。けど、決して否定しないところを見るとその自覚はあるみたいだ。
梨子ちゃんが千歌ちゃんに寄せる想いは、きっと並大抵のものではない。それは喫茶店での様子を見れば一目瞭然だった。
恥ずかしがり屋で臆病なくせに、肝心な時には頑固で簡単には自分を曲げない。
そんな今の梨子ちゃんは、例え何があったとしても、千歌ちゃんのことを一途に想い続けるだろう。
「そんなの見せられたら認めるしかないじゃん。さすがの私もそれに嫉妬して文句言うほど子供じゃないよ」
確かに私は千歌ちゃんが好きだ。誰にも負けないくらい、本当に大好きだ。
けど、梨子ちゃんはその私以上に千歌ちゃんのことを想っている。
そんな簡単な理由だった。けど、私が梨子ちゃんの恋を応援するのに、それ以上の理由はいらない。
「だから梨子ちゃんは、私に遠慮なんか絶対しちゃ駄目だよ。そんなことしたら私、本気で怒るから」
だって、私は梨子ちゃんのことも大好きだから。大好きで、幸せになってほしいって本気で思ってるから。
偽善のように聞こえるかもしれないけど、誰になんと言われようとこればっかりは絶対に譲らない。
そんな意思を込めた瞳で、私は梨子ちゃんを真正面から見つめた。
「………曜ちゃん」
驚いた様子の梨子ちゃんが私の名前を呼ぶ。
その声で熱くなっていた思考が正気に戻り、さっきまでの自分の言動を思い出し、何だか急激に恥ずかしくなってきた。
しかも梨子ちゃんの私を見つめる瞳が、驚きから感動、そして尊敬の眼差しへと目まぐるしく変わっていく。
やめて! そんなキラキラした瞳で見つめないで! ただでさえさっき自分で言ったくさい台詞を思い返して死ぬほど恥ずかしいのに、そんな風に見つめられたら私色々と困っちゃうよ!
「よ、よーしじゃあそろそろ帰ろっか! 梨子ちゃん沼津駅でバス乗るでしょ? 送ってくよ!」
じわじわと込み上げてきた羞恥心を誤魔化そうと、必要以上に大きな声でそう提案する。
同時に、梨子ちゃんの視線から逃れるように駅がある方向へと視線を移し、そのまま背を向けた。
我ながら誤魔化し方が苦しい。そのせいで余計に羞恥心が込み上げてくる。
ぅう……どうせなら梨子ちゃんの前だけでも最後まで格好良く決めたかった。なんで冷静になっちゃったの私!
直前の自分の行動に後悔しながら、駅に向かって一歩を踏み出した。
その瞬間だった。
「それじゃ駅に向かって! 全速前進! ヨーソロぉおっ!?」
緊急事態発生! 突然背中から柔らかいふんわりとした衝撃とやたら女の子らしい良い香りと温もりを感知したであります!
視認こそ出来ませんが、これは間違いなく梨子ちゃんです!
渡辺曜は現在桜内梨子ちゃんに背中から抱きつかれております!
「りっ……りり梨子ちゃん!? ど、どうしたでありますか!?」
慌てて振り返ろうとするが、背中の温もりのせいで何となく躊躇ってしまい、結局首を限界まで捻って顔だけで背中を確認する。
すると予想通り、視界の隅っこに梨子ちゃんの頭が見えた。
「……り、梨子ちゃん?」
何も答えない梨子ちゃんに、もう一度問いかける。
というかこんなに密着しちゃったら私の心臓の鼓動とか丸聞こえなのでは?
いや、背中からなら大丈夫なのかな?
あ、でも病院の先生とかたまに背中に聴診器当てたりするし、やっぱり丸聞こえかも。
「……あ、心臓の鼓動早くなった」
あ、やっぱり聞こえてましたかそうですか。
ていうか聞こえてたなら返事をしてください。
「り、梨子ちゃん? そろそろ離れてもらえないでしょうか?」
「あ、ごめんなさい。迷惑だった?」
「いや、迷惑ってわけじゃないケド……」
恥ずかしくて死にそうなんです! 心臓の音で察してください!
