とある科学の距離操作(オールレンジ):改訂版 作:スズメバチ(2代目)
『七惟が危ないかもしれない』
その言葉を滝壺が聴いた後、彼女の行動は至ってシンプルだった。
アジトで絹旗、麦野と合流した滝壺だったが単身で学園都市最強の一方通行に七惟が挑むと聴いてオチオチ高級ソファーに腰を掛けていられるような余裕は彼女には無かった。
アジトで麦野から聞いた内容は正直なところほとんど覚えていないが、必要な情報はしっかりと彼女の頭に記憶されていた。
『七惟の所属するメンバーが壊滅状態になったが、その元凶である一方通行と七惟が原発周辺で戦闘を行っている』
内容はざっくりとこういうものだ。
第1位は滝壺は直接会ったことはないものの、噂くらいは聞いたことはある。
能力はベクトル変換能力で、この世の物理法則全ての事象の向きと操るという、反則的な能力。
第1位は先ほどアイテムが辛酸を舐めさせられた第2位の上を行く男だ。
ついさっき直接第2位と戦ったから滝壺は分かる、あれよりも上に行く人間なんて正直なところ自分たちが考えられる常識を超えておりとても普通の超能力者が勝てる人間ではない。
そんな敵に単身で突っ込むなど、安心して高級ソファに座って休息なんて取っていられる訳がない。
彼女は今後の戦闘の事を考えて体昌は使わずに七惟を探さなければならない。
今彼女が持っている情報は麦野から教えられた『原発』というキーワードのみだが、彼女は何と言っても学園都市が誇る大能力者だ。
滝壺の優秀な頭脳は七惟が居るであろう場所を導き出しにかかる。
原発がある学区と言えば学園都市にはたった一つしかない、それは学園都市の中でも政府系施設が多い特色を持つ第10学区だ。
第10学区と言えばセキュリティが何重にも敷かれておりもはやメンバーという暗部組織の後ろ盾を全て無くしてしまった七惟が厳重なセキュリティを突破して戦闘行為に及ぶとは考えられない。
第10学区は刑務所や少年院、墓地や発電施設を除けばもうあとは施設の面積のほとんどは道、つまり道路だ。
彼女が弾き出した答えは、第10学区の原子力機関と少年院施設が立ち並ぶ道幅40メートルはあるであろう巨大な道路。
そこで七惟は、グループの最高戦力である学園都市の怪物、一方通行と戦闘になっているはずだ。
居ても立っても居られなくなった滝壺は麦野や絹旗の制止を無視し、部屋を飛び出した。
まだ浜面やフレンダもあのホテルで合流していないし、彼らがやってくるそれまでに七惟を連れてアジトに戻ればあの麦野だって文句は言わないだろう。
先ほど携帯に掛かってきた麦野の言葉は生きていたら連れてこい……ただしその後に続いた言葉は『死体だったら持ち帰ってくるな』という冷酷なものであった。
それは今後の作戦の支障にもなると考えてのことだろうし、七惟と一方通行が激突した際に七惟の勝率を考えて言われたものだったのだ。
学園都市第8位である全距離操作が、学園都市第1位である一方通行と戦闘になった場合の勝算は……おそらく0。
要するに、どう転んだとしても七惟は一方通行に勝てないのだ。
限りなく0に近い0いうわけではなく、絶対の……0。
それでも滝壺は七惟の生存を信じてやまなかった。
そこまでする必要があるのかとも電話で麦野には言われた、あるに決まっている。
自分のせいで、七惟はこんな闘いに巻き込まれてしまったのだから。
滝壺もつい最近までは知らなかったが、あのメンバーのアジトに行ったその帰りに絹旗から聞いてしまった。
麦野や絹旗、フレンダが知らぬところで自分を交渉材料に使い、無理やりに七惟をアイテムに引き入れたということを。
その際に、滝壺を殺されるのが嫌ならばアイテムに入れとの条件を麦野が突き出したことも彼女は聞いた。
絹旗はもちろんそのことについて謝ってきた、どういう経緯でそうなってしまったのか滝壺は聞こうとしたが彼女はそれは言い訳になる、と言って唯々頭を下げてきた。
絹旗はおそらくこのことを麦野から自分に伝えるなという命令があったはずだろうに、それでも何故あそこで謝罪したのだろう?