「……あのね、さっきの曜ちゃんの言葉が嬉しかったの」
心の中で大慌てな私をよそに、梨子ちゃんがぽつりぽつりと語り始めた。
声が囁くようなのは、梨子ちゃんも恥ずかしいからなんだろうか。
そうだとしたら、そうまでして私に伝えたいことがあるということだ。
そう思うと、心は自然と落ち着き、身体の方も梨子ちゃんの言葉を一言たりとも聞き逃さないとばかりに耳を傾けた。
「私ホントはね……曜ちゃん無理してるんじゃないかなとか、迷惑なんじゃないかなとか、遠慮してるんじゃないかなとか……そんなこと考えてた。ほら、私ってやっぱり特殊な境遇だし、そう思われても仕方ないかなって。もちろん、そうやって気遣ってくれるのは凄くありがたいし嬉しいんだけど……でも、どうしてもちょっと寂しいなって思っちゃってた」
きゅっ、と私の服を掴む手に力が入ったのが感じ取れた。
その仕草にいちいち高鳴りそうな心臓をどうにか抑えて、引き続き梨子ちゃんの言葉に耳を傾ける。
「けどさっきの言葉で、遠慮したり気を遣ったりしてるんじゃなくて、曜ちゃんが真剣に私のこと考えてくれてるのがちゃんと伝わってきた」
梨子ちゃんの声は何だかやけに熱っぽくて、言葉の内容が中々頭に入ってこない。
するとふと私の背中から温もりが遠ざかった。
梨子ちゃんが私の背中から離れたのを感じ取り、精神的に限界に近かった私は、ここぞとばかりに身体ごと振り返る。
その瞬間、全く同じタイミングで再び梨子ちゃんが私に飛び付いてきた。
その勢いはさっきよりも強く、更には私が振り返ったせいで、お互い真正面から抱き合うような形になってしまっている。
……あれ? これまずくない?
「それがホントに嬉しくて、涙が出るくらい嬉しくって……気が付いたら、曜ちゃんの背中に飛び付いてたの。……ごめんね?」
ふふっ、とやたら嬉しそうに微笑みながら私に抱き付く梨子ちゃん。
その姿は最高に可愛かったし、私の気持ちが梨子ちゃんにちゃんと届いていて嬉しかったんだけど……梨子ちゃんの身体の柔らかい感触とか、その綺麗な髪から漂ってくるシャンプーの良い匂いとか、とにかく色んなものが私の心と身体を揺さぶって、どんどん頭の方に熱が集まっていく。
梨子ちゃん気付いて。そろそろ私限界です、色々と。
「……………って、あれ? よ、曜ちゃんなんで振り返ってるの!?」
「ヨ、ヨーソロー……」
「いやヨーソローではなくて! ……というか顔がこれ以上ないってくらい真っ赤だよ!? 大丈夫!?」
言葉から察するに、梨子ちゃんは私を心配そうに見つめているみたいだけれど、どんどんその声が遠ざかっていて最後の方はほとんど聞こえなかった。
あ、いや違うなこれ。むしろ私の意識が遠くなってるのか。
「ヨーソ……ロ……」
「ちょっ!? 曜ちゃんしっかりして! 曜ちゃん!? 曜ちゃーーん!?」
どんどんぼやけていく視界の中で、梨子ちゃんが心配そうな表情で何度も私に呼び掛けているのがうっすらと見えた。
あぁ駄目だよ梨子ちゃん。そんなに身体を密着させないで。そんなことされたら余計に熱が上がって更に意識が遠くなっちゃう。
薄れ行く意識の中私は願う。どうか梨子ちゃんがその身体を離してくれることを。
けど結局それは叶わず、梨子ちゃんはその後も親身に寄り添い続けた。
梨子ちゃん…多分100%善意なんだろうけど、本当に恐ろしい子……。
理性を失った頭でそんなことを考えながら、梨子ちゃんの腕の中で私はゆっくりと意識を手放した。
◆
結局あの後意識を失った私は、中央公園のベンチで梨子ちゃんに介抱され、その膝枕の上で目を覚ました。
後頭部の柔らかい太股の感触と、私の頭を優しく撫でる手のひらの心地良さに、目覚めたばかりの私は寝惚けていたこともあり思いっきり甘えてしまった。
うん、あれはもう二度と思い出したくない。間違いなく私の人生史上No.1の黒歴史だ。
というわけでこれ以上中央公園での話を掘り返すのは私の精神衛生上良くないので、現在進行形の話をしようと思う。
今私と梨子ちゃんの二人は歩いて駅に向かっているところだった。
私の目が覚めるまでに思いの外時間が掛かってしまった為、もう日は沈みかけ、良い感じの黄昏時となっていた。
沼津駅から出る内浦方面行きの終バスの時間帯は早く、特に今日のような休日だと夕方には最後のバスが出てしまう。
そんなわけで、駅へ向かう足取りは自然と早くなり、中央公園でのことで気まずいせいもあり、交わす会話もさっきまでと比べると少なくなっていた。
「……痛っ」
そんな時だった。後ろを歩く梨子ちゃんの声に振り返ると、その足取りが少しよろめいていた。
「り、梨子ちゃん、どうかした?」
慌てて梨子ちゃんに歩み寄り、その身体を支える。
よく見ると、身体の重心が右側に片寄っていて、どうやら左足を庇っているみたいだった。
「あはは……ごめん、ちょっと挫いちゃったみたい」
申し訳なさそうに笑いながら、梨子ちゃんが答える。
歩いている途中で左足を挫いてしまったようで、立てない程ではないにしろ、その表情を見たところ歩くと痛みが伴うのは間違いなさそうだった。
もしかしたら、私の歩く早さに着いていこうと無理をさせてしまったのかもしれない。
そう考えた途端、物凄い罪悪感が私の肩にのし掛かった。
「ごめんね、梨子ちゃん。私歩くの早かったよね」
「え? ち、違う違う! 曜ちゃんのせいじゃないよ! 私が勝手に躓いただけだから、気にしないで」
謝る私に対して、気丈な笑顔を浮かべてそう答える梨子ちゃん。
けど、そう言われると余計に気にしてしまうのが人間というもので、とにかく何かしなくちゃと思った私は、無意識の内に梨子ちゃんの左側に並んで立つと、自分の右肩を差し出した。
「肩貸すから、掴まって」
私の言葉に一瞬きょとんとする梨子ちゃん。
直後にその意味を理解したのか、驚いた様子で急にあたふたと慌て出した。
「そんな、大袈裟だよ! 本当に大したことないから!」
「けど、歩くと少し痛むんでしょ?」
「う、うん。でも、本当に少しだけだし……」
「少しでも痛むなら無理しちゃ駄目だよ。いいからほら、掴まって」
「………う、うん。えっと……それじゃあ、失礼します」
少し強引な物言いでそう言うと、遠慮していた梨子ちゃんは躊躇いながらも私の肩に手を置いてくれた。
良かった。これで少しは痛みもマシになるはず。
そう思って安心していた私は、完全に気が緩んでいた。
「ーーッ」
これは予想外だった。
私の肩に手を置いた梨子ちゃんは、バランスを取るためなのか反対の手を私の腕に添えてきたのだ。
つまり端から見ると、二人の様子は腕を組んでいるように見えなくもないわけで……。
「……曜ちゃん?」
「は、はい!?」
「だ、大丈夫? 重かったかな?」
「全然! むしろ軽すぎて気付かなかったくらいだよ!?」
「ぷっ……アハハッ。曜ちゃん、それはさすがに言い過ぎだよ」
私の咄嗟の答えを聞いておかしそうに笑う梨子ちゃん。
その間も、そっと私の腕に添えられた梨子ちゃんの手の感触や、想像以上に密着したお互いの身体にドキドキしてしまい、また顔が熱くなってきた。
おいおい渡辺曜。さすがに学習能力無さすぎじゃないだろうか。
今日だけで何度醜態をさらしたと思っているんだ。あまりにも不甲斐ない自分を、思わずそう嗜めたくなる。
そんな私の様子が可笑しかったからなのか、梨子ちゃんは私の横顔を見つめながらくすくすと口に手を当てて微笑んでいる。
なんとなくそれが悔しくて、私は梨子ちゃんから思いっきり顔を逸らした。
すると梨子ちゃんは、私の腕に添えていた手で私の服の袖を引っ張ると、顔を耳元に寄せて艶やかに囁く。
「ねぇ、曜ちゃん」
「……な、なんでしょうか?」
「私やっぱり、曜ちゃんに頼って良かった」
「…………どういたしまして」
にっこりと満足そうに微笑む梨子ちゃんにたじたじな私。
うん、駄目だ。何だかもうよくわからないけれど、とりあえず私の完敗だ。
ていうか梨子ちゃん、そういうのは私じゃなくて千歌ちゃんに対してやるべきなのでは?
そうすればきっと私みたいに千歌ちゃんだって……………いや、やっぱりやめよう。これ以上このことについて考えると墓穴を掘ってしまいそうで怖い。
なんて考えてしまったのが、もしかしたら所謂フラグになってしまったのかもしれない。
「曜ちゃん?」
「………えっ?」
それはあまりにも唐突過ぎて、どう頑張ったところで誤魔化しようのないエンカウントだった。
「それに、梨子ちゃんも……」
「………あっ」
私の隣を寄り添って歩く梨子ちゃんも同じだったようで、その声と姿を認識した瞬間表情が固まり、完全に思考が停止しているようだった。
「……二人共、なにやってるの?」
なんてタイミングで出くわしてしまったんだろう。思わず信じてすらいない運命の神様とやらを呪いたくなったけれど、それでこの場がどうにかなるわけではない。
いや、そもそも今日のことは決して他の人に隠すような疚しいものでは無いはずなんだけど、相手が相手だけに全てを話すわけにはいかない私と梨子ちゃんは、示し会わせたかのように視線を合わせて、この状況を切り抜ける方法を模索していた。
といっても、咄嗟にそんな都合良くいくわけもなく、返答に困った私は、ひとまずいつもの挨拶でお茶を濁しておくことにした。
「ヨ、ヨーソロー千歌ちゃん……」
「うん、こんばんわ曜ちゃん。それで、二人で何してたの?」
私の挨拶に対してにっこりと含みのある笑みを浮かべるのは他でもない、梨子ちゃんの相談の当事者であり、恋のお相手でもある高海千歌ちゃんだった。
その明らかに私達を怪しんでいる様子を見て察してしまった。
……どうやら、私の休日はまだまだ終わらないらしい。