もちろん滝壺自身は仲間だと思っている彼女たちから七惟を釣る餌に勝手にされていたというのは正直なところ複雑な気分だけれど、今はそんな小さなことを気にする余裕なんてない。
自分が引き金となってアイテムに半ば無理やり加入させられた当の七惟が命の危機ならば駆けつけないほうがおかしいに決まっている。
地下鉄を使って、タクシーを使い、立ち入り禁止区域の手前で降り、必死に息を切らしながら道路を走った。
祝日ということもありやはり施設外に警備の人間はほとんどいない、もし暗部の人間が標的に攻撃を仕掛けるのならばこのあたりだろう。
そして道路を駆け抜け全距離操作と一方通行の死闘の舞台に辿りついた滝壺だったが、待ち受けていたのは悲惨な現実だった。
綺麗に整備されていた巨大な道路は至るところのアスファルトが剥げ落ち、一部は丸ごと消え去ってしまったかのように大地が露わになっている。
至る所に粉々になったアスファルトの礫が散らばっており、道路の横に並列するようにあった雑木林は、何か凄まじい衝撃にあったのだろうか、木が数本と言わず数十本なぎ倒されてしまっている。
その横にキャンピングカーらしきモノも確認出来たが、中には誰も居ないようでもぬけの殻だ、人の居る気配すら感じられない。
その場をざっと見ただけで此処で起こった惨劇の凄まじさを感じ取れてしまい最悪の展開が嫌でも頭を過り、唇を噛む。
「なーない」
掠れた声で、すがるようなか細い声で探し人の声を呼ぶ。
静まり返った真空のような場所に、彼女の声だけが響いては空しく唯消えていく。
返事はない、何処を見ても七惟の姿は見当たらないし、勝者と予想される一方通行の痕跡も、それどころかグループがこの場に居たのかどうかさえも分からない。
だが此処に七惟が居たのは間違いないのだ、これだけの破壊行為を行える人間なんてそうそういないし麦野が苛立ちから口走った情報は何時も正しいと滝壺は知っているのだから。
まだ、まだ何処かに彼はいるはずだ。
大覇星祭で、一緒に学生として競技に励んだあの人が、自分の身を犠牲にしてでも守ってくれたあの人が。今一番会いたい人が、此処にいるはずだ。
体昌が入ったカプセルは今日の使用頻度、疲労度、今後の展開から無事に帰らなければならないことを考えると絶対に使えない、此処で使ってしまったら逆に自分が七惟におんぶにだっこされることになってしまう。
なのでこうなったらAIM拡散力場浴でよく浸っていた七惟の力場を感じ取って、感で進むしかない。
まずは周囲の探索、クレーターのように大穴の空いたアスファルトを覗いてキャンピングカーの中と下を探索……いない、雑木林をぐるりと見渡して奥まで進む、捲れ上がったガードレールの土手部分を探す……見つからない。
時間にして10分、だが彼女からすると気が遠くなるような時間が経過したその時に滝壺は微弱ながらも能力者のAIM拡散力場を捉えた。
「北北東から信号が来てる……」
感じると同時に、彼女は駆けだす。
「なーない……!」
何も考えずに彼女は七惟の名を呼ぶ、こんな場所で感じるのは間違いなくこの場で戦ったモノのAIM拡散力場のはずだ。
それは七惟の発する力場に酷似していた、彼と一緒に居る時はいつも必ず彼のAIM拡散力場に身体を委ねていたのだから間違いない。
その信号は道路からではなく、雑木林とは逆方向の方角に位置し、道路の横を流れる小さな川だ。
コンクリートの堤防を駆け下り、前後左右四方八方へと視線を投げ、七惟を探す。
そして遂に彼女は見つけた、浅瀬で倒れてぴくりとも動かない、一番会いたかった人を。
「なーない!」
普段大人しく声を大にすることのない滝壺が叫ぶ。
必死の思いで駆けより、膝を突き話し掛けその手を握る。
「なーない……!」
呼びかけには、答えなかった。
七惟は微動だにせず、川の流れに任せて浅瀬に浸かっている足だけが靡いている。
右肩からは想像出来なかった程の量の血が大量に流れてしまったようで、今はだいぶ治まっているようだがそれでも彼の服は血糊でガチガチになっていた。
右手に握られている槍はよく七惟が携帯していたものだが、握っている部分から下ははじけ飛んだかのように抉れて消失しており、握っているその力も薄れてしまっているようで今にも川の流れに攫われていきそうだ。
滝壺はすぐさま下部組織の連絡を取り、救護班を呼ぶ。
まだAIM拡散力場が感じられるということは七惟は生きている、右肩から下は完全に潰されてしまっているが、それでも臓器などには損傷はないように見て取れた。
ならば助かる可能性のほうが、死ぬ可能性よりも高いはずだ。
祈る思いで救護班の到着を待つが、その間にもドンドン七惟の身体は冷たくなっていく。
出血多量で死ぬ恐れが出てきた、このままでは本当に危ないかもしれない、最悪の事態になってしまうのかもしれない。
体温を確かめようと頬と喉に手を置く、やはり冷たい。
早く、早く、早く来て……。
表情変化に乏しい彼女の顔が、焦燥に駆られる。
今にも涙が出てしまいそうなその時だった、七惟の目がうっすらとだが開いたのは。
「たき……つ、ぼ?」
七位は言葉を発した瞬間吐血するも、その瞳だけはしっかりと滝壺に向けられており、輪郭を取られていた。
「なーない……!」
「はッ……なんて顔してんだか」
「喋らないで」
「……そうか」
滝壺の表情を見た七惟は、すぐさま安堵したかのような、柔らかい表情を浮かべた。
見たことのないような、すっきりとした、死の淵を彷徨っているような人間が浮かべるはずがないような、すがすがしい表情。
そして一瞬だが、まるで彼が笑ったかのように見えた。
こんなにもボロボロに、ズタズタに痛めつけられて、死ぬほどの出血をして、骨は粉砕されて、大事にしていた槍も折れ曲がり、めちゃくちゃにされているのに。
今まで一度も、くすりとも笑った表情を見せたことが無かった彼が、こんなところで笑うなんて信じられなかった。
七惟の表情で今までの緊張が薄れ、感情の波が体中を支配していく。
笑うならば、もっと明るい場所で、もっと元気な姿で笑って欲しかった、大覇星祭で準優勝した時に、今はまだ叶わないが二人でバイクに乗った時とかに。
何もかも失ったかのような今の状態で、見ているこっちが一緒に笑ってあげられないような状態で、そっちだけ笑うなんて卑怯だ。
七惟の笑顔を見るだけで、真っ黒な恐怖しかなかった身体に、新しいモノが入りこんでくるのだから。
やがて和らいだ七惟の表情が、彼女の感情の糸を完全に断ち切り、胸に溜めこんでいた感情が溢れだす。
「お願いだから……一緒に居て」
たった今まで白黒に感じていた暗闇の世界、そこにストロボの光が差し込んだかのように目の前の光景に色が灯るのを感じた。